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第一章2

 森の北側から西側へ戻り、ビバリーの暮らす村へ帰って来た。


「ああ、ビバリー。遅かったじゃないか。もう夜だぞ」

「心配して探し回ったんだからな。早く帰れよ」


 道で出会った村民たちにそう言われ、ビバリーは驚く。

 この世界には光がない。だから日の光で時間を測る事は不可能である。それに加えて、ビバリーは時計という物を所持していない。だから、彼女は時間を知ることができないのだった。


 それにしても、森で駆けずり回り始めたのは昼過ぎだった筈である。随分と森の北側で長居をしてしまったらしい。

 次からは気をつけようと心に留めた。


「ごめん。ちょっと、ね。すぐ帰るよ」




 村は貧しく、貧素である。

 豪雪地帯である事もあったし、この世界の中心であるセンター島という島から最も離れている事もあったろう。

 ビバリーの家は、村の中でもボロい家の一つと言える。木造の家は降り積もった雪で今にも潰れてしまいそうだ。修理費がなく、十年ほどこんな状態のままだ。


 この家に暮らすのは、ビバリーと母親の二人だけ。

 母親は、羊毛を編んでセーターや毛編み帽などを作ってノースエンド島の東側の港町で売り、ギリギリの生計を立てている。ビバリーも手伝いたいところだったが、編み物は大の苦手だったし、かと言って耕す畑などないから、何も力になれないことが最近の密かな悩みだった。


 ビバリーはボロ家の傍にあるアルフの寝床である小屋に彼を入れてから、腐りかけのドアを開ける。彼女が帰宅すると、リビングで母親は待っていたとばかりに娘に笑いかけた。


「おかえり」


 短い金髪の、大柄で色白の女性である。目尻が垂れ下がっているのも特徴の一つと言えた。いずれビバリーも彼女のようになるのだろう。

 母親はいつものように編み物をしている。

 苦労して一着セーターを作ったとて、その値段は非常に安いというのに、それでもビバリーのために編み物を続ける母には感謝しかなかった。


「ただいま。だいぶ遅くなってごめん」ビバリーも笑みを浮かべた。「今日はね、いい物見つけたの」


「へえ。何を見つけたの?」


 編み物をしたままで母が訊いてくる。けれどもビバリーは「内緒」と茶目っ気たっぷりに答えた。


 洞窟で見つけた漆黒の宝玉を売って生活費にするのだ。あれなら、三年、いや五年、もしかすると十年は余裕で暮らせる額にはなるだろう。それで母を喜ばせようと、彼女は考えていた。


 晩ご飯を食べ、自室へ篭ると、持ち帰った箱の中身を眺めた。

 ――何度見ても美しい。手放すのがもったいないぐらいだ。


「明日、東側の港町へ行こう」


 ベッドにうつ伏せになり、箱を抱えながら心に決めた。

 明日が楽しみだな。

 そう思いながら、ビバリーはすぐに眠りに落ちてしまった。




「ん……?」


 獣の叫ぶ声が聞こえて、おそらく深夜と思われる時間帯、ビバリーは目を覚ました。

 目を擦り、彼女はしばらくとぼんやりしていたが、何度か獣の声を遠くに聞くうちに意識がはっきりとしてくる。そしてようやく何かがおかしいことに気がついた。


 森ならともかく、村で獣の声を聞くのは珍しい。一体何だろうと思いながら彼女は懐中電灯を出し、足元を照らして声が聞こえたリビングへ向かう。


 あの声は誰の叫びだろう。

 アルフ? いや、違うだろう。

 とは言え、あれは絶対に人間の声ではなかったと思う。しかも、近い。


「ガルルルッ!!!」


 再び、咆哮がした。今度ははっきりと聞こえた。

 恐る恐るリビングのドアを開ける。

 部屋は真っ暗だ。懐中電灯で照らすと、そこにはキラキラと輝く何か――人影のようなものが見えた。


「……誰っ!」


 否、人影ではない。

 鋭く敵意に満ちた目、大きな牙、痛い程の冷気を発する氷の毛皮。

 それはまさしく、昼間見た、氷の熊であった。


 ――嘘でしょ!?


