三章の残り(改稿中)
アルフの跳躍はそれはそれは見事なものだった。
力強い後ろ足で地面を蹴り、ぐんと前へ乗り出す。
彼の喉元のランプが闇を照らしていた。アルフの巨体はまるで羽を持った生物かのように優雅に宙を舞い、ビバリー達を振り落とすことのないまま難なく地面に降り立ったのだ。
「すごいっ……、すごいわアルフ、本当に跳べるだなんて!」
「ひぃぃぃ怖かったよぉぉぉ」
感心するビバリーとは真反対にタムシンはガクガクと震えていた。
まあ、無理もない。一歩間違えば谷底に真っ逆さまだったわけだし――。
帰りもここを通る必要がある。でもアルフならきっと再び美しい跳躍をしてくれることだろう。ビバリーはそんな安心感を得て、愛狼に囁いた。
「ありがとう、アルフ」
もう一度、チラと谷の方を振り返ってから、一行は順調に歩みを進め、そしてとうとう、山頂に辿り着いたのだった。
その光景に、思わず絶句する。
魔術師の家とは聞いていたが、氷に包まれたその建物は、城としか思えない程立派であった。
壁には宝石がふんだんに埋め込まれ、屋根は青い宝玉でできていて、その美しさは筆舌に尽くしがたい。
その感動を味わってから、もう一つの感動にタムシンは溜息を吐きながら呟く。「死の山の頂上に、やっと辿り着いたね」
「うん。案内人の人は死んじゃったけど」
二人はそう言って、何故か分からない嬉しさに包まれて微笑み合った。
そしてアルフから飛び降りたビバリーは数歩前進し、意を決して、緑の宝玉ででき、銀で彩られた扉をノックした。
これから世界一にして世界にただ一人の魔術師に会うのだ。ビバリーの胸がときめく。それはタムシンも同じのようで、そわそわとしていた。
「誰じゃ」
そう言って中から現れたのは、濃紺のローブに身を包む年老いた長身の女性だった。
紺色の三角帽を被り、丈の長いブーツは藍色だ。その容姿は、魔女を思わせた。彼女からは異様な威圧感があり、それに負けじと胸を張りながらビバリーは言った。
「私はビバリーといいます。こっちはタムシンで、この子は愛狼のアルフです。私達は、光の玉という物をここへお届けに参りました」
そう言うなり、魔術師アドニスの威圧感は薄れ、彼女は目を丸くした。「なんと。光の玉を。それは嘘偽りではなかろうな?」
それは既にお墨付きだ。「はい、多分。宝石商の方がそう仰っていましたから」
「ほほう」唸った老婆は、ビバリー達を順に見つめた。「わしは、魔術師アドニスじゃ。光の玉を運んで来たとの話、信じる事としよう。……、お主ら、遠方から来たようじゃな。疲れたじゃろう。その狼と一緒に中でゆっくりすると良いぞ」アドニスはその容姿には似合わぬ、若々しい笑顔で少女達を迎え入れた。
「ありがとうございます」その親切さに一安心し、ビバリーとタムシンはアルフに乗せられてドアの中へ入ったのだった。
魔術師アドニスと少女二人はソファで向かい合っている。
「それで、運んで来たという光の玉、見せてくれるのじゃろうな?」
老女の問いに頷くビバリー。無論、見せないなど言語道断だ。彼女は無言でリュックサックを漁り、中に大事にしまってあった鉄製の箱を取り出して、蓋を開けた。
その中で輝くのは、いつ見ても美しい、怪しげな雰囲気を放つ漆黒の宝玉だ。
ビバリーも、そしてタムシンも、その玉に見惚れずにはいられない。
そしてアドニスもまた、宝玉を眺めてその美しさに嘆息し、それから、玉を手に取って撫で、厳かに言った。
「まさしくこれは、伝説の光の玉のようじゃな」
彼女の嗄れた声で紡がれたその事実に、ビバリーは今更ながら内心で驚く自分に驚いていた。
氷の熊が守護していた事実と、宝石商のお墨付きを貰ってもまだ完全には信じ切れていなかったらしい。それが今、本当の意味で確実となった。
魔術師アドニスはうっすらと笑みを浮かべる。「これを手に入れた経緯を話して欲しいんじゃが」
