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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

王子に婚約破棄されたので反撃したら、なぜか皇子の婚約者になりました

「ねえ、ルーカス皇子殿下の姿が見えないけど。まさか進級記念パーティーまでご欠席なの?」


「まさかもなにも、ルーカス殿下がこんな人混みにいらっしゃるわけないでしょ。一人で過ごすのを好むお方なんですから」


「けれど、一年間の締めくくりの日よ。今日くらいは私たちと同じ空気を吸ってくださってほしいわ」


「私だってそう思うわよ。ああ……ルーカス殿下が視界に入るだけで、一週間は幸福感が続くのに」


「私なんて廊下ですれ違ったとき、幸せ過ぎて気絶したわ!」


「羨ましい! 私も皇子殿下で気絶したい!」


 そんな女子生徒たちの会話に加わらず、ソフィア・アッシュベリーは一心不乱に食べ続けていた。


 今日は、ソフィアたちが王立魔法学園の一年生課程を終了させたのを祝う立食パーティー。

 朝から晩まで、ダンスやら寸劇やら演奏会やらで大騒ぎする。


 ソフィアは自慢の銀髪を揺らしながら、ひらりひらりと料理の皿を手に取る。

 作法はしっかりと貴族令嬢らしく。

 けれど食べる量は、まるで今日で世界が終わってしまうから今食べないと二度と機会が訪れない、と錯覚してしまう勢いだった。

 その食べっぷりを見た男子生徒が「すげぇ……」と呟く。

 ソフィアは自慢げに微笑み「ディナーに備えて、ランチはお腹三分目です」と返した。


「ソフィア・アッシュベリー! お前との婚約を破棄する!」


 と、パーティー会場に声が響き渡ったのは、ソフィアが二十皿目のショートケーキを食べている最中だった。


「もぐもぐ……」


「ソフィア・アッシュベリー! お前との! 婚約を! 破棄ッッッ!」


「そんな大声を出さなくても聞こえてますよ、デリック・アップルヒル王子殿下」


 ソフィアは最後まで残していたイチゴを飲み込んでから、ようやく皿とフォークを置き、横に立つ人物を見上げた。


 気がつくと、周りの生徒たちもデリック王子に視線を向けていた。

 無理もない。

 祝いの席で婚約破棄を大声で宣言するなど、無粋この上ない。

 この国の王子という立場でなかったら、魔法の乱れ打ちで痛めつけられたあげく会場からつまみ出されるくらいの狼藉だ。


「それで? こんな大勢の前で言ったからには、冗談では済まされませんよ? 私たちの婚約は国王陛下が決めたことです。どういうつもりですか?」


「どうもこうもない。俺は以前から、お前との婚約は気にくわなかった。公爵家とは名ばかりで、領地を持たない貧乏人。過去になにか功績があったらしいが、そのお情けで王室に面倒を見てもらっているだけの没落貴族」


 デリック王子がアッシュベリー公爵家を侮辱し始めたので、ソフィアはフォークでその舌を貫いてやりたい衝動を覚えた。

 もちろん淑女としてそのような行いはしない。が、どこまで我慢できるか不安だった。

 デリック王子は二度と喋れなくなる心配をしていないらしい。彼はソフィアの自制心を過大評価する傾向がある。

 しかし、いい加減、自分が五体満足でいられるのはソフィアが我慢を重ねているからだと知って欲しい。


「アッシュベリー公爵家だけではない。ソフィア、お前そのものも気に入らない。人の何倍も食べるくせに体つきは貧相。授業はサボってばかりなのに教師に取り入るのは上手く、落第はしない。そして最も情けないのは固有スキルだ。『字が読める』なんてスキルは役立たずの極みだろう。大昔ならいざ知れず、アップルヒル王国の識字率は上がり、平民でも読み書きできるのは珍しくない。王侯貴族ならばなおのこと。固有スキルがなくても字が読めるのは当たり前だ。なのに『字が読める』なんて固有スキルを授かるとは、神々から見放されている証拠。俺は未来の国王だ。その婚約者に相応しくない!」


