遺書
『今これが誰かの目に留まっているということは、俺は無事死んだということだと思う。その事実に少しだけ安堵する。
どうしてこんなろくでなしな人生を送る羽目になったのか、今でもずっと考えている。答えは出そうもない。でも今後は、それさえも考える必要がないと思うと、とても嬉しい。
もう既に知っていることだと思うが、俺は自殺をした。多分、電車に飛び込んで。周囲の人はびっくりしたことだろう。あの高広君が自殺だなんて、と。でも、電車に飛び込もうと思ったこと、実は今回が初めてではない。中学に上がって、野球を続けて、毎日のように辛い練習を送っていたあの日々。どんなに辛かろうとギブアップを許されなかったあの頃、何度死にたいと思ったかはわからない。
でも、こうして自殺を決意出来たのは、その辛すぎる練習を、この肩痛で絶たれたことがきっかけだったと思う。もう選手生命が絶たれたというのに日々繰り返されるリハビリは、ただ虚無だった。
何のためにリハビリをして、何のために怪我を治そうとして、ずっと疑問に思っていた。そうしていつしか俺は、自分が何のために生きているのかもわからなくなっていた。
勉強は出来ない。もう激しい運動も出来ない。あれだけ辛かった野球を失って初めて、俺には野球以外何もなかったのだと理解した。
いや、そもそも野球をしている時だって、俺の人生は虚無でしかなかったのかもしれない。幼い頃、母さんと俺を捨てて出て行った親父を見返すことだけを目標にして、復讐のために練習をしてきた。テレビなんかで注目されたこともあったが、内心有頂天になったことなど一度もなかった。そんなことで親父を見返すことなど出来ないとわかっていたからだ。
不倫して母に離婚を一方的に迫った癖に、親父はずっと聖人面している。球界を引退した後も印象命のコメンテーターを務めている。どうして世間はこうも見る目がないんだと、憤慨せずにはいられない。
そして、成り上がる父の現状を思うだけで酷く憎らしい。妻を捨て、子を捨て、彼からしたらはした金の生活費を振り込むことで事なきを得て。媚びへつらった笑顔を全国民に晒しているその現状が、正直ただただ憎い。
時々、思っていた。
誰かにこの絶望の人生を変わってもらえないか、と。その人の素晴らしく輝かしい人生を代わりに俺が送って、その人には絶望と虚無しかない俺の人生を代わりに送ってもらう。
そんな空想物語を何度思ったかわからない。
勿論、最後まで俺にそんなチャンスは訪れなかった。
入学式後の自己紹介の場。あれは正直傑作だったと今でも思う。
俺の人生と代わりたい奴は手を上げてくれ。明日俺と一緒に電車に飛び込もう。そうすればきっと、俺の人生を送ることが出来るから、と。
自分でも頭のおかしいことを言った自覚はあった。隣の女子の、安藤とか言ったか。そいつの引きつった顔と言ったら、本当傑作だった。
ただ、そんなことに快楽を覚える自分が、一番傑作であっただろう。
でも、おかげで決心が付いた。虚無な自分が狂ったことを理解して。明日、電車に飛び込んでこの命を終わらせることに、決心が付いた。
最後に、母さんへ。
不出来な息子でごめんなさい。
多分、このメモを最初に見つけるのは母さんだと思う。俺にはもう、ただ謝ることしか出来ない。野球を続けるにあたっても、リハビリをするにしても、一番苦労したのは俺じゃなく母さんだったと思う。
そんな母さんに、恩を仇で返してしまったことを、心の底から申し訳なく思っています。
ごめんなさい。
P.S.
もしこの体を手に入れた人がいたのなら。
この壊れ果てた体。好きに使ってくれて構わない。
あるのはただ絶望だけだから。
雨が降れば肩が痛くて碌に眠れない。老婆のように、肩を思い切り上げられない。リハビリはただただ辛い。
そんな壊れてしまったガラクタ、こっちから願い下げだ。
そして、俺の後を追ってほしい。
俺が自殺したことが正しかったと、周囲に、何よりあなたに証明させたい。
それでは、素晴らしいほどに哀れで惨めな人生を』
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「ふざけるなっ!!!!」
家に帰って、鈴木君の遺書を読み終えると、僕はスマホを床に叩きつけていた。
スマホの画面にはヒビが走っていた。
ただ、僕の怒りは収まりそうもない。彼の書いた遺書を思い出す程に、怒りが体の内側からこみ上げてきた。
確かに同情する部分はある。でもだからって、命を捨てるほどじゃないだろ。生きていれば、努力次第で何とでもなるじゃないか。何で、安直に死なんて選んだのだ。
それだけじゃない。許せなかった。こんな自分本位な少年の思惑通り、彼の体を手に入れてしまったことが。
そして何より、こんな少年の独断で、元の体を殺されてしまったことが。
僕の人生は、客観的に見て輝かしい人生では決してなかったと思う。辛いことばかりが次々と押し寄せてきて、精神を病んだ時だってあった。
でも、かけがえのない友人。同僚。そして後輩を持った。
そして、辛いことがあったなら、それに応じた相応の結果を、成果を、信頼を、築き上げてきていたのだ。これからだって築き上げていけた人生だったんだ。
それを。
それをこんな自己中心的な餓鬼に、全てを無茶苦茶にされてしまった。
許せなかった。
許せるはずがなかった。
「返せよ……」
強く握った拳が痛かった。血が滴っていた。
「返せよ、僕の人生をっ!」
自室。
ここには僕以外の誰もいない。
音が消え、虚無と化したこの空間は、恐らく鈴木君が願った全てが結集していた。
その事実がただ憎くて、僕は壁を力一杯殴っていた。