第四章
六月二十九日
あれから一日経ったが、未だに僕の所へ警察は来ない。世間の話題は司法の汚職でもちきりで、そのきっかけとなったあの書類を公開した僕は名の知れぬ英雄となっていた。警察や検察が連日のように会見を開き、何とか自分たちから追及の矛をそらそうと責任をたらいまわしにしていた。今はもはやそれを調査するための機関ですら信頼されておらず、警察組織の解体もそう遠くないことかもしれない。
そんなニュースを駅前の街頭ビジョンで見ていた。今日は気分転換として隣県まで来ていたが、どこから来たかよくわからない移民たちの権利を訴える行進のせいで碌に身動きが取れないので、ベンチに座って街頭ビジョンを見ていたのだ。声高に何かの権利を訴え続ける移民たちを眺めていると、騒ぎが起きた。青年の集団が行進を遮るように立ちふさがり、拡声器を使って「自分の国に帰れよ犯罪者予備軍共」と吠えている。これから騒がしくなりそうだなと思ったが、その予想を大きく上回る事態へと発展した。ただ拡声器での主張を続けていた彼らに対し、ここの県警が動き出したのだ。もともと行進に伴う交通整理や、観衆の抑制などで何人か配備されていたが、一斉に取り押さえに動き出した。そこからはまさに混沌であった。行進を妨害した青年たちを取り押さえようと躍起になる県警と、それから逃れながら移民たちへ罵声を浴びせ続ける青年たち。そして警察という味方を得て調子に乗り、この国の国民への教育を謳いだす移民たち。あまりにもどうしようもない状況が広がっていた。
今までなら警察としての権限を使って何とかこの騒ぎを収めようとしたが、今は違う。この場での元凶は誰だ。行進を遮った青年たちか?それともそれを取り押さえようとする県警か?どちらも否である。元凶は行進を始めた移民たちだ。そもそも彼かがこの場で行進をしなければここまでの騒ぎにはならなかったのだ。元凶が分かった今、それを取り除くしかないだろう。駅近くのスーパーに入り、少しの野菜とハム、そして包丁を購入し、店を出る。その後、包丁の封を解き懐にしまい込む。そのまま、騒ぎになっている群衆の中に飛び込んだ。
騒ぎの中心は人でごった返しており、この場にいる全員が、自分以外のことを把握できているわけもない。ただ、顔でこの国の人間がそうでないかということぐらいはわかる。それに移民たちはこの国の言葉がたどたどしく、怒りに身を任せて母国語が出てきているのも判断材料になった。それぞれが相手のことを嫌い、攻撃し合っている。おしくらまんじゅうのようになっており、誰も何が起きたかわかるわけもない。行進を邪魔された怒りに狂う移民の一人を包丁で刺した。ズルズルと崩れ落ちるが、誰も気に留めない。他の誰かの土台にされるのが精いっぱいだ。
僕はそのまま、人込みの中を進みながら何人も刺した。仕留め切れていないのも何人かいたが、この場では碌な救護も受けられない。そのまま血を流して死ぬだけだ。ただ、さすがに何人も血を出して倒れたらさすがに移民たちも異変に気付くようで、「何かおかしい」と言い出した。それを機に騒ぎも収まったが、それはさらなる喧噪への休憩時間に過ぎなかった。仲間が青年たちに殺されたと主張する移民たちに、被害者アピールで同情を買おうとしていると反論する青年たち。警察は移民たちの言い分を信じたため、売国奴と罵られた。それがきっかけになり、また騒ぎが始まった。さらに今回は取っ組み合い、殴り合いもありの大喧嘩。そうなれば、また僕は人を殺せる。
今度は殴り合いのせいもあってかかなり死傷者の数が多かった。僕が刺殺したのに加えて、殴り殺された人も何人かいたらしい。救急車が何台も行ったり来たりしている。サイレンがひっきりなしに鳴り続けている間、警察が青年たちに取り調べをしようとしていた。
「お前ら、自分が何やったかわかってんのか?」
「何やったかって、そりゃ害獣の駆除だろ。なあみんな」
リーダーと思しき人物の呼びかけに、周りの彼らも同調する。警察はうんざりした様子で話を続けた。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ。誰が害獣だよ」
「あの移民共と、てめえら警察もどきだろうが。あいつらは生きるだけで俺たちに迷惑かけるからな。それに言葉も通じねえんだし、害獣で間違いねえだろ。しかも、お前たちは働かねえしよ。そのおかげで、俺たち自警団なんて組織も生まれてんだぜ。俺たちがいるってこと、つまりお前らは無能ってことだ」
「……とりあえずお前ら全員殺人で逮捕するからな」
「お前らに逮捕権なんかねえだろ警察もどき」
「現行犯に決まってんだろ馬鹿ども。自警団なんて馬鹿な集まりやってねえで勉強しろ」
「勉強すんのはてめえらだ警察もどき。……現行犯として逮捕するには、犯罪が行われたことがはっきりしていて、犯人が誰かはっきりしている場合のみ逮捕できるんだよ。つまり、この中で犯人が誰かわからねえから誰も逮捕できねえ。残念だったな警察もどき。……こんなこともわからねえとかほんとに警察か?やっぱり警察もどきで正解じゃないか?」
自警団と名乗った彼らはあくまで好戦的な姿勢を崩さない。警察たちもこの強気な彼らの対処に手を焼いているようで、どうにかしょっ引けないかと本部と通信しているのが聞こえた。自警団は勝利を確信し、そろそろ撤収しようかという雰囲気になってきたころ、通信機と話し込んでいた警察が引き留めた。
「いいか?ここから誰も動くんじゃねえ。誰が犯人かはわからねえが、この中に人殺しがいることは確定してるんだ。お前らには警察の捜査に協力する義務がある。一歩でも動けば公務執行妨害で手錠掛けるからな」
「公務執行妨害?ここに公務してる奴がいるのか?ここにいるのは、俺たち自警団と、移民という害獣どもとそれに媚を売るお前らだけだろ。ここに警察なんか一人もいねえよ馬鹿言ってんじゃねえ」
自警団のリーダーの言葉に同調した自警団員はそれぞれ思い思いにこの場からはなれ、帰路に就いた。その背中に向け、警察たちが怒号を飛ばしているが全く意に介していない。逆に警察を挑発するような言動を繰り返し、怒りを買おうとしている。ただ、その行為は事態をより悪化させてしまった。
警察たちの通信機が一斉になりだし、全員が同じ場所に集合した。そして何やらもぞもぞと動き、位置取りを気にしているようだ。次の瞬間、騒ぎが収まり始めた駅前に立て続けに銃声が響いた。自警団の青年たちが何人も倒れている。僕は一瞬で事態を把握した。警察が発砲したのだ。それもただ彼らの思い通りになったのが腹立たしいという理由だけで。すぐさま自警団の彼らは集まり、発砲したであろう警察へ詰め寄ったが、警察は「誰が犯人かわからないから捕まらないんだったよな。さっき勉強したからよ」と威圧的だ。それを受け、またもや大勢での喧嘩が始まった。僕は少し遠くでそれを眺めていたが、もうどうでもよかった。彼らも学んだのだ。気に入らない奴は殺していいと。もう僕の出る幕はない。もともとの目的であった気分転換をするため、駅前のショッピングモールへ向かった。
六月二十九日
政治家どもを殺すと言っても、それは非常に難しいということは実行せずともわかっていることである。だが、もう決心してしまったし、それに自分のような人間が地べたを這いずりまわっているのに、犯罪すれすれを好き放題やる人間に社会的地位があるのが許せなかった。しかし、政治家というのは汚い手口で稼いだ金を使って自分の身を守る汚い存在だ。手を出すタイミングというのは非常に限られている。演説中に奇襲を仕掛けるのが一番殺しやすいが、後が続かない。俺がやりたいのはターゲットを全員殺し、自分は捕まらずに逃げ切るということである。何かチャンスになるようなことはないかと考えていると、環境音としてつけていたテレビから耳寄りな情報が流れて来た。明日から七月末の選挙に向けての本格的な選挙活動が始まるというのだ。これはチャンスかもしれないが、それほど都合よくいくだろうか。一応できる限りの用意をしておかなければなるまい。
六月三十日
今日から、月末の選挙に向けて選挙活動が始まった。私は先月のニュースで宗教団体とのつながりを暴露され、所属していた政党から切り離され、無所属で戦う羽目になった。そのせいで選挙用の補助金ももらえなかったし、人手も足りない。しかし、政治家という仕事は何としても捨てられない。寝てるだけで勝手に懐に金が入る仕事など誰が手放すか。今日は反省しているアピールをするため、街頭演説に加えて、一軒ずつ民家を回り、思ってもいない謝罪を伝え、大事な大事な一票をもらうことにしよう。
予定時刻通り、街頭演説の演説台に立ったが、前の選挙に比べ聴衆が少ない。しかも私が何かを話そうとするたびにヤジが飛んでくる。腹立たしいことこの上ないが、今は耐える時だ。別にこいつらなんぞに媚を売らずとも、すでに例の宗教団体に組織票の用意をしてもらっている。思ってもいないことを言うのは非常に心苦しいが、仕方なくありきたりな選挙公約を掲げた。手取りを増やすとか、移民対策をするとか、LGBT法案がどうとか夫婦別姓がどうとかどうでもいい。どれも達成する気などない。私はただ、何の努力もすることなく私腹を肥やしたいだけなのだ。一通り演説を終え、次の目的である民家訪問へと車を走らせた。
今、私の名前が掲げられた選挙カーを見て、素直に応援しようという人はほとんどいない。無視するか、追い払うような動作をするか、あるいは罵声を浴びせるか。たかが組織票を買ったぐらいでいちいち大げさだと思うが、今はこらえるしかない。謝罪の文を含んだ原稿をウグイス嬢に読ませ、少し仮眠をとることにした。ここの街は妙に入り組んだ道が多く、運転手はこの道に慣れていないようで、かなり時間がかかっている。決めていたスタート地点に到着すると、乗っていた車をゴール地点に先に行かせておき、私は一人で挨拶に向かった。複数人で挨拶に行くのは少々威圧的かもしれないからである。それに一人でへこへこ下手に出れば、哀れに思って赦してくれる人が出てくるかもしれないからだ。
民家訪問は正直失敗だったかもしれない。いくら気にしないようにしていても、面と向かって罵声を浴びせられるのは耐えがたい。だが、我慢だ。今怒りを露にしてはいけない。この我慢を乗り越えれば、この馬鹿どもから無限に金を絞りとれる。今はただ適当にいい顔をして、その場をしのぎ続けるんだ。次の家は大き目の一軒家だ。インターホンを鳴らすと、青年の声が聞こえて来た。
「お忙しいところ大変申し訳ございません。私、今回の選挙に出馬する清水誠司と言います。以前より報道されていた宗教団体とのつながりの件で、支持者の皆様に直接謝罪をさせていただこうと思いまして……」
「はあ……。とりあえず、お話は分かりましたので、良かったら中へどうぞ」
私は驚いた。まさかまだこの私にそのような対応をする人物がいたとは。ついさっきまで罵声を浴びせられ続けていた私にとってはまさに都合がよすぎる言葉であった。
中から出てきたのは先ほどの声の主であろう青年だった。他の家族はいないのかと聞くと、もう亡くなったとのことだった。しかし、彼はそれよりもなぜか私を家に入れようとしてくる。もしかして茶でも用意してくれているのだろうか。促されるように玄関に入れられた瞬間、私の背中に電流が走り、気を失ってしまった。
六月三十日
