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2章 閉じた世界のストロベリーティー➁


 辺りは木々が生い茂り、鳥の声が聞こえるだけだった。

 そんな場所に、ぽつんと、小さな家が千幸の眼前に現れた。

 人が住むような場所ではない。でも確かにそこには家があった。

 小さくて、白と水色が綺麗に混ざり合ったみたいな、空色の家だ。

 小さな家の周りには、花々が鮮やかに咲き乱れており、その家だけがこの薄暗い森で一際明るい色を放っていた。

 なにか野菜や果物を育てているようで、農園のような一画もあった。

 千幸はそのうちのひとつ、一際いい香りのする葉に顔を近付ける。


「いい香り……これは、なんという植物かしら?」


 見たことのない独特な形をした、思わず口に入れてしまいそうないい香りのする葉。

 それなりに植物の知識があると自負していた千幸は、興味深くその葉っぱ達を見つめた。

(家のようだし、きっと誰かいらっしゃるわよね…)

 千幸は家の入口らしき扉へと近付く。

 またも見たこともない洋風のような建築に、千幸は目をぱちくりさせる。

(もしかしたら、住んでる方は日本の方ではないのかも)

 そう思いつつも、何故か足は止まることなく、家の扉を開けてしまう。

 リリリンっと涼やかな音が鳴り響いて、店内から先程嗅いだ葉っぱのようなフローラルな香りが漂ってくる。


「わぁ……」


 千幸は色鮮やかな部屋に、思わず声を漏らしてしまう。

 中は外と同じように空色で、所々に花が飾られている。室内も外と同じように華やかだった。

(室内なのに、森の中にいるみたい……)

 なにか小さく音楽のようなものが流れている。

 千幸がきょろきょろと室内を見回していると、奥の方でがたんと物音がした。


「はいはーい!お客様ですねぇ!」


 男の子とも、女の子とも聞こえるような幼くも明るい声がして、ぱたぱたとこちらに足音が近付いてきた。

「あ、えっと……」

 千幸は戸惑った。

(今、お客様と仰っていたわ。ここはお店なのね。もしかしたら、喫茶店、というところなのかしら?)

 噂には聞いている。最近街で流行っているという、珈琲やお茶を飲んだりするところだ。

 華やいだ大きな街からは少し離れた小さな町に住んでいる千幸は、まだ行ったことがなかった。

 入店するつもりはなかったのだと、ひとまずその旨を説明しようと、お店の者を待った。

 すると奥の方からちょこちょこときつねがやってきた。

 なにやら可愛らしい前掛けと、手には鉛筆と紙を持っている。


(え……きつね……?)


 千幸は自分の目を疑った。しかし何度目をぱちくりさせても、そこにいるのは金色の毛をふさふさと揺らした、きつねである。

「いらっしゃいませ!お席にご案内いたします!」

 嬉々としてご案内しようとするきつねに、千幸は慌てて声を掛けた。

「す、すみません!私、お店だと知らずに来てしまって。今日はお金もないので、これでお暇致します」

 それに土で汚れた服のままなのだ。

 こんなはいからなお店に、今の自分は不相応だと、千幸は眉を下げた。

「お構いなく!そういうお客様もいらっしゃいますので!ささ!お席にどうぞ!」

「え、で、でも」

 尚も戸惑う千幸の脚を、きつねはぐいぐいと押していく。

「そちらの鉢植えは、こちらの椅子の上に」

 きつねは千幸の抱える鉢をさっと隣の席の椅子に置くと、その机と椅子を千幸の机にくっつけた。

「さあ、どうぞお座りになってくださいませ!」

「で、でも……」

 なおも渋る千幸に対して、きつねは座席をぽんぽんと叩く。

 千幸は申し訳なく思いながらも、渋々腰を下ろした。

「さて、ご注文はいかがされますかー?」

「え、ええと……」

 きつねは千幸に厚紙を差し出す。どうやらお品書きのようだ。

 しかしそれを見た千幸は、眉間に深く皺を刻ませた。

 そこには見たこともない文字が並んでいた。文字自体はわかる。カタカナである。しかしそのカタカナの文字列が、なにを指しているのか千幸には全く分からなかったのだ。


(これは、飲み物?食べ物?それすらもわからないわ)


 千幸には見たことも聞いたこともないものばかりだった。

(明治になってだいぶ西洋のものが入ってきたとはいえ、こんなにもわからないものだなんて……)

