第二章1
――向かうはノース島。
船窓を開けて涼しい海風を浴びながら短い金髪を靡かせ、ビバリーば色々な考えに耽っていた。
この先の旅の事。自分が生まれ育った村の惨状。氷の熊から奪い取った光の玉の事。
悲しみや不安、好奇心で心を満たしているビバリーに、突然アルフが軽い頭突きをして来た。
「あああ、痛い痛い。アルフ、我慢しなさい。仕方ないでしょ、本当は動物なんて船に乗せちゃダメなんだから」
頭突きをし、不満げな目をするアルフの口には、がっしりと猿轡がはめられている。動物同乗禁止のこの船にアルフを乗せている事が吠えるなどしてバレないようにと、出港前に手に入れた物だ。ちなみに、アルフを船に乗せ入れた時はビバリーのリュックサックに彼の巨体を押し込めたのだった。
船窓に目を戻し、船のランプで照らし出されただけの外を眺める。暗闇だ。昼だというのに、暗闇が辺りを包んでいる。ビバリーにはもう慣れっこだったが、光が差したらどんなに良いだろうと想像を膨らませてみた。農作物は育ち、人間もずっと生きやすくなるだろう。
改めて、手元にある鉄製の箱の中の漆黒の宝玉を見つめた。
これが世界を救うのだ。そう思うと、自分がまるで英雄になったような気分になり、ビバリーは苦笑する。自分はただ、この本物とも知れない光の玉を運ぶだけの、村娘でしかないのに。
箱を閉じ、ビバリーは窓辺から離れた。
乗船したのは朝早くだが、もう時刻は昼時。そろそろ空腹である。
「アルフ、大人しく待っててね。私、ちょっくらご飯食べて来るから」
アルフは相変わらずこちらを睨みつけているが、特に暴れるという様子はない。まあ、大丈夫だろう。
船の後方に位置する簡素な船室を、アルフと荷物を残して身一つで出ると、ビバリーは廊下を見渡した。
ランプで照らされた廊下は静かで、人通りはまばらだ。歩く度に人口灯を当てて育てたのであろう木造の床が軋み、鳥肌が立った。
ビバリーがこんな安物の船に乗ったのは、彼女の家が貧乏で少ししか金を持って来る事ができなかったからだ。それでも船内に飲食店はあるし、簡素ではあるがしっかりした船室もあるので上等と言えるだろう。
廊下を歩いていくうちに、中央のホールに辿り着いた。
両サイドに駄菓子屋やら飲料水屋やら食べ物屋がある。中央にはテーブルが幾つかあり、その真上には安物のシャンデリアが吊るされていた。
辺りにはとてもいい匂いが漂っている。ビバリーは焼肉屋に目を付け、思わず舌舐めずり。
でも、彼女は財布を見て首を振る。ダメだ、お金が足りず買えるものがほぼない。せっかくの船旅だというのに、
ビバリーは残念さに溜息を吐き、パン屋で一番安いパンを買って腹を満たす事にした。
「さて、どこで食べようかしら……?」
早くアルフの所へ戻らなくてはならない事は分かっていたが、せっかくだから船内を散歩したい。そう思った彼女の足は、中央ホールを出て今まで歩いて来たのと反対側の前方側の廊下を滑るように歩いていた。
磯の香りがツンと鼻をつく。
ノース島までは後一日程かかるという話だ。
パンを抱えて歩きながら、ビバリーはノース島に思いを馳せる。
目的地は氷の山という高く聳え立つ、生き物が住みつかぬ程寒い死の山だ。その頂上に、魔術師アドニスはいる。
アドニスがどんな人物か知らないが、自分に好意的な人であればいいなとビバリーは半ば的外れな思いを抱く。彼女は世界一の魔術師という噂であり、殺そうと思えばビバリーなど虫けら同然だろうからだ。
潮風が正面から吹き付けた。
――前甲板だ。
ランプで照らし出された海が見え、そこに一人の人物が佇んでいた。
藍色の髪をした大柄な少女。ビバリーより頭三つ分は高い彼女は、暗黒の海を眺めているようだ。
「……こんにちは」
声をかけてみるビバリー。
すると少女が振り返り、ニコッと笑った。
「えっと、こんにちは。風が気持ちいいよ。隣、座る?」
「ありがとう。じゃあ遠慮なく」
甲板のベンチ、少女のすぐ隣に腰を下ろす。