 王子の演説が終わったあと、パーティー会場は静まりかえった。

 それは嵐の前の静けさだった。

 一瞬ののち、津波のような勢いで男子生徒がソフィアに殺到する。


「デリック王子との婚約を解消したなら、ぜひ私と婚約してください!」


「いいえ、ボクと婚約してください!」


「ええい、離れろ! ソフィア嬢と婚約するのは俺だ!」


 貴族の子息たちに囲まれたソフィアは、面倒なことになったぞ、とため息をつく。

 デリック王子は最低の男だが、こういう連中の防波堤の役目だけは果たしていた。

 なのに、それさえも放棄してしまった。

 いまやソフィアにとってデリック王子の価値は、タンスの裏のホコリと同じ。いや、タンスの裏のホコリは目につかないので、それ以下だ。


「お、お前たち、なぜソフィアに求婚している……? その女のなにがいいのだ……」


「知らないのですか、デリック王子。ソフィア嬢は授業にあまり出席していませんが、それは学園の許可を得てのこと。優秀すぎるので自習していたほうが伸びると判断されたわけです」


「王子は先ほど、識字率が高いと仰っていましたが、それは公用語に限った話です。ソフィア嬢の固有スキルは、エルフ語でも古代文字でも竜爪文字でも、それどころか完全に未知の文字でもスラスラと読めてしまう、超優秀なスキルなのです。つまり読めない魔法書はない。魔法師として、将来を約束されているも同然です」


「そもそもソフィア嬢は、すでに色々と活躍しています。街道を塞いだ大岩を魔法で粉砕したり、盗賊団を殲滅したり、魔法道具コンテストで優秀賞を取ったり」


 あと『シュークリーム大食い大会で優勝しましたよ』とソフィアは心の中で付け加えた。


「なん、だと……ソフィアはそんなに優秀だったのか……そ、それでも婚約破棄はやめないぞ! なぜなら俺は、真実の愛を見つけたのだ!」


「真実の愛、ですか」


 ソフィアは無感動に呟く。


「そうだ! 俺は親が決めた相手ではなく、心の底から好きになった相手と結婚する! 俺はここに、アドレイド・ライトハルト嬢との婚約を宣言する!」


 デリック王子は両腕を広げ、高らかに宣言した。

 だが、そのお相手は離れたところで目を見開いていた。

 寝耳に水のお手本のような表情だった。


「デリック殿下。なにを勝手なことを仰っているのですか。わたくし、あなたと婚約した覚えはありませんわ」


「ふん。勝手でなにが悪い。ライトハルト家はたかが子爵。俺は王子だ。だから俺が婚約したいと言えば、黙って従えばいいのだ」


「暴論にもほどがあります。そもそも、なぜわたくしなのですか」


「まずお前はソフィアと違い、体つきが女らしい。そして大人しい性格なのが気に入った。女は男に黙って従えばいいのだ。ソフィアのように我が強い女は最低だ。その点、アドレイド、お前は自我が薄そうだからいい」


 自我まで否定するとは、女性蔑視ここに極まれりだ。

 どんな分野でも極めるのは凄いとソフィアは思っていたが、こればかりは尊敬する気になれない。


「いい加減にしてください。わたくしには自我がありますわ! あなたと婚約するなんて絶対に嫌ですわ!」


「な、なにぃ! お前も女のくせに生意気なことを言うのか。俺は王子で、未来の国王なんだ! 全ての人間は俺に従っていればいいのだ!」


 デリック王子は右腕を振り上げた。

 アドレイドに平手打ちするつもりなのだ。


 それを見たソフィアは反射的に風魔法で加速した。

 そして二人の間に割って入り、右手に電気をまとわせデリック王子の頬に打ち込む。


「あばばばば!」


 デリック王子は奇妙な声を出しながら痙攣した。のみならず殴られた勢いで体が浮かび上がり、錐もみ回転しながらテーブルに突っ込んだ。


「ものすげぇビンタだ!」


「いや、あれはビンタじゃない……雷魔法を乗せた掌底打ちがクリーンヒットしたんだ!」


 周りの生徒たちが興奮した様子で語り合う。


「逃げましょう、アドレイド!」


「え……けれど、デリック王子をこのままにしていいんですの?」


「ここにいたら王子にトドメを刺したくなるので! 早く! 私の理性が残っているうちに!」


 そう叫び、ソフィアはアドレイドの手を引いてパーティー会場をあとにした。

 婚約を申し込みたい男子たちが追いかけてくる。

 ソフィアは校舎裏の森に走った。


「どうしてこんなところに逃げたんですの? わたくし、もう走れませんわ……」


「大丈夫。あの人たち、この先に入れませんから」


「それはどういう意味……」


 アドレイドは疑問を口にしようとして、途中で言葉を切った。

 辺りを包む気配を感じ取ったのだろう。


「さっきまでと空気が違いますわ……これは……結界?」


「そう。普通の人はこのエリアに入ろうとしても、同じところをグルグル回るだけで、踏み入ることができないんです。入るには、結界を作った人に招待されるか、私のように術を解析して強引に侵入するか」


