報復
「トオノ先輩、いますか?」
二年二組。顔見知りもいないこのクラスに、僕は今わざわざ足を運んでいた。かのトオノ先輩に用事があったのだ。
「アンナー。後輩の子が用事だよ」
「何? ……あ」
トオノという少女は、僕の顔を見た瞬間に仲睦まじそうに媚び諂った程度で話してた態度から一変。眉間に皺を作り横暴な態度でこちらを睨んでくるのであった。
「何だよ」
「僕も用事があってきたわけじゃないんです。でも、昨日の脅迫文の件でちょっと」
粗暴な態度で応対されたのでありのまま用件を伝えると、昼休みで賑わっていたクラスが静まり返った。トオノは顔色を青ざめさせて、こちらに駆け寄ってきた。
「さ、行きますか」
「お前、ふざけてんのか!」
「ふざけてない。ならここで話します? 僕は構わない」
クラスの反応を見るに、彼女はどうやらいつもは猫を被っているようだ。いつもとのギャップなのか、クラス中の視線は未だ冷ややかだった。
トオノは舌打ちをして、僕の後についてきたのだった。
昼休みである今現在、まったく人気がない駐輪場に僕達は来ていた。トオノは罰の悪そうというか、苛立たしげな顔でこちらを睨んでいた。
「さて、単刀直入に言いましょう。昨日、僕あなたと別れた後に偶然教室に戻りましてね。そしたらこの紙が置かれていました。あなたの仕業ですね?」
「しらねえよ」
紙に目もくれることなく、トオノは言った。どうやら悪気はさらさらないみたいだ。
「ま、興味もないですが聞きましょう。何で白石さんにこんな嫌がらせをしたんですか? 全うな理由なら聞き入れますよ」
「だから、しらねえって言ってんだろ!」
「そうですか」
僕はスマホを操作して、動画を起動した。実は昨日帰る際に、嫌な予感が拭えずに向かいの下駄箱の上にスマホを仕掛けていた。
動画では、トオノが白石さんの下駄箱を開き、上履きにイタズラ書きをして、土を積める様子が映っていた。
トオノの顔が見る見る青くなっていく。
「なら、こっちの件で聞きます。どうしてこんな嫌がらせをしたんですか?」
僕はスマホに視線を落としながら聞いた。
「……ふん」
しばらくすると、トオノは開き直ったかのように鼻で笑った。
「ミドリのお願いだよ」
「誰です?」
「その白石って子と同じく生徒会長に立候補している女子。ウチ、その子のグループにいるの。で、皆でその女、気に入らないね。嫌がらせしようって話になったの」
「へえ」
なんと下らない理由だろう。
「で、誰がやるかってなったんだけどさ。ウチ運悪くジャンケン負けちゃってー。渋々やったってわけ?」
トオノは悪気もなさそうに肩を竦めた。こんな奴に、こんな奴らに、白石さんが苦しめられたと思うと、腸が煮えくり返りそうだった。
「ね、だからウチは悪くないわけ。わかった? じゃあ帰るから」
挙句、トオノはそんな言葉を紡いでみせた。いっそ清清しいなと思って、僕は笑っていた。
「ええ、確かにあなたは悪くない」
「そう。ウチは運悪くジャンケンに負けて断れなくてしただけだもん。何も悪くないよ」
「その意見は意味がわからない。でも、確かにあなたは何も悪くないですよ」
僕は皮肉交じりに微笑んだ。
「未成年ってのは管理される側の立場。何をしたって、管理不行き届きってことで、責任追及されるのは親とか担任の先生になる。
だから、あなたにはもうこれ以上断罪しませんよ。無駄だってこともよくわかったしね。
これからこの映像を担任へ。そしてご両親に見せようと思います。もう帰っていいですよ」
そうまくし立てると、トオノは苛立ちげに「はあ?」と言った。
「そんなことしたら、ウチ叱られるじゃん!」
「意味がわからないですね」
僕は首を横に振って見せた。
「あなた、なんで叱られると思ったんです? あなた言ったじゃないか。自分は悪くないって」
「そ、それは……」
「自分は何も悪くないって、確かにあなたはそう言った。だったら正々堂々としていればいい。自分は悪くないって、正々堂々と担任や両親に言えばいい。だってあなたは何も悪くないんでしょう?
