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「えー? いるの? そこに? 本当に?」

 矢継ぎ早に湖子は二人に尋ねる。

「わたし見えないわよ? どこ? どこにいるの? 本当に三の姫?」

 きょろきょろと橋の周辺を見回すが、(かげ)(つね)(たか)(よし)と同じものが見えていないことは明らかだった。

「橋の左側の(らん)(かん)のところにいるのが見えないか?」

 景矩が具体的な場所まで説明したが、湖子は目を凝らして眉を顰めるだけだ。

「見えないわ。なにもないし。橋があるだけ」

「私には、全体が白い影になっている童女の姿がはっきりと見える」

「俺も。泣いている声まで耳に響いてくるぞ」

 孝允と景矩は口々に詳細な説明を加えるが、湖子は首を捻るばかりだ。

 この頭にきんきんと響く泣き声が聞こえないとは、景矩には(うらや)ましくて仕方ない。

「なんでわたしにはなにも見えないのかしら」

 ()ねて頬を膨らませた湖子は、腹立ち紛れに足を踏みならしながら橋へと向かった。

「湖子! 危ない! いくら見えないとはいえ……」

 止めようと景矩は松明を持ったまま駆け寄る。

 白い影の童女は、湖子が近づいても顔を伏せたまましくしくと泣くばかりだ。なにを嘆いているのか、まったく言葉にしない。

「どこにも影も形もないじゃない」

 橋の欄干に湖子が手をつくと、すいっと童女の姿はかき消えた。

 同時に、さきほどまで永遠に続くかと思われた泣き声もぴたりと止んだ。

「おい、いなくなったぞ」

 遅れて近寄ってきた孝允が、()(げん)な表情を浮かべる。

「泣き声も消えた」

 景矩の指摘に、孝允が頷く。

「湖子が欄干に触れた途端、だ」

「どういうことだ? 湖子には(ふつ)()の力はないはずだ」

 物の怪を(はら)うどころか、物の怪の存在を(もく)()することもできないのだ。

「物の怪が祓われたのではなく、この辺りに(よど)んでいた霊力の(かたまり)が湖子に触れられたことによって壊されたんだと思う」

「壊された? 触れただけで? つまり、なにかが橋の欄干に置かれていたということか」

「それは探してみないとわからないが」

 湖子を欄干の側から下がらせると、景矩は松明(たいまつ)で辺りを照らし、(くま)()く調べた。

 かなり目を()らして探したものの、特にこれといった不審物は見当たらない。橋は普通の木の橋で、欄干もおかしなところはなかった。

「景矩、それは湖子に探させろ。私たちでは()(くら)ましがかかっていた場合に見つけ出せない怖れがある」

 しゃがみ込んで一緒に橋を調べていた孝允は、途中で音を上げた。

「湖子、被衣(かずき)は持っていてやるから、この辺りを調べてくれ」

 さきほど童女の白い影が現れた辺りを手で示し、孝允が指示を出す。

「この辺り? うーん、なにもなさそうだけど」

 腰を落とした湖子が橋の欄干の(すき)()を覗き込む。

 その横で景矩が松明を掲げる。

「物の怪なら、さっき湖子が近づいた際になんらかの反応を示すはずなんだ。それがなかったということは、相手は本物の物の怪ではない可能性がある」

「その論理はわからないでもないが、でもそれなら湖子でなくても近づく者がいたんじゃないか」

 被衣を抱えて立つ孝允を見上げながら、景矩が反論する。

「あの霊の姿が見える奴は、よほど(きょう)(じん)な心臓の持ち主でない限り、湖子のようには近づかないはずだ。あの(じん)(じょう)ではない悪寒をお前も感じただろう?」

