第四章
灼熱の風が、少女二人と灰色の狼に激しく吹き付けていた。
ここはウエスト島北東部の、海辺の村である。
村と言っても闇に包まれた砂漠に店や家々が立ち並んでいるだけで、緑などはない。
この世界の最北端であるノースエンド島出身で、いずれも少しばかり厚着のビバリー達一行はこの猛烈な暑さに耐え切れず、喘いだり唸ったり悶え苦しんだりしている。
現在、ノース島から旅立ち、船で三日を過ごしてこの灼熱の島へ到着し、既に一晩が経った朝になっている。
「暑い暑い暑い。焼け死んじゃうよう」と、タムシンが呻き声を上げた。
ビバリーは頷き、辺りに目を走らせた。今少女達を乗せるアルフを歩かせているのは、村の商店が並ぶエリアである。彼女はある一件の店に目を止め、指差して言った。「アルフ、あそこへ行って」
了解と言うように甘い鳴き声を漏らし、アルフはその店へと駆け出した。
向かったのは、店先に扇子がずらりと並べられた何でも屋である。
「よう。嬢ちゃん達。何の用だい?」元気そうな若い男性が、威勢の良い声でビバリーに尋ねて来た。
「えっと、この扇子が欲しいんだけど」
「おう。扇子かい。暑いかんなあ。ありがとよ」
いそいそとアルフに跨ったままのビバリーが差し出した現金を受け取って扇子を渡そうとする男性に、タムシンが例の光の玉の地図を広げてウエスト島中部に黒い点で示された場所を指差して尋ねた。「ねえ、アタシ達ここに行きたいんだけど、ここがどこか、知らない? 地図みたいなのがあれば、それを売ってくれると嬉しいな」
男性はタムシンが手に持つその地図を見るなり顔を少しだけ蒼白にして、たじろいだ。「お、お嬢ちゃん。そこへ行くのはやめといた方がいい。うちには地図もねえんだ。どうしてもっつうんなら他を当たってくれや」
そう言うなり次の客の元へ逃げるように駆け寄って行った。
ビバリーは彼の不審な行動に首を傾げる。情報が得られなかったのは残念だが、彼が言う通り他を当たってみるしかないだろう。
そして、アルフを走らせて、大量の水や食料など必要な物を買いながら、会う人会う人に同じ質問をした。
しかし、結果は同じ。「行かない方がいいよ」と言って誰も教えてくれなかった。
それらの人々の反応でビバリーは、その目的地がかなり危険か忌み嫌われている場所である事を確信した。と同時に、頭を抱えざるを得なかった。地図は少なくともこの村では売っていないらしいのだ。
「どうすれば良いと思う?」途方に暮れてタムシンに尋ねても、首を振って「わかんない」と返されるだけだ。
暑さでぐったりし始めたアルフをそれでも走らせて村を回り続けていたその時、海辺で遊ぶ一人の少年に出会った。
「やあ。姉ちゃん達、旅の人だね。何しに来たのさ?」
悪気のない顔で尋ねる少年に、ほとんど期待もせずに地図を見せてビバリーは例の目的地の事を尋ねた。
が、少年の反応は違った。
「ああ。そこか。そこはね、この島では禁忌の場所とされてる、火炎の山だよ」
意外な返答があり、嬉しさ半分で目を丸くするビバリーとタムシンに、少年は笑いかけながら続ける。
「火炎の山はあっちこっちからマグマが噴き出してる山でね、頂上には宝物があるっていう伝説があるんだよ。でも、生きて帰って来た者は一人もいない。だから、禁忌の場所なんだってさ」
恐らく、頂上にある宝物というのが、光の玉なのだろう。誰一人帰って来ないのは、守護獣に食われるか何かしたからだ。
「あたし達も」とビバリーは少年に語りかける。「あたし達も、そのお宝を取りに行くの」
「よしなよ、姉ちゃん。あんなとこ行ったら帰って来れるにしても尸さ」と、少年は高笑うように言って首を振る。
「あたし達には、大事な使命があるの。そのお宝があれば、この真っ暗な世界に、光が戻るのよ」
