平田健二は非行に走っていた
「平田君、本当にごめんっ!」
あの日、鈴木先生……改め、鈴木君が僕に謝罪をしてきたことは未だに忘れられない。
彼には今日まで色々と助けになってもらっていた。意中の人、白石美穂さんと付き合いたい。そんな僕の恋心の手助けを、彼は率先してしてくれていた。
時には彼女の愛読本を教えてくれたり。
時には彼女との交友を深めるための架け橋になってくれたり。
彼には、たくさん助けてもらった。
スマートな解決策の提案だったり。それはもう、色々と。だから僕も、彼のことは敬意を込めて先生と呼んでいた。彼には大層、嫌がられていたが。
……でも。
「君の好きな人に、僕も好意を抱いてしまったんだ」
突然の彼の告白に、僕は目の前が真っ白になる思いだった。
彼は。
本当に申し訳なさそうに唇を噛んでいた。
僕は、鈴木君に文句を言うことはしなかった。むしろ、これから互いに頑張ろうと声をかけた。
僕は多分、これまでたくさんお世話になった彼と、犬猿の関係になりたくなかった。後は、白石さんに嫌われるかもしれない。そんな女々しい思考が脳裏を過ぎったんだ。
あの鈴木君の告白以来、どうも僕は日々に活力を見出せていなかった。
自分がどうすればいいのか。つい先日まではそれなりに自信を持って行動できていたのに、今はそれがわからない。
「……あ」
僕は今日も何もやる気が起きず、教室から外を見ていた。その時、仲睦まじそうに下校している二人を見かけたのだった。
鈴木君、無事白石さんと恋仲になったのか。
一番に浮かんだ感情は、安堵だった。
たくさんお世話になった彼が結ばれたことが、とてもとても嬉しかった。
でも、僕はそんな感情を浮かべていいのか。
突然、心の奥底からどす黒い感情が沸きあがっていった。意中の人を取られて、どうして僕は安堵なんて覚えたのだろう。
ここは、きっと……。
怒るべき、だったのだろう。
やる気の起きない日々は続いた。そろそろ、三学期も終了してしまう。
最近は教師陣からもその態度を咎められる日が増えた。でも、変われる気はしなかった。
「お前さあ、舐めてんの?」
ある日、僕は担任の須藤先生に呼ばれ、職員室に来ていた。曰く、最近の僕の授業態度は教師陣から著しく評判が良くなかったらしい。事態は担任である彼にクレームが及ぶまでに発展し、こうして直々にお叱りするべく僕を呼びつけたのだ。
そして、開口一番のこの台詞。いつもは向こうだって大概舐めたようにやる気を出さない癖に、偉そうにも僕に文句を言いたいらしい。
「舐めていませんが、何か?」
青筋を立てる彼に、僕は挑発的に言った。
「それが舐めてるって言ったんだよ!」
須藤は机を殴りながら、暴言雑言の限りを尽くした。
僕はといえば、彼の普段の態度を知っているから。彼の怒鳴りが特に響くことはなかった。
「ふて腐れた態度取ってんじゃねえ、クソガキがっ!」
「うるさいなあ」
「何だと!?」
須藤先生はどんどんヒートアップしていった。ここが職員室ということも忘れて、顔を真っ赤にして僕への非難を続けていた。
本当、嫌な大人だ。
「先生、宿題を持ってきました」
「や、山田さん……」
そんな僕達のいざこざなど興味もなさそうに、山田さんが間に割って入った。手にはたくさんのノート。本人の言うとおり、クラスの宿題を届けに来たのだろう。
「何見ているの?」
「ご、ごめん」
怒られてしまった。彼女には、僕はある一件以降頭が上がらない。だから、こうして非行に走りかけている今も、素直に謝罪の口にしてしまった。
「いいから手伝ってよ。重い」
「あ、うん」
彼女の言葉を聞き入れて、ノートを受け取って、先生の机に置いた。
「それじゃ、失礼します。行くよ」
山田さんは僕の手を強引に引き、職員室を後にした。
「ちょ、ちょっと」
廊下にて、僕は山田さんに文句を口にした。
「ちょっと待ってくれ。待ってくれよ」
手を乱暴に振り回して、彼女から離れた。山田さんは、立ち止まっていた。
「最近のあんた、格好悪いよ」
「何?」
「格好悪いって言っているの」
思わず、頭に血が上りかけていた。お前に何がわかる。
そう言いたげに山田さんを睨んでいると、
「文句があるなら言えばいいじゃない。気に入らないことがあるなら言えばいいじゃない」
山田さんに、そう言われてしまった。正論だった。僕は思わず、俯いた。
「そうやって全部胸の内に抱えて、気取って。全部素直に吐き出せばいいじゃない」
「うるさい」
「素直な気持ちも言わないで、あんな事する方がおかしいんじゃない」
「うるさいっ!」
通行人達の視線が、一斉にこちらに向けられた。先ほどまではあんなにうるさかった廊下が、今は随分と静かだ。
「……君に何がわかるんだ」
いつの間にか感情的になった僕は、山田さんに胸の内の全てをぶちまけていた。
白石さんが想い人だったこと。
鈴木君に恋の成就のためにたくさん助けてもらってきたこと。
でも、最後には鈴木君に、想い人を取られてしまったこと。
「そう。あなた白石さんのこと、好きだったんだ」
「ああ、そうさ」
でも、彼女はもう……。
「でもそれも、結局あなたが悪いんじゃない」
「……え?」
「あなた、結局白石さんにまともにアプローチしていないじゃない。鈴木に取られるのも、何もおかしくない。白石さんに振り向いて欲しいのに、あなた自分から何もしていないんだから」
「そんなことは……」
そんなことはない。
でも、確かに思い返してみると、僕はあまりに何もしていなかった。
「……思いの丈を伝えるくらい、すればよかったのよ」
「そんな真似出来るか」
「どうして?」
「そんな……嫌われるかもしれないだろ」
山田さんは、罰が悪そうにそっぽを向く僕に、あからさまなため息を吐いていた。
「少なくともあたしはそうしたよ」
「……っ」
いつかの光景が蘇る。
あれは確か。
文化祭の打ち上げで、出店の打ち上げが二、三年生よりも郡を抜いてトップで、クラスの誰もがとても楽しそうにしていたあの頃。
白石さんの号令で、体育館でライブをしたバンドの子達が前に集まり、演奏しようとした直前の出来事だった。
『平田!』
クラスメイトの輪の中に溶け込む僕に、誰かが……彼女が、突然呼びかけてきたのだ。
何だろう?