 千幸は戸惑いながら、きつねに声を掛ける。

「申し訳ないのだけれど、お品書きがよくわからなくて……。お任せなどできますかしら?」

 そう千幸がおずおずと申し出ると、きつねはとんっと自身の胸を叩いた。

「かしこまりましたっ」

 そうにっこりと笑うと、店の奥の方へと駆けて行く。


「ますたぁ!おまかせいっちょう~!」


 どうやら店の奥の者に声を掛けているらしいきつねをちらりと見やって、千幸は隣の座席に置かれている苺の鉢に視線を向けた。

(これからどうしたらいいのかしら……わからなくなってしまったわ……)

 あの家にいたらまた苺を蔑ろにされる。自分のことはともかく、それだけはどうにかしなくてはならない。

(宗一郎様……)

 千幸が目を伏せていると、カチャカチャと食器の触れ合う音がして、はっとして顔を上げた。

 そこにはきつねが盆を持ってこちらに向かってくる姿があったのだが、その足取りがどうにも不安定で、千幸は少し焦った。

 しかしなんとか千幸の座る机へとやってくると、きつねは短い脚を精一杯伸ばして、盆の上のものを千幸の前に置いた。

「あ、」

 そこには見たこともない透明な湯呑に入った、黄色っぽい橙っぽい液体のものが入っていた。その上には半分に切られた苺が浮いている。


「苺……」


 そう千幸が呟くと、きつねは「はい!ストロベリーティーです!」と頷く。

 きつねはそう返答しながらも、もう一つの湯呑を隣の席に置く。

「すとろべりぃ……」

「苺のお茶です!ティーカップも透明で可愛いでしょ?」

 液体の入った容器を爪でかつんと叩きながら、きつねがどやっとした表情を浮かべる。

「はい、とっても素敵です」

「でしょでしょ?あとこれもどうぞ!」

 きつねが次に机に置いたのは、苺が大福のような白い皮に包まれたものだった。

「苺大福です!」

「苺大福!」

 千幸はまた目をぱちくりとさせてしまった。

 こんな苺が浮いた飲み物は見たことがなかったし、大福に苺が入っている食べ物なんて聞いたこともなかった。

「あれ?明治時代って、苺大福はまだなかったっけ…?まあいいや」

 きつねはなにかぼそりと呟いて、それをまた隣の机にも置いた。

「どうぞ召し上がってください!」

「あ、ありがとうございます…いただきます」

 千幸は恐る恐るティーカップと呼ばれた器を手に取り、中の液体に口を付ける。

「わ、甘酸っぱくて美味しいです…!」

 苺の酸味と甘みが優しく口の中に広がり、千幸は思わず舌鼓を打った。

 千幸の反応を見て、「よかったぁ~」とにこにこするきつね。

「大福も美味しいよ!」

「いただきます」

 千幸はきつねに急かされるように大福にも口を付ける。大福の甘さと苺の酸味が絶妙なバランスで、職人さんはすごいなぁと千幸は感心してしまった。

「ね?美味しいでしょ?」

「はい」

 これまた千幸の返事ににんまり顔のきつね。

(喫茶店ってこんなに美味しい飲み物や食べ物があるのね。宗一郎様とも一緒に食べたかったな……)


 千幸がそんな風に宗一郎に想いを馳せていると、奥からぽてぽてとした足音とともに、たぬきが出てきた。

 前掛けをして、首にはなにかネクタイのようなものを結んでいる。

 たぬきは何食わぬ顔でやってくると、「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりなさってくださいませ」と丁寧に頭を下げた。

 千幸もそれに倣って深々と頭を下げる。

(……最近のたぬきは、はいからなのね)

 そんな能天気なことを思いつつ、たぬきを眺めていると、たぬきはなにやら食器を磨き始めた。

(不思議……ここはたぬきときつねが営んでいるお店なのね……)

 あやかしの類なのだろうかと一瞬思いつつも、まあいいか、と千幸はまた一口、ストロベリーティーを喉に流し込んだ。

 きつねがぴょこぴょことたぬきの元へ駆けて行く。

「ますたぁ!お客様、喜んでくださっていますねっ!」

「そうですね、こんちゃん」


「二人ともストロベリーティーが気に入ったみたいで、さっきからずっと飲んでますもん!おかわりありますかー?」


「ええ、もちろん」

 たぬきとこんちゃんと呼ばれたきつねの会話を何気なく聞いていた千幸は、驚いて顔を上げた。

「あのっ、」

「はい?」

 たぬきが慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、千幸を見つめる。

「い、今、お二人、って……」

 聞き間違いだろうかと思いつつも、千幸は尋ねずにはいられなかった。

「はい、言いました」

 千幸は慌てて隣の席を見つめる。

 隣の席の机には、千幸のものと同じようにストロベリーティーと苺大福が置かれている。

「宗、一郎様……?」

 千幸は思わずそう声を掛けた。

 しかし千幸の目にはなにも映らないし、なにか声や音が聞こえるということもなかった。

 千幸はがっくりと肩を落とす。

(そんなわけがないわ。二人、なんて仰るからもしかしてと思ったけれど……)