「確かに。あれを肌で味わえば、よほど腕が立つ陰陽師でもなければいくらか離れた場所から話かけるくらいで精一杯だろうな」

 姿や声だけではなく、あの姿を目にした途端に全身を襲った寒気は、三の姫に近づくことを(ため)()わせる材料としては充分だ。

「しかし、なんのために?」

「そこまではまだわからないが」

 景矩と孝允が首を傾げていると、

「あ、これ、なんか意味があるのかしら」

 湖子が欄干と橋板の隙間から一枚の薄く小さな紙を(しん)(ちょう)に引き出した。

 この暗闇の中で見落とさなかったことが奇跡なくらい小さな紙切れは、広げてみると人の形をしていた。わずかに端の部分が破れている。

「紙人形?」

 三人で顔を寄せ合い、目を丸くする。

「これって、よく(やく)(はら)いの際に使う身代わり人形だよな」

「人形に顔や名前は書いてないけど、多分そうだろう」

 人の形を模した紙は、顔や名前を書くことで本人の身代わりとして厄災を引き受ける役目を持つ。

「もしかして、毎晩ここで泣いていたのはこの紙人形ってことか?」

「だろうな。物凄い霊気がこの紙切れからは(ただよ)ってくるし」

「え? そう? 別になにも感じないけど」

 景矩と孝允を交互に見ながら、きょとんと湖子は紙人形に視線を向ける。

(にぶ)いとかそういう理由ではないんだろうな、お前の場合」

 人の形を取れるほどに強い霊力の塊を握っていてよく平然としていられるものだ。

 孝允が妹を尊敬の眼差しで見つめる。

 景矩も、湖子の手の中で紙人形が強い霊力を押さえつけられているのがはっきりと目に映った。無念そうに渦巻く霊力は、何度か()()いている様子だったが、湖子にしっかりと掴まれているため身動きが取れない状態だ。

「面倒だから、破っちゃおうか?」

 (おお)(ざっ)()な性格の湖子は、物の怪の正体に不満らしく、この怒りをぶつける(ほこ)(さき)として紙人形を破り捨てようとした。

「いや、それは最後の手段だ。破ってしまっては、なにか不都合が起こらないとも限らないのだから」

 多分、霊力が()(さん)するだけだろうが、証拠品ではあるので孝允は止めた。

 かといって、孝允も景矩もこの紙人形を湖子から受け取ることができない。渡されたら最後、強い霊力に飲み込まれかねないからだ。

「それは持って帰って、後でくそ爺の屋敷に放り込んでやろう。どんな騒動が起きるか楽しみだ」

 意地の悪い笑みを浮かべて、孝允が計画を練る。

「下手すれば博士の屋敷が半壊しかねないんじゃないかな」

 湖子の手の中ではおとなしくしているが、危険な霊力の塊であることに違いはない。

 明日の朝までにはやんわりと孝允を(いさ)める必要がありそうだ、と景矩が溜め息を吐いたときだった。

 ばさばさっという羽音とともに、なにか鳥のような生き物が突進してきた。

「湖子っ!」

 (とっ)()に空いている手で湖子をかばおうとして松明を上へ掲げた景矩は、翼を広げた大きな黒い影に全身が凍り付くのを感じた。

(てん)()か――――――――!!)

 黒い面をかぶったような顔には(くちばし)があり、(からす)の翼が背中に映えている。手足は人と同じだが、背が低く、(すい)(かん)姿(すがた)だ。

《きさまら、何者ぞ! 我が術を破ろうなど、千年早いわ!》

 きんきんと甲高い声で居丈高に天狗が喚く。

「まずい! 逃げるぞ!」

 すぐさま形勢不利を(さと)った孝允が音頭を取る。

「湖子! 来るんだ!」

 空いている手で湖子の腕を掴んだ景矩が自分のそばに引き寄せようとする。

「え? どうして?」

 二人が慌てふためく様に、湖子は目を丸くした。

「天狗が現れた! 私たちだけでは太刀打ちできない!」

「立って! 早く!」

 湖子の腕を引いて景矩が乱暴に立ち上がらせようとした瞬間だった。

「天狗? って、もしかしてこれのこと?」

 紙人形を(つか)んでいない方の手で、がばっと天狗の首根っこを掴んだ。

《うわっ! なにをするきさま! 離さぬか!》

 湖子に()らえられ、天狗はじたばたともがいた。

「……あぁ、それのことだけど」

「……湖子にはなにに見える?」

 まさか天狗までもが湖子の前ではこうも無力だとは。

 二人は呆然と哀れで不格好な天狗を見遣った。

「ちょっとだけ大きな(からす)

 けろっとした顔を湖子が答える。

「夜目が利く鴉がいるなんて知らなかった。夜って(ふくろう)くらいしか飛ばないんじゃなかったっけ?」

「俺も詳しくは知らないけれど、少なくともそれは普通の鴉ではないから」

 鴉を()()で捕まえてしまう姫もどうかとは思うが、景矩の目には今でも天狗に映る。

 姿は子供ではあるが、湖子が持っている紙人形を作ったのがこの天狗だとすれば、かなり名のある天狗であることは間違いない。手足をばたつかせて暴れている様は、悪戯(いたずら)が見つかって叱られている子供にしか見えないが。

《儂を誰と心得るか! (ぬえ)を呼ぶぞ! この祇王(ぎおう)様は――》

「ぎゃあぎゃあとうるさいわね。それ以上鳴くならその(くちばし)(なわ)で縛るわよ」

 湖子には鴉が鳴いて翼をばたつかせているようにしか見えないらしい。

「この天狗の元の姿は鴉ということか」

 あまりの妹の無敵ぶりに度肝を抜かしていた孝允だったが、湖子と天狗の噛み合わない会話を聞いているうちに、ようやく立ち直って口を開いた。

《鵺を呼ぶぞ! 鵺を――》

 喚き散らす天狗の嘴を、孝允は素早く手持ちの(ひも)でぐるぐると縛って閉じた。

「鵺が湖子の目にはどのように映るか気になるところではあるけれど、それを確認するのは次の機会ということにしよう」

 湖子が捕まえている間は、天狗がどれほど強かろうが自分たちの敵ではないと孝允は判断した。湖子の手の中では、本性の姿が捕らえられているのだ。どのような目眩ましで孝允や景矩を(まど)わそうとも、湖子が惑わされなければ、天狗は湖子から逃げることも彼女に力を揮うこともできない。