光。その、伝説上でしか知られないものが取り戻される宝と聞いて、その賢い少年はピンと来たらしい。「まさか、伝説の、光の玉があるって言うのかい?」
頷き、藁にもすがる思いで少年に懇願するビバリー。「お願い。大事なお役目なの。だから、火炎の山の場所を教えて」もし教えて貰えないのなら、自力で行くしかないが、それがどれ程の苦労か想像もつかない。「お願い」
ビバリーの強い言葉に心を動かされたのだろうか、少年は頷き、覚悟の言葉を口にした。「オイラが、案内してやるよ」
「えっ、あんたが?」タムシンが驚いたように目を丸くしている。「でも、あんた、八歳ぐらいでしょ?」
「違うもん。十歳だもん」ボサボサの茶髪の少年が胸を張る。「オイラ、姉ちゃん達を案内する。きっと、父ちゃんも許してくれるよ。山に入らなきゃ、良いんだもん」
少年の覚悟は曲げられないだろう。そう判断し、ビバリーはリュックサックから出したお金を少年に手渡して頭を下げた。「お願いね」
「うん。ちょっくら待ってて。家に戻ってラクダを取って来る」
それからしばらくして、海辺にぼんやりとした灯りが近付いて来た。その光は、少年が乗って来たラクダの首に吊り下げているランプだ。アルフの首にも同様のランプがあり、それで真っ暗でも互いの位置が分かりやすいのだ。
「待たせたね。ちょっと父ちゃんと一悶着あってさ」
「そりゃ、そうだよね」タムシンが少年を見つめて言う。「だって、村の人達ったら、禁忌かなんだか知らないけど、やたらと火炎の山ってとこを嫌ってるみたいだし」
「実際、オイラも生きて帰って来られるか、不安なんだけどね」少年は舌を出して笑う。「だって、光が戻る手伝いができるなんて面白いじゃないか。そんな機会、逃すもんか」
「ありがとう」ビバリーは少年の勇気と好奇心に感謝し、にっこり微笑んだ。
「じゃあ、行こっか」
暗い砂漠をランプでぼんやりと照らし出して、道なき道を進む。
向かうは南西の、火炎の山。
既に、北東の海辺の村を旅立ってから砂漠でキャンプをしたのも合わせて一日程が経過している。
暑い暑い風がうねりながら吹き、アルフに跨るビバリーとタムシンを包み込む。扇子で仰いでなんとかしているが、ウエスト島中心部へ近付けば近付く程、暑さが増している。
「姉ちゃん達、ノース島出身?」無邪気に少年が尋ねて来る。
「うーんと、アタシ達みんなノースエンド島出身なんだ。アタシは東側の港町、ビバリーとアルフは西側の村なんだって」
「へえ。ノースエンド島か。珍しいね、ここへ来る旅人は多いけど、そんな最果てから来る人は少ないってもんさ。オイラはウエスト島生まれのウエスト島育ち」漆黒の闇が包む砂漠を、少年の甲高い笑い声が引き裂く。「ああ、そろそろだね。ほら、あのチラチラ光るあそこ、あそこが火炎の山だよ」
少年が指差した先には、赤く燃え上がる炎が揺れている所があった。まだ地平線に見える程度の遠さだが、そこに立ちはだかるのが火炎の山に違いないだろう。
「あれが……」
ビバリーが感嘆を漏らすのと、アルフが風のように走り出したのはほとんど同時だった。
暑さに負けて重々しい足取りだったのが一変して駆け出した灰色の巨狼は、一瞬で山との距離を詰め、見上げる程近くまでやって来た。
「早いなあ、もう。狼さんとうちのラクダじゃ比べもんになんないね」ラクダの荒い息が近付いて来て、少年が愚痴を漏らした。「これが、火炎の山。どういう仕組みか山からは所々炎が噴き出してる。前も言ったけど、登って戻って来た人は一人もいない。オイラの案内はここまでさ。ここでテントを貼って、半日待ってる事にするよ」それから表情を引き締め、再度ビバリー達に確認する。「姉ちゃん達は、ホントにこの山に登る勇気はあるのかい?」