 ビバリーは驚きで目を丸くし、危うく懐中電灯を取り落としそうになった。

 死んだ筈だ。胸に深々と牙を突き立てられて。死んだ筈なのに。

 よく見ると、氷の熊の胸にはポッカリと穴が開いていた。それでも氷の熊が健在なのを見るに、きっとアルフが仕留め切れなかったのだろう。



 その状態で森の北側からここまで来るとは、並大抵の執念ではない。

 氷の熊は何故ここまで来たのか。

 それには、充分に思い当たる節があった。


 つまり、あの箱とその中身を取り返しに来たのだ。氷の熊は、箱を守る守護獣とでも言うべき存在だったのだ。

 氷の熊が唸っている。

 手が震える。熊の足元が、懐中電灯の眩い光に照らされた。


「――っ」


 それを見て、ビバリーは絶句した。


 それは、氷の像の破片とでも言うべき物だった。その一つに目を向けると、その氷の塊は女の頭部だった。

 その女の顔は、見慣れた母親の顔だったのだ。


 わけがわからない。

 近くには凍った肢体の破片やら、凍った椅子の破片やら編みかけのセーターの氷の破片やらが散らばっている。


 一体何が起こったというのか。

 先程、あの洞窟で氷の熊と出会った時は現実から目を背けたが、こうして真正面から惨状を突きつけられ、頭が真っ白になる。


 これは間違いなく私の母さんだ、とビバリーは思った。

 母さんがバラバラになっている。氷になって。どうして? でもそういえばこの熊は私の髪を凍らせた。それならば母さんの体丸ごとだって、きっと。


 こいつが母さんを殺した。

 理由はわからない。方法もわからない。でもこいつが、こいつが。


 この化け物が、殺したんだ。


 彼女の内側から、ムラムラと、怒り、悲しみ、絶望、無理解、狂おしい程の罪悪感が湧き上がり、彼女は絶叫していた。

 憎い。憎い。母親を殺した氷の獣が憎い。

 悲しい。たった一人の家族を失ってしまった。悲しい。悲しい。絶望。

 分からない。何故母親が殺されたのか分からない。何故、何故。

 罪悪感。あんな箱を持ち帰った故に、こんな事に。行ってはいけないと、厳しく言いつけられていたというのに森の北側を探索してしまった事に。

 それらの感情が全て集まり、彼女は咄嗟にキッチンへ走り出していた。

 氷の熊の咆哮。熊は口から氷の息を吹き出し、危うくビバリーも氷の像となるところだった。

 キッチンに入ると、まな板の上に置かれていたナイフが見えた。それを懐中電灯と反対側の手で持ち、こちらへ凍てつく息を吹き続けながら迫る熊へ走り寄った。


 ――恐怖はなかった。


 ただ、彼女の中で荒れ狂う感情だけがビバリーを突き動かしていたのだ。

 氷の熊の懐へ飛び込む。


 寒い。

 肌が寒さに焼ける。感覚が麻痺する。脳の回転が遅くなる。


 凍ってしまう寸前の腕を振り上げ、その大きな牙をこちらへ突き立てんとする熊へ、ビバリーは全力でナイフを胸へ突き刺し、押し込んだ。


「ガァァァ――!!!!!」


 氷の熊の醜い断末魔が上がる。

 ぐらりと体勢を崩した氷の巨獣へ、次々とナイフを突き立てた。


 その凶獣の目に、もう生気はない。

 だが、半狂乱となったビバリーには、相手の生死などもはやどうでも良かったのである。

 それからしばらく、冷たさで血が滲むのも構わずに氷の熊の死体を破壊し続けた。

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