依然として宝玉に見惚れ続けているタムシンの隣で、ビバリーはこれまでの経緯を簡単に語り聞かせた。自分で言ってみると、なんだか英雄物語を語っているようで、不思議に思えてならなかった。
「ほう。氷の熊か……。それは光の玉の守護獣じゃな。よく、一人で倒しなすった。常人でない力をお持ちなのか」
「いえ、あの、その」しどろもどろになる。「ちょっと、普通じゃなかったんです。母親を殺されて。半狂乱で。氷の熊をぶっ刺しちゃいました。沢山。今も、ノースエント島の私の自宅で、乾いた血に塗れて床に倒れ伏してると思います」
「ほう。まあ良い、どんな状況であれ、守護獣を倒した事実は変わらんしな」
ビバリーはその言葉に安堵する。知らず、魔術師に叱られるのを恐れていたようだ。
「それで」タムシンがやっと目を上げ、魔術師に問う。「この光の玉で、世界に光が戻るんですよね? 光で溢れるんですよね?」
その場に、沈黙が落ちた。
嫌な予感に苛まれ、顔を固くするビバリーと、「どうしたんですか、急に」と首を傾げるタムシンに、魔術師は強い眼差しを向け、二人に衝撃の事実を伝えたのだ。
「これだけでは、何の役にも立たん」
意識の空白。そしてその後に訪れる無理解の波。
どういう事、どういう事? 意味が分からない。意味が分からない。
アドニスは言葉を続ける。「この世界には、これを含めて五つの光の玉があると言い伝えられておる。その全てを揃えなければ、わしにも恒星の光を取り戻す事はできんのじゃ」
その言葉が、ビバリー達に与えた驚愕は並々ならない。「えっ、後四つも?」
しかし、確かに考えてみればそうだ。
三百年間、ずっと封印されてきた恒星の光が、氷の熊を制覇し、一つの光の玉を得ただけで解き放たれる筈がないのだった。
全ての光の玉を手に入れるなんて、つまり、後四度も守護獣と戦う事なんて、不可能ではないだろうか。そんな事が、自分にできるのか。ビバリーはそう考えて首を振る。
と、その時、隣から興奮して嬉々とした声が上がった。「面白そうじゃん。それ全部集めたら、アタシ達英雄って訳でしょ。ねっ、ビバリー、集めてみようよ」
「そんな簡単に言わないで」擦れた声で、ビバリーは思わず叫んでいた。「守護獣がどんなに恐ろしいか、知らないの? そうね、タムシンは知らないんだっけね。光の玉を全部集めるなんて、無理だよ……」知らず、怒りに涙をこぼしていた。
ビバリーの意見に同意するように目線を投げかけて来る魔術師に対し、タムシンは必死で訴える。
「光が戻るんだよ! みんな、食べ物も碌に作れなくて困ってるんだよ。この山だって氷が溶けて、あの木々が青々と茂って……。この世界に光を降らせたくないの? 薄情者。アタシは、一人でも全部集めるから」胸からピストルを出し、手の中でくるくると回して戻した。
彼女の言葉に、反論できず口をパクパクするビバリー。
無論、ビバリーだって光の玉を全部集めて、光が戻った世界を見てみたい。
だが、命の危険が、かなり伴うだろう事もほとんど確実である。それでもやる価値があると分かっていても、氷の熊を知っているビバリーは守護獣が恐ろしい。また人死を見てしまうのではないかと思うと、胸が痛む。
しかし、薄情者と、タムシンは言ったではないか。
自分の命と多少の犠牲が見たくないが為に、世界を裏切る事になる。そんな薄情者にだけは、なりたくなかった。
「…………、アドニスさん、後四つの光の玉の在り処を教えて下さい」
「……?」
アドニスはそのシワだらけの顔に無理解を浮かべ、目を見開いた。「全て、手に入れる気なのか?」
ビバリーは頷く。彼女の中にも未だ悩みは残り、思考は渦を巻いている。だが、もう決めたのだ。
「そうか……。では、教えてやろう。全て、この世界に古くより伝わる伝説に基づく話じゃ」
話の概要はこうだ。
この世界には、ノースエンド島、ノース島、ウエスト島、センター島、イースト島、サウス島の六つの島が存在する。