「強引に侵入って、ソフィアの結界ではありませんの?」


「私じゃないですよ。あの人です」


 ソフィアの視線の先には、柱と屋根だけで構成された壁のない建物、いわゆる東屋(ガゼボ)があった。

 その東屋(ガゼボ)の椅子に、線の細い少年が座っていた。もう少し髪が長ければ女性にしか見えない、絶世の美少年である。


「ソフィア。また勝手に入ってきたのか……ん? 今日はアドレイドも一緒か」


 少年は細長い指を動かし、ページに栞を挟んで本を閉じる。

 相変わらず一挙手一投足が絵になる男だ。女子たちがキャーキャー騒ぐのも仕方ない。

 しかしソフィアは彼のそばにいても、頬が熱くなったり、鼓動が速くなったりしなかった。

 好みから外れている……というよりソフィアは恋愛に興味がないのだ。

 そんなものに時間を使うより魔法書を一冊でも多く読むべきだと心底から思っている。


「お邪魔します、ルーカス皇子」


 ソフィアは気さくに呼びかけた。

 皇子というのはニックネームではない。彼は本当にそういう身分の存在。ネーヴェヘイル帝国の皇子殿下なのだ。


 ここアップルヒル王国の盟主であり、六王国を束ねる超巨大国家――それがネーヴェヘイル帝国である。


 デリック王子は「自分は将来の国王だ」と鼻息荒く語っているが、帝国からすれば六つある属国の王など、取るに足らない。

 そしてルーカス皇子は皇帝の実子であり、帝位継承権第三位を持っている。

 どちらが格上か、子供でも分かる話だ。


 ルーカス・ゾラストラ・ウエンザー・ネーヴェヘイル。

 その仰々しいフルネームは、彼が背負っているものの大きさを物語っていた。


「あら。ここはお兄様の結界でしたの。ソフィアとお兄様がいつもどこでサボっているのか生徒の間でときたま話題になりますけど、結界に引きこもっていたなら見つからないはずですわ」


 そして、皇子を「お兄様」と呼ぶアドレイドもまた、そういう身分の人間だ。

 王侯貴族にとって、複数の爵位や称号を持つのは珍しくない。アドレイドが子爵なのは間違いないが、それと同時に、ネーヴェヘイル帝国の皇女でもあるのだ。


「俺たちがどこにいるかなんて、随分と下らないことを話し合っているのだな」


「帝国皇子と解読姫の逢い引きですわ。興味を惹くのは当然でしょう」


「逢い引き……」


 ルーカス皇子はそう呟き、目を細くした。

 不愉快なのだろう。

 ソフィアにはよく分かる。

 確かに二人はいつもここで読書をしているが、友人であっても恋人ではない。恋愛に発展する可能性もない。

 なにせお互い、恋愛に興味がないのだ。


 ルーカス皇子は容姿も家柄も究極だ。そして文武両道。おまけに固有スキル『魅了』が常時発動しているせいで、女性から異常なまでに好意を寄せられてしまう。

 妹のアドレイドでさえ「たまに変な気持ちになりますわ」と言っていたので、血の繋がっていない女性などすれ違いざまに惚れてしまう。


 なんて羨ましい、と思う人もいるだろうが、本人はウンザリしている。好意を寄せられても、それは固有スキルのおかげ。本当に好きになってくれたのではない、という疑念がつきまとう。

 ルーカス皇子にとって他人から向けられた好意は、固有スキルでねじ曲げてしまったもので、なんら価値を見いだせない。


 そこにいるだけで他人の感情をねじ曲げてしまう。

 だからルーカス皇子は、はるばる帝国からアップルヒル王国まで留学に来たのに、結界に引きこもって、読書ばかりしている。


 その結界にソフィアが入り込んでも嫌な顔をしないのは、ソフィアが魅了をはね除けるだけの魔力を持っているからだろう。

 ソフィアがルーカス皇子に抱いている友情が本物だと信じてくれているのだ。


「アドレイド。逢い引きなんて表現しないでください。私たちはそういうんじゃありませんから。ねえ、ルーカス皇子」


「ああ、そうだな……それで今日はなんの用だ? 確かパーティーがあったのではないか? なのにアドレイドまで連れて俺の結界に侵入して。そんなに読書の邪魔をしたいのか?」