親に言えばいいじゃないか。断れずにやったって。あなたはそれで解決すると思ったから僕にそう言ったんだろ?」
トオノは面倒くさくなったのか、気だるそうな態度を見せ始めた。
「わかった。わかったよ。ウチが悪かった。これでいいだろ? 面倒な奴」
「良いわけないだろっ!」
僕が怒鳴ると、トオノは目を丸くして佇んだ。
「あんた、自分がしたことが悪いことと知って事に及んだんだろ? だったら、なんでそんな不誠実な態度を取れる。この後に及んで人を見下せる! 白石さんに謝罪もせずに悪びれもなくいられる!」
トオノは面食らっていた。
「何をしているんですか?」
そして、声が響いた。
「こんな場所で、二人で何を?」
鳳だった。
「鳳先生っ!」
トオノは、嘘泣きしながら鳳の胸に飛び込んだ。
「この人に、ウチ、酷いこと言われて……それで、怖くて怖くて。ウチ、ウチ……」
僕はスマホを操作した。
『なら、こっちの件で聞きます。どうしてこんな嫌がらせをしたんですか?』
『ふん。ミドリのお願いだよ』
『誰です?』
『その白石って子と同じく生徒会に立候補している女子。ウチ、その子のグループにいるの。で、皆でその女、気に入らないね。嫌がらせしようって話になったの』
『へえ』
『で、誰がやるかってなったんだけどさ。ウチ運悪くジャンケン負けちゃってー。渋々やったってわけ?』
トオノの顔がまるでさび付いた機械のように、ゆっくりとこちらに向けられた。
「鳳先生。どうやら僕が酷いことを言って彼女を泣かせてしまったみたいなので、仲裁役になってくれないかい?」
鳳は、一件を察したのか、
「えぇ、了解です」
と微笑んで答えた。
「さ、トオノ先輩。もう少しゆっくり話しましょうか」
飛び切り憎たらしい笑顔で、僕は言った。
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「これで、良かったんですね?」
「ああ、ありがとう。貸しにつけておいてくれ」
トオノを目一杯反省させた後、僕は鳳と二人で学校の喫煙室に訪れていた。昨今、喫煙者は肩身が狭い思いをしていると言うし、何なら元サラリーマン時代、僕も炎天下の中外にある喫煙室によく休憩しに行っていたが、どうやら学校でも同じらしい。学校内でも最果てにあるプレハブ小屋が、喫煙室だった。
「貸しにはしませんよ。好きな子のためにしたんでしょう? あなたの趣味が知れただけ、私は満足ですよ」
「趣味悪いな、あんた」
罰が悪そうに微笑んで、僕は言った。
「というか、あんた煙草吸うんだね。意外だったよ」
「そういう君も、ノコノコこんな場所まで着いてきて。制服に匂いが染み付いても知りませんよ?」
「その内落ちるだろ。何なら、一本もらってもいいぜ?」
「駄目に決まっているでしょう」
何だかんだ、こいつも教師、か。
「欲しければ、貸し一つです」
「ああ、そう」
一瞬でも敬って損した。
世知辛い世の中なのか、随分と手元まで煙草を吸って、二本目を鳳は取り出した。
「それより、本当に良かったんですか?」
「何が」
副流煙を吸いながら、僕は尋ねた。
「トオノさん以外の生徒をお咎めなしにしたことですよ。特に主犯らしい、桜内さん」
桜内とは、白石さん同様生徒会長選挙に立候補している女子のことだ。トオノ曰く、主犯は自分を唆した彼女とのこと。
「いいよ」
「何故?」
「白石さんは、挑戦と銘打って今度の生徒会選挙に挑むんだ。相手がいなくちゃかわいそうだ」
「随分と白石さん思いなんですね」
「うぐ……」
清清しい爽やかスマイルで鳳が言ったもんだから、僕は頬を染めて罰が悪そうにそっぽを向いた。
「でも本当にいいんですか? もし桜内さんに負けでもしたら--」
「大丈夫」
僕は鳳の言葉に被せ、続けた。
「もし彼女が負けても、彼女ならどうして自分が負けたかをキチンと分析して、次に活かすさ。それに、そもそも彼女は負けないよ」
「ほう」
随分と白石さんに肩入れしている僕を、鳳はそれはもう物珍しそうに見ていた。
途端、自分が恥ずかしいことを口走ったことに気づいて、僕は立ち上がった。
「そろそろ行くわ。今回は本当、ありがとうな」
「いえいえ」
鳳は横に首を振った。
「私も君とやりあっている時間は、それなりに楽しいんですよ。他の子は、そう。あまりにも従順で張り合いがない」
「今のも録音しておけばよかったよ」
「まあまあ、とにかく何が言いたいかと言うとですね。そう。君と話しているとね、まるでやり手のサラリーマンと対峙しているような気分を味わえるんです。だから、楽しい」
サラリーマンという言葉に、僕は少しだけ逡巡した。
「そうか。ならまた頼むよ」
「えぇ、あなたとはまだ二年以上も一緒にこの学校にいれるわけですからね。また頼みますよ」
「ハハハ。わかったよ」
プレハブ小屋の扉を開けて、僕は続けた。
「またな」
「えぇ」
校舎に戻る間に、僕は鳳の台詞を思い出していた。
『君と話しているとね、まるでやり手のサラリーマンと対峙しているような気分を味わえるんです』
やり手かどうかはいざ知らず、もし僕が元サラリーマンだったと知れば、彼は一体どんな顔をするだろう。
もしかしたら、納得するかもしれない。
もしかしたら、荒唐無稽だと笑うかもしれない。
でも、その事を彼が知る日は、果たして来るのだろうか。話して、腹を分かち合って話す日は来るのだろうか。
僕は考える。
彼女を、白石さんを今回傷つけてしまったのは、きっと僕が彼女よりも十歳も年老いたサラリーマンだったからなのだと、考える。
彼女よりも年を重ねて、酸いも甘いも知り、生きてきたからこそ、彼女を救うことに後ずさってしまったのだと考える。
もし鳳という相談相手が僕にいれば、もしかしたら別の未来も見えるのではないだろうか。ふと、思った。
彼に相談すれば、もっとスマートな解決案を提示してくれるのではないだろうか。
彼に相談すれば、僕の話をあざ笑って、正しい道へ僕を導いてくれるのではないだろうか。
そう、考えた。
「いいや、これは駄目だ」
だってこんなことを奴に話したら。
「貸し、一つだろうしな」
苦笑しながら、僕は校舎に戻っていった。もう、五限目は開始していた。
意外と良きライバルっぽくなったな。と思いました。




