告白
廊下から非常階段に出ると、沈みかけの夕暮れが今日の終わりを告げているようで、僕は少しだけ感傷的な気持ちになっていた。
トランペットの音色が耳に響いた。今日も博美さんは部活動に勤しんでいるようだ。音色が、喧しい校庭で響く掛け声と調和して、美しいハーモニーを奏でていた。
少しだけ気を取り直して、指揮者にでもなった気持ちで、僕はリズミカルに階段を上った。一段一段踏みしめていく度、気持ちはどんどん乗っていった。
しばらくして、僕は白石さんの待つ屋上前の階段にたどり着いた。
白石さんは、いつものように端っこに詰めて階段に座っていた。
「遅かったわね」
「ごめん。来客がね」
「来客?」
不思議そうに小首を傾げる白石さんが可愛かった。
「そんなところで立っていないで、座りなさいよ」
いつものように、白石さんは手招きをして僕に隣に座るように促した。
僕は高鳴る心臓をごまかすように微笑みながら腰を下ろした。彼女に肩が触れた。再び、心臓が高鳴った。
「どうだった?」
「な、何が」
ドギマギしながら、僕は聞いた。
「演説」
言葉短く、白石さんは言った。
「あ、ああ」
ホッ。どうやら、絶縁宣言ではないらしい。
そうだなあ。正直、途中からはそれどころじゃなかったけど。微かに覚えていることといえば……。
「ベルが鳴ってから、相当捲くし立ててたなって」
「うぅぅ……」
白石さんは頭を抱えた。大層残念そうである。
「弁明するんだけど、練習では時間はいつもピッタリだったの」
「そうなんだろうね」
からかうように微笑んでいると、白石さんはご立腹そうに小さく頬を膨らませていた。
「桜内先輩の演説の頃には皆集中力が切れていたから。何とかもう一回意識をこちらに向けたくて」
「とすると、あの質問はアドリブか」
「ええ」
悔しそうに白石さんは頷いた。
大した子だ、本当に。あの場の流れを読みきって、大胆にもアドリブを突っ込んでくるだなんて。ただ、それで時間を費やしたのでは元も子もない。
限られた時間内で誰もが納得する説明をすること。それがあの場で彼女に要求されたことだった。であれば、あの演説は……失敗だった? いいや、違う。
「次は演説の場がどんな雰囲気になるかを想定した上で資料を作る」
白石さんは意気込んで答えた。
「今回の失敗点は、多分そこだから」
「本当に、失敗なのかい」
意気込む彼女には悪いが、僕は聞いた。
「いつか、文化祭の時に君が言っていたじゃないか。結果を出せたのなら、それでもういいじゃないかと。フィードバックは必要だけど、そこまで悔しがる必要はないんじゃないか? だって君は、目標である生徒会長になったんだから」
「目標は、叶ってない」
「え?」
白石さんはそれっきり、しばらく喋ることはなかった。
僕はこの時間が少しだけ手持ち無沙汰で、再び校舎の音色に耳を傾けた。さっきまではトランペットの音色だけだったのに、いつの間にか様々な音が合わさり、メロディーを奏でている。いつの間にか合奏が始まっていたみたいだ。
「鈴木君、どうしてあたしが今回、生徒会長に立候補したか、わかる?」
「え?」
さっきから、え、ばかり言っている気がする。まあ、今はそんなことどうでも良くて。
白石さんが生徒会長を目指した理由、か。
そりゃ勿論。名誉とか地位を欲したから、だろ?
いや、待てよ。
でもそれだと、生徒会長に無事なれた今、彼女が何を悔しがっているのかわからない。
一通り頭を捻って、僕は首を傾げた。駄目だ。わからない。
「わからん」
そう答えると、白石さんは優しく微笑んでいた。
「あたしがどうして立候補したか。わからないんだ」
「ああ、お手上げ」
「そう。そっか」
白石さんは少しだけ寂しそうに俯いて、続けた。
「それはね、鈴木君。あなたと対等になりたかったからよ」
「対等に?」
この、僕と?
たかが元サラリーマンの、この僕と?
「あなたは、文化祭で一年にも関わらず、その手腕でクラスの売り上げを総合一位にしてみせた。だからあたしも、一年でこの学校の生徒代表である生徒会長になってやろうと思ったの。あなたのように全てを完璧にこなして、生徒会長になろうと思ったの。
全ては、結果を出したあなたに並びたかったから。対等になりたかったから。あたしは生徒会長に立候補したの」
なるほど。
だから彼女は、今回に限って僕の力を借りずに頑張りたいと言ったのか。
ただ、それにしても。
「買い被りすぎだね、僕のこと」
少しだけ自虐的に、僕は言った。
「僕だってしょっちゅう失敗しているよ。そんな君が思うような完璧な人ではない」
最近だって、下らないことで悩み、隣にいる少女を悲しませたばかりの僕が、そんな完璧な人間なはずないではないか。
「確かにそうかも」
「認めるんかい」
思わず突っ込んでしまった。罰が悪く白石さんを睨むと、彼女と目が合った。彼女は僕に対して、微笑み返してきた。
思わず僕は、顔を背けた。赤く染まった頬を見られたくなかった。
「でもね、鈴木君。あなたがそんな、いざという時にしか頼りにならず、すぐに厄介ごとに首を突っ込んできて、女の敵、スケコマシだからこそ。
だからこそ、あたしはあなたのことが好きになったの」
「ああ、そう。そうですかー」
……ん?
「え?」
何か大切なことを言われた気がして、僕は白石さんの方に向き直った。
彼女は少しだけ頬を紅潮させて、それでも先ほどと変わらない、まるで聖母のような優しい微笑を浮かべながら、僕にもう一度思いを告げるのだった。
「好きよ、鈴木君」
この回含む3話は普段リテイクを(面倒だから)しない僕が珍しくボツを出して書き直した回でした。
ヒロインにアウトプットし続け現状維持の主人公と、
主人公からインプットし続け、主人公でも目を見張る成長を遂げるヒロイン。
という対比を作りたかった。