「まさか。私、人の読書の邪魔をするほど暇じゃありませんよ。実は求婚されまくって、モテる女は辛いよ状態なんです。少しかくまってください」


「なに? どういうことだ?」


 ソフィアとアドレイドは、ここに来るまでの経緯を説明する。


 パーティ会場でデリック王子に婚約破棄されたこと。そのせいで大勢から求婚されたこと。デリック王子は身の程知らずにもアドレイド皇女殿下を一方的に婚約者扱いし、あげく「たかが子爵」呼ばわりしたこと。


「わたくしに手を上げようとしたデリック王子に、ソフィアの掌底打ちが炸裂したのですわ。あのソフィアの雄姿をお兄様にも見せて差し上げたいですわ。そして、わたくしたちは手を取り合って恋の逃避行をし……辿り着いた先にお兄様がいたのですわ」


「なにが恋の逃避行だ。ソフィアを困らせるようなことを言うな」


「あはは。けどアドレイドって初恋の人に似てるから、実はたまにドキっとするんですよ」


 ソフィアがそう発言すると、皇帝の娘は「あらあら!」と楽しそうに目を輝かせ、皇子は「初恋?」と不機嫌そうに呟いた。


「お前、恋愛に興味がないと言っていなかったか?」


「今はそうですよ。けれど恋に恋するお年頃だった時代だってありますから。あれは六歳のときですから、もう十年も前になるんですね――」


 ソフィアの母親は天才的な魔法師として名を知られていた。

 それに弟子入りするため、ソフィアと同年代の子供が一人、アッシュベリー公爵家にやってきた。

 礼儀のしっかりした子だった。少なくとも、お転婆娘だったソフィアより遙かに落ち着いた子だった。

 そして、尋常ならざる美少女だったのをよく覚えている。

 おそらく貴族か、あるいはもっと上の身分か。


 詳しいことは教えてもらえなかった。

 ルキナと名乗っていたが、今思うと偽名だったかもしれない。

 そこにその子がいると情報が広まっただけで事件が起こりえるほどの人間だったのだろう。


「幼かった私は、細かいことを気にせずルキナと友達になりました。性格は全然違いましたけど、不思議と仲良しになれました。そして二人でお母様から魔法を習って、本当に楽しい日々でした。ルキナと一緒にいると、なぜかドキドキが止まりませんでした。女の子同士なのに変だなぁと思いましたが、まあ同性でも惚れてしまうほどルキナは美少女だったんですね」


「そのルキナさんに、わたくしが似ていますの? 光栄ですわ」


「お顔がそっくりです。ルキナの表情はもっと氷みたいでしたから、印象はかなり違いますけどね。ああ、けれど、普段は大人しいのに、いざとなったらガツンと決めるところは似ていますね。ルキナがモンスターにガツンと魔法を放つところ……最高にクールでした。ねえ、アドレイドってその昔、ルキナという偽名で私の実家に半年ほど住んでたりしません?」


「あいにく、わたくしにはそのような過去はありません。わたくしには」


 そう言ってアドレイドは意味ありげにルーカスを見る。

 まさかルーカスがルキナだとでも言うのか?