まさかターゲットのうちの一人が家に来るとは思っていなかった。それに付き人などもおらず、誰かにばれる心配はない。馬鹿みたいに肥えた体を運ぶのにはいささか苦労したが、何とか地下室に運び込むことに成功した。あまりの重さで、椅子に座らせるのは不可能なので、ひもで手足を縛り、床に転がしておくことにした。まるまるとした腹に一発蹴りを入れると、清水はせき込んで意識を取り戻した。
「ここは!?いったい何が起きたんだ?おい君、これはどういうことだ」
この状況になってもあくまで偉そうな物言いをやめないのは筋金入りといったところか。
「ここは、俺の家の地下室。お前をスタンガンで気絶させてここまで運び込んだ。……どういうことって言われてもな、どう答えたらいいのか」
「何をふざけたことを言ってるんだ。私をどうするつもりだ」
「どうするってそりゃ殺すにきまってんだろ、お前みたいなやつ」
「私を殺すだと?そんなことしていいと思ってるのか」
「別にいいんじゃないか、お前みたいなやつを殺しても。特に罪悪感も湧かねえや」
「……なぜ私を殺すんだ?私が君に直接何かしたわけじゃないだろう?……もしかしてあの宗教団体と何か関係があるのか」
「どれも違う。正解はな、お前みたいな悪人が生きてんのが許せないだけだよ。……不公平じゃないか、俺みたいに誠実に生きてる奴が虐げられて、お前らクズが人の上に立つのが。だから殺そうと思ったんだ。お前に恨みがあるわけじゃないし、別に俺が上に立ちたいわけでもない、上に立ってる奴の邪魔するだけで十分なんだよ」
やっと状況を理解したのか、清水の顔は青ざめていく。事態を把握した清水の震えた口から発せられた第一声は「殺さないでくれ」だった。
「……お前は今までの間にいくつ助けを求めた人間の手を振り払った?お前は今までに誰を助けてきた?……誰も助けたことないくせに、誰も助けようともしなかったくせに助かろうと思うなよ」
「なんで私がお前なんかにそこまで言われなくちゃいけないんだ!私はお前に何もしてないだろ!?」
「だからさっきも言っただろ、お前が生きてるのがおかしいから殺すんだよ。それ以上でもそれ以下でもない、本来存在してはいけないものなんだから消すだけのことだ。お前だって文字を書き間違えたら消しゴムで消したりするだろう、それと同じだよ。お前が生きているのは間違いだから、お前を殺すだけだ」
「なぜおまえがそれを判断するんだ!?お前にそんな権利があるわけないだろ!」
「だから何だよ。お前らはいつもそうやって権利に縋りつくよな。じゃあ逆に権利があれば何したっていいのかよ。……違うんだろ?自分に都合の悪いことは駄目って言うんだろ?……知らねえよお前みたいな自分勝手な奴。……わかった、お前がそんなに権利にうるせえから、俺もお前を殺す動機違うのにしてやるよ。……うぜえから殺す。これで十分だろ」
そう言い捨てて思いきり殴りつけた。たったの一発で口の中を切ったらしく血を吐いている。歯も二、三本ほど吐き捨てている。かなり脆いから手加減して痛めつけなければ。一旦顔はやめて胴体にターゲットを向けた。しかし、奴の胴体は醜く肥え太っており、生半可な攻撃は脂肪に衝撃を吸収されるだろう。こういう時はやはり刃物だ。この脂肪の厚さならすぐさま致命傷となることもなさそうだ。床に置いていた包丁を取り、腹に刺す。清水は痛みに耐えかねて叫んでいるが構うことはない。刺したらすぐ引き抜いて、また別の場所に刺す。それを何度か繰り返していると、意識がなくなりかけている清水が何かを言いたげにしていることに気づいた。今さら何を言われようとどうでもいいのだが、どうせなら遺言でも聞いてやろう。そう思い、清水に喋らせることにした。
「おい、まだ生きてるか?さっきから口をもごもご動かしてるが、何か言いたいことでもあるのか?」
「……金ならいくらでも出す。……だから殺さないでくれ」
「税金沢山払わされたから好きに殺させてくれ。……嫌っていうだろ?それと同じだよ。そもそもお前の命なんて値が付くほど高尚なものじゃないだろ、いつまで驕ったままなんだ?……今、お前が持っている選択肢は二つ、黙って殺されるか最期まで喚いて殺されるかどっちかだ」
「……頼む、助けてくれ。まだ……死にたくない」
「さっきも聞いたよな、今までどれだけの助けを求める声に耳をふさいできたか。……そういえばその時は答えを聞けてなかったな、ほら答えろ。お前は今までどれだけ人のためになれたんだ?答えなければこの包丁でお前の心臓を突き刺す」
「………………」
「早く答えろよ、それとも今まで人のために何かしたことなんか一瞬たりともないってか?まあ政治家先生だったらあり得るか。……だったら『ないです』って答えろよ」
「……な……です」
「なんて?声が小さくて聞こえねえな」
「……ない……です」
「……ないのか、六十年以上も無駄に生きてるくせに。その間の一瞬たりとも人のためには使わなかったのか。……じゃあお前に助けを求める『権利』なんてないじゃないか」
「……お前はあるのか。人のために何かをしたことが」
「当たり前だろ、俺は政治家じゃねえからな」
問答が長くなってしまった。これ以上はさすがに時間の無駄だ。座ったままの状態の清水の心臓を狙うのは造作もないことで、清水の域は簡単に途絶えた。
あとは遺体の処分が問題である。また前と同じ場所にもっていこうか、それとも今回は違う場所にしようか。ひとまずこの重すぎる遺体を車に積み込まなければ。そうしてガレージまで引っ張りだした時、インターホンが鳴った。カメラの先にはスーツを着た男が一人。誰だと聞くと、清水の秘書と名乗った。指定の時間になっても清水が戻ってこないため、一軒ずつ回って所在を確認しているのだという。俺は当然知らないと答えた。秘書の男はしつこく聞くこともなくあっさり帰っていった。
清水を車に積み終えた俺は早速車を走らせた。目の端に先ほど家を訪ねて来た秘書の男が見えた。彼はまだ清水を探しているようだ。気の毒に思えるが、教えてやる義理もない。そのまま車を走らせ、人気のなさそうなところを目指した。その結果、前に記者どもを捨てた場所と同じような所に来てしまった。草木が生い茂り、人気がない。それにこの林は私有地らしく、発見される心配もあまりない。誰かに見られていないかと周りを見渡すが、もちろん誰もいない。車で入れるところまで入り、そこからは死体を箱付きの台車に乗せて奥まで進んだ。普段ここには人が来ないとはいえ、私有地であるため一通りの管理はされており、それなりの道が整備されていた。その道をたどって奥まで進んでいくと、大きなログハウスがあった。ここを管理している人間の別荘といったところか。中に人の気配はない。扉には鍵がかかっておらず、簡単に中に入れた。ただ、中には家具類しかなく仮に俺が物盗りであっても何も盗むことはなさそうだ。だが、居間の所にかなり大きい暖炉が置いてある。大きいとはいっても死体をそのまま入れられる大きさではないため、この家の床を借りて、清水を解体することにした。
死体を解体するとは言ったものの、それには多大な労力と技術、それに見合う道具が必要となる。時間はあるし、死体解体の技術など小説からの付け焼刃で十分だ、どうせ正しい情報など普通に生きていれば知る由もないのだから。問題は道具だ。人の骨を断ち切れるほど頑丈で、周囲に気づかれないようになるべく騒がしくならない道具が必要だ。チェーンソーであれば自分で用意できるが、それでは騒がしくなりすぎる。何かないかとこの家を探し回っていると、あることに気づいた。この家には暖炉がある。ならばどこかに薪を保管しているはず。それならそこに薪を用意するための斧があるのではないか。裏口から外に出るとすぐに薪を保管している場所が目に入った。まだ薪を使うシーズンではないため、薪は残り少ししかなかったが、斧は壁に立てかけられていた。刃は大きく幅広で重さも十分。しっかりと使い込まれており、初めて握っても手になじむような気がする。試しに少し振ってみたが、かなり扱いやすい。これなら簡単に解体できそうだ。
解体を始めてから二時間、ようやく作業が終わった。死体を暖炉に入る程度の大きさに切り分けるのにはなかなか苦戦したが、暖炉がかなり大きめだったため、細かく解体する羽目にはならずに済んだ。シーズンが過ぎ、中がさみしくなっていた暖炉の中にばらばらにした死体を詰め込み、それを隠すため、残されていた薪を使って壁のように敷き詰めた。そしてその壁へ暖炉の中に残っていた煤をまぶし目新しさをごまかす。一目見れば暖炉の中に何か入っているとは思わないだろう。ただ、このまま放置していれば腐敗臭などが出てくるだろうが、ここは雑木林の奥。気づく人もいないはずだ。それに気づかれたところで俺が犯人だとわかるわけもない。
死体の処理を終え、ログハウスを出るとすっかり日が暮れていた。あまりに真剣に取り組んでいたせいで思ったよりも時間がかかっていたことに気づかなかった。車を走らせて林を出て、自宅へと帰る。その途中、まだあの秘書の男が清水を探してそこらじゅうを走り回っていた。
六月三十日
昨日の事件は当然ニュースになっていた。結果として死者は三十人近く出るという歴史に残るほどの大事件で、世間にもかなりの衝撃を与えたようだ。だが、僕はこの事件を経て、確かに自分がしたことへの手応えという物を感じていた。何故なら今回の一件により、移民がもともと住んでいたであろう国から強制送還が懇願されたのだ。「こんな野蛮な国に自国民をほおっておくわけにはいかない」ということらしい。今まで難しかったことが人を何人か殺すだけで簡単になるではないか。しかも捕まることもない。ネット上ではこの事件を起こした犯人に対して勝算が巻き起こっている。これが唯一この国を今より良くする方法なのではないかと思えてくるほどだ。次は誰を殺そうか。……この国をよくするためにはとりあえず今より政治家がまともにならなくてはいけない。しかし今の政治家たちは改革をもたらすわけではなく、議会で惰眠をむさぼっているだけだ。彼らを殺そう。もういい年だし未練なんてものもないだろうし、国民を敵に回しているのだから死んだほうがいいはずだ。それに敵も多いはずだし犯人もわかりにくくなるに違いない。そういえば今日から選挙が始まっていた。タイミングがいい。次はこいつらだ。
七月一日
今日から七月になった。外は権力にとりつかれた亡者が票を求めて徘徊している。選挙カーを走らせ静かな住宅街に騒音をもたらし、駅前には演説をしている奴らが「お仕事お疲れ様です」と心にもないことを言っている。誰のせいで必死に働くことになっているのかいまいち理解していないのか、何の慰めにもなっていない応援に手ごたえを感じているようだ。実におめでたい。おめでたい連中は野垂れ死んだ姿がお似合いだが、ここで事を起こすのは賢くない。どこかのタイミングで一人になる瞬間などはないだろうか。演説の観衆に混ざって様子を窺うことにした。それにしてもこの演説という物には何の意味があるのだろう。ここであげられた公約が達成された例を見ないのに馬鹿の一つ覚えのように同じような公約を掲げ続けては、議席で寝るだけだ。何もしないこいつらを殺したところで不利益など発生するわけもない。何の中身もなくただ長いだけの演説もようやく終わりそうだ。演説をしていた政治家は付き人に何かを告げると一人でその場を離れた。おそらく目的は近くのコンビニだろう。そこの角を曲がってすぐだ。いつもなら何かの危険を考えて着いて行くであろう彼らも流石にこの距離は護衛する必要はないと感じたのか。仕事に対する意識が甘いと言わざるを得ない。早足で着いて行き角を曲がる。もうすっかり通勤のピークは過ぎたため、人影が少ない。前には呑気に歩いている奴がいた。人通りが少ないとはいえ、多少はある。大通りで殺すわけにもいくまい。何か利用できないかと周りを見渡すと、小汚い路地裏が目に入った。僕は急いで奴に近づくと首に右腕を回し、左手は口をおさえつつ路地裏に引きずり込んだ。抵抗はしていたが所詮は女、僕が力負けすることはない。
