4. どうか俺に、お粥を煮させてください!
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その後しばらく経っても、≪第十三遊撃隊≫副長ナイアルの目に、新兵アンリは常にどん臭くうつっていた。
大半の時間、彼らはウエスナーン村から東方向へむけ、外回りの警邏巡回を行っている。繰り返される日々の行軍の中で、ビセンテはアンリを煙ったく思っているらしい。
「くそがき」
野道けもの道で隊の先頭をゆく獣人は、時折するどく振り返っては眼光をとばして呟く。
そのたびにアンリがびくりと身体をこわばらせるのを、ナイアルは背中で感じている。
「……腹が、うるせえ」
「すみません。すみません」
確かにその朝……夜明け間もない頃だったが、ナイアルは背後からきゅーきゅう、と切なげに空きっ腹のなく声を、何度も聞いていた。新兵は腹が減っているらしい。
――まー……。若ぇやつには、しんどい時間帯よな~。
自らの若さを横に置いておいて、ナイアルは胸の中でアンリに共感していた。
深夜からの見回りである。出発前に口にした夜食の黒ぱんはとっくに消化され、寝不足ぎみの身体はこんなもんで足りるかあほんだらぁ、と荒ぶっていた。
慣れない新兵にとっては、すきっ腹を抱えての警邏も苦行であろう。
初夏の夜は明けて、四人の頭上には明るいばら色の曙光が広がっていた。晴れて雲はまばら、もやの気配もなく涼しいだけの乾いた朝だ。
ナイアルはちらり、と振り返った。確かにアンリは弱っているらしい。しょぼん、とうつむいた顔が壮絶にみじめである。
――こんな序盤でつぶしちまっちゃあ、この冬までもたねえぞ?
ナイアルには、最悪が見えていた。
今は青月。のびゆくだけの陽にまかせて、誰もかれもが楽観している。
しかし翠月の終わりに嵐の到来が始まったら……。永遠に照るはずの、白い夏の明光を失おうものなら。
そこから先の長い長い冬に向け、なぜ敵が退かないのかと思い始める。やがて全ての市民領民は、不安に駆られだす。
時化が続いて海路が機能しなくなれば、テルポシエはどこにも助けを求めようのない小島よろしく、孤立することになるのだ。
――最後の防衛線、大市まわりの湿地帯があるって? 冗談じゃねえよ、そこで戦うのは俺らだぞ? しかも、くそ寒い雨ん中で!
現時点で、テルポシエ宮廷はうんともすんとも動かない。拡大動員した市民兵からなる遊撃隊、それに加えて中央に集めた巡回騎士に大市周りの警邏をさせるばかりで、エノ軍の各拠点を叩こうとすらしない。
その理由をナイアルは知らないが……。一級騎士らが動かない限り、最悪の事態は確実にやってくるのだ。
では自分は、≪第十三遊撃隊≫はその最悪に備え、何をするべきか? とりあえずはしろうと同然の新兵を、使える状態にすることだ。
「大将ぉー。あの辺の岩地で、小休憩どうっすかぁ?」
ナイアルは、後ろに向かって声をとばした。
アンリの背後、しんがりを進むダンの頭がかく・かくん、と高ーいところですばやく揺れる。完全同意の表現だった。
そこでナイアルは右手に向けてかくんと折れ、石のごろごろ混じる草地の中を進んだ。アンリとダンがついてくる。
ビセンテはひとり、道にほど近い木陰にひっそり座り込んだ。
何だかんだで、鼻と耳と目の異様によい獣人を歩哨に立たせておけば、まず危険はないのである。
「ふ~」
風よけになる大きな丸石の裏にまわりこんで、岩盤の上に腰を下ろす。
うねうねと曲がる森の小道を八愛里(※)も歩き通すのだから、しんどくないわけがない。
「アンリ。適当に糧食だして、食っとけ」
へなへなとしゃがみかけた新兵は、ナイアルにそう言われてさっと顔を上げた。
「……で、ではッ! 火を起こしてもよろしいですかッ!?」
「はぁ??」
ナイアルは、翠のぎょろ目をかっと開けた。
「ナイアル副長! 隊長、お願いですッ。どうか俺に、お粥を作らせてくださいッ」
ぽかーんとして立ち尽くすのっぽの隊長と、ナイアルは顔を見合わせる。
新兵の顔は真っ赤になっていた。その若い顔いっぱいに、はち切れそうな嘆願がこもっている。
おそらくナイアルが今まで聞いた中、いちばん滑舌のよい言い方で、アンリは言い述べた。
「いま現在、我々各個の革もの入れの中には、糧食として干しりんごと乾ぱん、および一食分の生杣が入っていますッ。この杣を使って、どうか皆さんにお粥を煮させていただけませんかッッ」
「いや……お前、煮るったってよ」
確かにアンリの言う通り、≪第十三遊撃隊≫隊員らの腰にひっさげられた革もの入れの底には、杣麦が一握り入っている。
しかしこれを野外で煮て食う、ということは想定されてない。長い警邏中、そこらの民家に立ち寄って煮てもらう機会のために携帯しているのだ。
