ことばのあいだ
セミリンガル
① 二言語以上に接して育ちながらも、いずれの言語も十分に習得していない人。
② どちらの言語も母語として機能せず、表現力や語彙力、理解力に困難を抱える状態。
言おうとしたことが、口の中で止まった。
声に出す直前、何かが引っかかって、するりと逃げていく。
その感覚が、ずっと続いている。
話せないわけじゃない。
だけど、話したいことがそのまま出てこない。
「えっと」「なんだっけ」「ちょっと違うけど」
そんな言葉でごまかしているうちに、
本当に言いたかったことが、どんどん遠くなる。
話すことが、こわい。
僕は小さいころ、ずっと海外にいた。
日本に戻ってきたのは、小学四年の終わり。
クラスに入ると、みんなが僕を「しゃべれる人」として見た。
でも実際の僕は、そうじゃなかった。
うまく話せない。
言葉の順番が変になる。
単語の意味が曖昧。
文の終わり方が分からない。
聞こえてくる日本語は分かるのに、
話そうとすると、何かが抜け落ちてしまう。
思ってることと、出てくる言葉が、ちょっとずつズレている。
授業中、みんなの前で発表するのが何より苦手だった。
自分の声が、自分のものじゃない気がした。
誰かが考えた言葉を、暗記して吐き出してるだけ。
本当の「僕の言葉」は、いつも喉の奥に残ったまま。
笑われたこともある。
間違えた発音、変な言い回し。
「なにそれ?」とクスクス笑う声。
何でもないふうを装ったけど、帰り道はずっと苦しかった。
母は、「気にしなくていい」と言った。
先生は、「慣れれば大丈夫」と言った。
でも、慣れなかった。
日本の言葉にも、昔いた国の言葉にも、
僕はどっちにもちゃんと立てなかった。
どこにも“ぴったりの場所”がなかった。
あるとき、国語の時間に「自分を表す一文」を書くという課題が出た。
僕は悩んだ。
みんなはすぐに「負けず嫌いです」「好奇心旺盛です」なんて書いていたけれど、
僕にはうまく言える言葉がなかった。
何を書いても、少し嘘っぽくなる気がした。
結局、僕が書いたのは、
「ときどき、言葉を持ってないような気がします」
という一文だった。
先生はそれを見て、何も言わずに赤ペンで〇をつけてくれた。
なにも足さず、なにも直さず、そのまま。
それが嬉しかった。
僕の“ことば”を、はじめてそのまま受け止めてくれた気がした。
話すのが苦手な僕は、書くことを少しずつ始めた。
上手じゃなくていい。正しくなくていい。
ゆっくり、自分の中にある“感じ”を言葉にしていく。
最初は、小さな紙の切れ端に、短い文章を書いていた。
「今日、風の音がすこしさびしかった」
「おなかはすいてないけど、何かを食べたい気がする」
「だれにも見つからずに、静かに笑いたい」
そんな、他の人には意味がないようなことばかり。
でも僕にとっては、それがとても大事だった。
どんなに不格好でも、
そこにあるのは僕だけのことばだったから。
今でも、ときどき言葉に詰まる。
言い間違えるし、伝えきれないし、黙ってしまう。
だけど、少しずつ分かってきた。
話せないことは、悪いことじゃない。
言葉が見つからないのは、何もないからじゃなくて、
たくさんあるからなんだ。
感情が、思いが、記憶が、心の中に詰まりすぎて、
まだうまく並べられないだけ。
でも、いつか並べられる日がくるかもしれない。
そのとき、僕はようやく「自分の声」で話せるようになるかもしれない。
だから今は、この“ことばの、あいだ”に立ちながら、
ゆっくりでいいから、自分の声を探していこうと思う。
たとえそれが、
誰かに届かなくても。