路地裏に引きずり込み、すぐさまこの女の首を締めあげる。抵抗もむなしく簡単に死んだ。今まで必死に抵抗していたのにいきなり僕の腕の中で項垂れ始めたのだ。死んだことを確信し壁に突き飛ばす。その衝撃か否か、女から糞尿が流れ始めていた。このままこの場を去ってもいいが、口をふさいだ時の指紋が残っているのはまずいかもしれない。どうすべきかと悩んだ時、あることを思い出した。
僕がまだ新人の刑事だったころ担当した事件で、捜査が難航したことがあった。それは殺人事件だったのだが、ただの殺人ではなかった。首を両手で絞めることによる扼殺が三件連続で発生したのだ。その事件は奇妙な共通点からマスコミがかなり積極的に取り上げた。その共通点とは、この事件の被害者三人すべての首の肉が抉られていたことである。当初は野犬のせいか、それとも犯人の趣味かと思われた。だが司法解剖により死因が扼殺の可能性が高いと分かると、自らの指紋を検出させないために抉り取ったのではないかと推測されることになった。その後、目撃情報や、被害者の交友関係から金銭トラブルがあった犯人を特定し、逮捕に至った。犯人は供述で「指紋が出ないように首の肉を抉った。刃物で殺さなかったのは自分なりのプライドだった」と話した。抉り取った首の肉の行方は特に調べていないが見つかるわけもなかった。この事件の犯人、彼は料理人だったのだ。自らが経営する店の資金繰りがうまくいかなくなった末の犯行ということだった。
僕は迷うことなく刃物を構えた。そして自分が触ったであろう部分を切り取るため、女の口周りに刃を突き立てた。自分の手をもう一度女の口にあてがい、手の輪郭をなぞるように切れ込みを入れる。それが終わると次は包丁を切れ込みに刺し、てこの原理を使い肉を少し持ち上げ、包丁を小刻みに動かして筋を切った。筋を切った瞬間、ぶちっという音と共に何かが切れる感触がするので、非常に分かりやすい。それを何度も繰り返して五分が経った。ようやく肉をすべて切り離すことに成功したが、さらなる問題が発生した。切り取った肉の処分方法である。僕は別に料理人ではないのだ。こんなところで肉を手に入れても効率よく処分できない。何かないかと周りを見渡し、排水溝が目に入った。路地裏の排水溝など誰も調べないだろう。かなり重かったが何とかふたを開け、中に肉を放り込んだ。できるだけ影になっている部分に投げたのでぱっと見るだけではわかるまい。ふたを閉め、この路地裏から離れた。
路地裏から離れ、演説をしていた場所まで戻るとちょっとした騒ぎになっていた。それも当然、五分足らずで戻ってくると言ったはずの人間が十分経っても戻ってこないのだ。しかもそれがお偉いさんならなおさらのことだ。哀れな彼らを眺めていると一人の男が走ってきた。
「戻ってこないからコンビニ行ってみたけど、中にいなかったぞ。しかも店員に聞いたらそもそも来てないって。……やばいんじゃないか?」
「どうしよう……?とりあえず警察?でもまだ十分しか経ってないし、どこかでタバコ吸ってるだけかも」
「選挙期間中は禁煙するって言ってたじゃん。子育て世代へのイメージがどうとか何とかで」
「じゃあやっぱり警察呼ぶ?他に行きそうな場所も思いつかないし……」
話を聞く限りではこれから警察沙汰になりそうだ。ここにいるのはまずそうだし、そろそろ次の目的地に移動するとしよう。
次の目的地は公園である。最近の政治家は現役世代がどうとかで子育て世代へ媚を売ることが増えた。そのくせ具体的な政策などはなに一つとして聞いたことはないが。公園のグラウンドにはすでに大勢が集まり、演説の開始を待っているようだが、そのほとんどが平日の昼間に時間を作れる老人ばかりでターゲットにしているはずの現役世代は全く見受けられない。そのせいで二十代後半の僕もかなり目立つ。後先短い年寄り共からじろじろ見られるのが気に食わない。グラウンドの中央に置かれた演説台の右斜め後ろに特設されたテントが置いてあり、そこに何人もテレビで見たような顔が椅子に座っていた。あの中なら誰でもいいか。この暑さの中、テントの下で呑気に団扇をあおいでいることすら癪に障る。テントの方をにらみつけていると、マイクで拡声された男性の声が響き渡った。声の方を見ると司会らしき男性がマイクを握り、しゃべっている。この会合は思ったよりも大掛かりなものだったようだ。司会の男がごちゃごちゃと益にもならないことをしゃべり散らかしている。二分ほど経ってようやくメインである候補者の演説が始まった。
演説が始まって五分、公園の出入り口で配られたチラシとは全く違うことをしゃべり続ける候補者の姿を見て嫌気がさして来た。確かにターゲットにしていたであろう現役世代の姿が少ないのは事実だが、だからと言って発言をころころ帰るとはあまりにも無責任と言わざるを得ない。そもそもこの十一時頃という時間において、現役世代は暇に縁がない。仕事か育児かどちらかが基本だ。こんなところに来られるのは精々僕みたいに仕事がない人か、あるいは時間に融通が利く人ぐらいだろう。そんな人たちをターゲットにしておいて演説はこの時間にやるという時点で、まともに一般人のことなど考えてもいないことがよくわかる。下らん候補者の老人贔屓の公約を聞いていたら耳が腐り落ちる。それは応援に来た政治家連中も同じなのか、何人か席を立ってどこかに行っている。行く先を目で追えば、大抵煙草か自販機か。付き人を連れていく人が多いが、彼らもそこまで暇ではない。ぞろぞろと席を離れるせいで付き人の在庫も切れたようだ。汗だくになりながら達成できないしする気もない公約を必死に話している裏で、手が空いている人を呼ぶ怒号が聞こえた。それは一時、演説を遮り、その場にいた人間全員の視線を集めた。怒号を発した男はバツが悪そうにしながら、そそくさとテントから離れていった。最初、演説の聴衆はあの男がどこへ行こうとしているか眺めていたが、司会の一声によりこれまで通りの演説が再開された。
怒号を放った男を追いかけていくと公園のすぐ近くに備え付けられた自販機が見えて来た。そこにはすでに二人ほど男たちがいた。おそらく応援に来た政治家とその付き人だろう。怒号の男がそこに近づき、何か言っているようだ。
「いつまで休憩しているつもりかね?君たちが帰ってくるのが遅いせいで恥をかく羽目になったんだが、どうしてくれるんだ?」
「どう、と言われましても一体何がどうしたというのですか?」
「篠崎君がいつまでもつまらない話を続けるから、君みたいに休憩に出る人が多くてねえ。そのせいで、この私が付き人もつけず一人で来る羽目になったのだよ。それにあの場でそれを言うと、聴衆共に白い目で見られたしな。全く、私が誰なのか皆忘れてしまったのかな」
「いえ、決してそのようなことは……」
「ならなぜ早く戻らない?あれだけつまらん演説、いつだれがあの場から逃げようとも不思議ではあるまい。実際にあれだけ動いていたのだからな。それなら私が動くことも予想できよう」
「申し訳ございません」
「政界はな、謝って済むことなどないのだよ。責任を取り給え」
「責任、ですか」
「そう、責任だ。……君も、政界は長いんだろう?責任の取り方ぐらいわかっているはずだ」
「……しかし、それは」
「決定事項だ。家族には、この私、井口修三を怒らせてしまったとだけ伝えておけ。……ほら、わかったらさっさとテントに戻れ。須藤君はそろそろ応援演説の時間だろう?……これが最後の仕事になるのだから『責任』をもってやり遂げ給え」
そう言い捨て、まだ何か言いたげな男を追い払っていた。井口修三……経済産業省の大臣であり、井口敏正という息子を持っていた。……しかしそいつは「天誅」殺人事件の被害者となっていた。次はこの爺が殺される番ということか。奴は今、この場に残しておいた付き人に金を出させて、自販機から茶を買っていた。茶を購入後、付き人も追い払い、一人になっていた。何やらぶつぶつ独り言が聞こえるが、どうでもいいことだ。花壇にあったレンガを一つ取り、後ろに忍び寄る。あの爺はベンチに座っているが、やはりまだ何かぶつぶつ言っている。井口のすぐ後ろまで近づき、拾ったレンガを思いきり振りかぶった。井口は僕の気配に気づいたようでこちらに振り返ってきたのだが、もう遅い。何かを言おうと口を開いたようだが、それよりも早く振り下ろしたレンガが奴の頭を打ちのめした。頭を殴られた井口はそのまま地面に倒れこんだ。倒れこんだまま、ピクリとも動くことはなく、息絶えたようだ。念のため、とどめとして持っていたレンガを井口の頭目掛けて思いきり叩きつけた。井口の頭は衝撃で凹み、レンガは砕けて破片がそこら中に飛び散った。その時の音がかなり大きく響いてしまい、演説の会場でもちょっとした騒ぎになってしまっている。このままではここに誰かが様子を見に来るだろう。誰にも姿を見られないうちに公園から離れた。
七月一日
朝八時、俺は駅前に来ていた。ちょうど候補者の演説が終わったところらしい。応援の者の演説が始まり、候補者は後ろに下がってしばしの休憩のようだ。今は無防備のため、手を出したいが人が多くそれは難しい。だが、今回はそのための秘策を持ってきている。プラスチック爆弾だ。材料自体はどこでも買える。導火線を用いた簡易的な時限式で、火をつけてから七秒ほどで爆発するはずだ。周りの目はすべて仮設された台の上に注がれている。爆弾に火をつけようが誰も気にはしないだろう。俺は爆弾を放り投げた。宙を舞う爆弾に一時、この場にいた俺以外の全員の視線が集中した。そして爆弾が地面に落ちた頃、ようやく彼らは事態を把握した。しかし、もう遅かった。誰かの「伏せろ」の声をかき消すように爆音が響き渡る。最後列で見ていた俺のところまで熱が届くほどの威力だ。一帯は大騒ぎとなり、聴衆は逃げまどい、救急車を求める声と、痛みに苦しむ声が混ざり合っていた。奥の方ではしきりに人手をかき集めてがれきをどけようとしている姿が見えた。あそこはさっきまで演説をしていた奴が立っていた場所のはずだ。親切を装って少し様子を見てみるか。
「どうかされましたか?」
「太田さんがこのがれきの下敷きになってしまったんです。火の手もそこら中にありますし、早く助け出さないと……」
「消防とかは?」
「もう呼びましたが、来るのには少し時間がかかると。ここの隣の駅で火事があったとかで、そっちに人員が盗られているとか何とか」
「……わかりました。私もお手伝いします。できるだけがれきを取り除きましょうか」
道路のコンクリートや、駅近くの歩道のタイル、駅近隣の店のガラスなどがそこら中に飛び散っているほか、火の手もそこらじゅうで燃え盛っている。近くのコンビニから軍手を大量に購入し、集まった人たちでがれきの除去を始めた。
がれきの除去が始まって七分後、消防が到着し、本格的な救助活動が始まった。ただ、その時点ですでに日は大体燃え尽きていたため、そこまで脅威という物はその場にはなかった。がれきもほとんど除去が終わり、爆風にさらされ、がれきに押しつぶされた哀れな死体を発見するに至った。消防と一緒に来ていた救急隊員が、その場で太田が死亡していると判断し警察を呼んだが、もう俺がここにいる意味はない。事件現場を遠くから眺める野次馬の波に紛れ、その場を離れた。