「鍋もないこんな野ッ原で、何をどうやって粥を作るっつうんだ」
「お鍋なら、ありますッ。皆さん、どうぞお手持ちの金椀と杣を出してくださーいッッ」
言っているうちにも、アンリは岩陰にしゃがみこんでせわしなく手を動かしている。
かちかちかち……。
火打ち石の音を響かせたかと思うと、ぼっと灯った携帯用の松明を、組んだ石の間に差し込んでしまった。
「さあ早くぅッ、ナイアル副長ぉー!! 隊長もッッ」
アンリの勢いに押されて、ナイアルとダンは携帯用の金属椀を取り出した。仕方がないから、ナイアルはビセンテの分まで道の脇に取りに行ってやる。
大ぶり湯のみくらいしかないその容れものを、四つかためて即席かまどにかけると、アンリは生の杣麦を中に入れていった。
「アンリ、お前よう……。こんな小ッさい火で、粥なんて長く煮るもんを……?」
「大丈夫なのです、ナイアル副長!」
日の前に屈みこんで、アンリはいまや別人のようになっていた。
お粗末な石かまどからの火を照り返すかのように、ぺかぺかッとその頬がてかる。
アンリは両手に手巾を巻きつけると、金属椀の取っ手を二つずつ持って、さかさかとゆすり始めた。
「おい、水を入れんのかッ?」
ナイアルは慌ててもいた。
杣粥づくりは料理の基本、六つ七つのこどもが一番初めにおぼえる調理だ。
当然ナイアルだって知っている、長年家族のために作り作られてきたのだから。
――たっぷり二倍の水に四半刻漬け込んでから火にかけ、沸いたらまた四半刻煮て……じゃ、ねえのかよッッ!!! いきなり炒るってどういう邪道だ!
「まだです。しかしこうすることで、四半刻ののちには皆さんにお召し上がりいただけるのですッ」
極小の鍋と化した金属椀から目を離さずに、自信もりもりで言い放つアンリ。
そのぺかぺかてかる横顔を見つつ、ナイアルは引いていた。
新兵のこの豹変ぶりもおかしいが、常軌を逸した調理まがいの行動……! もしかしてビセンテ以上に強烈なやつが自隊に入ってしまったのか、と疑っている。
しかしナイアルがあきれているうち、アンリがゆすり続ける金属椀の中から、いまだかつて嗅いだことのない芳香が漂い出した。
それが炒られた杣麦の香ばしさなのだとナイアルにわかった時、アンリはしゃッと革袋を取り出す。内の水を、とくとくと椀の中に注ぐ――。
じゅわ、じゅわーん!!
「ようっし! 隊長、あの長刀の刃を拝借できますでしょうかッ」
何すんの、と問うのがダンにはめんどう臭い。
まぁ壊されるわけはなかろ、とものぐさ楽観主義から隊長はきらくにアンリに刃を手渡した。これは彼が独自に考案した、てづくり長槍の取付け部分である。そう、つけるだけで死神輪郭になる、たいへんこわいあれ。
アンリはその鎌のような刃をかまどの上、寄せて並べた金属椀の上に置いてふたにした。
はみ出た湯気が、刃の下からふかふかと立ちのぼる様子は、あんまり怖くない。
「……」
実家で杣粥を作っている時とは、かなりかけ離れたその香り。
しかしナイアルは、興味を持ち始めてもいた。
――この香り……。やたらめったら香ばしい、この匂いを昔どこかで嗅いだよな? どこだったかな、あれは父ちゃんと仕入れ旅行に行った先だったっけか……。うあー、そうだ! イリー最西端デリアドの≪杣焼き≫じゃねえか、ありゃうまかったなー!!
それは本当に、ナイアルの胸の底をやさしく温かくくすぐるような、心地よい匂いだった。
ささくれが立ちかけていたナイアルの心はしばしの間、包囲戦と来るべき最悪のことを忘れて、過去の記憶の中にたゆたう。
すぐ脇では、ダンが長ーい脚を片方ずつ前屈・後屈とのばして、こむらがえり予防の体操を行っている。
「さあ……。そろそろ、ですかね」
火と鍋を前にナイアルがぼうっとしたのは、ほんの束の間だったはずなのに。アンリのずんぐりぶっとい腕が視界の中ににゅっと伸びてきて、ふた代わりの長刀刃を取る。
「待てアンリ、煮始めてからいくらもたっていないはずでは……うッ!?」
ふかふかと膨らんで、割れた身をみせている杣麦の粒の上に、アンリはぱらぱらと緑の葉を揉みちぎってふりかけた。
「何と言う幸運でしょう! ビセンテさんのいるあたりに、木立薄荷が生えていました。これとお塩で、はい! できあーがりーっっ」
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※作中、一愛里( アイレー・マイル)はそちらの世界での約2000メートルに相当します。この場合の八愛里は、すなわち16kmくらいとお考えください。今作品も注釈担当のササタベーナです、どうぞよろしくお願いしますね♪(注:ササタベーナ)




