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2章 閉じた世界のストロベリーティー①


 ぽつり、ぽつりと。小さな雫は少しずつ土の色を変え、やがて大粒となって空から降り注いだ。


「また、雨……」


 巫女装束に身を包んだ少女、久世 千幸は、慌てて縁側から自宅へと避難する。


「根腐れしなければいいけれど……」


 六月でもないのに、ここのところは梅雨のように雨続きだった。

 千幸は庭で苺やトマト、なすなんかを育てている。それは千幸の夫と、大切に育ててきたものだった。

 千幸は、十六歳でこの久世家へと嫁いで来た。

 久世は代々、社家であり、一族がそれを継いできた。自宅の裏にはその神社があり、千幸もそこで巫女として仕えている。

 しかし嫁いで来た千幸には、これといった力はない。

 祈祷ができるわけでも、当然神のお告げを聞くなんてことはできない。もともとただの平民の家系の生まれだ。千幸にできることは少なかった。

 千幸はぼうっと空を眺めながら、地面を濡らし続ける雨粒を見ていた。


「旦那様が、泣いておられるのかしら……」


 そうぽつりと呟く。


 千幸の夫である、久世 宗一郎は、ひと月前、病気でこの世を去った。

 まだ齢二十にもなっていなかったというのに、あまりにも早い別れだった。

 宗一郎はもともと病気がちで、身体が弱かった。千幸もそれを知っていてこの家に嫁いだのだ。

 それでもあまりに早すぎる別れに、千幸の心は置いてけぼりになっていた。

 神社を継いだばかりの宗一郎が亡くなったことで、久世家はおおわらわだった。当然宗一郎の跡継ぎは千幸との子供だと思われていたのだが、そんな子供を授かる余裕もなく、宗一郎はいなくなってしまった。余所者の千幸は、厄介者になってしまったのだ。


「千幸さん!こんなところでなにをしているの!境内の掃除がまだでしょう!?」


 突然背後から金切り声が聞こえ、千幸は振り返った。

「お義母様…」

 目と同じように眉を高くつり上げた、宗一郎の母がそこに立っていた。

「千幸さんってどうしてそんなにぼうっとしているのかしら!?こっちは忙しいというのに」

 「境内の掃除、早く終わらせて頂戴ね!」と言い残して、宗一郎の母は行ってしまった。

(境内の掃除といっても、この雨では……)

 掃除した傍から小枝や葉っぱで荒れるだけだろう。

 それでも千幸は逆らわず、神社の境内へと向かう。竹箒を手にして、和傘を肩に掛けながら葉を集めていく。

 神職である千幸が思うのも変な話だが、まだ昼間だというのに、薄暗い境内はいかにもなにか出そうな雰囲気だった。


(……もし現れてくれるのなら、宗一郎様に、もう一目だけでも会いたいわ)


 千幸は湿った空気を思い切り吸い込み、瞼の裏に映る宗一郎の無邪気な笑顔に声を掛ける。


(宗一郎様、そちらは寂しくないですか?私は……、私はとても寂しいです……)


 千幸の瞳から一筋の涙が伝った。

 千幸の心を写すかのように、その日は雨が降り止むことはなかった。




 数日が経ったある日、千幸はいつものように庭で育てている苺のようすを見に行った。


(昨日は花が咲いていたし、きっともうすぐ実がなるわ)


 宗一郎と一緒に大切に育ててきた苺だ。千幸は苺だけは、絶対に守らなくちゃと丹精込めて手入れをしていた。

 宗一郎は苺が大好きだった。宗一郎が苺好きだという噂は町中に広まっていて、よく神社の参拝客や農家さんが苺を差し入れてくれたものだ。

 好きが高じて、ついぞや庭でも育てはじめたのだ。

 苺は順調に育っていたものの、宗一郎はその成長を最後まで見守ることはできなかった。


(苺がなったら、宗一郎様に持って行きますからね)


 宗一郎が亡くなった今、千幸の心を支えるのは、その苺だけだった。



 しかし、千幸が庭先に行くと、昨日まであったその姿が消えていた。

「え……?」

 千幸は目を疑った。しかし何度目を擦ってみても、そこにはただ掘り返されたようなあとを残す土があるだけで、綺麗な白い花を咲かせていた苺の姿はなかった。

 千幸が愕然と庭に立ち尽くしていると、宗一郎の母がやってきた。

「千幸さん、またそんなところに突っ立って……。やるべきことはやっているのかしら?」

 いつものお小言など耳に入るはずもなく、千幸は宗一郎の母に詰め寄った。

「苺は!?ここに植えてあった苺は、どうしたのですか!?」

 珍しく取り乱した千幸のようすに気圧され、宗一郎の母は面倒くさそうに返答する。

「苺?もしかしてこの辺に植わっていた白い花のことかしら?それなら、あの辺にあるわよ」

 宗一郎の母が指差す先には、これまた掘り返されたような土が山になっていた。

 千幸は慌ててその土の山に駆け寄り、衣服が汚れるのも構わず、土を掻き分けた。

 するとそこに弱々しくしおれた、白い花が出てきた。

 千幸はそれを必死に掘り出し、脇に避けていく。

 そのようすを見た宗一郎の母は不思議そうに首を傾げた。

「その花がなんだって言うの?あそこはもともと池を作るつもりだったの。邪魔だからどかしただけよ」

「邪魔って……、これは宗一郎様の……」

 反論しようとした千幸はしかし、ぐっと口を噤んだ。

「なんだか知らないけど、早く仕事して頂戴ね」と言い捨てて、宗一郎の母は行ってしまった。

 千幸は零れ落ちそうになる涙を堪えながら、隅に置かれていた古い鉢に苺の花を植え直した。

(どうか、どうか元気になって……)

 千幸と宗一郎を繋ぐものは、もうこの苺しかない。千幸は必死に祈った。



 千幸の手入れのかいもあってか、苺は元気を取り戻した。

 しかし、この家に置いておくには、不安が付きまとう。またいつ捨てられるかもわからない。

(どこか、人気のないところ……、それでいて、元気に育ってくれるような……)

 そんな場所はないだろうかと、千幸はその日、自身の仕事を放り出して、鉢植えを抱えて彷徨った。



 ふと気が付くと、見知らぬところまで来てしまっていた。

 どうやらふらふらと歩いているうちに、森の奥まで来てしまったらしい。


「ここ、どこだろう……?」


 森の奥は、野生の動物やら、はたまたあやかしなんかが出るとも噂されている。

 本当かどうかはわからないが、千幸は特に気にすることはなかった。


(動物だろうが、あやかしだろうが、なにが出たってどうでもいい……。私も、宗一郎様の元へ行きたい……)


 千幸の心はもう限界だった。

 宗一郎のいなくなった久世家は、残された余所者の千幸を雑用係のように扱った。

 それでも、宗一郎を近くで感じたくて、久世家に残り、千幸は我慢して日々を過ごしていた。この苺さえあれば、千幸の心は挫けないものと、そう思っていた。

 けれど、その苺も踏みにじられてしまった。

 そのことが千幸にとってひどく悲しく、苦しいことだった。

「……宗一郎様……」

 千幸は苺の鉢を抱え、更に森の奥へ奥へと進んでいった。




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