 いやいや、ルキナは女の子で、ルーカスは男だ。

 いくらなんでも無理がある。


「はあ……なんとかしてルキナと会えないものでしょうか。あれ以来、消息不明です」


「あれとはアッシュベリー公爵領消失事件のことか」


「はい……」


 ルーカスの問いにソフィアは頷く。


 広大な公爵領が丸ごと消える。

 そんな恐るべき『災害』が十年前に起きた。


 母が最後の魔力を振り絞って、ソフィアとルキナを領外に転送してくれたのは覚えている。

 だからルキナも生きているはずだ。

 しかし、そこから先の記憶があやふやだった。

 ソフィアは王都の病院で目を覚まし、それ以降、王家に保護されている。

 そして――。


「そして、いつの間にやらデリック王子と婚約していて、今日、破棄されたわけです」


「デリック王子は許せませんわ。彼が落第せず二年生になれるのは、ソフィアがテストのたびに勉強を教えてあげたからでしょう? その恩を忘れるなんてあんまりですわ」


「許せませんね。私のことはどうでもいいですが、アドレイドを勝手に婚約者にしたり、殴ろうとした罪は重いです」


「同感だ。俺の妹に恥をかかせたのだ。ならば万倍の恥をかかせないと気が済まん。なにかいい方法はないか。なんだってやるぞ」


 と、ルーカス皇子も話に乗ってきた。

 その瞬間、ソフィアは素晴らしいアイデアを思いついた。

 それを語るとアドレイドは即座に賛同し、けれどルーカスは渋い顔をする。


「それは……確かにデリックに恥をかかせてやれるが……俺もかなり……」


「やりましょう、お兄様。楽しそうですわ」


「しかし……」


「なんだってやると言いましたよね?」


 ソフィアは微笑みながら、皇子に顔を近づける。


「……分かった。お前らには敵わん」


 ルーカス皇子が折れたので、ソフィアとアドレイドは大喜びで微笑み合う。

 もはやデリック王子を倒すことより、その手段のほうが楽しみで仕方なかった。




 立食パーティー。夜の部。

 ソフィアとアドレイドが並んで待ち構えていると、案の定、デリック王子が近づいてきた。

 昼間、あれだけの醜態を晒したくせに、なぜか自信満々であった。


「おお、アデレイド。やはり来てくれたのだな……ん? いつもより背が高くなっていないか?」


「遠近法ですわ、デリック王子」


「なるほど遠近法か。さあ、改めて婚約を宣言しようではないか」


「婚約は絶対に嫌だと伝えたはずですわ」


「しかし、またここに来た。俺に会いたくて来たのだろう? それ以外の理由など思いつかん」


「わたくし、友人のソフィアとパーティーを楽しんでいるだけですわ。そんなことも見て分からないのですか?」


「おお、かわいそうなアドレイドだ。ソフィアに脅されているのだな? しかし俺はお前の本心を分かっているぞ。王子に婚約を迫られて喜ばない子爵令嬢などいないのだから」


 デリック王子は謎の決めつけをしてきた。

 そして本当にアドレイドを口説くつもりがあるのか疑わしくなる言葉を続ける。


「昼に断ったのは照れ隠しなのだろう」「前から俺のことが好きだっただろう。俺は察しがいいから分かっている」「俺が王になったら百人単位のハーレムを作るが、決して嫉妬するな」「女に自我などいらぬ。ただ男の求めに応えればいいのだ」「せっかく大きなものをつけているのだから、もっと胸元が見えるドレスを着たらどうだ」


