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第一章1

 森は、闇に包まれている。

 狼に跨って森を駆け回る少女――ビバリーにはそんな事、もう慣れっこである。何しろ、彼女は人工灯以外の光を見た事がないのだから。


「……今日はやけにうるさいわね。狼どもが近くにいるのかしら」


 ビバリーは呟いた。


 彼女が乗り回している狼の名前はアルフ。灰色の体毛を持つ、ビバリーの愛狼である。彼女が五年以上前、この森で拾った狼で、ビバリーとは長い付き合いであり、彼女の言葉を理解する事さえできた。

 ビバリーは、このノースエンド島と呼ばれる島の、この森の西側にある村の生まれで、彼女は毎日こうやって森をアルフと駆けずり回って遊んでいて、この日も例外ではなかった。


 とは言え、彼女の行動範囲は狭い。この森を抜けた東側には港町があり、そこに行く事は許されていたが、森の南北に行かないようにと母親に厳しく言いつけられていたからだ。南も北も、道が険しいなどの理由で危険だという。

 森には深々と雪が降り積もっていた。

 東側の町にでも遊びに行こうか、と思い、ビバリーが狼を東へと走らせていると、目の前に狼の群れが現れた。


 狼は、アルフと同じ種類で、毎日綺麗にしてやっているアルフと比べると、みんな土や雪で汚れている。彼らは牙を剥き出しにし、ビバリーを狙っていた。


 この森だけでなく、この世界には、光が差さない。

 それは三百年前、この世界を照らしていた恒星の光が消滅してしまったからだと言われている。

 森には光がなくても育つ植物しか存在しておらず、人間達の食べ物も、動物達の食糧も非常に乏しい。その為、狼などは人間を狙う。西側のビバリーの村より人口の多い東側の町に近い辺りに屯し、やって来た人間を取って食おうと待ち構えているのだ。

 それ故に、東西を移動する人間は武器を所持していたり、逃げる心得を知っている。


 ビバリーも狼から逃げるのなんて慣れっこであり、アルフに叫んだ。


「アルフ、狼どもから逃げて頂戴」


 アルフは高く遠吠えし、走り出した。

 彼の首にはランプを吊り下げた首輪がかかっており、それのおかげで辺りを見渡す事ができる。まあ、その強い光が目印となり、狼に居場所がバレてしまう事も欠点ではあったが、熟練されたアルフの逃亡術ではそんな欠点は屁でもない。

 アルフはくるりと体の向きを変え、暗い森を駆ける。ビバリーはこういう逃亡劇が好きだ。無論慣れたアルフの事だから捕まる事はないし、スリル満点なのだった。


 背後から、横から、狼が迫って来る。

 いつもなら簡単に引き離せるというのに、数分経っても狼達はしつこくしつこく追って来る。きっともう何日も、空腹に喘いでいて、決死の覚悟で追っているに違いない。そんな狼達をビバリーは哀れに思う。だが、哀れだからと言って喰われてやる気はない。

