第二章4
どれ程泳いだだろうか。
恐らくそろそろ夜になるだろうと思われる頃、遠くに小型船が見えた。否、正しくは姿が見えたのではない。辺りはどこまでも闇だ。見えたのは、人工の光、つまりランプである。
すっかり疲れ切って黙り込んでいたタムシンが、ビバリーの鼓膜が破れてしまうかと思う程の大声を上げた。
「船だ! 船だよビバリー! アタシ達助かるかも!!」
その声で気付いたのだろう、船は汽笛を鳴らし、ゆっくりと近付いて来た。
ビバリーの顔も安堵に緩む。つい先程までもしかすると助からないかも知れないと悪い想像ばかりしていたが、タムシンの言う通りこれでどうにかなりそうだ。
「よう。嬢ちゃん達。あっ、狼までいるじゃねえか。どうしたんだい」
水夫らしき男が船の上からビバリー達を見下ろすようにして言った。
「ちょっと、乗ってた船が沈没しちゃって。逃げ出して来たんです。あのう、乗せて頂けませんか?」
声を張り上げ、ビバリーが懇願する。
すると船は目の前で迫ってから一時停止した。
「ああ、いいとも。ちょっくら梯子を取って来るから、待ってろや」
「はい。ありがとうございます!」
親切そうな人で良かった、とビバリーは心から思った。
水夫が梯子を持って現れ、小型船に梯子をかけてくれる。
「これを登って来いや」
「わかりました! ……アルフ、登れそう?」
再び「クウン」と鳴いて、アルフは驚いた事に、鉄製の梯子をスルスルと登って行った。
ビバリーはうちのアルフなら何でもできる、と思い始めていたのでもはや大して驚かない。タムシンは「凄い狼さんなんだね、アルフって」と笑っている。
甲板へ登り切ると、水でびしょ濡れのアルフは全身をぶるぶると震わせ、水気を飛ばした。
その勢いでタムシンは転がり落ち、ビバリーも体制を崩しそうになってどうにか耐え、ゆっくり降りる。そこへタイミング良く水夫がタオルを渡してくれた。
「体拭け。風邪引くぞ」
「ありがとうございます。何から何まで……」
突然の事故に巻き込まれたから仕方ないとはいえ、初対面の人に良くしてもらい過ぎな気がして申し訳ない。
しかし水夫は全く気にしている様子なく、感心するように言った。
「それにしても沈没した船から抜け出して助かるなんて、とんだ幸運だな。ちょっと待ってろ、船長に事情話して乗船許可取ってきてやるから。お前ら、一体どこへ行くんだい」
「ノース島です」
「へえ。ま、船長に話してくらあ」
ありがた過ぎる。ビバリーはなんだか涙が出そうになった。
甲板で暗闇を見つめ続ける事数分、水夫が戻って来る。
彼は朗らかな笑みを浮かべていた。
「いいってよ。この船は漁船でなあ。俺ら、漁が終わったんでノース島に戻るとこなんだ。丁度良かったってとこだな」
「やったー! これでアタシ達、ノース島に行けるね。良かったね、ビバリー!」
「……良かった。本当に、良かった」
最近一番の安堵を覚え、ビバリーは思い切り息を吐くと、脱力し膝から甲板に座り込んでしまう。今まで気を張り続けていたせいでしばらく立ち上がれなかったほどだ。
ビバリー達は水夫連中と共に晩ご飯を共にし、あてがわれた船室で眠った。
アルフはずっとその物置でおとなしく過ごしていたのだった。
――そして次の朝。
「着いたぜ、起きろよ嬢ちゃん」
「……うーん」
唸り、眠い目を擦って起き上がる。
すぐ隣に水夫の姿を見つけ、自分達が今どのような状況かを思い出したビバリーは、意識の覚醒と共に彼の言葉に反応した。
「えっ、着いたんですか?」
「ああ。さっさと降りる準備しろよ」
「はい! わかりました!」
嬉々として答えるなりビバリーは、隣の船室にいたタムシンと物置で寝ていたアルフを叩き起こし、水夫に連れられて甲板へ。
そこから見えるのは、港だった。
港町だろう。浅く雪が降り積もった町からは、威勢の良い声が響いている。
目的地、ノース島に着いたのであった。
船が岸に着き、船員達がゾロゾロと降りていく。
それに続いて船を降り、ノース島の地面を踏みしめたタムシンは、辺りを見回しながら言った。
「あったかいなー。ノース島ってこんなにポカポカしたところなんだね」
同じように地に降り立った数人の水夫が首を傾げる。が、ビバリーもあたたかいどころだ少し暑いぐらいだった。
ノース島は、ノースエンド島の港町より確実に数度は気温が高いだろう。増してやタムシンの出身である東部より、ビバリーが住んでいた西部の方が若干寒い為、彼女はタムシンより余計に暑く感じるに違いなかった。
「まあ、じきに慣れるわ」
そして。
「ここで俺らと嬢ちゃんらとはお別れだ。これからの旅、せいぜい気を付けろよ」
水夫達とはここでお別れ。
彼らには彼らの仕事があるし、ビバリー達にはビバリー達の旅がある。もう二度と両者の人生は交わることはないだろう。
「ありがと!」
タムシンは彼らに笑いかける。
ビバリーは少し名残惜しいような心持ちで、水夫達に手を振った。
「ありがとうございました、さようなら。お元気で!」
何のお礼もできないが、きっと光の玉さえ届ければ海が豊かになり、水夫達も喜ぶはずだ。それが彼らへの恩返しになるだろう。
早くそれが達成できますようにと、ビバリーは静かに願った。
ビバリーとタムシンはアルフの背に跨り、水夫達に背を向けて、港町を歩き始める。
ノースエンド島を出て船に乗った先で出会いを果たし、沈没寸前の船から逃げ出しただけ。ただそれだけなのに、そうやって危機を一緒に乗り越えたおかげなのかタムシンとの間には、なんだか、不思議な友情のような、信頼のようなものが生まれた気がする。
今までろくに友人を持たなかったビバリーは、口にはしなかったけれど少し嬉しかったのだった。
(二章 挿絵)