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第一章3

 気がつけばビバリーの周りは、一面の血の池と化していた。


 踏み荒らされた氷の破片達。氷の熊の無残な死体。自分に染み付いた血痕。

 自分は怒りに駆られ、なんと酷たらしい事をしたのだろうか。

 目の前には、粉々になった母親の氷像が散らばっている。


「母さん、母さん……。なんで、なんでこんな事に……。私の、私の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿…………」


 洞窟の中になど、入らなければ良かった。

 あの忌まわしい箱など、手に取らなければ良かったのだ。

 あの美しい漆黒の宝玉など、糞食らえだ。

 泣き崩れ、途方に暮れたビバリーは、この大惨事を村の人達に伝えなくてはという事に思い至った。相談すれば、孤児となったビバリーもなんとかなる筈だ。

 そう考えたビバリーは、血の染み付いた服を自室に戻って着替え、ふらふらと家の外に出た。


 そしてビバリーは、唖然とした。

 今日一日でどれだけ呆然とすればいいのだろうと現実逃避のように思う。あまりにあり得ないこと続いて、もはや正常がわからなくなっていた。


 村が、氷で覆われていた。いつも村は雪が降り積もっている。だが、今度は氷なのだ。

 そしてあちらこちらに、人間の氷像があり、全て踏み倒され、粉々になっていた。


 きっとあの氷の熊にやられたのだ。あいつは氷の息を吐いて物を、そして母さんを凍らせていた。

 分かっているのに理解したくなかった。まさか村の全員が、やられてしまった後だなんて。


「誰か……、誰か……」


 呼んでみる。だが、返事はない。

 村を歩き回り、呼び続ける。


「誰か、返事してよ」


 しかし誰一人、彼女に答えを返す者はなかった。つい数時間前まであたたかに彼女を迎え入れてくれた村人たちは、もういない。

 そう思った途端、両目からじわりと涙が溢れた。


 これが全て悪夢であってくれたならいいのに。

 こんな荒唐無稽な話、悪夢に決まっている。そうでなければおかしい。いきなり獣に村が全滅させられるだなんて。


 嗚咽が漏れ、地面に崩れ落ちるようにして座り込んだ。現状を理解すればするほど絶望が彼女の胸を満たしていく。

 もはや一歩も歩けなくなった彼女の前に現れたのは、一匹の狼だった。


「くぅん。くぅん」


「アルフ……? あんた、生きてたのね……」


 良かった、と心から思った。


 アルフに抱き付き、その巨体に顔を埋める。

 温もりの中、さらに涙が出てきた。


「私、もう、どうしたらいいんだろう。母さんも、村のみんなも死んじゃったし、もう、私……」


 死んじゃいたい、と、続けようとした。

 しかし、アルフがビバリーをじっと見つめてくる。それは慰めでもあり、諦めるなと言いたいようでもあった。


「そうだよねアルフ。死んじゃったらダメよね。でも、これからどうしよう……?」


 玄関ドアの前で膝を抱えて座り込み、思案するビバリー。一方のアルフは、ドアを小突いて開けて見せた。


「どうしたの?」


 彼はこちらを見遣り、黙ってドアの中へと消えて行く。ビバリーも彼を追い、急いで中に走り込んだ。


「ねえ、どこ行くの? ちょっと待ってってば」


 アルフはツカツカと玄関から伸びる廊下を歩き、リビングへのドア、母親の部屋へのドア、ビバリーの部屋へのドアの三つの扉のうち、ビバリーの部屋へのドアを開き、中へと駆け込んだ。

 ビバリーも、愛狼の意図が分からぬままに這いずるようにして歩いて入っていく。

 ベッドの前で立ち止まったアルフは、その黒い鼻先で、ベッドの上に放置されていた鉄製の箱を突っついた。


 それを見て、ビバリーは目を丸くする。


「これを持って行けって事? でもこれは」


 ――この村に厄災を招いた原因かも知れないのに。


 しかしアルフは「クン」と肯定と思われる唸りをし、尚も箱を鼻で指し続ける。

 ビバリーはベッドの傍へ行き、鉄製の箱を手に取って開けて、中の漆黒の宝玉を見つめた。


 この世のものとは思えないほどに美しい宝玉は、ビバリーの心を酷く乱した。だが、これを所持していても、これ以上の不幸はあるまい。だってあの熊は村人たちを道連れにして死んだのだから。

 箱を閉じ、腕に抱え込んだ。愛狼のアルフの言う事だ、持って行って、売るのも悪くないだろう。死ぬのはそれからでも遅くない。


 ビバリーが箱を手に収めたのを確認して、アルフは家の外へとゆっくりとその太くたくましい足を進めた。

 ビバリーは、懐中電灯と母親の部屋にあった少しばかりのお金、それに氷の熊に突き刺さっていた血で汚れたナイフを自分のリュックサックに詰めて、アルフを追いかけて外へ出た。ナイフは真新しいナイフでも良かったのだが、自分への戒めとしても所持している必要があるような気がしたのだ。


 改めて、氷で包まれた村を見る。

 もうこれ以上、ここにいても仕方あるまい。ビバリーはため息を吐き、玄関前で佇むアルフに跨って指示を下した。


「アルフ。まだ夜明け前だけど、森を抜けて、隣町へ行って」


 アルフはその巨体を嬉しそうに揺らして、首に引っかかっているランプの光を頼りに、村を走り出て森へと駆け込んだ。

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