 耳が腐りそうな言葉を一方的に吐き続ける。

 それが終わると、なぜか自慢げに微笑んだ。

 その自慢げな顔に、アドレイドのアッパーカットが炸裂した。


「すげぇ! 王子のアゴに綺麗に入った!」


「シャンデリアにぶつかりそうなくらい体が浮いてるぞ!」


 生徒たちの声が響く。

 王子がやられる様を、パーティーの余興としてすっかり楽しんでいる。

 そしてデリック王子は「そうはならんやろ」という勢いで回転しつつ床に落ちてきた。


「ぐはぁっ! ア、アドレイド……お前! 子爵家の分際で! 王子にこんなことをして、ただで済むと思っているのかぁ!」


 デリック王子は思いのほか頑丈だった。

 鼻血と涙を流しながらも、なんとか立ち上がる。


「ふふん! まだ気づきませんの? 本物のわたくしはこっちですわ!」


 と、本物のアドレイドが現われ、誇らしげに言う。


「アドレイドが二人いる!? 幻惑魔法か!」


「やれやれ……いくら俺とアドレイドが似ているからといって、この程度の変装で騙されるとはな。貴様、目に入ってきた情報がちゃんと脳に届いているのか?」


 呟きながらアドレイドは――否、アドレイドの兄、ルーカス皇子はウィッグを外した。


「ルーカス皇子!? くそ、遠近法じゃなくて本当に背が高かったのか……しかし、なぜお前とアドレイドが同じ顔なんだ!」


「俺とアドレイドは双子の兄妹なんだよ」


「双子!? するとアドレイドも皇帝家の人間……いや、違うだろう! あいつは子爵家のはずだ!」


 デリック王子は目を血走らせながら叫ぶ。


「なあ、嘘だと言ってくれ……もしアドレイドがルーカスの妹だとしたら……俺は皇帝家に喧嘩を売ったも同然ではないか!」


 周りの生徒たちが「そうだよ」という顔をする。

 二人が兄妹なのは周知の事実だ。

 知らないのはこの馬鹿くらいのものだろう。


「分かったぞ! 貴様ら、俺の地位と才能に嫉妬し、全員で俺を騙そうとしているのだな!」


 王子の叫びを聞いて、ほとんどの生徒が呆れを隠せないという表情になる。

 また一部の女子生徒は、女装したルーカス皇子を見て「はあ……はあ……」と息を荒げていた。


「ふん。俺とアドレイドのフルネームを言ってみるがいい」


「フルネームだと? 王侯貴族の名前は長ったらしいのが多い。家族でもない奴のフルネームをいちいち覚えていられるか」


「俺はルーカス・ゾラストラ・ウエンザー・ネーヴェヘイル。妹はアドレイド・ゾラストラ・ライトハルトだ」


「やはり舌を噛みそうなほど長い……ん? ゾラストラ?」


 二つの名前に共通項を見いだした馬鹿王子は、不思議そうに言葉を詰まらせる。


「なぜ不思議そうにする? ゾラストラ家こそが皇帝家であろう」


「どういうことだ……? ネーヴェヘイル帝国なのだから、ネーヴェヘイルが皇帝家の名だろう」


「国の名前と王家の名前が必ずしも一致するとは限らんだろ。ネーヴェヘイルを名乗れるのは皇帝と、三位以内の帝位継承権を持つ者のみ」


「それでアドレイドの名にネーヴェヘイルがなかったのか……」


「妹を呼び捨てにするな。皇女殿下と敬称をつけていただこう、デリック王子殿下」


「く……しかしライトハルト家が子爵なのは間違いないはず……それはどういうことなんだ」


「皇帝の座を継げるのは一人だけ。しかし皇帝家の者が帝位も爵位もないというわけにいかない。ゆえに皇帝家の者は、生まれてすぐに爵位を授与される。だからアドレイドは皇女であると同時に、ライトハルト子爵でもある。なぜこんなことも分からないのだ? お前、本当に王子なのか?」


 ちなみにルーカス皇子も、皇子であると同時にウエンザー子爵でもある。

 本当、王侯貴族の世界はややこしいなぁ、とソフィアは他人事のように思った。


「そう言われると昔、父上から聞いたような……」


 デリック王子がそう呟いた次の瞬間「この馬鹿息子が!」という怒声が会場に轟いた。

 そして人混みをかき分けて現われたのは、デリック王子の父、アップルヒル国王だった。


 このパーティーは生徒の家族の出席も認められているが、まさか国王まで来るとは思っていなかったのだろう。ルーカス皇子もアドレイドも面食らった様子だった。


 ただ一人、ソフィアだけが涼しい顔を浮かべる。

 そして「デリック王子がアドレイドに婚約を迫っていると、私から国王に手紙を送っておきました。これがトドメの一撃です」とルーカス皇子とアドレイドに耳打ちした。


「父上……俺のどこが馬鹿だというのですか!」


「全身が馬鹿だ、この馬鹿! そもそもお前はソフィアと婚約しているだろう。なぜ皇女殿下に求婚なんて馬鹿な真似をしているんだ」


「ソフィアとの婚約は……さっき破棄しました」


「なぜだ!」


「だって……ソフィアは公爵とは名ばかりで領地を持たない没落貴族。そんな奴と結婚したくありません」


 馬鹿王子がそう呟くと、国王は天井を仰ぎ、手で顔を覆った。

 それから息子に向き直り、強烈なビンタをかました。一度や二度ではない。何往復もする。

 馬鹿王子は元の顔が分からないくらい腫れ上がってしまった。


「ああ……見放したい……見放したいがお前はワシの息子。ソフィアに謝罪させるため、アッシュベリー公爵領でなにがあったか教えてやる。分かりやすく語るから、なんとかその足りない脳味噌で理解しろ」


 十年前。

 アップルヒル王国の片隅に、突如として邪神が降臨した。

 邪神は『そこにいる』だけで瘴気をばらまき、死をもたらす。

 歴史をひもとけば、たった一体の邪神によって国が滅びたという記録も出てくる。

 ゆえに邪神降臨は、アップルヒル王国存亡の危機だった。


 しかし不幸中の幸いだったのは、降臨したのがアッシュベリー公爵領だったことだ。

 そこには天才の名をほしいままにする女魔法師がいた。

 彼女以外にもアッシュベリー公爵領には優秀な魔法師が大勢いる。

 魔法師たちは命を賭して邪神を封印した。

 その代償としてアッシュベリー公爵領は、いまだ人間が立ち入れない隔離領域と化している。


「もしソフィアの母親たちがいなかったら、アップルヒル王国は滅びていたかもしれない。だからワシは、生き残ったソフィアに不自由のない生活をさせたかった。その立場を強くしてやるため、第一王子のお前と婚約させた。しかし、それは間違いだった。まさかこんな馬鹿をソフィアに押しつけていたとは……本当に済まなかった。なんと詫びたらいいか……」