一度休憩のため家に帰り、気まぐれにテレビをつけてみた。そこには緊急生放送として、俺が起こした駅前の爆破事件が報道されていた。スタジオには警察のお偉いさんや、犯罪心理学に詳しいという学者の男。さらにテロ対策に詳しい専門家までいるということでかなりの大ごと扱いのようだ。頭がよさそうな人たちだけで何かを話し合っているようだが、何の意味があるのだろう。結局、政治に不満を持つテロリストによる犯行ではないかというなんとも的外れな結論が導き出されてしまった。これでしばらくは安全そうだ。俺に捜査の手が及ぶことはないだろう。
家に帰ってから二時間後、もう一度外出した。昨日のうちに投函されていたチラシに、ある場所で演説を行う旨が記載されていた。この法律も理解していない人間に国政を担う資格などあるわけがないのだ。下らん人間は始末するに限る。いろいろ必要なものを鞄に詰め込み家を出た。向かった先は近くのスーパー。ここの支店長が応援している政党なのか、それとも本社の方が熱心な信者なのか。それはわからなかったが、駐車場の一部を演説用の会場として設定しており、そこの部分のみ駐車が禁止されていた。スーパーで買い物を済ませた人が店員に案内されながら集まってきている。誰も彼もあまり興味はなさそうだが、強く断ることもあまりしたくないのだろう。結局、やさしさに付け込まれた人で会場はあふれかえった。
会場が人であふれかえってから五分後、ようやく演説が始まった。この男、ここのスーパーはよく使うとか、野菜の値段がどうとか言って庶民感を必死にアピールしているが、あまり響いてはいない。それもそのはずこの男、賄賂なり脱税なりで報道が絶えなかったからだ。今さらそんなアピールをしたところで信用など決してされない。だというのにどうしてアピール作戦をとるのだろう、脳みそが足りていないのか。ならば、そんな男を間違っても当選させるわけにはいかない。ここで殺しておく必要がある。俺は一度、会場から出た。そして乗ってきた自転車に乗り、演説に飽きた聴衆を装ってその場を離れた。近辺を少し走って、会場である駐車場の裏手に回った。そこで火をつけたプラスチック爆弾を投げ込んだ。全員が爆弾に釘付けになったのかしばしの静寂が訪れ、七秒後轟音と悲鳴が鳴り響いた。野次馬ぶって様子を見に行けば、そこはまさに惨状であった。ほとんどの人が爆発の衝撃に潰され、熱に焼かれている。かろうじて動ける人もどこかしらけがをしているようで、無事な人は見た限りでは存在しない。爆弾の火が周囲の車のガソリンにも引火しているようで、被害はまだ広がり続けている。少しの間、事件現場を眺めていたが、なんとも思うことはなかった。
次に向かったところは公民館前。ここでも政治家は選挙活動をしていた。応援してくれる市民と交流する会でも開いているのか、そこそこ人が集まっている。入り口には警備員が立っており、簡易的な荷物検査を行っているようだ。ただ、会場内の雰囲気は穏やかなものではなかった。外にいた人に話を聞いてみれば、遠くから聞こえて来た何かが爆発した音のせいで、落ち着かないという。ならば落ち着かせてやるか。警備員がいるとしてもそれは出入り口のみ、敷地外まで来ることはない。公民館の駐輪場は裏手にある。そこにも警備員らしき男たちがいたものの、特に荷物検査をされることはなかった。そこから表にむ会うと見せかけて、膝の高さまでしかない柵を乗り越え、公民館の敷地に入り込み、茂みに身を隠して会場まで近づいた。会場までおよそ二十メートルもない、ここからなら投げれば届く。爆弾に火を点け、思い切り投げた。その瞬間、俺は急いできた道を戻り、壁に隠れて爆風から逃れた。ちょうど壁に隠れた時爆発音が聞こえ、身を預けていた壁越しにも衝撃を感じた。駐輪場にいた警備員は異常事態を確かめるため、簡単に持ち場を離れてくれたおかげで簡単に駐輪場まで戻ることができた。もう被害の状況を確認する気もない、さっさと現場から離れた。
七月二日
昨日はたった二人を殺すだけで終わってしまった。だが、僕の殺しと並行して誰かが盛大に爆破事件を起こして大量殺人をしており、一般人までも巻き込んでいるようだ。その犯人は誰でもいいが、目的がかぶっているようで少し気になる。奴が爆破事件を起こしたのはすべて政治家たちが選挙活動をしていた場所で、その場にいた政治家たちは大抵死んでおり、生き残っていても四肢のいずれがはじけ飛んでいるなど、かなり凄惨な状況であったらしい。僕も同じように派手に殺して見せしめのようにしてみたい気持ちもあるが、そこまでの技術は持ち合わせていない。これまで通り愚直に、警察としての経験を生かした方法をとる方が確実だ。
今日も本来は駅前で演説が行われるらしいが、昨日よりかなり警備が厳重になっている。爆破事件の影響を受けたか、それとも僕が昨日起こした事件が効いているのか。こいつはどう殺そうか。警備の人数は多く、距離も広くとられており近づくことすら難しく、常に周りに人がいるせいで一人の時を狙うということも難しい。どうしたものかと聴衆のふりをして人ごみに紛れていた。
結局明確な解決案が出ないまま、演説の開始時間を迎えることになった。演説をする政治家が壇上に上がった。聴衆に手を振り、挨拶をするため、マイクのスイッチを入れた途端、設備が大爆発を起こした。壇上のすぐ近くにスピーカーが置いてあったのだが、それが爆弾になっており、マイクのスイッチが起爆のスイッチに変わっていたのだろう。壇上に上がっていた政治家とその周りで立っていた警備員たち、応援のため近くで待っていた別の政治家に、聴衆までが爆発に呑まれた。駅前は騒然とした。昨日の事件を受け、配置を増やした警備員たちがすべて無駄になり、関係ない民間人まで巻き込まれているのだ。悲鳴はほとんど聞こえなかった。もうここに悲鳴を上げられる人間などいないのだから。ただ、燃え盛る火に向かい、無駄な警備への文句と事件を起こした犯人への疑問が無事だった通行人から漏れ出ていた。しかし、その中に妙に物静かな男がいた。奴は少しの間爆発があった箇所を眺めると、足早にどこかへ行ってしまった。奴が犯人に違いない、どんな人物か一目見て確かめようとしたが人ごみはそれを許してくれなかった。何とか流れに逆らいながら、奴の後を追ったが人ごみから外れた時にはすでにどこへ行ったか分からなくなってしまった。
あの男の何も意に介さないような機械的な冷たい目、一般人への被害などどうでもいいと思っていそうなあの佇まいは、今まで何度も仕事で見てきた。ほとんどを失い、やるせない思いを募らせ、犯罪に手を染めてしまう人たちと同じ雰囲気をまとっている。少し前の僕なら血眼になってでも探し出して捕まえていただろう。だが、今の僕は彼と少し話をしてみたいという気持ちにしかならなかった。彼が何をするか、何をしてきたかなどどうでもいい。彼が演説をしている政治家連中を狙っているということは昨日のニュースからわかっている。となれば次はどこで事件を起こすのか。ここから一番近い会場になっていそうな所へ向かった。
駅近くのショッピングモール、その目の前の広い歩道の一部を陣取り、選挙候補者ののぼりと共に候補者らしき女がマイクを握って必死に何かを話していた。その女は比較的若く、子持ちであることを非常にアピールしており、子育て世代からの票を得たいというのが透けて見えていた。僕は近くにあの男がいないかときょろきょろあたりを見渡していたのだが、あることが気になった。あの女のすぐ近くに一つだけのぼりが立てられていないスタンドを見つけた。周りの人たちはそれに気づいている様子はない。だが、特に気づいたところで何かを思うわけでもない、精々「のぼりの数足らなかったのかな」程度だ。候補者の女が演説を終えると、なにもたてられていないスタンドに気づいたようで、追加ののぼりを頼んでいた。スタッフからのぼりを受け取り、自らの手でスタンドに立てた。彼女はそれを自らの名前をアピールする機会とでも思っていたのだろうが、それは違う形で叶うことになった。
のぼりをスタンドの穴に差し込んだとたん、スイッチが入るような音がした。のぼりを立てた張本人もそれに気づいたようで、一旦のぼりを引き抜きスタンドの穴の中を覗こうとしていた。その瞬間、あたりに爆発音が響き渡った。ここの会場は歩道を通る人たちに迷惑をかけないように、そして有権者と候補者の距離感をなくしたいという思いで、スペースを狭めに取っていた。そのせいで会場の広さが爆発の範囲内にすっぽり収まるようになってしまった。僕は会場の外から傍観していたおかげで何ともないが、会場内は騒然としている。周りにいた僕と同じ傍観者たちも少なからず動揺の色を見せているが、一人だけ微動だにしていない男がいた。あの男の目、やはりさっきの駅前で爆破事件を起こした奴で間違いない。と思ったのもつかの間、彼は足早にその場から離れていった。
彼の後を追うと、妙に入り組んだ住宅街に出た。彼はここに住んでいるのだろうか、もうすでに姿は見えなくなってしまった。駅の近くということもあり、一軒家に加え、十階以上はありそうなマンションも多い。それを目当てにしてか選挙カーがゆっくりと大きな音声を流しながら走っていた。別に応援しているわけではなく、騒音の原因に目を向けただけなのに「応援ありがとうございます」と言われた。あそこまでの厚かましさがなければ政治家は務まらないのだろう。僕の目的はこいつではない。彼がここらへんに住んでいるかもしれないという情報を得られただけで、今日は満足するべきだ。
駅の方向へ向き直ると、選挙カーも同じ方向に進んでおり、背中を追いかける形になった。少し歩いて選挙カーが高層マンションの前あたりを通り過ぎようとしたとき、誰かが渡り廊下から顔を出しているのが見えた。男だ。彼は選挙カーへと手を振り、応援の意を表しているように見える。選挙カーもその応援に対し、律儀に車を停め「応援ありがとうございます」と返事している。その言葉を聞いた途端、その男は奥に引っ込んでしまった。かと思えばすぐにまた顔をだし、何かを投げた。僕にはそれが何かすぐに理解できた。投げられた物が車の屋根にぶつかった瞬間、すさまじい音を出して爆発した。周りの家からぞろぞろ野次馬が出てくる。爆発した車はものすごい勢いで燃え盛り、三十メートル以上離れていてもやけどしそうなほど熱い。おそらくガソリンへと引火したのだろう。タンクなどに入っているガソリンが何度も火を噴いている。その時、何かが割れる音がした。その後すぐに爆発が起こり、車のドアがすべて吹き飛ばされた。その爆風により、車に乗っていた人も外にはじき出されたが、目を覆いたくなるほどひどいありさまだ。おそらく最初の爆発の衝撃で昏倒や気絶をしていたのだろう、すぐに逃げることもできず、意識が回復したときにはすでに車の中にまで火の手が回っていたのだ。車が爆発してから三十分後、ようやく消防車と救急車が到着した。救急隊員も焼かれた人たちの姿を見るのは慣れていないのか、顔をしかめたりしている。特にひどかったのが、車の中にまだ死体がいくつか残っていたことだった。爆発の衝撃による気絶の後、車中に回った火の手が車の座席を熱で溶かし、焼けただれた皮膚と繋がってしまったようだ。道具を使って無理やり切り離していたが、機械の音に混ざって聞こえた皮膚を切り離す音はいつまでも耳の中に残りそうだ。救急隊の仕事ぶりをただ眺めていたが、僕には目的があることを思い出した。上にいた男はどこへ行ったのだろう。もうすでにどこかへ行ってしまったか、それとも無関係を装って、自分の部屋でくつろいでいるのか。