無論、登るに決まっている。
ビバリーは、つい最近までこんな無謀な事をしようとも思わなかっただろう。ただただ、森を駆け回って遊んでいれば十分の、どこにでもいる少女だったのだから。
でも、光の玉を見つけてこの旅を始めてしまっている以上、もう戻れはしないのだ。
それは、この厄介事に絡んでしまったタムシンも同様である。
金髪と藍色の髪の少女達は頷き、茶髪の少年を振り返ってビバリーは言った。「危ないのは分かってる。でも、絶対に戻って来るから待っててね」
「うん」
「じゃあね、さよなら」
そう言い残し、ラクダに跨る少年を後にして、アルフは燃え上がる山へと駆け登り始めたのだった。
道中はあちこちから炎が噴き出し、その灼熱の舌に足をべろりと舐められたアルフは可哀想に少し火傷を負った事以外、万事順調に進んだ。
そして、円形の舞台状に切り立った頂上に辿り着いた。
頂上から見下ろす景色は、どこまでも真っ暗だ。そして地平線に、村だろうか、複数の灯りが見えるだけだった。
胸から出した懐中電灯で闇夜を切り裂くビバリー。
円形になっている頂上の中央にはぽっかりと開いた穴があり、そこから大きな炎が揺めき、煙が上がっている。
そしてビバリーの足元には、キラキラと光る物があり、近付いて見ると、それは鉄製のがっしりとした立方体の箱だった。
「あっ。これが」タムシンが驚きに声を漏らす。
それを見つけるなりアルフから飛び降りたビバリーは、箱に駆け寄って腕に抱え込み、蓋を開こうとした。
その時、獣の唸り声がした。
そして中央の穴から飛び出して姿を現したのは、炎に身を包んだ真っ赤な大虎だった。
箱を抱えたまま、戦慄して思わず立ち尽くすビバリー。
そんなビバリーに代わり、初めに行動を起こしたのはタムシンだった。彼女はポケットからピストルを抜き出し、物凄い速さで一発足先へぶち込んだ。
炎の虎が苦叫を上げる。
「前に言ったけどアタシ、猟師の娘でね。だからピストルは特訓してるから、外さない自信あるんだ」
また一発、また一発。タムシンが炎の虎に向かってピストルの引き金を引き、耳を塞ぎたくなるようなけたたましい銃声と共に、虎にマグマのような血液を噴き出させて行く。
このまま倒せるのではないか、と、尻に弾丸を受けた炎の虎を見てビバリーは思う。
だが、そんな簡単に事が済む筈もなかった。
「あっ、弾が切れた」
タムシンのその最悪の言葉を合図に、目を充血させた血塗れの炎の虎がタムシンへ向かってそれこそ弾丸のように駆け出し、口を開いてその大きな銀に輝く牙を、深々と藍色髪の少女の太ももに突き立てた。
「うう」呻き、鮮血を吹き散らしながら吹っ飛んで倒れ込むタムシン。すぐに命を落とす傷でなかったのが不幸中の幸いだが、失血死しても何もおかしくはない。
そんな重傷の彼女へ、炎の虎がにじりより、もう一度その鋭い牙を向けた。今度こそ、致命傷を負わせる気でいる。
それを目にしたビバリーは無理矢理に体の硬直を解き、箱を取り落としてアルフに飛び乗り、命じた。「アルフ、突進しなさいっ」
命令を咄嗟に飲み込むアルフ。
目を怒らせ、灰色の巨体が真っ赤な大虎へ突っ込んで行った。
灰色の体毛が焦げる。だが、アルフはへっちゃらだった。
無防備な炎の虎の巨体が軽々と真っ暗な空中を舞い、ドスンと音を立てて地に落ちた。
息を切らし、炎の虎を睨み付けるビバリー。どうか、これで死んでくれますように。そんな淡い期待を胸に抱きながら。
だが、そんな期待は一秒後、完全に裏切られた。
目を狂気的な怒りに包み込み、こちらをその真っ赤な双眼で睨み付ける巨獣は、血塗れでありながらも健在だ。そしてその炎の虎が、悪魔のそれのように大きな口をカッと開いた。
