6600万年の愛
1
「ギャーギャ」と赤ん坊の声が部屋の中に響き渡った。
明日は、休日なので妻の負担を少し減らそうと今日は僕が夜泣き担当として、子供のベット横のソファで眠ることになっている。
おしめが濡れていたのでそれを交換し、慣れないながらも必死になって寝かしつける。
やっとのことで子供を寝かしつけたのでコーヒーを淹れてマンションの外をふと見やると、夜中だというのに街の街灯が夜の都会を照らし続けていた。
しばらくの間、そんな風に外を眺め続けていると一羽のカラスが頭の中に浮かんできた。
またお前か、僕は心の中のそのカラスに向かっていつもの通り、そう話しかけた。
2
日付まで覚えている。
今となっては、懐かしいが、2020年12月18日のことだ。風邪も引いていないのに通る人、通る人がマスクをしていた、あの寒い日の朝。
僕は出勤前の毎日の日課である神社の参拝に来ていた。
僕は、神社の賽銭箱の前で、いつもその日、不安に思っていることを心の中の自分に話していた。
神様にそれを解決してくれと言ったところで、それを解決してくれないのはわかっているので、自分の中にある不安や課題を整理するために毎日そうしていたのだ。
その日は、とにかく眠たかった。
前日に些細なことで彼女と喧嘩をしたのだ。
仕事で疲れていたせいもあって彼女に対しての返事がおざなりになっていた。
彼女もなかなか会えない不安や尋常じゃない世の中で暮らすストレスもあったのだろう。
僕自身、心の距離が昔よりも開いているように感じていた。
2時間に及ぶ大喧嘩となったのだ。
北海道にある同じ高校の同級生だった僕たちは、大学生になり付き合い始めた。僕はその時、地元の大学で彼女は東京の大学にそれぞれ通っていたので、それ以来、遠距離恋愛をしていた。就職も僕は、北海道で彼女は東京でしていた。
3
その日の夜、自宅に帰宅した僕はバックを床に放り投げると、背広だけを脱ぎソファの上に眠り込んでしまっていた。
仕事にも疲れ、彼女のことでも疲れ、息苦しい世の中になってしまった日々にも疲れていたのだ。
何時間眠っていただろう。
ふと自分の足に何かが触れている感覚があり、目を開けると一羽のカラスが僕の膝の上に立っていた。
わっと慌てふためき、足をバタバタさせるとソファの近くにあったガラステーブルの上に黒々しい一羽のカラスがゆっくりと羽を羽ばたかせ着地をした。
僕が驚いていても何事も無かったかのように、カラスはあの独特な黒い目で僕を見続けてきた。
カラスから突然話しかけてきた。
「ふー、面倒臭いの。こんな奴のためにわしはこんな事を。あ奴め
立場が立場じゃなければ・・・」
ぶつくさと愚痴めいた事を言っていた。
カラスが急に話したことに驚いた僕はまたソファの上で体をバタバタとさせたがカラスはピクリともしない。
「しっかりせえ。」
「若い男が一羽のカラスにわーきゃーわーきゃーと情けないのう。
わしはなお前と話しにきたのじゃ。」
「カラスが僕に」
「そうじゃ、無理難題をある奴に押し付けられてのう。
どうやら最近、彼女とうまくいってないようじゃないか?
心の距離がガバガバに開いておると聞いたがのう。」
「なんでそんなことカラスが知っているんですか?」
思いがけないことに僕は赤面した。
「さっきから、カラス、カラスと失礼な。
人間のゴミを食い漁っておるあ奴らと一緒にするでない。
わしは奴らよりも高貴なカラスじゃ。
高貴なカラスさんと読んで欲しい所だが、そうじゃ呼びにくいだろうから、そうじゃな。
愛称として、高貴なカラス。コウちゃんと呼び。呼びやすいじゃろ」
コウちゃんとはなんだ。
カラスの原型が残っていないじゃないかと一瞬思ったが、
この奇妙な状況を何とかしたいと冷静になり始めた僕は、そのまま話を続けた。
「えーと、そのカラ・・・違う、コウちゃんは、何で僕の恋愛のことを知っているんですか」
今まで饒舌だったコウちゃんは突如として押し黙った。
しばらくの沈黙のあとコウちゃんは話し始めた。
「それはな、わしが不老不死で貴様らと持っている能力が月とすっぽんぐらい違うからじゃ。
そんなことよりも彼女とのことじゃ、一度の喧嘩でうじうじ悩んでいるくらいなら、
別れちまえ」
「なんていうこと、言うんですか!!」
「それが嫌なら、結婚しちまえ」
「そんな急に、ただでさえ世の中こんな状況で気軽に会えないことはコウちゃんもわかっているでしょ」
いつの間にか、コウちゃん呼びに慣れていた自分がいた。
