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ハンカチと一輪のグラジオラス

作者: せっきー

それは8月には珍しく、最低気温が一桁となった雨の降る朝のことだった。駅前のロータリーでは、ワイドショーで放送するのであろうインタビューの撮影がそこかしこで行われている。その対象者は季節感とは真反対の長いコートを着た社会人や学生と様々であるが、皆な口を揃えて「寒い朝ですね」とテンプレートを述べている。雨空の下で傘の花が幾多も開き、駅から四方八方へと散っていったかと思えば、その人影はビルやバスへと姿を消す。


その人の波に逆行するかのように、傘も差さずに駅へとゆっくり歩く1人の少女。地味な色味のギンガムチェックのスカートに、臙脂(えんじ)色のローファー、左の胸元には金色に光る校章のワッペン。その手元には、紺色のハンカチに包まれた紅い花弁が垣間(かいま)見えていた。


ふと立ち止まり、しゃがみこんで濡れた路面に左手を付く。それを横目に、足早に歩き去るサラリーマン。同じ世界で同じ時間を共有しているとは到底思えない異様な空間だった。ラッシュアワーに迷い込んだ沈黙が、その少女の背中を包み込む。冷えて赤くなったその左手のすぐ脇を、黒の革靴とピンヒールがすり抜けていく。


高架駅に発着する通勤電車と、行き交う人の波、音響式信号機の機械音、そして少女の(すす)り泣く声が混ざり合った駅前で、かつて起こった惨劇を覚えている者はどれくらい居るのだろうか。所詮は他人事にしかならない悲劇も、その当事者にとっては永遠に消えない心の傷である。


「お父さん、お母さん。今年も来たよ。」


ハンカチから姿を現した一輪の紅いグラジオラスが、灰色のタイルの上に置き去りにされた。忙しく流れる時間のなかで、その数センチ四方の空間だけは、まるであの日の赤色灯が光るかのように。


誰にも踏まれずに、一輪のグラジオラスは空を見上げていた。

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