笑顔で取り繕う彼女は
サンシャインシティ内にあるチェーン店のカフェは、吹き抜けであることもあって開放的な空間となっていた。
「座ってて。何飲む?」
彼女に促されるまま、空席に座らされると、何を飲みたいか尋ねられた。
「あ、いや。もう大丈夫です」
先ほどは随分と取り乱した僕だったが、今は多少落ち着いている。彼女にだけ行かせるのは男が廃ると思って言った。
「いいから。私のせいだし」
「そ、そんなこと」
「ほら、何飲む?」
後輩だった時には見る機会がなかった、頼れる姉御肌。
僕は苦笑を浮かべていた。
「じゃ、オレンジジュースで」
アハハ、と安藤は苦笑していた。
「本当、味覚まで先輩そっくり」
少しだけ寂しそうに言う彼女が、強く印象的だった。
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「はい、どうぞ」
安藤が僕にオレンジ色の飲料が入ったグラスを手渡した。氷が入っているため冷たいグラスは、落ち着き始めた僕の気分を取り戻すにはうってつけだった。冷気を感じる内に、落ち着いていくのがわかった。
「大丈夫? ごめんね。嫌な話をしちゃって」
「いえ」
安藤は何も悪くない。むしろ僕は、初めから彼女に僕の安否を聞くために彼女に近寄ったのだ。こうなるのは定めだったのだ。
「真奈美さん、教えてください」
そう、定めだったのだ。
ならば、どんな結末であろうと、僕は全てを聞かなければならない。僕の身がどんな最後を遂げたのか。
「その先輩、どうして亡くなったんですか?」
安藤は買ってきたコーヒーをかき回しながら、少し困った顔をしていた。多分、高校生に無闇やたらに話す内容ではないと思っているのだろう。それはまぎれもない事実だ。
そして僕としても、彼女が駄目といえば、それまで。それ以上、僕が僕の身が死んだ詳細を知る機会は失われる。
「自殺、よ」
渋面を作って、安藤は言った。葛藤の末、全てを明かす気になってくれたみたいだ。
「今でも覚えている。確かあれは、四月七日だった。いつもは始業時間ギリギリに来る先輩が中々姿を見せなくてね。皆笑いながら、ついに寝坊したか、なんて話してたの。先輩、いつもギリギリだったけど遅刻してくることはなくてね。上司からも、私からも何度も電話した。留守電も残したんだけど、ついには反応がなくてね。その日が終わったの。
それで翌日になっても、やっぱり先輩の姿がない。
おかしいな。無断欠勤する人じゃないのにって皆で話してたら、私のスマホに先輩の番号から電話が来たの。
ほら、皆来ましたよーなんて浮かれて電話をとったら、見る見る私の顔が白くなっていって、先輩達も驚いたって言ってた」
「その電話をした人って」
「警察。淡々と、先輩が電車に轢かれて死んだことを伝えてくれた。飛び込み自殺だって」
「飛び込み……」
信じられなかった。確かに仕事に対して、嫌気が差していたことは事実だ。でも、死のうとまでは考えてなどいなかったはずだ。
「先輩の葬式は、ご家族のみで粛々と行われたわ。
後日、少し先輩のご家族が落ち着いた頃に、上司に先輩の母親から電話がかかってきたの。先輩のお母さんが、息子が大変なご迷惑をって、泣きながら言っているのが聞こえてきて、居た堪れなくなったのは覚えている」
母さん……。
「で、ここまでが先輩の死について、だよ。この先も知りたい?」
安藤は、苦笑していた。胸中はわからない。一度知られたからには、全て知らしめてやろうとでも思っているのだろうか。
「この先?」
「うん。どう?」
僕の死因は、よくわかった。それを聞き出すのが、当初の僕の目的だった。だから、それは果たせたことになる。
でも僕は、こうまで彼女が含みを持たせる意味が気になった。
僕は気付くと、黙って頷いていた。
「ま、この先の話。つまりは私が会社を退社した理由なんだけど」
「え?」
「先輩の死はね、会社で問題になったの。当然だよ。労働基準法に則らない激務を与えて、体力的にも精神的にも負荷をかけ続けて、最後には追い詰めて殺したんだから」
少しだけ、安藤の声に熱がこもっていた。
「それで、労働組合が立ち上がって、会社に対して働き方改革の強力推進をー、とか、色々な動きに出たの。でもね、そんなことより私は気に入らないことが一つあったの」
「それは?」
「先輩の死が公に出ることがなかったこと」
ああ、確かに。もし出ていたら、小さくでもニュースになって、僕の目に留まったかもしれない。
「会社も、労働組合もそう。人が死んだのだから、二度と同じことを繰り返さないように、それの対策を、と進めるのは確かに大事。
でもね、その亡くなった人を弔わない態度、姿勢にはどうしても納得できなかった。結局彼ら、グルなんだよ。
自分が良ければ良し。
例え誰かが死のうが、自分が激務でなければそれで良し。
例え誰かが死のうが、業績さえ悪化しなければそれで良し。
そんな自己中心的な思考が見え透いていた。だから対策は講じても、先輩のお墓に会社の代表が線香を添えに行ったことは一度もなかった。
そんな会社のせいで、私の大切な先輩は殺されたのか。この会社は謝罪さえせず、今ものうのうと仕事を続けているのか。
そう思ったら、もうあんな会社にはいられなかったってわけ」
「そうですか」
そこまで彼女に思われていたのか。ただ、今更彼女の気持ちを知ってももう手遅れだ。
「……ごめんね、こんな話につき合わせて」
おおよその話が終わると、彼女は微笑み、場を和ませた。
「いえ、僕が聞いたことだから」
「それでもだよ。この話、親にもしていないの。こんな話、出来ないしね」
彼女は微笑んでいた。
『仕事を辞めて気が滅入りそうな状況なのに、とても元気そうじゃないか。大人になると、取り繕うのがうまくなるのかなって』
そんな時僕は、いつか少女二人に語った安藤の評価を思い出していた。
どんなに落ち込みそうな時でも、彼女はこうして笑顔を絶やさない。誰かを不安にさせないため。どんなに辛かろうが、取り繕って見せる。
本当、君は大人だよ。