パンを取り出したビバリーは、横目で少女をジロリと見た。
彼女はそこそこいい身なりをしていて、裕福な家の出と思われる。藍色の髪をおさげにしており、顔立ちも可愛らしかった。
しばらくそうして観察していたが、せっかく隣を譲ってもらったのに黙ったままではまずいなとビバリーは気づく。
慌てて口を開いた。
「あの……私、ビバリーっていうの。姓はなくて。ノースエンド島出身なの」
だが肝心の話題を思いつかず、唐突な自己紹介になってしまった。
不審がられるかと思ったが、少女はというとビバリーが齧るパンを欲しそうに眺めているばかりだった。
「あ、アタシはタムシン。タムシン・アズベイラス。
アタシもね、ノースエンド島出身なんだ。あそこの領主――と言ってもちょっとした書類仕事と街に熊が出たら狩るくらいしかしない、猟師兼町長みたいなもんだけど――の娘なんだよ」
彼女は見せつけるようにして胸元からピストルを出し、くるくると手の中で回してから再び仕舞い込む。
その慣れた手つきを見るに、彼女の言葉は本当なのだろうと思えた。
「それなりに幸せだったんだけど、ちょっとしたことで父ちゃんと喧嘩になちゃってさ。家出する事にしたんだ。そんで、このボロ船に乗ったって訳。別にいく当てとかなくて行き当たりばったりで、ちょっと不安ではあるけどね」
思っていたよりたくさん喋るので、ビバリーは驚いた。
街で暮らす領主の娘ともなれば、これほどまでに社交的なのだろうか。寒村で暮らしていたビバリーにはよくわからない。
戸惑いながらもビバリーは、先程少女――タムシンがパンを食べたそうにしていたのを思い出し、ちぎってあげることにした。
「タムシン様、これをどうぞ」
「えっ、くれるの? ありがと。あ、アタシのことは気軽に呼び捨てして。家出した身なんだし」
上機嫌で、幼子のように素直なタムシンに思わず苦笑してしまうビバリー。
「まさかこんなところで領主様のご令嬢に出会えるなんて思ってもみなかったわ」
「そうだよねー普通。アタシ、ちょっと腕白なんだ」
ケラケラと笑ってから、タムシンは急にビバリーに尋ねた。
「ねえ。ビバリー、あなた、なんでこの船に乗ってるの?」
それは、ビバリーが答えたくない、そして尋ねられたくない質問だった。
故郷の村の事を思い返すと胸が痛む。あの忌々しい氷の熊に反吐が出そうだ。
だが、そんなビバリーの内心など、出会ったばかりの少女に分かる筈もなかった。
「ええと……。ちょっと複雑なのだけど」
正直に話そうかと迷う。だが、タムシンも話したのだ。正直に言わないと彼女に悪い気がした。
母親の事、アルフの事、森で遊んだ事、光の玉の事、氷の熊の事、村が氷で覆われてしまった事、これから魔術師アドニスの元へ向かう事など、何も包み隠さず話した。
話し終えたビバリーの目からは、流すまいと頑張っていた涙がポロポロと流れていた。
「そうなんだ……。なんかゴメンね。大変なお役目なんだね。光の玉を届けるなんて、凄いじゃん。今も、手元に玉があるんだよね?」
「うん、私の船室にあるけど……」
嫌な予感がする。
「じゃ、見せて」
――予感が的中した。
光の玉は、大袈裟に言えば世界を救うかも知れない物である。そんな宝玉を、易々とまだ出会ってすぐのこの少女に見せてもいいものか。それもおっとりとした思慮深い性格ではない、領主令嬢でありながら単身で船に乗り込んでしまうようなお転婆娘に。
悩んでいるビバリーに、タムシンは声のテンションを落ち着けて言った。
「大事な物なんだよね、絶対に壊したりしなって約束する。ちょっと見せて貰いたいだけだからさあ」
「いや、でも、今会ったばかりだし……」
「アタシ今、旅の目的を探してるの。もしもビバリーと一緒に旅できたら、結構楽しそうじゃん?」
正直過ぎる。そして馴れ馴れし過ぎやしないだろうか。
だがいち村娘であるビバリーが、領主の娘と名乗るタムシンの言い分を無視するわけにもいかない。
ため息混じりに頷いて、ビバリーは彼女に光の玉を見せてみることにした。