僕はあれから犯人と思しき男の追跡を諦め、帰路についていた。たった数時間の間に三件も爆破事件を目にするとさすがに堪える。やはり僕に世直しは無理だったのか。僕はあの男のようにすべてをどうでもいいと思えるほど絶望したこともないし、かといって政治家連中みたいに既得権益に胡坐をかき、人の不幸を願い続けられるほど恥知らずでもない。僕は結局、奪われ続けるだけの中途半端な存在にすぎないのだ。幾人か手にかけてしまったくせに、今さら怖気づいているのか。誰も持つことなど決してない「人殺しの権利」を求めているのか。大義名分さえあれば人殺しを正当化できるのだろうか。だが、人殺しの大義名分など空から降ってくるわけでもない。僕のような優柔不断な人間には、事故を正当化できるほどの自信は持ち合わせていない。結局何かに判断基準をゆだねて、何かあったらそれのせいにしたいだけなのだ。真っ当な答えなど出るはずもない問いにとらわれた僕は、掃いて捨てるほどある時間をふんだんに使うのだった。
七月二日
今日も朝早く、昨日と同じように駅前に来ていた。駅の出入り口付近にはすでに候補者とその応援らしき人達が集まり、出入り口を過ぎていく人たちに声をかけている。ただ、その周りにはおびただしいと言えるほど多い警備員の姿があった。要人たちを囲むように整列し、威圧的な目線を周囲に飛ばしている。おそらくここの県警だろう。最近移民関係でもめ事が多くなっており、つい先日はここの自警団と争った結果、自警団に所属していた学生たちを何人か射殺したというニュースまで流れていた。県警の本部長はそれを自警団側の情報操作によるものだと説明していたがそれを信じる馬鹿はどこにもいない。結果として、自らの立場を限りなく悪化させてしまったのだ。今回の警備の仕事は、その時に手にしてしまった不名誉を撤回する意味合いもあるのだろう。しかし、あそこまで露骨に威圧的だと逆に反感を買いそうなものだが、保身しか頭にない彼らは一生かかっても気づきはしないだろう。
昨日のうちに三件も演説会場爆破事件が発生していたのに、懲りることもなく演説を行おうとする学ばない姿勢には感謝せねばなるまい。警備の数が増えたとはいえ、それ以外は昨日とほぼ同じ。それに今日の俺はこのような事態を予想して建てた対策がある。
「すいません。今日、ここで大木さんが演説をやるはずなんですが、会場設営のバイトとして呼ばれているんです」
警備員の一人にこう話すと、かなりけげんな表情を見せたがだからと言って追い払うこともできないようで、候補者スタッフの一番偉いひとを呼んできてくれた。
「バイトって言うと、四十万さん?」
「はい、そうです。四十万一です」
そう言って責任者に免許証を差し出した。彼は念入りに免許証を眺めているが、おそらく偽造や替え玉ということを恐れているのだろう。彼は免許証が偽造なのではないことを確信したようで、早速仕事に取り掛かるように言ってきたが、そこに警察が口をはさんできた。
「ちょっと待ってください。昨日の事件、忘れたわけではありませんよね?不用意に関係者以外を近づけるのは危険です」
「そんなこと言われても、身柄は確かですしせっかく来ていただいたのに何もせず帰ってもらうというのは……」
「荷物検査をしましょう。それなら安全なはずです」
「……どうでしょう四十万さん、荷物検査は……?」
流石に責任者も予定にないことを急に言われて困惑しているようだ。俺もそれに便乗させてもらおう。
「それはちょっと……。そんなことバイトの募集要項には書いてませんでしたよね」
「そうですね。……それに自分から堂々と身分を明かすような人が、犯罪なんかするわけありませんよね。刑事さんはどう思います?」
「荷物検査はするべきです。彼がどのような人物かは身分証ではわかりません。仮に、彼が昨日の演説会場爆破事件の犯人だったとしましょう。会場の設営中に爆弾を仕掛けられて、全員爆破されます。身分証を見たものは全員間違いなく死ぬでしょうね。ですから何が何でも荷物検査はするべきです」
「でも僕警察の人あまり信用してないんです。つい最近にもどこぞの学生を何人も撃ち殺したって聞きますし、警察に都合の悪いことが起きたらまた何か職権乱用でもするんじゃないですか?」
「……我々警察は何があろうと無実の一般人に銃を向けることはありません。憶測でものを言う癖は直すべきですよ」
「自分に都合の悪い事柄を嘘と断ずるくせを直すべきだな、あんたらは。俺はあの場にいて、お前らが学生たちに銃を向けた瞬間を見てたんだ。動画にだって撮ってる。それでもまだ憶測なんて馬鹿言えるか?」
俺のハッタリに刑事の顔つきが変わった。これまでのこちらを見下すような態度から変わり、こちらを刺激しないように口にする言葉を選ぶようになった。そこへ、さっきの責任者が口をはさんできた。
「すいません、時間があまりないので早く仕事にとりかかっていただきたいんですが」
「ですが、まだ荷物検査が……」
「大丈夫です。会場はそこまで広くないし、私が監督としてみていますので爆弾を仕掛けるタイミングなんてありませんよ。じゃあ四十万さん、早速こちらに……」
ようやく警備の壁を突破できた。碌に働いていないくせに「働いている感」を出すのだけは得意な奴らめ、邪魔で仕方ない。無駄に時間を取られたが、そのおかげで仕事の指示も遅れ、現場はてんやわんや状態だ。
早速任された仕事は演説台の設置。他の三人と協力して簡易的な演説台を作り上げた。その最中、責任者はあの言葉どおり俺から目を離すことはほとんどなかった。目を離す瞬間は他の人から次の仕事を聞かれたときぐらいだが、俺は他の三人と同じ作業をしていたため、爆弾を仕掛ける隙はない。どこかにチャンスはないか。なければ演説台の裏に貼り付けるぐらしかないかと苦肉の策に手を出そうとしていた。だが、願ってもないチャンスが転がり込んできた。
「誰か、スピーカーの設定できませんか?」
聞けば、前まで機械系の設定をしていた人が今日は別の現場に行っているらしく、それをすっかり忘れていたせいで、今この場に設定をできる人がいないらしいのだ。ここしかチャンスはない。俺は真っ先に手を挙げ、「はい、僕出来ます」と立候補した。任せていいかと半信半疑だったが、工学系の大学を出たのでこっち系には強いと嘘をつくとあっさりと信じてくれた。
早速スピーカーの設定にとりかかった。とはいってもいじるところはほとんどなく、マイクとつなげて音量テストをするだけだ。責任者の方をちらと見ると、すっかり監視の仕事を忘れて他の仕事にご執心だ。今ならできる。近くにあったドライバーでスピーカーのふたをこじ開け、中の拡声器部分を取り出す。伸びてくるケーブルはすべて近くにあったはさみで切った。そして空いたスペースにお手製の爆弾をねじ込み、爆弾の配線とスピーカーのケーブルをつないだ。計算通りならマイクのスイッチを入れた途端爆発するようになっている。もし爆発しなくても遠隔で爆発できるようになっているから心配する必要はない。スピーカのふたを閉め、「設定が終わりました」と声をかけた。スピーカーの設定を頼んできた奴は俺の設定の成果を確かめようとしたが、演説の開始まで残り二分もなく、チェックしている暇などはなかった。その後も急ピッチで準備を整え、開始一分前にようやくすべての準備が終わった。責任者は候補者へのゴマすりで忙しいのか、特に確認を取るとこもなく即時解散となり、簡単にその場から離れることができた。
会場から去る間際、先ほど難癖をつけてきやがった警官がまだこちらを睨んでいた。鬱陶しいことこの上ないがそれも残り五分ともたない命でしていることだと考えるとバカバカしくなって、止めてやる気も失せた。会場から少し離れた安全なところで、この演説会場の行く末を見届けることにした。早速始まったかと思えば、マイクがつながっていないことに気づき、しきりにマイクの頭をたたいたり、声を出すなどしてマイクチェックを行っている。少ししてマイクの不調を確かめるために来た係員がマイクの電源が履いていないことに気づき、そのことを伝えながらマイクを手渡している。台に立つ奴はそれを受け取った瞬間、マイクのスイッチを入れた。その瞬間、凄まじい爆音と熱が辺り一帯に広がった。安全な場所まで下がったつもりだったが、目と鼻の先まで火が広がり、もう少しで俺も燃えるところだった。それほどまで凄まじい威力を誇った爆発は会場にいた候補者、それを支えるスタッフや応援に来た政治家、さらにはただの聴衆に雁首を並べるだけであった警官たちをすべて飲み込んだ。悲鳴は聞こえない。悲鳴を上げるべきものはもう悲鳴を上げられないようになったからだ。ただ、駅近くでの出来事であったため、この惨状を目撃していた人は大勢いる。誰もがスマホを向け撮影に夢中になり、救急車を呼ぼうとはしない。騒ぎを聞いて駆け付けた駅員がようやく通報し、事態はひとまず終息へと向かい始めた。
他人の命よりも物珍しさを優先する愚鈍なる市民の姿を見て、己の行いを正当化し、次の目的地に足を向けた時、何者かの視線を感じた。俺と同じく爆破の範囲外にいたため、直接的な被害を被らなかった誰か。振り返ってうかつに顔を見せる訳にもいかない。視線の主を無視して駅から離れた。
次の目的地は駅近くのショッピングモールである。とはいってもショッピングモール前の道路の一部を陣取って街頭演説をするようだ。非常に邪魔である。道路という物はこのようなクズどものためにあるわけではない。こいつらも先ほどまでと同様に吹き飛ばしてやらねば。しかし、ここはさっきとは違い臨時の手伝いという言い訳では近づくことなど不可能だ。どこかに仕掛けられないものか周りを見渡せば、実に都合がいいものがあった。何も刺さっていない旗立てだ。中には重し用の石が入っている。石を取り出し、近くの公園の草むらに捨てた。石があった部分に爆弾をいれると少しスペースが余るが問題あるまい。穴の所と起爆用のスイッチが一直線になるように調節し、そこらへんに落ちていた手ごろな石を隙間に詰め込んで固定する。その後、爆弾入り旗立てを奴らからちょっとだけ離れた場所に戻しておいた。この一連の作業は演説を待ち望む誰かが見ているかもしれないが、全員吹っ飛ぶ。問題はない。通行人が見ていたとしても、俺が何をやっていたか、どんな顔をしていたかなどは明確に覚えているわけもない。
その後、予定通り演説が始まった。子持ちをターゲットにした内容であったため、まったく興味をひかれなかったが、爆死の瞬間だけはどうしても見届けたい。興味がないどころか全く関係ない話を我慢して聞き流し続けた。十分後、ようやく下らん話が終わり、次は応援に来た別の誰かが何かを話すようだ。だが、その時、演説を終えた奴が何も刺さっていない旗立てに気づいた。奴はスタッフに聞いているが、知るわけもない。俺が手ずから準備した特別製だからだ。スタッフは旗が立っていない旗立てがあるという話を聞くと、候補者の名前が大きく書かれたのぼりを大きめのワゴン車から引っ張りだしていた。そしてそれを旗立てに差し込もうとしたが、奴が止めた。なぜか自分でやりたいらしい。最期に手柄を横取りするとは、やはり政治家らしい。わざと大きな声を出し、音頭を取りながらやけに仰々しく自分ののぼりを爆弾に突き立てた。