見てみると彼女は、ベースを抱えたまま頬を染めていて。
まるで、愛の告白でもこれからしようとしているのかと思うくらい、落ち着きがなくて。
でも。
でも、僕へと見据えた眼差しは、真剣そのもので。
『あたしは、あたしはずっと前からあんたの事が好きだった! だから付き合ってください!』
彼女は、マイク越しに思いの丈をぶちまけた。
僕の答えは……。
「ま、誰かさんは見事に玉砕させてくれたけどね」
彼女の恨み節が、耳ざわりだった。
あの時の僕はまだ、鈴木君の内なる感情を知らなかった。だからただ一途に白石さんを思っていた。
「でも、玉砕覚悟でもぶつかればよかったんだ。そうすれば、今あんたはそんなに後悔してないと思う」
「……僕にはそんな真似、出来ない」
『まず君、白石さんに無策で迫っただろう』
いつか鈴木君に当時の僕のやり方を指摘されたことがあった。
あれ以来僕は、どういう風に話すかなるべく事前に考えるようになった。そうすることで、彼の言うとおり、物事がスムーズに進むことが増えた。
だから僕は、玉砕覚悟で白石さんにぶつかることはしなかった。だって、振られるだろうから。わかりきっていて、突っ込むなんて間違っている。
「あんたの良いところは、やること全てひたむきになることでしょ」
「え?」
「言ったでしょ。あたしはあんたのことが好きだって。だからあんたのことは良く知っているつもり。そんなあたしが知っている真のあんたの姿はね、いつだってひたむきに全力に何かに取り組むことだよ」
『ああ、実は僕、昔からピアノを習っていてね。雨の日も台風の日も、風邪を引いたって休んだことがなかったんだ』
いつか、鈴木君に話したことを思い出す。
そうだ。僕はいつだって、ただひたむきだった。成功しようが、失敗しようが、ただひたむきに行動してきたじゃないか。
鈴木君の教えは、僕の姿を変えるべき言葉ではないじゃないか。僕に言い訳を与える言葉ではないじゃないか。
ただ、ひたむきに行動する僕に、もっと成功率を上げるにはどうしたらいいか。
彼の教えは、ただそれを示してくれただけじゃないか。
「どうやら僕は、勘違いしていたみたいだ」
「今更だね」
山田さんは笑っていた。
「ようやくあたしの惚れた平田の顔になったよ」
そして、頬を染めて彼女は言った。
僕はたじろいでいた。彼女に素直に好意を伝えられたのは、都度二度目だった。それでもこんなこと、早々慣れる気がしない。
「まだ君は、僕のことが好きなのかい?」
いつの間にか僕は、そんな言葉を彼女にかけていた。
「何を言うか」
山田さんはしかめっ面を作っていた。
「今更だね」
そうか。今更、か。
僕は小さく微笑んだ。
「山田さん、僕はいつか、君の思いにちゃんと答えるよ」
「ありがとう」
「でも、少しだけ待ってくれ」
僕は続けた。
「僕は今、情けない行動に出てしまった。非行に走ってしまった。たくさんの人に迷惑をかけてしまった。だからまずは、その贖罪をしたい。
そうしたら、君の思いに、必ず答える。絶対」
「……そう」
「うん。だから、もう少しだけ待っててくれ」
「わかった。……でも」
「まだ、何か?」
「五日連続授業中に早弁したことは、非行というより間抜けだと思うよ。正直」
山田さんは困ったように微笑んでいた。
作者公認不遇キャラ、二人目は平田健二。
主人公に想い人と付き合うために手助けしてもらっていたと思ったら、取られていた哀れなキャラ。
その割に作者的には気軽に出番を与えられる場面があり、度々生存報告させる程度には出番があったキャラ。
最早コメディ調にさせたいなら、安藤母か彼を出せばいいと思っている節がある。
今回も何故か最後ふざけてしまった。
大変申し訳ないことをした、とは思っていない。