第二章2
二人はパンを食べ終えて立ち上がり、甲板を見回した。
「暗くて、遠くは全然見えないけど、その光の玉っていうのがあれば、光が降り注ぐんだよね、いいな」
「確かに。でも暑くて、黒焦げになっちゃうかもね」
ビバリーの言葉に笑い合い、彼女達は廊下へと足を進めた。
廊下の両側には、幾つもの船室のドアがある。タムシンの部屋は、前甲板に程近い部屋らしい。
やがてビバリーの船室に着くと、異様な音が聞こえた。
さっきよりも強烈な嫌な予感がし、ドアを開けると――。
「もうっ。アルフったら、おとなしく待っててって言ったでしょ!」
アルフが、唸り声を上げながらビバリーを出迎えた。
辺りの物は倒れ、壁は爪痕が残っている。無論彼がしでかしたのだろう。
ある事に思い至り、ビバリーは思わず声を上げた。この船は動物の同乗は禁止なのだ。タムシンに見られてはいけないというのに。
「あの、これはね……」
弁明に努めるが、しどろもどろである上に現にタムシンはアルフを目の前にしている。ビバリーは硬直し、彼女の背中を冷や汗がたらたらと伝った。
だがそんなビバリーの心配は無用だった。
「わあ、立派な狼さん。ビバリー、こいつ噛まないよね?」と平気な顔なのだ。
その態度に安堵し、ビバリーは溜息を吐きながら頷いた。
「うん。この子はアルフっていうの。人懐っこいから大丈夫」
「アタシ、狼見るの初めてなんだ。アタシはノースエンド島の東側の町出身だけど、森には行かなかったから。触ってもいい?」
ビバリーが了承する前に、アルフとタムシンは戯れ始めた。
タムシンが彼の体に触れようと走り、アルフがさせないとばかりに逃げる。グルグル円を描くように追いかけっこをしている二人。二人はさらに物を蹴散らし、壁を引っ掻き回したりし、さらにはタムシンの叫び声が煩い。
「もうっ。タムシン、アルフ、やめなさい。煩いし、ここ、船室なんだからね」ビバリーは幼子のような二人に溜息。「ほうら。アルフ、タムシンに触らせてあげなさい」
渋々、といった様子でアルフは立ち止まる。そこへ追いついたタムシンが屈み込み、毛並みを撫でた。
「うわっ。汗臭っ。でも気持ちいいな」
「そうでしょ? 自慢の狼なんだから」
汗臭いという部分だけ意識的に無視し、ビバリーは照れ笑い。
アルフを撫で終わったタムシンが立ち上がり、「それで、本題の光の玉は? 早く見せて」と強請った。
どこまでも自分勝手な娘だが、嫌な気がしない。ビバリーは苦笑して頷き、かろうじて倒れていなかった机の上に置いてある鉄製の箱を確認してからタムシンを手招きした。
じっと箱を見つめるタムシンの目の前で、ビバリーは箱を開け、中の漆黒の玉を手に取った。
どこまでも黒く、美しい宝玉である。
タムシンは目を見張り、嘆息していた。
「凄い。めちゃくちゃ綺麗じゃん。……でも本当に、これがあの伝説の光の玉なの? 真っ黒だよね」
「うーん。分かんないけど、多分そうみたい。ま、魔術師アドニスの所へ行けば分かるんだろうと思うわ」
「アタシも」と、タムシンはじっとビバリーの目を見つめて言った。「アタシも、光の玉を運ぶ旅に同行させて貰えないかな?」
「言っておくけど、私はあなたがどんな人なのか知らない。何か特別な出会いをしたならともかく、ただ一緒に甲板に居合わせただけでしょう」
「分かってる。でもそれでも、気になるじゃん。こんな面白そうな話を聞いたら乗らずにはいられないってもんでしょ!」
……まったく、困ったことになった。
もちろん彼女はまだビバリーにとって信頼に値する存在ではないので、断るべきだ。だがタムシンはすっかりその気だし、ここまで連れて来てしまったビバリーにも責任がある。こうなった以上は連れて行くしかないのではないか?
そうやって、ビバリーが頭を悩ませている時だった。
船がガタン、と、大きく揺れた。
「何っ!?」
「地震……?!」
少女二人が悲鳴を上げる。
咄嗟に船窓から顔を覗かせたビバリーは懐中電灯で遠くを照らし、船の前方が岩に突き刺さっているのを目視した。
タムシンも顔を覗かせ、ギョッと目を丸くする。
「これって……」
彼女の声と同時に、船が沈むような感覚があった。いや、沈むようなではない、事実、沈んでいるのである。どうやら、船底に穴が空いたらしい。
「ど、どうしよう。船が沈むなんて冗談じゃないわよ……!」
狼狽えるビバリー。
部屋の外からは、叫び声が聞こえて来る。
「沈没だ!」
「どうしましょ」
「死ぬの!? やだよー!!」
「沈むぞ」「沈むぞ」
本当にあっという間の出来事だった。
船はみるみるうちに沈んで行き、船窓の二、三メートル下には水が押し寄せて来ていた。よっぽど大きな穴が空いてしまったらしい。
水嵩はどんどん増し、船内に緊急放送が鳴り響く。
「船体が岩に衝突。船体が岩に衝突。それにより沈没しております。みなさん、焦らないで下さい。じっと、船員を待って下さい。船の前方のお部屋から順に、浮き輪を配備致します。船室外にお出の方は、中央ホールにお集まり下さい」
――ビバリーの全身から血の気が引いていった。