あたりは火の手に覆われた。スタンドのせいで爆風が少し遮られてはいたがそれなりの威力ではある。近くにいた奴らはもれなく死んでいるだろうし、少し離れている程度では命の安全は保障されていない。俺がいるあたりまでも衝撃波が届き転びそうになるほどだ。生き残った奴らが必死に地べたを這いずりまわりながら助けを求めている。俺はただそれを飽きるまで眺めるだけだ。見飽きてその場を離れる時、ようやく救急車を呼ぶための電話の声が聞こえた。ここまで遅ければ本来助かるはずだった命も助かることはないだろう。
また誰かが俺の後を尾けている。どこかで見たような顔の男が俺と均一な距離を保ってついてきているような気がする。俺の仕業だと気づかれたか、それともただ目的地が同じだけか。歩き続けている今の状況ではわからない。後ろを振り返れば、奴に俺が尾行に気づいているということに気づかれてしまう。ひとまず気づかぬふりをしたまま次の目的地を目指すしかあるまい。
駅近くの住宅街、ここが次の目的地だ。選挙期間になるたびにやかましすぎる選挙カーを黙らせるため、ここに来た。奴らは周期的に動いており、今の時間ならばここら辺を通るはずである。そう予想を立てた瞬間、答えるように遠くから拡声器で拡大された声が聞こえて来た。もうそろそろ俺がいるところに来るだろう。どこかにちょうどいい隠れ場所はないだろうか。真正面から爆弾を投げるのはさすがに他人に見られてしまうだろう。周りは二階建ての一軒家が多く、庭はあれど家の中に人もいそうで隠れ場所としては向かない。ただ一つだけ建っている大きなマンションはオートロック式のせいで、隠れ場所としては向いていそうだが入れない。そうして悩んでいる間にもどんどん選挙カーが近づいてくる。いっそのことマンホールの中にでも仕掛けようかと思い始めた時、マンションの方に動きがあった。買い物帰りの女がオートロック扉の前でごたついていた。これはチャンスだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ、すいません。ちょっと買いすぎちゃって荷物が……」
「良かったら僕が持ちますよ」
そういって手を差し出す。女も最初は警戒していたようだが、人の親切を無下にしたくないのか荷物を手渡して来た。女は俺に荷物を預けると番号を入力してオートロックを解除した。
「どうも荷物を持っていただいてありがとうございました」
女は自分だけオートロックの扉の向こう側に行くと、荷物を受け取るためこちらに手を伸ばした。危機管理としては正解の行動だ。名前も知らない人間をマンションの中に入れるのは危険だ。だが、この程度ならどうとでもなる。
「ああ、お部屋の前までお運びしますよ。私もこのマンションに住んでますし、変なことはしませんから」
「本当ですか?……失礼ですが、一度もお見かけしたことがない気がするのですが」
「普段はあまり家から出ないものですから。今日は気晴らしに散歩に出ていたもので」
女の警戒心はどんどん強くなっていくようだが、真偽が分からないせいで強く言い出せないらしい。何か言いかけた言葉を飲み込んで「では、お願いします」と言ってきた。
エレベーターを使い上階まで向かい、女の部屋に着いた。扉の部屋を開けたところで女に荷物を手渡し、その場を後にした。俺が思ったよりもあっさり引き下がったのを見て目を丸くしていたが、俺はお前なんぞに用はない。エレベーターに戻ってもう三階上に上がった。その階の渡り廊下から下を見下ろすと周りにあった一軒家が小さく見えた。景色はそこまでいいわけではないが、見渡しはいい。目の端に選挙カーをとらえた。誰にも応援されてないのに応援ありがとうとぼけたことを大声で言いまわるのはさすがに目に余る。渡り廊下から顔を出し、選挙カーに向けて手を振ってみると意外とすぐに見つかってしまった。かなり上にいるはずなのにどう見つけているのだろうか。まあもうそれもどうでもいい。鞄の中に入れていた爆弾の一つにスイッチを入れ、思いきり下に投げつけた。この速度なら起爆する前に車に届くはずだ。予想通り、車の屋根にぶつかり鈍い音を立てたかと思った瞬間、爆弾は鮮烈な光と熱、周りの民家の窓ガラスを砕いてしまうほどの衝撃を生んだ。爆弾により生じた熱は瞬く間に車のガソリンに引火し、さらなる爆発を引き起こした。あまりの爆音に家にいたであろう一般人も事態の把握のために表に出てきている。
俺はその時、ちょうどエレベーターの中にいた。マンションの住人も状況を確認するため下に向かおうとしていたので便乗した。一階に到着すると、階段を下りて来た住民も大勢いた。彼らの野次馬精神が引き起こした波に飲まれたまま歩き続けると、すんなりと外に出ることができた。爆発した車の周辺にはすでに大勢が集まり、何があったのかを話し合っているようだ。未だ火は燃え盛り続け、引火したガソリンが幾度となく小規模な爆破を繰り返し、あたりに火種を散らしている。あたりに散った火花は、なおも車の火の勢いを強めていた。そしてその火種は車内の燃料タンクにも届いたようだ。何かが割れる音が聞こえた瞬間、凄まじい爆発が起こった。その衝撃は、周囲の野次馬のもとに爆風が届き、やけどを負わせたり、飛んできた破片で肌を切るなどの二次被害を生んだ。さらに、その爆発の衝撃は周囲の人間に精神的な衝撃をも与えたのだ。車内から丸焦げになった死体が二つほどはじけ飛んできたのだ。その死体は熱で皮膚が溶けていきながら、炎によって丸焦げになったようで目も当てられない。野次馬共もこの死体を見てようやく消防や救急を呼び始めた。
ここまで野次馬が多ければ、俺の存在などはすぐに気づかれまい。車内に残された残りの死体の状況が気になって、まだこの場から離れられずにいた。連絡をして五分、俺がそこらで事件を起こした割には早く来たように思う。消防は急いで水をまき、ずっと燃えていた車をようやく消火し始めた。この時、危険だからという理由で車から大きく離れたところまで下げられたが、遮るものはあまりなく車は普通に見える。消火はすぐに完了したが、その後が大変そうだ。高熱で溶けた車のシートと皮膚が融合したせいで、死体を回収するのにひどく手こずっている。あの状態ならば助かっていることなどありえない。醜い人間の醜い死体などには興味ない。ゆっくりと下がり、人込みに紛れながら路地裏を目指した。
さっきまで尾けていた誰かはもういなくなったようだ。もしあれが刑事ならこんなところで追跡をやめたりはしないだろう。俺を尾行していた男の正体も気にはなるが、些細な問題だった。今の俺の目下の課題は、明日からの予定である。二日連続で爆破事件を起こせばさすがに政治家と言っても学習はするだろう、他でもない自分の命がかかっているのだから。そうなったとき、警備は厳重になるほか、そもそも公開状態で演説をやらなくなる場合も十分考えられる。この場合、俺はどう動くべきなのか。過程はどうあれ、人を殺すという碌でもない答えが確定した問いを、掃いて捨てるほどある時間をぜいたくに使って考え始めた。
七月三日
昨日、家に帰ってから考え続けていた殺しの大義名分に答えが出た。人殺しの思考に寝不足が重なり、結論は飛躍したように思うが、これでもいい気がしてきた。僕は早速スマホを手に取り、SNSを起動した。
「昨日までの連続爆破事件は、すべて悪と化した政治家連中を誅するために行われた正義の執行である。正体を隠し、悪人のみを殺し利益を求めない姿は究極系の社会奉仕と言われるべき行いであろう。まさに『義賊』と称するにふさわしい人物なのだ。その『義賊』の逮捕に躍起になっている政治家と警察共は、いつ探られては困る腹を探られるか気が気でないのだ。彼は少しでも世の中をよくするために行動しているということを、この文を読んだ人にはわかってほしい」
僕が手を出したのは扇動だ。人を殺せるほどの覚悟はなく、だからと言ってこのまま見て見ぬ振りをして生きられるほどの覚悟もなかった僕にできるのはこれしかない。世間へこの世のゆがみを問いただしつつ、自らは手を下さない。中途半端な人間にしかできない最も効率的で、非人道的な行為だった。仮にこの扇動が原因で人殺しが起きても、僕は「自らの思いを伝えただけで人を殺せとは言ってない」と言い訳できるし、世の不条理にさいなまれた者達へは「あなたたちのための行動をしましたよ」といい顔ができる。どちらかを選びきれなかった愚か者の愚かな決断だった。
先ほどの文を投稿して五分足らず、凄まじい勢いで拡散され続けている。あまりにセンセーショナルな文言は見る人すべての注目を集めた。それが好意的な反応であれ、否定的な反応であれ関係ない。これが広まり続けることが重要なのだ。僕は時間をおいて、『義賊』をもてはやし、公権力につばを吐くようなことを投稿し続けた。投稿が削除されたときは、「真実を話したからもみ消された」と陰謀論じみたことを喚いた。するとどうだろう、これまで以上に僕の話に同調する人が増えるではないか。彼らは愚かだ。公権力の汚職にはとことん強く出る、証拠が存在していなくとも。そもそももし本当に陰謀があるのならば、投稿した文を削除するのではなく、僕自身を殺して二度と投稿できないようにした方が確実だ。誰もが分かり得る陰謀など陰謀ではない。だが、四年ほど前に起きた世界的パンデミック以降、ウイルスよりも陰謀に対する免疫が低下したように思う。簡単に踊らされた彼らの行きつく先は、尖鋭化しかない。しかし、ここで僕の予想に反することが起きてしまった。尖鋭化が僕の予想をはるかに超えた速さなのだ。瞬く間に過激な思想に染まり、平然と他人の死を願うようなことを口にする。これでは実際に行動に出るのも時間の問題だ。事実として、僕が扇動したとはいえまさかここまで急速に尖鋭化するとは考えていなかった。だが、僕はこういう時のために扇動をしたんじゃないか。
「僕は人を殺せとは言ってない」
七月三日
今朝、人目につくところで挨拶をしている政治家たちの姿はどこにもなかった。さすがに二日経てば、頭がいくら悪くとも学習はできるというもので、稼いだ裏金で雇ったあまり若くないスタッフをこき使い、チラシを配るのが関の山だった。いくら政治家が気に入らないとしても本人がこの場にいなければ暴動を起こす気はない。今日は家を出た意味があまりないようだ。
家に帰り、情報収集がてらテレビをつけた。あの爆破事件を受けて奴らはどう動くのか、国会中継で分かるかもしれない。予想通り、連日の政治家殺人事件について議論がされていた。
「一昨日、昨日と連続して選挙候補者が殺されています。このままでは選挙自体、中止せざるを得ないでしょう」
「中止はいつまで続ける気ですか?選挙のため衆議院は解散済みだし、まともな国会は運営できないでしょう。今日は互いの利害が一致した緊急国会のため開会できましたが。これ以外の理由では国会を開くのはほぼ不可能かと」
「中止期間は、犯人が捕まるまでが妥当かと」
「警察も今全力で捜査中のはずです。それなのに犯人の性別や、何人いるのかさえつかめていないのですよ。いつ解決するかわからない事件の解決を待つなどあまりにも悠長と言わざるを得ません」
「ですが、犯人が野放しになったまま、選挙活動を再開すればまたもや犯人の標的になるでしょう。それに、昨日の事件では会場に警察の方々が警備のためにいたというのに全員爆発に巻き込まれて死亡しました。このような惨劇が繰り広げられている中で、表舞台に出ることなど危険すぎてありえません」