その悍ましい口から流れ出したのは、なんであろう、恐ろしい灼熱の火炎だった。
火炎が一瞬にしてビバリーの身を包み込み、焼き焦す。「あ、うう、わう」
彼女は火炎の中に、死を見たような気がした。この死の感覚は、半狂乱になっていた氷の熊との攻防の際にはなかったものだ。ああ、死ぬ。あたしはここで死んでしまう。こんな所で死んでしまうなんて。道半ばも、良い所なのに。
意識が遠のき始め、絶体絶命かと思われたビバリーの体から、それまでその身を焼き尽くさんと襲いかかって来ていた灼熱の炎が消え去った。
何事かと振り向けば、タムシンが飲料水をビバリー目掛けて惜しむ事もなく振りかけたのだ。おかげで鎮火したという訳である。
「ビバリー、大丈夫? 真っ黒焦げだけど」
意識を尖らせ、心配げにビバリーを見つめる藍色髪の少女に頷きかけた。「ありがとう、タムシン。死ぬかと思った」
ビバリーの健在な様子を見て、タムシンは安堵したように笑みを浮かべた。
しかしそんな少女達の束の間の会話は、怒り狂う虎の咆哮に破られる。
その炎の巨体を見て、ビバリーは、ある事を閃いた。
「ねえ、タムシン。まだお水ある?」
「あるけど……?」
「あたし、閃いたの。ちょっと聞いて」首を傾げるタムシンに、自信満々でビバリーが笑い返す。
五秒程で作戦会議を終えてしまった二人は、突進して来る大虎をひょいっと避け、行動に移った。
まず、タムシンが残っていた水を炎の虎にぶちまける。
なんという事だろう。その真っ赤な体毛に揺らめく炎がジュウジュウと音を立てて消えてしまい、炎の消えた薄紅の皮膚だけになってしまったのだ。
困惑する炎の虎。いや、もはやそう呼んで良いのかも怪しい。見た目は、紅の虎とでも呼んだ方が良いのではないかと思える程弱々しい。
だが、そんな混乱から立ち直った虎はまさに炎の勢いでタムシンへ駆け出す。
そこへ、灰色の狼に跨って駆ける金髪の少女が姿を現した。言うまでもなく、ビバリーだ。
彼女は炎の虎の背後に回り込む。
その気配に気付いた虎は、慌てて振り返り、口から火炎を噴き出す。
だが、遅い。ビバリーは炎を避け、猛獣の尻に、深々とナイフを食い込ませた。それは彼女が氷の熊との攻防に使った、因縁深いナイフである。
あまりの痛みに苦鳴を上げる炎の虎。
ビバリーはアルフから身を離して虎の炎の消えた背に飛び乗り、ナイフを突き立てたまま虎の体の上を駆け、その背に赤い筋を残した。
全身から血を吹き出し横倒しになる炎の虎に、とどめを刺すのはビバリーの愛狼だ。
「アルフ、とどめを」
その呼びかけに応じ、アルフは駆け出した。
命を振り絞って炎の虎の口から噴き出される火炎を美しい身のこなしでかわす灰色の巨狼。その姿は絵に描きたくなる程素晴らしかった。
そのまま炎の虎との距離をなくしたアルフが口を開き、その鋭い牙を大虎へ突き刺したのだった。
そして、その目から正気を失わせた炎の虎は赤い舌をだらりと垂らして命を落とした。
ビバリーはそれを見ると滑り落ちるように炎の虎の死体から飛び退った。
一方のタムシンは太ももから血飛沫を上げ続けたまま這うようにして鉄製の箱に辿り着いてそれを抱き、「箱、ゲット……」と漏らして気を失ったのだった。
血塗れで、焼け焦げを作ったボロボロの少女達と狼が下山して来たのを見た少年の驚きは尋常ではなかっただろう。
「わああ。姉ちゃん達、どうしたんだよう。みんな血塗れじゃねえかよう」
狼狽える少年に、炎の虎の返り血を浴びた金髪の少女は微笑む。「大丈夫。あたし達、勝ったんだよ。光の玉、手に入れたの」
「えっ、ホントかよ?」
しかし、その言葉に答えはなかった。
ビバリーは安堵に目を閉じ、アルフに凭れかかるようにして気を失ったのだ。