 逃げる、逃げる、旋回する、逃げる。

 追う、追う、叫ぶ、追う、荒い息、追う、追う。


 アルフの息が切れ始めた頃、どんどん狼の群れの足音が遠ざかって来た。

 基本飢えている狼どもは、それなりに裕福な暮らしをしているアルフと比べて体力がない。決死の覚悟で走ろうと、体力が持たないのだ。

 さらに数分走り、完全に狼の群れから離れた。


「ふぅ。ようやく引き離せた……。でも困ったな、北側まで来ちゃったみたい」


 行ってはいけないと厳しく言われていた、森の北側まで来てしまっていた。

 寒い寒い森を、チラチラと雪が舞っている。最北端の島の最北端に近い場所である、極寒に慣れているビバリーですら寒いのも当然だった。


「今日は東に行くのは諦めて、帰ろっかなぁ。でもなぁ」


 来た事のない北側。

 早く帰らなくてはならない。分かっているのに、ビバリーの内側では好奇心が頭を擡げ、彼女の理性に囁いていた。

 北を、探検してみよう、と。

 次にまたここへ来る機会は、いくらでもあるだろう。

 だが、そんな事はビバリーの理性が許さない。禁忌の場所に一人で乗り込むなど、あってはならないと強く思っていたからだ。

 しかし今回ばかりは、偶然で北側へ来てしまった。そんな今回だからこそ、探検をしてみてもいいのではないかとビバリーの好奇心が囁きかけて来るのだ。


「うーん」


 理性と好奇心の板挟みで心を悩ませるビバリーの後押しとなったのは、首を後へ向けてビバリーを覗き込んだアルフの視線だった。

 なんだか彼の目が輝いているように見えたのだ。

 それで、ビバリーは後で大きな災いを招く決断をしてしまった。


「少しぐらい、いいわよね。今回だけだし。ちょっと、探検してみよっか」


 ――雪の森を駆ける。

 でこぼこの歩いた事のない道、見た事のない景色。


 ビバリーの胸は踊り、この先に何かあるのではないかという稀代に弾んでいた。それはアルフも同じで、喜びの声を上げていた。

 しばらく走り続けた彼女は、異様な場所を見つけた。


 洞窟だ。

 木々の中に隠れるようにあり、中からは突き刺すような冷たい空気が流れ込んで来ている。いかにもな怪しさが好奇心をそそった。


「ねえ、入ってみない? 面白そうだし」


 しかしアルフの体が強張り、唸り声を上げた。まるで、危険が迫っていると言うように。

 ビバリーは苦笑した。


「臆病だね、アルフは。私、ちょっと行ってくる。待っててね。すぐ戻って来るから」


 そう言うなりアルフから飛び降りて、ビバリーは、いつも隠し持っている懐中電灯を下着の中に手を入れて取り出し、そっと洞窟の中へ潜り込んだ。

 寒さが、痛みとなってビバリーの全身を駆け巡る。


 黒い長丈のブーツを履いた足が悴み、動きが鈍くなる。それでもビバリーは足を止めず、広く暗い洞窟の中央へ歩み寄った。


 そして懐中電灯で足元を照らした時、そこに何かが落ちているのを発見し、ビバリーは目を丸くした。

 面白半分で入っただけで、本当に何かがあるとは思っていなかったのだ。


「箱?」


 それは、ビバリーの腕で抱えられる程の大きさの鉄製で何の装飾もない銀色の箱であった。

 箱を手に取り、じっくり眺めてから、恐る恐る蓋を開けてみる。


 中に何か想像もつかない恐ろしいものが入っていたらどうしよう。

 そんな風に考えて手が震えたが、いざ開けてみれば想像していたものとはまるで違った。


 中に入っていたのは、不気味な程に美しい漆黒の宝玉だった。


「何これ? なんか宝石みたいだけど……」


 ビバリーがそっと、そう呟いた時だった。

 洞窟の奥から、唸り声が上がったのは。


 無論アルフではない。目を上げて懐中電灯で照らすと、そこには体が氷で覆われた、巨大な熊が立ち上がって、こちらを睨んでいた。

 ただただ、獣を見つめ返し、呆然とする。


 こんな獣は見たことがない。

 ノースエンド島の生き物ではないことは明らかだ。それでは一体どこからやって来た? それともビバリーが知らなかっただけで、北側にはこのような怪物が当たり前のように生息しているとでもいうのだろうか。


 しかしビバリーには考えている暇も与えられはしなかった。

 氷の熊は叫び、その大きな口元に輝く鋭い牙を向け、彼女へ向かって突進して来たのだ。口から氷の息を吹き、それはビバリーの髪を一瞬で凍らしてしまった。


 悲鳴も出ない。何が起こったかまだ理解できてさえいない。

 しかしこのまま殺されるに違いないことだけは確かだ。しかしその時、外から遠吠えを上げながら灰色の巨体が飛び込んで来た。


 ――アルフだ。

 アルフはその銀色の牙を氷の熊の胸へと向け、ザクリ、と突き刺した。

 血飛沫が上がる。

 氷の熊は体制を崩し、グラリと背後へ倒れて悶え、動かなくなった。


 それを一体どれほどの時間見つめていただろうか。

 胸から血を滴らせる氷の熊を目の前に、ビバリーは立ち尽くすしかなかった。


「何、だったの……?」


 心配げに「クウン」と言うアルフの鳴き声で我に返った。

 そうだ、私の命を今、アルフが助けてくれたんだ。そう思い、慌ててお礼を言った。


「ありがとうね。アルフがいなかったら、死ぬ所だったよ」


 「くぅん」とアルフが嬉しそうに鳴く。

 鼻を擦り寄せられ、あたたかな毛に包まれて、ようやくビバリーは自分が無事であることの実感が湧いた。


 そして先程、もしかすると絶命していたかも知れない程のとんでもないことが起きたということも。

 しかしいくら考えても、答えに辿り着くことはできなくて。おぞましい氷の熊から目を逸らすと共に、彼女はすぐに考えることを放棄した。


 こんなところからはさっさと逃げてしまうに限る。

 そう思って洞窟を出ようとしたビバリーはふと、氷の熊と出会う直前、発見した謎の箱のことを思い出した。


「これ、どうしよう……」


 どうやら鉄製らしいが、見た目ほど重くない。これなら持ち帰ることはできる。

 これを持って帰ったら、盗難になるのだろうか。ビバリーは一瞬考え、しかしただ拾うだけだと割り切って、箱を抱え上げた。


 もしかするとこの宝石は金になるかも知れない。そうしたら貧しい家計が少しでもマシになる。


「帰ろうか」


 暗い極寒の洞窟を出て、ビバリーはアルフに跨って指示した。

 森には、豪雪が降り続いていた。

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