そのうち、アドニスが滞在しているノース島を除く五つの島には、それぞれ一つずつ光の玉が守護獣によって守られている。
守護獣がどんな獣かは分からない。だが、どこに存在するのかの大まかな地図があるらしい。
「ほれ、それが光の玉の地図じゃ」
そう言って魔術師アドニスが手渡したのは、黄ばんだ巻物だった。
広げてみると、そこにはこの世界の地図が描かれていた。
ノース島を除くそれぞれの島には、黒い点が付けられていて、恐らくそれが玉の在り処なのだろうと思われた。
「へえ……」
地図に見入っているビバリーをよそに、タムシンはソファを降りる。「じゃ、そろそろ」
が、それをアドニスが制した。「今日は泊まって行くとええ。……、帰り道も大変じゃろうし、渡す物もあるでな」
「渡す物?」地図から顔を上げ、ビバリーが首を傾げる。
魔術師は老いた笑みを浮かべ、ソファから立ち上がった。「ともかく、今日は寝る事じゃな。……、晩ご飯を作ってある。老婆の些細な料理じゃが、食うかえ?」
「食べまーす。世界一の魔術師の料理、どんなんだろ」嬉々とするタムシン。
なんだか腑に落ちないながらも、ビバリーも同意。
その夜は絶品の料理に舌鼓を打ってから、ふかふかのベッドでアルフと一緒に眠ったのだった。
翌朝、ビバリーとタムシンは荷造りを終え、出発を待っていた。
アドニスは今、例の渡す物とやらを取りに自室に入っている。
ちなみに、魔術師の城はリビングとダイニングの他に、幾つもの小部屋がある。
「遅いね、アドニスさん」
タムシンが笑みを浮かべる。「どんな物なんだろ、楽しみー」
呑気なものだ、と思い、ビバリーも笑ってしまう。
そこへ、濃紺のローブを引きずって長身の老婆が戻って来た。「待たせたな」
「もう。待たせ過ぎですよう」これだけ親切にして貰いながら無礼だな、と、アドニスとビバリーは同時に苦笑。二人の態度に首を傾げるタムシンに、老魔術師と金髪の少女はケラケラと爆笑。
とりあえず笑いの波が収まると、アドニスは背後に隠していた手に持っていた大金、それから薬瓶と一枚の紙切れを、ビバリーに手渡した。
「これは……?」
「その瓶の中身は、変身薬じゃ。それを飲めば、何にでも変化できる」そしてアドニスは紙切れを指差した。「これは、センター島の王城への通行手形じゃ。どちらも、旅に必要な品物じゃ。なくすでないぞ」
どこまでも親切なアドニスに、深くお辞儀して心からの感謝を伝えた。「本当に、ありがとうございました」
「ありがとう、アドニスさん。さよなら」タムシンが手を振る。
「うむ。気を付けて、必ずここへ戻って来るのじゃぞ」
「はい」
タムシンと荷物をリュックサックに詰めたビバリーは、灰色の巨体に飛び乗った。
アルフは強く遠吠えし、それから緩やかに足を進め始める。
ドアから出て二、三歩歩き、そろそろアルフが走り出そうという頃、ビバリーはチラと紺色のローブを纏った魔術師アドニスを振り返った。「さようなら、絶対に戻って来ますから」
アルフはまるで風のように駆け、アドニスの城が遠ざかる。ドアの奥で手を振るアドニスが、頷いたのが見えた。
その束の間の後、魔術師の城はもう見えなくなってしまった。
そのまま難なく氷の山を駆け下り、現在、ノース島の南側、最初にノース島へ辿り着いたあの港町とは真反対の港町から出航した客船で、ノース島の南西に位置するウエスト島へと向かっている。
相変わらず、アルフは船室で猿轡をはめられてはいるが、タムシンと楽しそうに暴れ回っている。
そんな光景を見つめながら、ビバリーは腕の中にしっかりとアドニスに預けずに持ち続ける事にした光の玉の入った箱を抱えていた。
これからどんな苦難があったとしても、目的を達成してあの氷の山に戻ろう。
そして恒星の光を取り戻して、故郷の村の人々を氷の熊を解き放った事で皆殺しにし、案内人を死なせてしまった罪を償うのだ。
そんな決心を抱きながら、ビバリーは戯れるタムシンとアルフに目を向け続けているのだった。
(三章 挿絵)




