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前編

前編、中編、後編の短めの連載です。


 崖っぷちとは、もう後がないほど追い詰められている状況を示すときに使われる言葉だ。

 断じて本当の崖のふちでの出来事ではないはずなのに。


(ここで、手を離したら終わりだ)


 崖のふちを掴むルナの手は限界はもう近い。

 けれど、ルナは知っている。

 定番の展開ではピンチの時に、ヒーローは必ず現れるのだと。

 

 ルナは乙女ゲームをやり尽くし、ありとあらゆる小説や漫画を読破した、定番を知り尽くした転生令嬢なのだ。

 

 だからこれまで、公爵令嬢が身勝手な理由で王子に婚約破棄されたという噂を聞いても、異世界から聖女が召喚されたと聞いても、魔物がいたって、魔王がいたって驚かなかった。だってそんな話は異世界の物語では定番なのだ。


 だから、ルナは崖のふちで崖っぷちの状況になってもまだ、定番の展開を信じていた。


 そんなルナのはちみつ色の髪が、強風で煽られる。


(定番の展開だと現れるはずのヒーロー来ないじゃん)


「あ、そうか、私がヒロインじゃないから」


 よくよく考えたら、ヒーローとはヒロインを助けるための現れるのだから、ヒロインではないルナを助けに来る人がいなくても不思議ではない。


 (もう、無理)


 ルナが諦めかけたその時だ。


 ルナの手を力強い手が掴んだ。


「間に合ったか」


 男らしいその声の主をルナが認識した、その瞬間、ルナの瞳がこれでもかというほど開かれた。

 

 定番を知り尽くしたルナの誤算は、いろんな種類の小説や漫画、ゲームをやりすぎたせいで、転生したこの世界が、どの物語の中なのかはっきりわからないことだった。


 街並みは西洋風、ギルドがあり、魔物が居て、魔法もある、そんなファンタジー要素がある話は数えきれないほど読んだ。だから、転生したことに気づいたのに、ここが何の話の世界なのかわからなかった。


「まさかの、おしゃれ坊主の出てくる話だったとは」


 小さな声でブツブツと呟くルナを心配する男は、丸太のように太い腕でルナを持ち上げた。


「ここは危険だ、行くぞ」


 お姫さま抱っこで運ばれる定番の展開に、ルナは悟った。

 ここは間違いなく前世で読んだ物語の世界なのだろうと。

 ルナは前世の大量の知識から、目の前の男、セオドアの出てくる話を思い出す。

 セオドア・クロウ、おしゃれ坊主の男気溢れる男、切れ長の紅い瞳が印象的でイメージカラーは赤である。筋トレが好きそうな見事な体格だ。


 ルナを抱き上げているとは思えないスピードで移動するセオドアの元へ、一人の男が近づいてきた。

 セオドアの部下である眼鏡をかけた神経質そうな男だ。


「セオドア様、ご無事ですか?」

「崖の向こうは魔物の領域だ。あまり大人数で近づいて刺激するのは得策じゃない」

「はい、私はこの場を離れます」


(そうそう、セオドアは部下にものすごく慕われている。確か設定では本当は王子だけど、身分を隠してギルドに所属している強者だった)


 ルナが必死にセオドアについて思い出している内に、セオドアは崖のふちから離れ、そっとルナを地面に降ろした。


「助けていただいてありがとうございました」

「いや……つーか俺を見て、怖がらないんだな」


 確かに顔だけ見たら悪党、ヘアースタイル含めたら雰囲気は、不良なんて可愛い物ではなく、マフィアのボスである。しかし、ルナの知る物語のセオドアは外見が怖いし口は悪いけど、人情深く人に優しいのだ。そのことを知っているルナがセオドアを怖がることはない。


