同僚との再会
水曜日、七限目のロングホームルームの時間。
当初の授業目的であった地域活動が、僕の活躍もあり早々に終わった我がクラスでは、七月に入った頃からロングホームルームの時間が自習に当てられるようになった。テストも近いし良いだろう、という須藤先生の計らいだ。というか、業務放棄だ。
七月当初は、日頃黙って聞くだけの授業に鬱憤を溜め込んだ生徒達が私語を延々と話す時間と化していたのだが、ここまでテストが近づくと真剣に勉強する人が八割くらいを占めるようになった。残りの二割は変わらず世間話に講じていた。将来が不安になる。
「あ、安藤さん。今日から勉強会に行っていいんだっけ?」
「うん。大丈夫」
苦手な国語の問題を解いている時に、ふと思い出して口にした。
安藤さん宅での期末テストの勉強会を実施する旨が決まったのは昨日。僕達、いいや、白石さんは、善は急げと昨日から安藤さん宅で勉強をしようと呼びかけたのだが、昨日はご両親から許可が下りなかった。
理由は、
「部屋を掃除してから来てもらいなさい。鈴木君に見せても恥ずかしくないように」
とのことだった。
安藤一家が僕のことをVIP待遇しすぎていて怖い。
「昨日は一日、掃除で勉強出来なかった。アハハ」
苦笑する彼女に、僕は思わず同情をしていた。
「お気の毒に」
謝罪気持ちに駆られたが、それをしたら彼女、またナイーブになりかねないので辞めた。
「ううん。部屋を汚していたあたしも悪いし。ただ、あんなにお姉ちゃんに言われるとは思わなかった」
「ああ、例の」
「うん。鈴木君の名前を出したら、そりゃもう喜んで、舞い上がってた。で、逐一あたしの部屋に掃除の状況を確認に来てね? 早く片付けなさいとか色々言われちゃった」
その話を聞くだけで、彼女の家に行く気が滅入るのだが。昨日、安藤さんは優しいお姉さんと言っていたが、この話を聞いている限りとてもそうは思えない。まあ、理由は恐らく、あの両親の血を引いているから、なのだろう。僕が家に行くことをそんなに喜んでいるのか。
正直、恐怖以外何も感情が沸いてこない。
「そういえば、君の姉さんは何で中学野球ファンになんてなったの?」
ふと、そんな疑問が浮かんだ僕は、彼女に聞いた。
「ああ、お姉ちゃんの中学の時の恋人がシニアのエースを任されていて、それで興味を持って調べだしたみたい」
恋人が出来るとその人の趣味に合わせるようになる女子がいると聞いたことがあるが、恋仲になることがきっかけで趣味を作るタイプもいるのか。なるほど、勉強になるなあ。
「ただ」
ん、まだ何か続きがあるのか?
「お姉ちゃん、中学野球に没頭するあまり、そのエースの人より有望選手のことに詳しくなっちゃってさ」
「相当だな」
「うん。それが理由で、向こうに引かれて別れようって言われたって、当時五歳くらいのあたしに大泣きしてたよ」
何だよそれ、面白すぎだろ。
おっと、人の恋愛経験を笑うのは良くない。控えねば。
「……はて」
そういえば。
「どうかした?」
「ああ、いや。全然」
安藤さんに取り繕いながら、僕は勉強の手を止め、考えた。
そういえば元の姿で僕が勤めていた会社の同僚の女の子に、野球が好きとか言っていた人がいたようないなかったような。
……いや、いたな。確か。
確か、僕が二年目の時、新入社員歓迎会を二年目一同が開いて、その場に参加していた記憶がある。
喉元まで出ているのに、顔と名前が出てこない。そんなに関わりが薄い人ではなかったと思うのだが。
「こら、鈴木」
「あ、はい」
「起立しなさい。ショートホームルームの時間だぞ」
須藤先生に咎められて、僕は慌てて立ち上がった。いつの間にか、七限目の時間が終了していたらしい。
「もう、しっかりしてよ。鈴木君」
安藤さんに苦笑された。
僕は苦笑をし返すと、再び記憶を探る度に出ていた。
「さ、行こっ。白石さん。鈴木君」
「えぇ。……鈴木君」
「え、はい?」
「もう。そろそろ安藤さんのお宅に行くわよ。あんまり長居していたら遅くなる」
「ああ、ごめん」
駄目だ、思い出せない。
椅子から立ち上がって、二人の元に向かうと、二人は怪訝そうにこちらを見ていた。
「何か?」
「大丈夫?」
心配そうに白石さんは聞いた。
「いつかみたく、また痛むの?」
「え」
彼女の視線が右肩にあることに気付いて、僕は微笑んだ。
「ああ、痛いけど。大丈夫。熱出して倒れたりはしないよ」
「なら、いいけど」
少し不服そうに、白石さんは俯いた。
「なんか鈴木君、お姉ちゃんの話をしてからおかしいよ?」
次いで、安藤さんに心配されてしまった。ただ、安藤さんは思い当たった節があったのか、怪しく微笑んだ。
「駄目だよ? お姉ちゃんに色目使っちゃ」
「使うか」
誰が友人の姉に手を出すか。
まったく、安藤さんは相変わらず気さく、というより、悪ふざけをするきらいがある。
ただ、別に嫌な気はしない。
いつかも思ったが、彼女のこの性格。元の体で同じ部署にいた後輩のことを思い出さずにはいられないから。本当、よく似ている。
……ん?
「ただいまー」
「来たわよ、真奈美!」
「きゃー! きゃー!」
いつの間にか安藤さん宅にたどり着いていた。家の奥から、黄色い歓声が二つ。
一つは、聞き慣れた安藤母の歓喜の声。
もう一つは、こちらも"聞き慣れた"女性の声。
「きゃー、モノホンの鈴木君だー!」
鈴木と書かれたピンク色のフリル付きうちわを振り回しながら、"安藤さん"は感極まったようにこちらに歩み寄ってきた。
「はじめまして、鈴木君!」
微笑、左手を掴み振り回す彼女に、僕は声を出すことも出来なかった。
そうだ。彼女は。
彼女は、僕の後輩社員だった、『安藤真奈美』さんだ。