第1話 ぬいぐるみ
3話で完結する短め作品です。
今日も仕事をしよう。
私はまるで布切れのようなマントを纏って寝床にしていた小屋から出ると、街中へと向かって歩みを進める。
「ここの物はもうあらかた触ったわね。次はどこの場所に行こうかしら?」
気が向いた時に一応は形を整えている金色の髪を翻しながら私が到着したのは、恐らく最初は茶色に染められていたのであろう家屋。
その外壁は土埃や血痕などのせいですっかり変色しているし、2階や屋根の部分がまるで何か大きな刃物で切られたかのような状態になってしまっている。
「私に翼でもあれば。上空からは建物の内部が丸見えるだろうけど」
瓦礫の山を乗り越えて中へと入る。足元に落ちているのはきっと郵便物を入れる用途で使われていたであろうもの。そこにはネームプレートのようなものが貼られていたのだけど・・・。
「うーん・・・読めないわね。もうボロボロだし」
苦笑いをしながら頬を掻いて呟く。
そもそもこの土地に来たのはもう数十年ぶりぐらい。多分、きっと、恐らく。ちょっと曖昧だけれど。
「お邪魔します」
そして私は『玄関だった』と推測できる場所で立ち止まって深々と頭を下げると、ゆっくりと足を内部へと踏み入れる。
◇
この世界は荒廃した。
それは人ならざる者の力のせいなのか、それともそれに対抗するために使用された人間の強大な兵器のせいなのか。
答えはもう定かではないし、責任の所在を明らかにしたところで何も変わらないのだけれど、どちらにしろ世界は終わってしまった。
だけど私は生き残った。
何故なら私は死ねないから。
食べなくても、飲まなくても、寝なくても死ぬことはない。もちろん、どんな危険な目に合っても。面白おかしく言うとすごく燃費の良い生き物。・・・まあ一応、寝た方が体調は良くなるけど。
そしてこんな特異体質の私は数年・数十年と生きていく中で、遂に不死以外の能力を手に入れた。
物に触れた際、それを使ってた人物との思い出を脳裏に投影できるという能力。
最初にそれができた時はさすがに驚いたが、じきにそれに慣れ、気づけば様々な物の思い出を観測するのが趣味になっていった。・・・今ではそれを仰々しく『仕事』と呼んでいるけれど。
でもそれのお陰で、私はどうにか人としての心の形を保てられていると言っても良いのかもしれない。
◇
「ぬいぐるみ・・・」
家の中に入った際、一番に目についたのはこれ。目の前にある、よく知らないキャラクターの汚れたぬいぐるみだ。何だか色々な動物を組み合わせられたカラフルで奇抜なデザインのものだけど、過去もどこかで同じようなものを見たことがある。
「・・・子供の宝物だったのかしら?」
そして私はしゃがみ込んでそれに手を触れ、その思い出を観測みようと試みた。
◇
幼い子供。初めてこのぬいぐるみを手にした姿はとても喜んでいる。
遊びに行く時も、旅行に行く時も、どんな時も常に一緒だ。これは子供にとっての親友だったのだろう。
でも場面が変わると子供は泣いていた。そしてこれは嬉し涙ではない。
ぬいぐるみはいつものように子供に抱かれている。だけどずっと優しかったはずの両親は鋭い目をして子供のことを睨んだ。
それを見た子供は怯え、自室へと戻った。ぬいぐるみを抱きしめてベッドの中に入った。
両親の怒号が聞こえる。でもこれは子供に対してのものではない。
ああ。これは世界が崩壊する直前の話だ。
大人も怖い、だから困惑して泣き叫んでいる。
子供は両親に大切に育てられたはずだ。だけど世界が崩れていることに大人達も自身の心が、体が、脳が対応しきれていない。
するとじきに、両親の怒号が止んだ。
部屋をノックして両親が入ってきた。先ほどとは打って変わって笑顔を浮かべてる。
だけどその目には涙が溜まっている。
両親は子供に謝罪をし、共にベッドの中に入った。
ぬいぐるみは子供だけでなく両親にも抱かれている。
そして各々が家族の思い出を語り合い、感謝を口にし、共に眠りについた。
それからすぐ子供と両親はこの家を離れた。恐らくどこかに避難をしたのだろう。
しかしぬいぐるみはこの家に置かれたままだった。きっと緊急のことで忘れられてしまったのだろう。
静かになった部屋の中。もう抱かれることのないぬいぐるみ。
年月が過ぎることで子供がぬいぐるみに与えていた温もりも、もちろん消える。
そしてある日突然。
子供と過ごした部屋が、家が、崩壊した。
◇
「・・・なるほど。大変な時期に生きてたのね」
私はぬいぐるみの頭を優しく撫でる。
この家屋の中には他にも形を保っている日用品や趣味の物も置かれている。
「他にも何か観測してみようかしら」
部屋の中を散策していくと目についてたのは、地面に転がっていた、もう既に一部が焦げてしまっている雑誌のようなもの。
目に映るのはセンセーショナルな言葉の数々。なるほどこれでは大人達がパニックになってしまったのにも頷ける。
「あんなのを見たら冷静になれっていう方が無理ね・・・」
やはり他の物に触れるのはやめた。これだけ長く生きていても、未だに目を背けてしまう思い出も存在する。何だか今日の自分のメンタルだと避けた方が良さそう。
一応、念のために家の中をぐるりと見渡したが、もうここを離れる決断をした。
したのだが。
「・・・。ぬいぐるみ、どうしよう」
私が拝借する物というのは基本的には生活に必要かつ、大した思い出が無いもの。もしくは大昔は化粧品とかも拾っていたけれど。
今、とても悩んでいる。
この薄汚れたぬいぐるみは生活において必要不可欠な要素ではない。だけど、どうも目を離すことができない。
「迷うけど・・・。ひとりぼっち同士、仲良くしようか?」
誰も聞いていない中でこう口にした私は、ぬいぐるみを胸に抱え、今回の拠点にしている小屋へと一旦戻ることとした。
「お邪魔しました」
入った時と同じように、『玄関であった』であろう場所でボロボロになっている家屋に対して頭を下げる。
「勝手にぬいぐるみを持っていくことにしてごめんなさい。だけど大切にしますから。どうか許してください」
頭を上げた私は空を見上げる。
もう今が何時ごろなのか私は分からない。気が向いた時に気が向いた動きをする。それしかできないから。
太陽は荒廃した大地を力強く照らす。月は荒廃した大地を優しく包む。
枯れた旧時代の木々の下から新たな植物が芽吹く姿が見受けられる中、私はぬいぐるみを優しくも力強く抱きしめた。