ビバリーが目を覚ましたのは、ウエスト島北東部の砂漠の村の小屋の一室だった。
「あれ、ここ、どこだろう……?」
血塗れのままでベッドに腰掛け、曖昧な記憶を揺すり起こす。
確か、火炎の山は降りた筈だ。そして少年に迎えられて……。
「おはよう。金髪の姉ちゃん、気分はどうだい?」
そう言ってドアを開けて現れたのは、例の茶髪の少年だ。
「ああ、あなた。ここは?」
「ここは、オイラの家」
どうやら、気を失ったビバリーを寝かせる為に、自分の家へ連れ込み、部屋を貸してくれたらしい。
「ありがとう」お礼を言って少年に微笑んだビバリーはある事を思い出した。
「ああ、そうだ。タムシンはどこ? それにアルフも」
「ああ、あの姉ちゃんと狼さんか」少年は安心しろとばかりに「あの姉ちゃんは今風呂で血を洗ってる。重傷だけど、命に別状はないよ。狼さんは外で寝てるんじゃないかな。流石に部屋の中に入れてあげられなかったからさ」と笑い返す。
ビバリーは納得。それなら安心だ。「本当に、ありがとう」
タムシンの後にシャワーをし、出て来たビバリーは少年の父親に呼び出されてリビングへタムシンと向かった。
「あの、連れ帰って頂き、泊めて頂いた上にタムシンの傷の手当てまでして下さってありがとうございます。本当に、感謝申し上げます」
「良いのさ」少年の父親の中年の男性は気さくに笑う。「あんたら、火炎の山に登ってよくも無事で帰って来たもんだねえ」
タムシンが自信に満ちた表情で頷く。「それにアタシ達、頂上の宝物まで持って帰って来たんだ」そう言って彼女は、ビバリーに目配せ。
ビバリーは背負っていた血が染み付いているリュックサックを下ろし、中から鉄製の箱を取り出した。
それは、ノースエンド島で手に入れた物とは似て非なる。つまり、ウエスト島の火炎の山で手に入れた、新しい物だ。
箱を開けると、中には、やはり漆黒の美しい宝玉が収められていた。
思わずその美しさに、その場の全員が唸ってしまう。見飽きている筈なのに、ビバリーですらその魅力には感嘆せずにはいられないのだ。
「これは光の玉と呼ばれる物です。これを五つ集めると、世界に光が戻るという伝承があり、既にあたし達はもう一つ、これと同じ物を持っています」ビバリーはそう説明し、同じリュックサックに入っていた別の鉄製の箱を手にした。ほとんど見分けがつかないが、血飛沫が僅かにかかっている方が今回ので間違いないだろう。
我に返った男性が、ビバリーに尋ねる。「これは、本物かね」
「はい。魔術師アドニスのお墨付きです」
そう聞くなり、感慨深い顔をして男性は頷いた。
「姉ちゃん達、この真っ暗な世界に光ってのを降らせてくれようとしてんだろ。オイラ達もなんか手伝いたいな」
そう言われて、ビバリーは困惑する。「え。でも、もう色々として頂きましたし」
「いいや、息子の言う通りだ」と、微笑んで父親の男性は言った。「どうか、救世主となられるであろうあなた方に、私どもは手を差し伸べたい。何か、欲しい物はないのかい」
救世主なんて大袈裟だし、この親子にはこちらに借りがあるぐらいだし、欲しい物もない。そう考えて断ろうとしたビバリーだったが、それよりも先にタムシンが口を挟んだ。「じゃ、お言葉に甘えて。……、おじさん、漁師なんだよね?」
「ああ、そうだが」
この男性は互いの自己紹介の時に自分で漁師だと言っていたし、今肯定したので間違いないが、彼が漁師だからと言ってタムシンは何を企んでいるのだろうか。
「タムシン、この人達にはもう充分色々して貰ったでしょ」傲慢で貪欲なタムシンの態度をビバリーが制す。旅の手助けをして貰うなんて、本当に申し訳ないのだ。
