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 泊まっていったら、と(かげ)(つね)の体調を気遣う湖子の申し出を断り、景矩は夜が明けきらないうちに実家へと戻った。

 実のところ、湖子がそばにいてくれた方が天狗から受けた痛手が()えるのは早いとわかっていたが、これ以上彼女の前で(しゅう)(たい)を晒したくなかった。

 そんな景矩の気持ちをはっきりと読み取っていた孝允は、無理に引き留めることなく「送ろうか?」とだけ訊いてきた。

 湖子の手の中で捕らえられている天狗から目を離してしまうとなにが起きるか心配だったこともあり、孝允の申し出を景矩は丁重に断った。そのまま、かろうじて動く足を(しっ)()しつつ家へと向かう。

 裏門からひっそりと寝静まった家に入る。

 なんとか自室まで辿り着くと、着替える気力は()かず、板間の上に倒れ込んだ。激しい吐き気と目眩は治まっていたが、身体の(しん)(よど)む疲労感だけはしばらく抜けそうにない。頭痛も小康状態ではあるが続いていた。

(顔色も悪いんだろうな)

 真っ青なていどであればまだましな方だろう。天狗に触れた直後は土気色になっていたはずだ。湖子が元凶である鴉を視線だけで(くび)り殺しそうなくらい睨んでいた。

 普段の景矩は滅多に風邪もひかないくらいの健康体だが、物の怪が絡むと途端に体調が崩れる。

(孝允も天狗とは距離を置いていたし、物の怪の負の気配に影響を受けない湖子の方が凄いんだろうな)

 仰向けに転がり、天井を見上げた。

 いつもなら深夜だろうが騒々しい屋根裏の物の怪たちが物音一つたてない。疲れて目が(かす)んでいるのか、天井を這っていることが多い蜘蛛(くも)の妖怪も珍しく姿が見えない。

(静か過ぎると、案外落ち着かないものだな)

 湖子の話し声か物の怪たちのさざめきを常に聞いている景矩は、耳が痛くなるくらいしんと静まり返った自室に居心地の悪さを感じた。

 身体は()(ろう)(こん)(ぱい)だが、頭は興奮状態だ。しばらく眠れそうにない。こんなときくらいは物の怪たちの雑談を聞いてやってもいい気分なのだが、物の怪の気配すら感じられない。

 まるでこの世でただ一人、取り残されて生きているような錯覚を覚える。

(強がらずに、あちらに泊めてもらえばよかったな)

 湖子が近くにいてくれれば、天狗が目の前にいようと、回復は早かったはずだ。

 これ以上の自分の醜態を彼女に見られたくなくて辞去してしまったことに、後悔の念が渦巻く。

(湖子だって、俺の体調を心配して泊まるように勧めてくれただけで、俺が期待するような他意はないんだ。どうせ)

 景矩の世界は湖子を中心に廻っている。

 彼女が望むなら物の怪が棲む屋敷だろうが(そう)(くつ)だろうが行くことはやぶさかではないが、悲しいかなどうにも身体がついていかない。もう少し物の怪に対する耐性をつけたいところだが、どのように(きた)えれば良いのかもわからない。

(博士なら、現場で空気に慣れろとおっしゃるのだろうな)

 陰陽博士である湖子たちの祖父は、本当は湖子が男ではないことをいつも悔しがっている。湖子が男であれば()(たい)の陰陽師になれたものを、というのが彼の口癖なのだ。

(湖子が男だったら、博士は喜ぶだろうが、俺が困る。物凄く困る)

 悶々と景矩が頭を悩ませていたときだった。

「我が()(きみ)の気配がする」

 ()()(がわ)に垂らしてあるの()()()しに、童女の囁き声は聞こえてきた。

「夫の君は、そこにいらっしゃるのか?」

 がばっと景矩は飛び起きると、まだ闇に染まったまま白み始めてもいない御簾の向こう側に意識を集中させた。

「誰だ」

 低く凄味を利かせた声を投げかける。

「そなたこそ、誰じゃ」

 居丈高な声が響く。

「我が夫の君を捕らえたのはそなたか?」

「夫の君とは誰のことだ」

 目を凝らせば、御簾を一枚隔てた向こうに立つのが背の低い童女だということはすぐに判明した。物の怪ではなく、人間の臭いだ。着物には香を焚き染めているのか、良い薫りも漂ってくる。

()(おう)(さま)のことじゃ」

「それは――あの天狗のことか?」

 確か、湖子が天狗を捕らえた際にそんな風に名乗っていたはずだ。

「天狗じゃと! そのように下等な妖怪どもと我が夫の君を一緒にするでないわ!」

 突然激昂し、御簾を(まく)り上げて童女が突進してきた。

「陰陽師め! 我が夫の君を返せ!」

 身体をぶつけてきたのは、まぎれもなく人間の子供だった。身なりは良く、背丈から八つか九つといったところと思われる。背中に流れる黒髪は(つや)があり、頬は淡い紅色、目鼻立ちは悪くなかった。

 黙っていれば可愛らしいのだろうが、きんきんと声高に(わめ)き散らすので、景矩は閉口した。

「俺は別に陰陽師じゃない」

「嘘を申すな!」

 景矩の(はかま)にしがみつき、童女は大声で叫ぶ。

「妙な結界を張った屋敷に我が夫の君を連れ込んだではないか! あそこに入られて以来、夫の君の気配が感じられぬ! 夫の君はどこに隠したのだ!」

「隠したっていうか、天狗ならまだあの家だ。ここにはいない」

 天狗の気配を追ってこの少女はここに辿り着いたのだろうか。

 だとすれば、今の自分にはかなり濃厚に天狗の妖気が染みついているのかもしれない。

(道理で頭痛と目眩と貧血と胃痛と手足の(しび)れが治まらないはずだ)

「ならば、いますぐわたくしをあの屋敷まで連れてゆけ!」

「お断りだ」

 きっぱりと景矩は拒絶した。

「そもそも、あんたは誰なんだ」

 予想はついていたが、確認のために景矩は尋ねた。

「わたくしか? わたくしは、治部少丞藤(ふじ)(わら)(とおる)の娘、(あや)()じゃ」

「治部少丞殿の三の姫、か」

「そうじゃ」

 胸を反らし、彩子はつんと澄まして答えた。

 やはり生きていた、と胸を撫で下ろすより先に、気が重くなった。

(まさか、天狗憑きだったとは)

 物の怪になって川縁で泣き暮らしているよりもたちが悪い。

 景矩は頭を抱えた。

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