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会津遊一 ホラー短編集

私は逃げ出した

作者: 会津遊一
掲載日:2009/09/02

その日は蒸し暑かった。

特に、日差しが強いという訳ではなかったが、汗が止まらなかった。

ハンカチで拭いても拭いても、肌から大粒の汗が流れ落ちていく。

 もしかしたら。

このまま水分が出尽くし、最期は干からびて死ぬのではないかとさえ思えてくる。

私は朦朧もうろうとする意識の中、急いで目的地に向かった。



 その洋館は超高層ビルの隙間を縫うように、ひっそりと建っていた。

長い間、人の手が加わった様子はない。

外壁が落ちて、下地が剥き出しとなっている。

殆どの窓カラスが割られ、板木で侵入できないようになっている。

 私の仕事とは、不動産の資産価値を見極める事。

だが、この洋館の外観だけでは築何年経過しているのか見当も付かなかった。

「まるで廃屋だな」

と呟き、書類を確認しようとした。

 その時。

背後から恰幅のよい老人に話しかけられた。

「そりゃあ、この洋館は築70年は経過しておりましてな」

「――え? あ、これはどうも」

私は振り向き、頭を下げた。

 この老人は洋館の所有者であり、私が勤めている会社に売買を委託してきた人だった。

「しかし、今日はどうされたんですか? 視察は私に任されている筈ですが」

「アンタにカギを渡しに来たんだよ。無いと入れないだろ」

「カギでしたら既に受け取っていますよ」

「ありゃ、そうだったか。まあ、丁度良いし、私が案内してあげるよ」

老人は洋館の中に入ってしまった。

私は雇い主が側にいると査定しにくいとは思ったが、仕方ないのでその後を追いかけた。



通常、家の価値は場所、面積、築で値段の9割ぐらいが決まってしまう。

残された数割を埋めるために、実際にこうやって調べるのである。

 私が書類に、マイナス点を書き込んでいると、老人が尋ねてきた。

「それで、高い値段で売れそうかな」

「正直どうでしょうか。この様な状態では、中々買い手が付かないと思います」

洋館の中は、外よりも酷い状況だった。

少し床を踏むとミシミシと歪み、壁板は向こう側が透けて見えるほど腐食している。

当時敷かれていた絨毯を持ち上げると、下には黒い蟻達でビッシリと埋め尽くされていた。

階段は既に壊れてており、2階の床も抜けていた。

「逆にもう少し古いと文化財として指定されたかもしれない、というランクですね」

「それは弱ったな。――確か、この辺りは家を壊すと土地が減るんだよな」

「正確には大きな道路から数メートルは下がらないと、新しい建物はできませんね」

「弱った。土地が減ると利益が減る。かといって壊さないと売れない。持っていても、多額の税金だけが取られていく。どうしたものか」

老人は暗い顔をして、暫く悩んでいた。

 やがて、しかたないかと呟き、私に見せたいモノがあると言ったのだった。



家を査定する者として、私は全てを目撃しなければならない。

老人の後を追い、鉛の扉が付けられている地下室に入った。

 中はサウナの熱せられているような、外よりも蒸し暑い気温だった。

だが、すでに私の汗はぴたりと止まっていた。

あれだけたれ流れていた雫が、一滴もしみ出てこなくなっていた。

 ソレを見た私は、嗤った顔をしている老人に尋ねた。

「……本物なんですか?」

「勿論」

「じゃあ警察には」

「いや、その必要はない。ソレが出来て70年近く経過しているからね。当時の警察が調べて、犯人も捕まっている」

「では何故、こんなものが残っているのですか?」

「ソレの上に太い支柱があるんだよ。もし無くなると、この建物が倒れてしまうかもしれないからね。当時の警察も、簡単に手が出せなかったんだろう」

「どうやったら、こんな姿に」

「中華料理の技法に水煮込みという技があってね。樽桶に肉を置き、何日も新しい水を流し続けるというものだ。すると油が全部出て、やがて固まるらしいよ」

「……つまり、これは何なんですか?」

死蝋しろうだよ」

と、老人は言った。

 私達の前には、白く濁った蝋細工のようなモノが地中に埋まっていた。

ドラム缶ぐらいの大きさで、アンモニアが腐った異臭を放っている。

その中に、体育座りをした死体が固まっていた。

体の皮膚が乾燥した雑巾のように縮み、元々どんな顔をしているのかも分からない。

怨んで死んだのか、苦しんで死んだのか。

 肉や脂肪は全てロウソクの方に溶け出したらしく、残っている骨と皮膚と内臓ぐらいだった。

きっとその脂で固まったのだろう。

眼球は取れていて、既に無い。

薄暗い蛍光灯の明かりでは眼窩がんかの奥まで届かなく、顔の真ん中にぽっかりと穴があるように見える。

 全てを目撃した後、私は嘔吐おうとした。



胃の中の物を全て吐き出し、弱った私は、老人の自宅で介抱される事となった。

連れて行かれた時、そこが普通の家だったので安心している自分がいた。

「お茶入れてくるから、待っててよ」

そう言い残すと、障子を閉めて老人は何処かに消えた。

 私は1人取り残されたので、何気なしに部屋を見渡すも、そこは普通の居間であった。

特に変わった所はない。

 ただ。

音が気になった。

大量に水が流れ落ちている異音が、微かに聞こえてくるのだ。

それも畳の下から届いている様な気がした。

何故、そんな所から音がしているのだろうかと考えた時、私は背筋が氷る。

 もしかしたら。

もしかしたらこの真下で、アレを作っているのではないかと。

今も、新しい死蝋を作っているのではないかと。

だが犯人は逮捕されたと言っていたではないか。

 私は混乱した。

すると、何処からか老人の声が響く。

「所でさっきは真剣にアレを見詰めていたね。もし気に入ったのなら、他にも見せたいモノがあるんだけど……」

 私は振り向く。

その時、障子の隙間から此方を覗いていた老人と目が合った。

ずっとそうしていたのだろうか。

ゾッとした。

 私は老人の家から飛び出した。

逃げる間、止まっていたはずの汗が大量に流れ落ちていく。

まるで、しぼり取られた死蝋の様に、留めなく汗が流れ落ちていった。

  

  

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― 新着の感想 ―
[一言] そしてオチがタイトル、というワケですね。 一見するとむしろ評価を下げそうな代物ですが、世の中には好事家という輩も居ますから、売りようによっては高く売れるのかもしれません。もっとも、現在進行形…
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