 国王はソフィアに深々と頭を下げた。

 なのに馬鹿王子は突っ立ったままだった。国王は息子の頭を掴んで床に叩きつけた。


「まあ……なんというか。私よりもアドレイドに謝ってください」


「ああ、アドレイド皇女殿下! この馬鹿息子は死罪にします。お望みならばワシの命も差し出します……ですから、アップルヒル王国そのものは許してくれませんか。民にはなんの罪もないのです……何卒!」


「あ。陛下。そっちはルーカス皇子です。アドレイドはこっち」


「なぜウィッグを外したのに間違える……」


 ルーカス皇子は低い声で呟く。


「も、申し訳ありません皇子殿下ぁぁっ!」


「うふふ。お兄様はわたくしよりも美しいので、ドレスを着ていたら女性に見えるのは仕方ありませんわ。それで……馬鹿王子……いえ、デリック王子を死罪にする必要はありませんわ。陛下、あなたが命を捨てるのも許しません。わたくしのために二人も死んだと思うと、寝覚めが悪くなりますもの。ただ……デリック王子のお顔はもう見たくありませんわね」


「はは! 早速、退学にさせます!」


 国王はアドレイドの寛大な対応に感謝する。

 が、馬鹿王子は不満を露わにする。


「そんな、退学だなんて! 魔法学園を卒業するのが王侯貴族の嗜み。俺が国王になったとき面子が立ちませんよ」


「き……貴様! まだ自分が王になれると思っていたのか! 幸いにも、兄弟はお前以外、全て優秀だ。国に安定をもたらしてくれるだろう。お前が足を引っ張らねばな! お前はもうなにもするな! 食事と呼吸だけしていろ! できればそれもして欲しくないのだが!」


「俺は王子なんだ……王子なのになんの役職も権力もないなんて嫌だ!」


「そうか……分かった。ではお前にいますぐ領地と爵位をやろう。丁度よく、誰も管理していない土地がある。お前は今から『サイハテ地方』を統治する『サイハテ男爵』だ」


「サ、サイハテ地方! 氷に閉ざされたなにもない場所じゃないか! 誰も住んでいない。ハーレムを作れない……!」


「うるさい、馬鹿のくせに文句を言うな! さあ、この馬鹿を連れて行け!」


 そして馬鹿王子は国王の護衛に引きずられ、王立魔法学園から追い出された。

 学年で最大の馬鹿が消えた。

 おかげで新学期からは知性の平均値がぐんと上がるだろう。




 一年生と二年生の狭間の時間。春休み。

 実家に帰る生徒も多い。

 アドレイドも帝都に帰郷した。

 しかしソフィアの故郷は邪神ごと封印され、どんな魔法師でも踏み入ることができない。

 だから学園に残って、読書に励んでいる。

 いつものようにルーカス皇子と結界の東屋(ガゼボ)で。


「アドレイドと一緒に帰らなかったんですね、ルーカス皇子」


「帰ったところでやることがない。ならばここで読書していたほうが有意義だ」


「なるほど。それにしてもルーカス皇子の女装、凄く板についてましたね。もしかして初めてじゃないとか?」


「……立場上、命を狙われるのを想定しなければならない。今は返り討ちにできるが、幼い頃はそうもいかない。だから変装する機会が多かった。女の恰好をしたこともあったかもな」