「命の恩人ですから、怖いなんてとんでもございません」


 セオドアは世間には公表されていない王様の隠し子で、決して表舞台には立たない。陰から国王や兄弟たちをを支えているのだ。

 そんな裏情報を思い出したルナだが、まさかセオドア本人にあなたのこと知っていますと言うわけにもいかない。


「それで、なぜあんな危険な場所にいたんだ?」


 セオドアは偶然、ルナを見つけたのだ。


「説明すると長い話になるのですが……」

「じゃあ、簡潔に要点のみ教えろ」


 簡潔に言われたルナは、わかりやすく一言でまとめる。


「お金が必要でした」

「は?」

「簡潔に要点だけと言われたら、その一言になります」

「意味わかんねぇ。なんで金が必要な奴が崖のふちにいるんだよ」

「キノコを採りに来たのです」

「キノコだと?」

「はい、幻のキノコと言われるマボロシダケをご存じでしょうか?」

「そりゃあもちろん知っているが……」

「マボロシダケは高額で取引されておりますから、たくさんゲットして売りさばこうと思っていたのです」

「おいおい、そんな簡単に見つかるもんじぇねえだろう」


 実はセオドアもマボロシダケをずっと探しているのだけれど、マボロシダケと呼ばれるだけあって、なかなかお目にかかれるものではない。

 そのはずなのにルナは体に結び付けていた布をおもむろに地面に広げた。


「まさか」

「マボロシダケでございます。なんと二つあるのです」


 希少価値の高いキノコが二つもあるのだからフフンとドヤ顔のルナ。一方セオドアはルナがなぜ崖にいたのかを理解して、何とも言えない顔をしていた。見たところ十代であろう少女が一人でお金のために危険な崖にいたことが信じられなかった。


「本当はもう一つゲットしたのですが、風に吹かれて崖の下へ落ちてしまいました」

「まさかキノコを追いかけて崖から落ちそうになってたのか?」

「はい、夢中で追いかけたら足を滑らせてしまいました」


 ハハハと笑うルナにセオドアが怒ろうとするより早く、ルナは言った。


「助けて頂いて本当にありがとうございました」


 深く深く下げられた頭を見たセオドアは、キノコより命の方が大事だと説教してやりたかったのに、何も言えなかった。よく見ればルナの着ている服はつぎはぎだらけだし、栄養状態が悪いのか見えている腕は枯れ木のように細かった。


「つかぬことを聞くが、なぜ金が必要なんだ? この国に食うのに困るような民はいないと思っていたんだが」

「それは……借金返済のためでございます」

「借金があるなら、ギルドに相談すれば支援が受けられるようになっているんだが知っているか? 返済能力がなければギルドが借金を肩代わりする制度もあるんだぞ」


 借金取りと言った方が納得するような風貌のセオドアが親切にそんなことを説明してくれるものだから、ルナは目を丸くする。


(セオドア・クロウ、めっちゃいい人じゃん。確かに男気溢れる人とは書いてあったけれど、こんなに親切な人とは知らなかった)


「私、貴族なんです」


 ルナは末端の貧乏貴族だ。貴族は支援する側で受ける側ではないから、ギルドに相談することもできないのだ。信じられずに驚くセオドアにルナは、持っているマボロシダケを一つ差し出した。


「今日のお礼でございます。マボロシダケはどんな毒でも解毒でき、どんな傷でも治すことができると言われております」

「そうだが、これはお前が命がけで採った物だろう」

「私は今日命を救っていただきました。命より高い物はありません」


 ルナは、セオドアが第一王子を庇って毒矢を受ける未来を知っている。その毒矢が刺さった右足を切り落とすことになり、セオドアは姿を消すのだ。その事件後にセオドアが兄弟だと知った第一王子は嘆き悲しみ、それを慰めるのがヒロインで、物語が展開していくのだ。物語の一部でしかないセオドアの登場シーンは少ないのだけれど、ちょい悪なおしゃれ坊主というキャラが妙に印象に残っていた。


「マボロシダケは必ず持ち歩いてくださいね。乾燥させてから粉末にして、小瓶に入れてポケットに常備してください」

「ちょっと待て。とりあえず名前、名前を教えろ」

「失礼いたしました。私はルナ・ウォーカーと申します」

「ウォーカー?」

「末端の貴族ですので知らなくても当たり前です」


 領地はとても小さくて、名産品もなければ観光するようなところもない。王都から近いということぐらいしか自慢できるポイントがないのである。だからセオドアがウォーカーという家名を聞いてもわからないのは仕方がないのである。


「では私はこれで失礼いたします」


 その場を去るルナのポケットからハンカチが落ちる。定番の展開なら、ハンカチを拾うのはセオドアで、落としたハンカチを届けるなんてことがあるのだけれど、そこは定番を知り尽くしたルナである。くるりと振り返り、何事もなかったかのようにハンカチを拾い、帰っていく。


「危ない、危ない、ハンカチを落とすなんて定番なことをやってしまうとは」


 そんなルナの背をじっと見つめていたセオドアは、先ほど手渡されたマボロシダケを腰に下げている袋の中にそっと入れ、足早に去っていった。

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