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 良家の子女が夜更けに外出するなど、常識では考えられない。

 湖子の父親は源家の、(ぼう)(りゅう)の傍流とはいえれっきとした貴族だ。家柄は良いが性格が温厚過ぎるから清貧に甘んじているのだとか、出世欲が少ないから官位が上がらないのだとか孝允は(れい)(ひょう)するが、とにかく貴族ではある。

 なので、湖子も姫の端くれだ。

 その姫が日没後に、しかも真夜中になってから嬉しそうに物の怪を見に行くために出掛けるなど、非常識極まりない。

 普通の貴族の家の両親であれば部屋に閉じ込めてでも出掛けることを止めただろうが、湖子は両親から「気をつけるように」と見送られただけだ。どちらかといえば母親は、兄である(たか)(よし)の身を案じている。

「孝允殿に物の怪が()いて川に連れ込もうとするようであれば、孝允殿を引きずってでも連れて帰ってきておくれ」

 息子の安全をその妹に頼む始末だ。

「もちろんです。お任せ下さいな、母様」

 胸を張って頼もしく湖子が請け負うと、母親はほっと胸を撫で下ろした。

「何故、母上は私よりも湖子の方が物の怪に打ち勝てるとお考えなのか……」

 家を出て通りを歩きながら、孝允はふて腐れた顔でぼやいた。

「私はこのように刀を携え、(れい)(げん)あらたかな(ぜん)()に書いていただいた札もあるというのに」

「そんな物は単なる気休めに過ぎないことをご存じだからだろう」

 孝允と湖子と共に(ゆう)()を馳走になった(かげ)(つね)は、お勤めご苦労様ですと二人の母親に頭を下げられた。

 三の姫の霊を見に行くことは別に仕事でもなんでもないのだが、あれこれ説明するのも面倒なので、はぁ、と(あい)(まい)に返してその場は(にご)しておいた。

「それにしても、今夜はなんでこんなに暗いんだ? 月明かりも星明かりもまったく見えないじゃないか」

 松明を持って景矩が先頭を歩くが、松明の灯りがなければすぐにでも道端の(そっ)(こう)に落ちてしまいそうになるくらい、辺りは闇に包まれている。

「今日は十三夜のはずなのに」

「空が雲で(おお)われているからでしょうね。これは絶好の物の怪日和! (ひゃっ)()()(ぎょう)とも(そう)(ぐう)できるかも!」

 うきうきと湖子は声を弾ませている。

「三の姫だけでなく百鬼夜行ともまみえる羽目になったら、俺はしばらくこの道を昼間でも一人で通れそうにない」

 今は湖子が一緒なので余計な雑音は聞こえてこないが、人の姿が消えた夜の通りは、普通に物の怪たちが多数歩き回っており、賑やかなのだ。

「あら、景矩が行きたくないなら、()(ひょう)()の佐殿にでもお願いして、一緒に……」

「いや、行く! 喜んで行きますとも!」

 左兵衛の佐は湖子の従兄であり、景矩や孝允よりも出世競争で群を抜いている青年だ。彼が従妹である湖子へ(ひん)(ぱん)に歌や文を送っていることは周知の事実である。景矩が要注意人物として敵視している相手でもある。

 堀川小路はとにかく暗い。

 ()(ずき)をかぶっている湖子はもっと足下が(おぼ)(つか)ないだろうに、闇には慣れたものですたすたと景矩の歩調に合わせている。

「それにしても、なんだって堀川なんだ? どうせなら、(かも)(がわ)辺りに華々しく飛び込んだ方が目立っていいんじゃないか?」

「鴨川なんて遠いじゃないの。お姫様が自力で辿り着けるような場所じゃないわ」

 そう答える湖子は(けん)(きゃく)だ。昼間であれば一人で鴨川を越え、東山まで行けるくらいだ。

 家に牛車はなく、馬は孝允や父親しか乗れないので、自然と出掛ける際は徒歩となる。家の中でじっとしている性格ではない湖子は、下男下女を連れてこっそりと出歩くことも珍しくはない。

「三の姫が堀川に飛び込んだ失恋してということらしいが、相手は一体誰なんだ?」

 川に飛び込む辺りは気性の激しさを物語っているようであるが、そこまでの大恋愛話であれば(ちまた)の噂になっても良さそうなものだ。物の怪たちの声が聞こえるお陰で景矩は厭でも世間の噂が最速で耳に届くのだが、治部少丞の三の姫については聞いたことがない。

「相手はよくわかっていないみたい。あのお屋敷に出入りしていた公達といえばかなり年配の殿方が多いらしいのだけど、もしかしたら名のある貴族の若君が同行されているところを見かけられたのかも」

「名のある貴族の――若君?」

 なにかがおかしい、と景矩が立ち止まって湖子を振り返る。

「まず一つ確認しておきたいんだが、三の姫はおいくつだったんだ?」

「三の姫はね。御年九歳の愛らしい姫だったそうよ」

「九つ! ということは、二の姫は十歳か!」

 愕然とした声を上げて孝允が叫ぶ。

「二の姫は先月十一歳になったそうよ」

「十も十一も大して変わらないじゃないか! 私は七つ以上年下の子供には興味はない!」

 すっかりやる気をなくした孝允は、()められた、と肩を落とす。

「九つの姫が恋に破れて堀川に飛び込むなんておかしい、これは(じゅ)()に違いないってことで、治部少丞様は必死で三の姫の死を隠していたみたいなんだけど、その姫が橋のたもとに現れるものだから世間にばれちゃったってわけ」