「なるほど。皇族も大変ですね」


「まあ、な。ところでお前……馬鹿王子という婚約者を失ったせいで、求婚されまくって困っているのだろう?」


「そうなんですよ。片っ端から断ってるのに、みんな懲りてくれなくて」


「俺もだ。この結界から出ると、女子どもが追いかけてくる」


「パーティーで女装を披露したら、なぜか更に人気者になっちゃいましたからね」


「……本当になぜなんだ。日常生活に支障が出る」


「同じく。求婚者を退けるいい方法ってないですかね」


「婚約者がいなくなったから求婚される。ならば……新しい婚約者を作ればいい」


 ルーカス皇子はいつもよりボソボソした声色で言った。


「それ、本末転倒じゃないですか。私、恋愛するつもりありませんよ。読書の時間が減るなんて嫌です」


「相手を選べば、今までのように読書できるさ。実のところ、デリックとソフィアが婚約を解消したと聞いて、俺は嬉しかった……ようやくチャンスが巡ってきたと」


「チャンスって……それじゃまるでルーカス皇子が私と婚約したがっているみたいです……って、ああ、なるほど! 私とルーカス皇子が偽装婚約すればいいんですね!」


 ソフィアもルーカス皇子も、求婚希望者が殺到して困っている。

 そして二人とも恋愛に興味がない。お互いを好きになるのもあり得ない。

 ただここで本を読み続けるだけの関係だ。


「ぎ、偽装……」


 なぜかルーカス皇子は苦々しい顔になった。


「あれ? そういう話じゃなかったんですか?」


「いや……それでいい。今はまだな」


「では今から私とルーカス皇子は婚約者ということで。よろしくお願いします」


 婚約の申込みとしては驚くほど淡泊なやり取りだった。

 なにせ偽の婚約だから感動もなにもない。


「やれやれ……これでも勇気を振り絞って申し込んだのだが……まあ、ことを急いて嫌われるよりはいいか」


「確かに、偽装婚約しようなんて、なかなか言えませんからね。けれど大丈夫です。私はルーカス皇子を嫌いになったりしませんから。読書の邪魔をしない限りは」


「お前の脳は読書が七割、食事が二割くらい占めているな。残った一割で日常を送っているのだから、確かに恋愛感情など入り込めないか」


「そりゃ、もう!」


「誇らしげに言うことか?」


 誇らしくてなにが悪い。

 なにせソフィアが魔法の知識と技術を磨いているのは、故郷を取り戻すためだ。

 あの封印された土地で、家族たちが待っているのだ。

 邪神を封印するための結界――その内部は時間が止まっている可能性がある。

 ならば、みんな生きているかもしれない。

 ソフィアはまだなにも諦めていない。


「ところで、前から気になっていたのだが。アドレイドを呼び捨てにするのに、なぜ俺には皇子とつけるのだ?」


「それはアドレイドに『友達なのに敬称付きなんて嫌ですわ! 呼び捨てにして欲しいですわ!』と言われたからです」


「ならば俺も呼び捨てにしろ。婚約者なのだから、そのほうが自然だろう」


「う、うーん……ルーカス皇子を今更呼び捨てに……難題ですよ、それは……」


「……そんなに俺を呼び捨てにするのは嫌か?」


 ルーカス皇子は珍しく、落ち込んだ表情を見せた。

 そんな顔をされると、ソフィアとしてもは頑張るしかない。


「ルーカス。……ううーん、違和感が……あいだを取ってルーカスくんでどうでしょう? ええ、これなら自然に呼べますね。ルーカスくん」


「ルーカスくん、か。まあ悪くない、な」


 と、ルーカスは笑いながらページをめくった。

 それは本の内容が面白かったからか、ソフィアが敬称抜きで呼んだのが嬉しかったからなのか。

 後者だったら嬉しいな、とソフィアは思う。

 そう思った瞬間、なぜかルーカスの顔をまともに見ることができなくなった。

 頬が熱くなる。

 なぜ?

 誤魔化すように視線を落とし、ソフィアもページをめくった。


 いけない。心が乱れたら、魔法が乱れる。

 けれどルーカスと二人でなら、更なる高みを目指せるかもしれない。

 封印された領地に手が届くかも知れない。

 一生肩を並べて、魔法の研究をして、技を競い合って――。


 ふと想像してみたら、それは理想的な日々だった。


 あれ? それならば偽装婚約をしている場合ではなく、とっとと結婚したほうが早いのではないか?


 年頃なのに恋愛に疎すぎるソフィアは、自分の考えを上手く整理できず、ただ赤くなるばかり。

 本を開いてはいるが、一行も頭に入ってこなかった。


 ふと、ルーカスに視線を向けてみた。

 なぜか彼もこちらを見ていて、ふっ、と微笑する。


「どうやら攻略の糸口がありそうだな」


「なんの、話です?」


「さて。なんだろう?」


 ルーカスは愉快げに呟き、本に視線を戻してしまった。

 きっと、新しい魔法を生み出す糸口でも見つけたのだろう。

 ソフィアも負けていられない。

 男の子を見てドキドキしている場合ではないのだ。

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『【連載版】私より強い人じゃないと結婚しません、と言ったら、なぜか憧れの王子が修行を始めました』


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― 新着の感想 ―
[良い点] ッカーーー!!読者と周りだけが「初恋の人」を察して本人察してないの最高ですね!!笑
[気になる点] 消えた公爵領! 取り戻す続きがあったりするのでしょうか?
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