だが、そんなビバリーの気持ちは、意外にも親子に裏切られた。
「良いんだ、遠慮しなくて」
少年が悪戯っぽく微笑む。「遠慮とか貸し借りとか面倒臭い事は抜きにしてさ。オイラ達は姉ちゃん達に協力したいんだよ」
少年の言葉が、なんだかビバリーの胸に突き刺さった。自分はなんて愚かだったのだろう。他人の親切も素直に受け入れられずに。
本当に、こんな流れ者に協力したいと思うのだろうか。そんな疑念が、ビバリーの中で渦巻いていたのが原因かも知れない。みんな、光という伝説に憧れているに違いないのだ。光があれば、どんなに幸せだろうかと諦め半分に夢見ている筈なのだ。それが現実になる可能性があるなら、協力したい者だっている筈なのに。
「ごめんなさい」と、思わずビバリーは謝っていた。
「じゃあ、さっきの話に戻るけど、小船を一隻頂戴」
タムシンの大胆不敵な言葉に、だが男性は笑顔で頷いた。「良いとも」
ビバリーはそれを聞いて抱いた疑念を口にする。「でも、船乗りやらはどうするんですか?」
「それなら気にしなくて良い」と、漁師の男性が言って座っていた木の椅子から立ち上がる。「運転なら、半日も練習すればできるようになるさ」
どこまでも親切丁寧な人だ。
「ありがとうございます。早速、その船を見せて頂きましょうか」
海岸に着けられた船を見て、ビバリーは息を呑んだ。
その船は彼女の想像していたカヌーのような物よりはるかに大きく、客船を小型化したような船だったのだ。
乗り込んでみると、船には四つの個室と、食堂、トイレなど、どこまでも設備が整っている。
「でも、良いんですか、こんなに立派なお船を譲って頂いても」
ビバリーの言葉に、男性は躊躇う事なく答える。「良いんだよ。最近は漁が好調でね。こういった贅沢な船を買う事も多いんだ。まだまだあるから、気にしないで良い」
実は言っては悪いが家は質素だったのに金持ちなのだな、と、ビバリーは妙に感心。
「ありがと。じゃ、運転室に行かせて」藍色のおさげ髪の少女は顔を赤らめ、興奮している。「アタシ、船の運転してみたい。面白そうなんだもん」
少年にとっては三歳程も歳上のタムシンがはしゃいでいる光景に苦笑し、彼はタムシンを先導。「こっちだよ。オイラが運転を教えてあげる」
意外にもタムシンは、船の操縦を約三時間で覚え、完全に乗りこなせるようになった。一見頭の悪そうに見える彼女だが、実は色々と器用なのかも知れない、とビバリーが感心した程、上手かった。
「これでもう、問題ないだろう」漁師の男性もタムシンの技量に頷いた。
運転室から戻って来たタムシンは上機嫌だ。
別れの時が近付いている。
少女二人とアルフは船の出入り口を挟んで中側、親子は外側に立って、向かい合っていた。
「じゃ、そろそろ昼時だし、オイラ達は戻るね。姉ちゃん達、頑張って」
「気を付けて」
親子の言葉に頷くタムシン。「頑張るよ、そんで、眩しいぐらいにこの世界を明るくしたげる」
「さようなら。お二人とも、ありがとうございました。この御恩は忘れません。きっと、祝福の日をご覧に入れますから」ビバリーはお辞儀し、親子に手を振った。
親子も手を振り返し、「さよなら」と残して、船の出入り口が閉まった。
かくしてウエスト島を旅立った一行は、現在、センター島へ向かってタムシンの運転する船で進行中。
アルフと甲板で身を寄り添わせながら、ビバリーはゆっくりと船に揺られている。
これからも、まだまだたくさんの危機があるのだろう。
だがせっかく、あの親子や、きっとたくさんの人が期待してくれているのだ、絶対に光の玉を全部集めてみせよう。
そう改めてを誓いながら、夕刻でありながらも真っ暗な空に散りばめられた美しい星々を見上げるビバリーなのだった。
(四章 挿絵)