「それは、あなたたちが裏金稼ぎなどというせこいことをやっていたあげく検察を買収して不起訴にしたからではないですか?国民はもうあきれてものも言えないでしょう。どこぞの企業の社長が『脱税党』という政党を立ち上げようとしているという話も聞きました。……もう年貢の納め時では?」
「……今、何が起きているのかわからないのですか?人が殺されているんですよ。国民の怒りを示すためとはいえ、人を殺すなんて、おかしいと思いませんか。これは民主主義への挑戦と言ってもいい」
「この国に民主主義など最初からなかったでしょう。何年も前から宗教団体と繋がって組織票をもらっていたくせに、少し選挙の邪魔をされたら民主主義への挑戦だなんて、無駄に大層な言葉を使って問題を大事にしないでいただきたい。……とにかく、私の政党の総意としては、選挙の中止には反対です。もうこれで過半数は取れませんね」
「殺される危険性を感じながら選挙活動をしろと言っているんですか?」
「いいえ、殺されるのが嫌なら選挙活動を諦めろと言ってるんです。そもそも普通に生きていれば殺意の標的になることなどありえません。殺意の標的になっている時点で、話にならないかと」
「あなたは私たちが殺されてもいいと思ってるんですか?他人の死を願うなど人としてどうなんですか?」
「……それはあなたたちが言うべき言葉ではない。宗教団体とのつながりは?裏金は?馬鹿みたいに金をかけたフランス旅行は?あまりにも多すぎる増税は?国民の手取りを増やすことに反対しているのはなぜ?……あなた方に人としての道理を求める資格などない。会議はここまでだ、これ以上話すことなどない」
ここで比較的若い党首の男は議会を出ていった。彼の政党員もそれに続き、ぞろぞろと議会を出て行っている。その後、選挙の中止を閣議決定しようとしたが、結局票が足りずに否決されることになった。選挙は中止されないことになる。明日からまた駅前に馬鹿な顔をひっさげた奴らが突っ立っていることになるのだ。今日誰も殺せなかった鬱憤を明日晴らすとしよう。
七月三日
今朝の投稿はあり得ないほどの速さで拡散されていった。二日間連続で発生していた政治家殺人事件、あまりにもセンセーショナルな話題だったのは間違いない。だが、あまりにも速く広がったうえに、もともと政治家への不信という土壌が出来上がっていたことが災いし、『浄化隊』なる組織まで生まれてしまった。彼らは政治家を爆殺していた『義賊』を神格化するだけでなく、彼らが蜂起するに至った投稿をした僕でさえ、教祖様のような扱いをしている。彼らは手早く仲間を増やし続け、明日に決起集会を行う所まで話が進んでいた。その決起集会への招待状がSNS上で届いていた。
「こんにちは、香山様。『浄化隊』の指揮官である宮下と申します。この度はあなたのおかげでたくさんの優秀な兵士を集めることに成功いたしました。つきましては、明日の決起集会にぜひともご参加を賜りたいのですがいかがでしょう?」
「遠慮しておきます。私は投稿をしただけで、別に兵隊を持ちたいわけではないので」
「ですが、香山様はこの国に対する不満がおありで、あのような投稿をなさったのではないですか?」
「それはそうですが……」
「でしたら、私の話を聞いてください。現在この国は未曽有の危機に見舞われています。外敵を誘致し国内に犯罪者をあふれさせようとする外務省大臣。収支報告書へ書くべき事柄を書かず、私腹を肥やした挙句検察に賄賂を贈り罪から逃れようとする政治家連中。見事に買収される検察に、まともに捜査もしない警察。この国は上の立場にある人間が愚かな国です。ですのでこれらを一掃し、真にこの句の国民として祖国を守るべき時なのです。もともと国民は悪の限りを尽くす公権に疲れ切っていました。そこにあなたが記した言葉が飛び込んできたのです。それはまさに天啓でした。かの英雄一人に重荷を背負わせるわけにはいきません。ですので、こうしてSNS上で兵を集め、明日決起集会を行うことにより、我々の覚悟を真なるものとして昇華し、悪賊どもを殲滅するのです。このきっかけをくださったあなたにはどうしても明日の決起集会にご参加いただきたい。返答は結構です。明日、席は開けておきますので、気が向いたらで結構です。何か用事がおありならそちらを優先していただいても構いません」
七月四日
選挙の中止が否決されてから夜が明け、昨日と同じように駅まで向かうと、一昨日までと同じような景色が広がっていた。政治家本人らしき声に、周りのスタッフ。違う所と言えばあまりにも多い警備の数だけだ。警備の壁のせいで政治家本人の姿を見ることはできない。スピーカーから聞こえる声だけが本人の情報だ。もしや声だけで本人はここにいないのではないか。そう思ったのもつかの間、厳しい監視下においてのみ、交流会らしきものが許されているようで、ようやく政治家本人の姿を見ることができた。一定の距離に近づくためには必ず荷物検査を必要とし、政治家のわきは精鋭が固めており、付け入るスキはない。監視の外から手を下そうにもそれは警備の壁が不可能にしている。残された場所は空からしかない。
一旦この場を離れ、駅構内に入る。そこからホームへ出るには、階段かエスカレーターで上の階に行く必要がある。二階に上がるとすぐさまホームというわけではなく、少々歩かなければならないのが面倒ではあるが、今日に限っては功を奏した。開いていた窓から下を覗くとちょうど真下が集まりの場所だったようで、たくさんの警備員の姿が見える。誰もこちらには気づいていない。下から見上げると意外と距離があり、警戒対象外となっているのだろう。これは好都合だ。周りに人がいないことを確認し、鞄の中にしまっていた爆弾を取り出した。そしてスイッチを入れ、思いきり窓から投げた。そしてすぐさま近くの蕎麦屋に駆け込み、食券機の前で注文を決めるふりをしようとしたとき、ちょうど大きな音が響いた。蕎麦屋内は騒然とし、俺もそれに合わせて適当な芝居を打ちながら外へ様子を見に行った。外に広がっていたのは惨状そのものだった。爆弾を投げ込んだ場所はしっかり確認してはいなかったのだが、しっかり集まりの中心で爆発を起こしたようだ。爆心地にいた人たちは黒く焦げるか、四肢がちぎれるか。離れていたとしても皮膚が熱で爛れたり、爆風に吹き飛ばされ、地面に体を打ち付けている人もいた。遠く離れた人でさえ、破片によるけがなどをしており、無事で済んだ人を数えても片手で足りる。おそらくすぐに警察も来るだろうし、電車も止まるに違いない。早くこの場を離れなければ、軟禁される羽目になってしまう。さすがに荷物検査を言い出されたらたまったものではない。爆破事件におびえる一般人のふりをしてそそくさと離れた。我ながら芝居のセンスはない。
その後もいろいろ集まりがありそうな場所を巡ってみたものの、駅の時のように都合よく上から仕掛けられる所はなかった。さんざん歩き回ったのはすべて徒労に終わり、くたびれながら家に帰る羽目になった。疲れた体のまま適当にテレビをつけ、ソファに身体を投げ出す。思いきり体を預け脱力しながらテレビの音を聞いていると、今の俺が求めている情報が流れて来た。政治家どもが一点に集まるタイミング、出馬表明式だ。本来は初日にやる物らしいが、俺が起こした爆殺事件とどこかの誰かがやった人殺しのおかげで見事に日程が狂ったのだ。しかし、今までの悪行がばれた彼らにとっては表明式で得る組織票こそが生命線。やらないという選択肢は最初から用意されていなかったのだ。すでに表明式は終わってしまったが、明日に親善会を同じ会場でやるらしい。親善会と言えば聞こえはいいが、要するに不正祭りだ。政治家と企業の癒着が恥も外聞もなく行われる。中に入るにはかなりの労力が必要ではあるが、これはチャンスだ。明日に向けて今から作戦を考えるとしよう。
七月四日
結局宮下という人物の懇願を振り切れず、指定された場所まで向かっていた。指定された場所は僕の住んでいる地域の最寄り駅から都市部に向かって二駅過ぎた駅にある公民館のような場所である。厳密には総合文化センターという建物らしいが、あまり変わりはないと思う。目的の建物はさすが都心部に近いだけあってなかなかの大きさだ。それに入り口前に人ごみができており、かなり人気もあるのだろうと思ったが、これはどうやら違うようだ。何やら名簿に名前を記入しないと中に入れないようで、何やらイベントでも行われるのか。気になって中を覗くと、浄化と書かれたハチマキをした人が中にたくさんいる。まさかここにいる人全員が『浄化隊』の決起集会に参加しようとしているのか。確かにあまりの拡散速度ゆえ、目を付けられすぐに投稿が削除されてしまったがここまで影響を及ぼすなど夢にも思わなかった。入り口前で呆けていると係員らしき男が話しかけてきた。
「こんにちは。あなたも今日の集まりにご参加の予定ですか?」
「ええ、まあ」
「それではこちらの名簿に名前をお書き頂いて、何か個人を証明できるもののご提示をお願いいたします」
「個人を証明というと、免許証とかですか?」
「はい。この集まりの参加者に身分が不確かなものはいてほしくないと、開催者の意向がありまして。どうかご協力をお願いいたします」
特に提示するのを渋るほどでもなかったため、財布から免許証を手渡し、確認されている間名簿に名前を書こうとした。だが、すぐさま止められることになった。
「……香山様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですが」
「申し訳ありませんが、少々お待ちください。責任者を連れてまいりますので。お名前はお書きにならなくて結構です」
僕が答えるより早く中に消えて行ってしまった。まだ後ろには何人かいるのだが、彼らの対応もほっぽり出すほど重要なことなのか。そう思ったが、係員の男は一分もしないうちに初老の男を連れて戻ってきた。初老の男は丁寧な物腰で僕を中に案内した。
連れてこられたのは応接室と札が下がっていた部屋だ。中は清潔な雰囲気で、やたらと装飾品があったりもしないシンプルさを追求したデザインだ。モノクロで統一され、無駄に気を散らしてしまいそうな何かがない。応接室によくあるやたらと低いソファに座るように促され、僕の正面に初老の男が座り、口を開いた。
「ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません、私は宮下と言います。香山様、今日は我ら『浄化隊』の決起集会に来ていただいて誠にありがとうございます」
「いえ、そんな……。せっかく招待してもらったので」
「そう言っていただけると幸いです。……今日、来ていただいたということは、この後の決起集会にもご参加いただけるということでよろしいですか?」
「いいですけど、決起集会って何をやるんですか?」
「我ら『浄化隊』の覚悟を共にし、この国の安寧を取り戻すため士気を高めます。例として、今回集まった隊員の中から国に対する意見文をいくつかいただいています。それを読むことで、国や政府、警察組織の所業を知らしめ我らはそれを断罪するために戦うのだと意識づけるのです。さらに、明日の由民党親善会に向けた襲撃作戦の会議も行います。政治家たちのように言葉だけで終わらせることなどは決してしてはいけません」
「……僕も何かその集会でした方がいいこととかあります?」