「まずは、治部少丞の三の姫の行方を問い質さねばならないからな。ここではなんだし、家に戻ろうか」

 ふふんと孝允が天狗に対して(あざ)(わら)うような目を向ける。

 三の姫、という言葉が出た途端、祇王と名乗った天狗はぴたりとおとなしくなった。

「この天狗を連れて帰るのか? 大丈夫か? 博士の屋敷に連れて行った方がよくないか」

 強い霊力を持つ天狗を、陰陽師の一人もいない家に連れて行くこと景矩は不安を感じた。

 この天狗は湖子に害をなすことはないかもしれないが、天狗だって一匹とは限らない。仲間が大挙して天狗を助けにくることがあれば、湖子たちは天狗に(おそ)われる怖れもあるのだ。

「今から爺の屋敷に、か? ここからでは少し遠いし、それにあの爺、たまに大内裏に泊まって仕事をしていることもあるから、行っても使用人しかいない可能性もある」

「この天狗を連れ帰って、家を他の天狗や鵺に襲われたらどうする。他の物の怪たちだってこの天狗に同調するかもしれないぞ」

 ぼそぼそと景矩が耳打ちすると、孝允はしばらく迷った様子で考え込んだ。

「ねぇ。まだ帰らないの? この鴉が諸悪の(こん)(げん)なんでしょう? この鴉、重いのよ。わたし、腕が痛くなってきたんだけど」

 ずっと鴉の首を掴んでいると、さすがに鴉の重みが湖子の腕に響いてきたらしい。

「重いなら、持つのを変わろうか」

 天狗を持って運んだ経験はないが、いつまでも物の怪に(おび)えているわけにはいかない。

 湖子がこれほどまでに(いさ)ましく天狗を捕らえてくれたのだ。せめて、家まで運ぶくらいは手伝うべきだろう。

「変わってくれるのは嬉しいけれど、景矩、大丈夫? 景矩には天狗に見えるんでしょう?」

「天狗にしか見えないが、多分なんとかなるだろう。孝允が持っている霊を封じる札を貼っておけば、この天狗の霊力も抑えられるだろうし」

 景矩の提案に、孝允が懐から札を出して天狗の身体に数枚貼り付けた。一枚貼り付けるごとに天狗はいやそうに顔を顰めたが、(しょう)(すい)するほどではない。

「さぁ、じゃあ変わろうか」

 逃がさないように、と湖子には天狗を掴んだままにしてもらい、景矩は手を伸ばした。湖子と同じように首根っこを掴もうとした瞬間――。

「うわっ!」

 ぶわりと澱んだ気配が天狗から立ち上り、景矩を包んだ。

 言い様のない(だる)さが四肢を襲い、かろうじて立っていられるものの、悪寒が全身に広がり、突然震えが起きた。がたがたと歯や骨が音を立て始め、冷や汗が額から脇、背中といったところから流れ始める。視界は砂嵐でも起きたように真っ白になり、呼吸が乱れ始め、(どう)()がこれまで体験したことがないくらい激しくなった。

「景矩? 大丈夫?」

 気遣う様子で尋ねてくる湖子の声が遠い。

「湖子、その天狗を掴んだまま景矩から離れろ」

 異変に気づいた孝允が指示を出す。

 すぐさま湖子は一歩退いて、景矩と距離を置いた。

 途端に、目の前で燃える松明の灯りを認識できるようになった。

 胃に不快感が残ったが、迫り上がってくる吐き気をなんとか(こら)える。手足にゆっくりと力が戻り、しばらくするとなんとか自力で歩けるほどには回復した。

「ごめん、湖子、代わってあげられない」

 深呼吸を繰り返し、なんとか言葉を絞り出す。

「うん。……わたしは平気」

 急激な景矩の体調の変化に驚いたのか、声に(ろう)(ばい)の色が現れていた。

 不安にさせたことを後悔したが、今更どうしようもない。後は家に戻るまでの道程を、心配させないよう頑張るしかなかった。

「俺も無理そうだから、湖子、悪いが家までその天狗を運んでくれ」

 景矩の異変には孝允も()(ろた)えていた。

「そうした方が良さそうね」

 珍しく素直に湖子が応じた。

 紙人形や鴉には動じない彼女も、景矩の不調には弱かった。

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