思う壺
気付いたら僕は、鈴木君の家を飛び出していた。このままでは怒りに任せて、破壊の限りを尽くしていたかもしれず、止むを得なかった。
「くそったれ」
壊してしまったスマホで見た鈴木君の遺書。という名の独白。彼と入れ替わってきた以降、いくつか抱えていた疑問の解消にも繋がったが、それよりも精神的にダメージを負ったほうが大きい。
『それでは、素晴らしいほどに哀れで惨めな人生を』
「クソガキが」
疼く右肩を抑えながら、僕は吐き捨てた。彼がなじったこの肉体への文句は、まぎれもない事実である。そればかりは認めなくてはならない。
ただ、これまで僕が抱いていた鈴木君への感情は一瞬にして一変した。
『雨が降れば肩が痛くて碌に眠れない。老婆のように、肩を思い切り上げられない。リハビリはただただ辛い』
彼の言葉通りだ。
雨が降る度に僕も痛みで目を覚ますし、肩は上がらないし。昔よりマシになったと言われながらも、病院に通院する度にえらい目にあっている。
確かにこの体は、碌な体でないことは事実だ。
でも、家族をないがしろにして、自分本位な行動に出た彼を許すことは出来そうもない。
それに彼は、
「よくも」
僕の体を殺した。
許せるはず、ないじゃないか。
邪な感情が浮かんでは消えていく。
彼に抱いていた同情、哀れみの念は消え去り、今では怒りや憎しみばかりが募っていた。
「どうすれば、こいつに復讐が出来るんだ」
口に出した途端、再び感情は爆発した。
傷が出来た右拳をまた握り締めると、ヒリヒリと痛んだ。
こんな激情に駆られたのは、生まれて初めてだった。二十五年以上生きてきて、初めてだった。
そんな邪な感情を抱えていると、僕はいつの間にか跨線橋を歩いていた。
真下には、たくさんの線路が並んでいた。
そして、
ゴォォォォォ
大きな音を鳴らして、電車が駅に滑り込んでいた。
「あるじゃないか。復讐する方法」
そして、僕は思いつく。鈴木高広への復讐の方法を。
緑色の手摺に手を伸ばして、段に足をかけた。そのままポール状の手摺に足をかけようと伸ばして。
「駄目だっ」
僕は飛び降り自殺を頓挫した。
『そして、俺の後を追ってほしい。
俺が自殺したことが正しかったと、周囲に、何よりあなたに証明してもらいたい』
何故なら、今僕がしようとした行為は鈴木高広の望むことだったから。このままここで飛び降り自殺することは、鈴木高広の肉体を殺せるものの、彼に絶望を与える術にはなりはしないのだ。
僕は憂いた。他にどうすれば、彼を苦しめられる。そんな事が脳内で浮かんでは消えていく。
「何しているの、鈴木君」
手摺に手をかけ逡巡していると、聞き馴染みのある声が耳に届いた。
陰鬱な目で声のした方を見ると、そこには白石さんが呆然と立っていた。その顔を見ていると、僕は自分が仕出かそうとした行為に気が付いた。
白石さんはしばらくして少しだけ怒ったような顔して、こちらにズカズカと歩み寄ってきた。
「何してるのよ」
怒気を孕んだ声で、白石さんは僕の手首を掴み、手を手摺から離させた。意外と力が強かった。
「死にたいの?」
彼女は相変わらず怒気交じりの声だった。
僕は彼女の目を見れず、他所を見ながら彼女の質問の答えを考えていた。しかし、考えている途中であほらしくなって、
「しようとしたけど、止めたよ。これじゃ思う壺だ」
吐き捨てるようにそう言った。
白石さんは僕の言葉に大層寂しそうに瞳を潤わせていた。唇をかみ締めて、文句があるという態度を示していた。
「帰るわよ」
家に?
そんなの無理だ。あんな家になど帰りたくもない。
「離せ。僕は家には帰らない」
乱暴な言葉を吐き、強引に手を退けると、白石さんは意外そうな顔を作って佇んだ。しばらくして、再び寂しそうな顔をした。
しかし白石さんは、決意を固めた目をすると、再び力強く僕の手首を掴み、引っ張った。
「ちょ、おいっ。離せっ」
乱暴な言葉で、腕を回しながら彼女に抵抗をした。
「離さない。行くわよ」
「やめろ。誰があんなところに帰るか!」
あんな。
あんな、鈴木高広の慣れ親しんだ家に、誰が帰ってなるものか。一度帰ってしまえば、僕は多分怒りの限りを尽くすだろう。それこそ、誰かに当り散らして過ちを犯してもおかしくない。
「帰らなければいいじゃない」
「はぁ?」
なら、どこに連れて行く? 交番か? それとも施設か?
なんにせよ、従う気には更々ならなかった。
「離せっ! 離せって言ってんだろ!」
「離すもんですか」
右手で彼女の手を離そうと試みるも、肩に痛みが走ってまともに掴みかかることも出来ない。
クソッ、このガラクタが!
「匿ってあげるから」
「は? 聞こえねえよ!」
呟く白石さんに、僕は苛立って声を荒げた。
「あたしの家で匿ってあげるから、そこで一日頭を冷やしなさいっ!」
生意気な僕の態度に、ついに白石さんは怒鳴った。
目を丸めて思考が停止した僕を見て、彼女はようやく諦めて反抗しなくなったと思ったのか、更に強く僕の手を引っ張って歩き出した。