「いえ、ご参加いただけるだけで十分ですので。……ですが、もしよろしければ、集会の終わりの際に何か一言でも頂けるのならば、皆の士気も上がります。無理にとは言いません。気が向いたらで結構ですので」
「いや、せっかくなので何か考えておきます。ここまで来て何もしないというのもおさまりが悪いですから」
「……ありがとうございます。ですが、もし思いつかなかった場合には、近くにいる誰かを適当に呼び寄せてその旨をお伝えください。私からも対応できるように伝えておきます」
そこまでしてもらうのはさすがに申し訳ないが、宮下は一向に引き下がろうともしない。結局僕が折れて、この場にいる間は王様のような振る舞いでも誰にも咎められない存在になった。とはいってもそこまで横暴な態度をとる気にもなれないし、他人を雑に扱おうと思えるほど面の皮も厚くない。他の誰かに頼むようなこともせず、自分の足で自販機まで向かった。自販機は館のエントランスにあるため、そこへ向かうと同時に外の様子が少し見える。集会開始まであと十分もないはずだが、まだたくさんの人が列を作っていた。列を作っている人たちは大体が若い。見た目の身の判断だが、二十代程度が大勢いるように見える。少しばかり男が多いか。自販機で緑茶を買い、ぼおっと若者が作った列を眺めていると、『浄化隊』のスタッフに見つかった。そろそろ会場に入れるらしい。わざわざ探させてしまったようだ。
案内された会場はとんでもない広さを誇っていた。ここのホールは国内で最大の広さを持っており、最大二千五百人まで収容可能らしい。それに加え、このホール以外にも小ホールや大会議室なども解放されており、今現在、四千人ほどが、同じ意思をもって集まっている。僕にあてがわれた席はまさにVIP席だ。ホールの中央、周りとは間隔を取りゆったりとした座り心地を徹底した席である。僕の前後左右は『浄化隊』の精鋭が固めてくれている。現在、ステージの中央ではスタッフたちが何かの機械をいじっている。おそらく別室に入れられた人たちのための中継器の設定だろう。それが終わりステージ上にいたスタッフたちが一斉に脇に消えていくと、一人の男が出て来た。その男はマイクを持っており、おそらく今回の集会の司会でも勤めるのだろう。マイクの頭をたたいて調子を確認すると、落ち着いた口調で話し始めた。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます。今回司会を務めさせていただく近藤と申します。どうぞお見知りおきを」
恭しく頭を下げる近藤に割れんばかりの拍手が送られている。まだ何も始まったわけでもないのにここまで盛り上がるのはいささか不気味だ。
「皆さま、盛大な拍手ありがとうございます。皆さまのその優しさが、この国をより良い方へ導くことを願って、『浄化隊』の決起集会を開会いたします」
それなりのあいさつと共に開会が宣言され、それと同時に先ほど以上に大きい拍手の音がホール中に鳴り響いた。近藤はなり続ける拍手を一旦抑え、集会の進行を開始した。まず最初に『浄化隊』の隊長、宮下が話をするようだ。宮下がステージのわきから登場するとまた激しい拍手が鳴り響く。戦争されているのかと思えるほどの激しい拍手に頭も痛くなってきた。ステージの中央に立った宮下もまた拍手をおさえるようなそぶりを見せ、会場全体が落ち着き始めた頃、ようやく話し始めた。
「皆さま、盛大な拍手でお迎えいただきありがとうございます。宮下と申します。今日は、我々『浄化隊』の決意を真にするための決起集会にご参加いただきまして誠にありがとうございます。当初はあまりの世迷言に無視されるのが関の山と高をくくっていたのですが、優しい心を持つ皆さまに出会うことができたおかげでこうして集会もできています。あらためて感謝を……」
そう言いながら宮下は一度大きく頭を下げた。会場にいる人たちはそれを見て同じように頭を下げている。この光景ははっきり言って異常だ。まるでカルト宗教のような光景に呆気にとられると同時に、ここへ来たことを若干後悔し始めた頃、宮下が頭をあげもう一度話始めた。
「前置きもここまでにして、そろそろ本題へまいりましょうか。我々『浄化隊』はいったい何をすべきなのか……。この国の奪還です。彼ら由民党が政権を担い始めてからそろそろ三十年近くが経とうとしていますが、彼らの仕事ぶりはどうだったでしょう。税金、年金を導入し国民から金を巻き上げ続け、それを外国にばらまく。不祥事はすべてだんまりを決め込んでなかったことにしようとする。あるいはそれができなくとも検察を買収して罪を逃れる。……あまりの横暴に国民は疲弊しました。今や明日を生きることすら困難なものまで出てきています。家を失うのもそこまで遠い話ではない人もいるかもしれません。身を売ったり、怪しい仕事に手を出し始める若者も増えました。国内の経済が健全ならば決してありえないことです。今もこの集会と時を同じくして、非正規雇用者が不当な環境で働かされています。他には熾烈な就職戦争に負け、二度と社会復帰を望めぬ若者が自ら命を絶つことだってあり得るのです。事実、元号が変わってから毎年年間自殺者数は更新され続けています。……今、この国で真面目に生きている人間はすべからく損をしているのです。得をしているのは一部の特権階級だけ。そんな国が世界有数の先進国として数えられていいのでしょうか。いや、そもそもそんな国など存在していいのでしょうか。答えは否です。誰かを不幸にしてまで成り立つ幸福など決してあってはいけません。我々がそれを彼ら特権階級に教えるのです。たとえどんな手段を用いることになったとしてもかまいません。先に卑怯な手を使ったのはどちらでしょう?……もちろん特権階級の彼らですね。……この国には因果応報という言葉があります。現在までに及ぶ彼らの悪行、彼ら自身の命で清算させることこそが、我々の使命であり、唯一の正義なのです」
宮下はここまで言い終えると、もう一度深く礼をして、ゆったりとした足取りでステージを去った。会場にはありえないほどの拍手が巻き起こるどころか、感動のあまり泣き出してしまうものまでいた。ここにいる人たちは皆、これから人の命を奪うことになるということを忘れてしまったかのように見えた。その後も興奮冷めやらぬまま、集会は進行した。
「えー、続きまして。今回集まっていただいた中から『浄化隊』に参加するに至った経緯を綴ってくださった方がいらっしゃいますので、その方の手紙をこの場で読み、我々が虐げられている者達のために戦うということを再確認したいと思います。それでは私の手元にありますこちらの手紙を読ませていただきます。なお個人情報の観点から、この手紙の主は控えさせていただきますがご了承ください。
『私はもうまともな生活をしていません。由民党が与党第一党となってから三十年余り、我が国の経済は衰え続けました。そのしわ寄せは私のような一介の大学生にも響いています。学費はともかくとして、一人暮らしをしていると家賃が高いし生活費も馬鹿にならない。しかもその上税金だなんだで働き控えをしなくてはならない。どう頑張っても豊かになることはないのです。そしてそれは最も忌避すべき形で私に牙をむきました。約四年ほど前、世界で大流行した感染病がありました。それは我が国でも猛威を振るい、人との接触が極端に避けられることになりました。そのせいで、私が働いていたバイト先はすべて営業を中断。当然給料も払われることがありませんでした。しかも税金を払わせられるのを避けるため働き控えをしていたせいで碌な蓄えもなく、高い学費が払えなくなりました。実家も元々裕福というわけでもなく、その上感染病の影響をもろに受けてしまい、学費をぽんと払えるほどの余裕などはありませんでした。大学からの救済措置などは一切なく、私は大学を退学する羽目になりました。家賃も払えず一人暮らしをやめ実家に帰ることにもなりました。実家で暮らす以上少しでも負担にならないようにと仕事を探しているのですが、大学中退の人間などどこも雇おうとはしません。正社員はおろか派遣社員でさえ高学歴を要求され、私は門前払いを喰らいました。工場勤めやコンビニのバイトなどにも応募しましたが、どこも僕を雇うことはしません。おそらく外人を雇った方が安上がりなのでしょう。結果、私が社会に出る場所は一切なくなってしまいました。今は少しでも親を心配させないため、バイトに行ってくると言って闇バイトと呼ばれる工事旧バイトに精を出しています。……私は政府を憎んでいます。もし、税金の壁などなく好きなだけ稼げていたら。もし、緊急時ぐらいは学生の味方をするような政策を打ち出してくれていたら。もし、この国が学歴至上主義などになっていなかったら。もし、この国がアホみたいに外人を呼び寄せていなかったら。考えない日はありません。これは逆恨みなんかじゃないし、妄想癖のせいでもない。今まで私に助言をしてきやがった奴らは全員就職に成功した実家が裕福な奴らだった。今、この国は生まれた瞬間にすべてが決まるようになっている。裕福な家に生まれることができれば、人生イージーモード。そうでもない家に生まれてしまえば、不幸で始まり、不幸で終わる人生が待っている。こんな国は間違っている。これ以上不幸になる子供を増やしてはならない。少しでも両親に誇れるような何かをしたい』……以上です」
会場は静まり返っていた。とある一人の不幸の連続に言葉も出ないのだろう。だが、これは氷山の一角に過ぎない。この手紙の主はこうして自分の経験を言葉にして他者へ伝えてどうにか助けを求めているが、それすら諦めて自ら命を絶ってしまった者もいる。いくら逆恨みや他責思考と言われようともそれは恵まれた人間の戯言に過ぎないのだ。何とかなった奴しか「人生なんとかなる」としか言わない。何とかならなかった奴はすでに死んでいる。
「皆さま、ご清聴ありがとうございました。……それでは最後に、我ら『浄化隊』が結成するきっかけとなった香山様よりお言葉をいただきたいと思います。香山様、どうぞこちらへ」
ついに集会も終わるようだ。司会の男に呼ばれたし、ステージに向かおう。ホールの中央、特別にあてがわれた椅子から立ち上がり、ステージに向かう途中、他の人たちからとてつもない拍手と賛辞を贈られている。ここ似る人たちはすっかり、正義の死者として出来上がったようだ。ステージの上がると司会からマイクを受け取った。もう話しても大丈夫かと目くばせすると、お好きなタイミングでどうぞと返答された。
「えー、皆さんこんにちは。香山です。今日は『浄化隊』の決起集会に来ていただいてありがとうございました。……僕は政治家や政府に恨みなんかありません。ただ、彼らがいなくなった方がこの国がよくなると思っているだけです。この三十年、彼らのおかげで良くなったことなど一つもありませんでした。これがこの後も続けばこの国は間違いなく終わる。今まで以上に悪人が跋扈する世の中になる。それだけは許してはいけない。……ですが、それを食い止めるには僕だけの力では全く足りません。ここに集まってくれた皆さんの力が必要不可欠です。絶対にこの国を取り返しましょう」
会場は今日一番の歓声に包まれた。歓声、惨事が飛び交うホールのステージ上で僕は今まで感じたことがなかった感覚を味わった。今までにない胸の高鳴りに、顔のほてり。皮肉にも人を殺すことを誓った瞬間が、一番生きている実感がわいた。
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