 しょんぼりとする千幸に対して、きつねのこんちゃんが明るい声を上げる。

「いるよ!男の人!」

 その言葉に、千幸が改めて隣の席を見ると、そこには見知った藍色の着物を纏った細身の男性の姿があった。

「宗、一郎、様……?」

 その姿はまさに、千幸の夫であり、千幸がもう一目でも会いたいと思っていた宗一郎の姿であった。

「宗一郎様……っ!」

 千幸は思わず宗一郎に抱き着く。

 宗一郎は「千幸…」と小さく呟き、千幸をきつく抱きしめた。

「会いたかった……!会いたかったです……!」

「私もだ」

 千幸と宗一郎の姿を、たぬきのぽんちゃんときつねのこんちゃんは嬉しそうに見ていた。

「千幸、苺を大切に育ててくれてありがとう。私はいつでも千幸の傍にいる。これからは、千幸が一番幸せになれるように生きるんだ。いいね?」

「宗一郎様……!」

 宗一郎の姿が、少しずつ少しずつ千幸の目には映らなくなっていく。

「またいつか君と出逢い、私達は結ばれるだろう。いつになるかはわからないけれど、きっとどこか、未来の世界で」

 その言葉を最後に、宗一郎の姿は視えなくなってしまった。

「宗一郎様……っ」

 千幸はしばしの間涙を流し続けた。



 千幸が落ち着いた頃、たぬきのぽんちゃんがストロベリーティーのおかわりを持ってきた。

「…ありがとう、ございます…」

 目元を真っ赤にした千幸は、ぽんちゃんとこんちゃんへ弱々しい笑顔を浮かべた。

「会わせてくださって、ありがとうございました……」

 千幸はなんとなく、目の前の二匹が力を貸してくれたものと思っていた。

「いえ、私達はなにもしていません。再びあなた方が結ばれるかどうかは、あなた方次第です」

「はい…」

 ぽんちゃんの言葉に、千幸はゆっくり立ち上がる。

「ご馳走様でした。とても美味しいお茶と和菓子でした」

「お粗末様でございます」

 千幸は苺の鉢を抱えると、店内を後にする。


(宗一郎様のいないこんな世界には、なんの意味もなくて、私も世界を終わらせようとしていた……。でも、私にもまだやるべきことがあるのかしら。宗一郎様にまた会えたとき、私は、誇れるような人生を送ったと、ちゃんと報告したいわ)


 千幸は少し顔を上げて、また歩き出す。

 千幸にはもちろん視えていないが、宗一郎が優しい笑みを湛えて彼女を傍で見守っていた。




「ま、ますたぁ……」

 きつねのこんちゃんがふらりと座席にもたれ掛かる。

「大丈夫ですか?こんちゃん」

「だいじょうぶ~」と返事をしたこんちゃんの声はいつもの元気なようすはなく、弱々しかった。

「無理をするからです」

「うん……でも、どうしても会わせてあげたかったんだ…。あんなに傍にいるのに、お喋りできないなんて寂しいでしょ?」

「だからって天狐の力を使わなくても……」

「いいんだよ、せっかく神様が与えてくれた力だもん。こういうときに使わなくちゃ」

 こんちゃんの弱々しい笑顔に、ぽんちゃんは小さく息を吐きながら、こんちゃんをソファに寝かせてやった。

「…あの二人、また次の生で幸せになれるかなぁ……」

 こんちゃんの呟きに、ぽんちゃんは大きく頷く。

「大丈夫でしょう。苺の花の花言葉は、幸福な家庭。あの二人なら、何度生まれ変わっても幸せな家庭を築けます」

 ぽんちゃんの言葉に、こんちゃんはにこりと笑う。

「うん、きっとそうだ。……ところでますたぁ、」

「どうしました?こんちゃん」

「ストロベリーティー、飲みたい」

 ぽんちゃんは一瞬目を丸くして、「はいはい」とストロベリーティーの支度を始めたのであった。




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