「だとしたら、伝えろ、今の気持ちを。
大切に思っているよと。」
「失ってからは遅い。
失ってからは・・・」
「そうか、あ奴めこうなるとわかっていて、 こんな所に無理矢理、
わしを寄越したのか。」
そういうと、コウちゃんはしばらく押し黙ってしまった。
「お前には唐突だが、この話をしなきゃいけないらしい。
お前の名は何と言う。」
「ケイスケです。」
「ケイスケよ、今から話してやろう。
不老不死という忌まわしい運命を背負わされた愚かなカラスの話をな」
4
今でもコウちゃんのその話を僕は一言一句覚えている。
コウちゃんの一人語りが始まった。
「6600万年前にわしは生まれた。
恐竜なるものが絶滅した何百年も経った後の話だ。
昔、トリは全て白色だった。
姿、形もほとんど一緒だった。
トリの楽園なるものが存在をし、そこで皆幸せに暮らしておった。
その世界では、争い一つなかった。
わしも妻と子供達と幸せに暮らしておった。」
「そんな時、悲劇の始まりとなる出来事が起きたのじゃ。」
「幸せとは言いようで、裏を返せば変哲のない毎日が繰り返されていた。
食うものも困らない世界だった。
楽園は、行ける範囲が決まっておった。
その制限区域内を出ようと、
つまらない日常を抜け出そうと言う愚か者が現れた。
わしの事だ。」
「ある日、わしが扇動をしその楽園を同志たちとともに出た。
最初のうちは楽しかった。
楽園では見たこともない、生き物がいた。
海というものもその時初めて見た。」
「さまざまな風景、さまざまな冒険。
だが、そんな幸せも長くは続かなかった。
後になってわかったことだが外のものを食べ始めたことが原因で我々の肌の色が白色からさまざまな色に変わっていった。
白色のままのものも中にはおったが、わしは今の通り、黒色になっとた。
最初に不老不死といったが死なないわけではない。
老いて死なないだけなのじゃ。
エネルギーがなければ死ぬし、一瞬のうちに死に至るほどの打撃を受ければもちろん死ぬ。」
「我々世代だけは、色が変わるだけで済んだが、子供達に影響が及び始めた。外の世界に出てから生まれた子供たちには、寿命というものが存在するようになってしまったのじゃ。
子供を失ったものたちは皆、嘆き悲しんだ。死というものを経験するのが
初めてだったからのう」
「やがてその悲しみは怒りへと変わり、楽園の外へ誘ったわしへ怒りが向けられていった。」
「そこから先は、わしを敵視するグループとわしを支援してくれるグループとに別れ、
血みどろの憎しみあい、殺し合いが始まったのだ。
その争いでわしは、子供と妻も失った。
しばらくの争いの後、お互いに疲れ始めたわしらは協定を結び、集団になることを嫌い、
必要最低限の家族だけを連れそれぞれ、いろんな土地に移り住み、それぞれの文化を築いていった。それが今の鳥と呼ばれるものに繋がっている。」
「何千年、何万年、何千万年もわしは後悔しておるよ。楽園を出たことも。
仲間たちを悲しませてしまったことも。
妻と子供を巻き込んでしまったことも。」
「6600万年もの間、別のものと交わり子供を産む選択もできないではなかった。
でも、忘れられないんじゃよ。いつまで経っても。あの笑顔と無残に死なせてしまった
妻と子供の姿は」
「そして、黒色になり、孤独になった、カラスと呼ばれるようになったトリが
ケイスケ、お前の前にいるということじゃ」
「愛しているのなら、その気持ちを伝えるんじゃ。別れ際、わしが妻と子供に言った最後の言葉は「ごめんな」だった。
「愛してるよ」と言ってやればよかったと後悔しているよ。」
「この話を話すのは、ケイスケ、お前が初めてだ。最後まで聞いてくれてありがとう。あ奴のいうことを聞くのはこれで2回目だが、意外にいい奴なのかもしれんのう。何を考えているのかわからん奴だがのう。」
カラスに笑顔なるものがあるかなんてわからなかったけれど、コウちゃんの顔は笑っているように見えた。
すると突然、大きな羽をバッサ、バッサと動かしたコウちゃんはガラステーブル上空に少しの間留まり続けた後、
不思議なことにしっかりと閉められていた窓ガラスをすり抜け、遠い、遠い場所へと飛んで行ってしまった。
5
しばらく、何が何だかわからなくなった僕だったが、数時間後スマホを取り出し、彼女に電話をしていた。
僕の昨日の非礼をすぐに謝った。
彼女は、唐突すぎて困惑していたけれど僕は彼女に向かってこう叫んだ。
「愛しているよ」
完