「治部少丞もお気の毒に」

 どういう(けい)()で三の姫が川に飛び込むことを決意したかはわからないが、九つの姫にもそれなりの事情があったのかもしれない。

「でも、姫の遺体は見つかっていないらしいんだけどね」

 え? と景矩と孝允の視線が湖子に集中する。

「堀川に三の姫の汗衫(かざみ)が浮かんでいて、それで三の姫は川に飛び込んだってことになったの。彼女の部屋に遺書らしき歌が残されていたし」

「川はもちろん捜索したんだろうな」

(かわ)(さら)いはしたようなんだけど、川下の方に行くと着物を()ぎ取られた死体なんて珍しくもないし、どれが三の姫なのか特定のしようがなかったんですって」

 庶民たちが暮らす地区は川に死体が浮かんでいようと珍しくも何ともない。死者を丁重に葬るという習慣がないために、死ぬと着物を剥ぎ取り、川に捨てることが多いのだ。

「治部少丞も最初は三の姫の死が半信半疑だったみたい。でも、橋のたもとでしくしく泣いている三の姫の霊が出るようになって、ようやく姫の死が実感できたんですって。三の姫は泣きながら、愛しい公達への恋が破れたから死んだとか繰り返しほざいているらしいんだけど」

 よほど三の姫が川に飛び込んだ理由が気に入らないらしく、湖子の言葉遣いが荒くなる。

「その相手が誰なのか気になるので、誰か三の姫に聞いてきてくれないものかって治部少丞様はお祖父様におっしゃったんですって」

「結局、俺たちは使いっぱしりか!」

 地団駄を踏んで孝允は悔しがる。

 そんなことだろうと予想していた景矩は、大きく長い溜め息を一つ吐いた。

 陰陽博士に便利に使われていることは否めないが、こうして湖子と夜間に散策する時間が持てたのだから、それで良しとするしかない。

「お祖父様はわたしに、もし三の姫のお姿を拝見できてお声が聞けたなら、この世の未練は捨てることをお勧めするようにって書いてあったのだけれど、わたしに説得できるかしら」

「それは、お前が三の姫を見られることが大前提だけどな。多分、説得するのは私たちの仕事となるだろう」

 陰陽博士は湖子に頼んでいるように見せかけて、全部孝允と景矩にさせるつもりでいるのだろう。もちろん、湖子が三の姫を見ることができれば、彼女に任せても良いとは考えているはずだ。が、()(かん)せん、湖子は物の怪を視るだけの(けん)()の才がいちじるしく欠けている。

「お前も、湖子に惚れたばかりに、面倒な仕事を手伝わされているな」

 ぽんと肩を叩いて孝允が幼馴染みを励ます。

「俺は別に平気だ。湖子が行くところには物の怪の(そう)(くつ)だろうがどこでもついていくし、湖子が行かないのなら今夜だってお前に付き合う気はないし」

「そういうところははっきりしているよな、お前。俺と湖子の扱いが格段に違うぞ。幼馴染みなのに冷たいじゃないか」

「当たり前だ。湖子は大事だし俺から守ってやらなきゃいけないけれど、お前はそこまで俺の力を必要としていないだろ」

「いや。物凄く必要としている。これ以上とないくらい必要としているんだ」

 孝允は幼馴染みに向かって力説した。

「この先、俺がくそ爺の陰謀で(おん)(みょう)(りょう)に引き抜かれることがあるとすれば、勿論相棒のお前も一緒に陰陽寮に入れてくれるように爺に頼み込む。この際、あの爺に頭を下げる覚悟だ」

「い、や、だ。陰陽寮なんて絶対に入らない。俺は地方の()(りょう)になって、湖子と一緒に都の外をのんびりと旅するのが将来の夢なんだ。いつかこんな物の怪だらけの都、湖子と二人で駆け落ちしてでも出て行ってやる」

 ひそひそと男二人が顔を寄せ合って会話しているが、湖子は興味を示さなかった。

「ねぇ、景矩、孝允。あそこが三の姫の霊が出るっていう橋じゃないの?」

 新しい玩具でも見つけた子供のようにはしゃいだ声で、湖子は兄と幼馴染みに呼びかけた。

「なにか見える? わたしは真っ暗なだけで川の水音しか聞こえないんだけど、二人はなにか見える?」

 ほら早く、と急かされ、景矩と孝允は湖子が指で示す方向へと視線を動かした。

「ねぇ、どう?」

 わくわくと期待に胸躍らせた湖子が再度尋ねる。

「どうって……」

「あぁ……」

 湖子の指先に、ぼんやりと人影が見えることに二人は気づいた。

 長い髪は水に濡れ、伏せた顔は白い手で覆われている。しくしく、と囁きのような泣き声も聞こえてきている。背丈は低く、まだ童女だとわかる格好をしていた。

「いるぞ、そこ」

「多分、噂の三の姫だ」

 橋に一歩近づいた途端、ぞわっと二人の背筋に悪寒が走った。

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