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キミノコエ  作者: れんティ
第一章
7/21

その一言が

 日付が変わって日曜日。昨日の夜送られてきた集合時間は、一時だった。そんな時間に図書館へ行って何をするのかと傾げた首は元に戻る事無くそろそろ半日は経とうとしている。

 とりあえず身支度を終え、座布団の上でコーヒーをすする。ぼんやりとワイドショーを右から左へ聞き流しながら、一つ大きな欠伸をする。普段、この時間はそろそろ起き出すかどうかと言ったところ。

 既に約束してしまったんだ、今更行かないとは言えない。

 何度そう自分に言い聞かせても、不安は拭えなかった。

 オレのせいで幸せな道から外れていく人間を、多数見てきてしまったから。

 今にも潮村がそうなる可能性を否定しきれないから。

 マグカップを持つ手が、微かに震えていた。

 昨日聞いたばかりの電子音が、家中に轟いた。不意の出来事に思わず肩が跳ねる。ったく、このタイミングでなんなんだよ。新聞か、宗教か。宗教だったら面倒だな。

 だが、その全ての予想は外れた。

「先輩! おはようございます!」

癖の強い黒髪が、視界の中で揺れた。

「……は?」

「聞こえませんでしたか? じゃあもう一回、おはようございます!」

無言で、ドアノブを握ったままだった右手を引き戻す。体も家の中に引き戻そうとしたところで、間に小柄な体が割り込んだ。

「ちょ! ちょっと待ってください! 酷いじゃないですか!」

「うるせぇ。何でお前がここにいんだよ。集合は図書館前、しかも時間は後三十分あんだろうが」

仕方なくドアを閉める事を諦め、潮村との会話に応じる。内心のため息を殺す事無く、吐き出した。

「先輩が本当に来るかどうか心配だったので、迎えに来ちゃいました」

きっぱりとした表情でそれに答えた潮村は、にへらっと、相好を崩した。真面目な表情が数秒と持たないヤツだな。

 そして、オレはこいつの中でそんなにも信用がないらしい。微妙な気分だ。まだそこまで踏み込んでいない事を安堵するべきか、信用されていない事を反省するべきか。

 間違いなくオレにとって最善なのは前者だ。それを口に出すわけにはいかないが。

「……まあいい、行くぞ。ちょっと早いがいいだろ」

「あ、はい!」

満面の笑みを浮かべる潮村を待たせ、座卓の上に放り出していた貴重品やら鍵やらをポケットに突っ込む。一度大きく深呼吸して、腹を括った。


 人が多い。

 それが、最寄のバス停まで平日と同じ道を辿っている最中の現在、オレの思考を占領した感想の全てだ。

 人が多い。多すぎる。普段人通りがほぼ途絶えているはずの漁火ヶ浜商店街の東口には、老若男女がひしめいていた。路地から出たところで、反射的に足が止まる。

「……すごいですよねー。先輩の家に行くときもびっくりしました。休日はいつもこんな感じなんですか?」

コイツのせいじゃないと理解はしているのに、呑気なその言葉に苛立ちが募っていく。

「いや。休日は平日よりももっと少ねぇ。そもそも、誰が好き好んで小さな商店街に出かけんだよ」

吐き捨てるような返答にいぶかしむような表情を浮かべた潮村が、首を傾げる。こういう子供っぽい動作が似合っているところが、コイツがコイツたる所以か。

「じゃあ、なんでこんなにろうなくにゃんのいっぱいいるんですか?」

なんだよ『ろうなくにゃんの』って。もしかして『老若男女』か。もしかしなくても『老若男女』なのか。そうなのか。……嘘だろ。

 思わず吹き出す。これを我慢するのは無理だ。大晦日に頑張るやつらでも無理だろ。

「な! なんで笑うんですか!?」

「お前、もっかい老若男女言ってみろ」

「え? ろ、ろうなくにゃんの、ですか?」

「老若男女だ」

「ろ、老若なんの?」

ダメだコイツ、早く何とかしないと。

 まあそれはオレの仕事じゃない。担任とか親とかの仕事だ。

 これ以上コイツで遊ぶのは止めて、目下眼前に迫った問題を振り返る。

 漁火ヶ浜商店街東口のゲートには、『商店街夏祭り』の垂れ幕。確かに梅雨も明けてそろそろ本格的に夏になるが、さすがに気が早すぎはしないだろうか。

「夏祭りみたいですねー。別の道探しますか?」

「いや、めんどくせぇからいい。遠回りだ」

コイツを、オレの都合で遠回りさせるわけにもいかない。予定してたバスにも間に合わなくなる。それは、ダメだ。

 「じゃあ、行きましょう」

ずんずんと人波へ分け入っていく潮村の後を追う。人の隙間を縫うようにして進んでいくその背中が、遠くなる。

 やはり、猫背で下を向いたままじゃ手早い移動は望めない。何度か肩がぶつかり、抗議の視線が突き刺さった。いつの間にか潮村とも距離ができていて、俯いた視界の中に、足は見えない。

 顔、上げるか。

 その思考を、否定する。そんなの無理だ。そう怒鳴る声が頭の中で響く。こんな人混みの中でそんな事をすれば、周囲の『声』が一斉に流れ込んでくるじゃないか。そんな事をすれば、頭痛どころで済まない可能性もある。

 だが。

 唇を噛み締めて、油の切れたロボットのように顔を上げる。

 楽しそうに笑うアイツの笑顔を、オレが壊していいはずがない。

 《人多いなー。大した祭りでもないのに》《うわっ、目が合った! 何だよこいつ、目つき悪いし前髪キモいし》《前髪長いなー。あんま関わらない方がいいよな》《あっ、もうこの人混みで先に行くとかホント空気読めないんだからさー》《人多くて酔いそう》《後ろのおばさん二人うるっさいな》《人口密度高くて暑いんだけど》《西口から来れば出店近かったかー。失敗》《この人混みだし、手くらい握ってもいいかな》《ぶつかってくんなよ気持ち悪いな》《ステージ回り込むのめんどくせー》《次のバンド、漁火ヶ浜高校の生徒なんだ》《なんか高校生多くね》《あーもう人うぜー!》《肩ぶつかるのホント腹立つ》《そろそろ腹が減ってきたな》《なんでこんな小さい祭りにわざわざ出かけるんだよ》《朝から叩き起こしやがって》《相変わらずマナー悪い奴が多い》《ゴミ拾いのボランティアとか、いつまでやりゃあいんだよ》《人が多くて手が回ってないな》

 ありとあらゆる『声』が、流れ込んでくる。十人十色の思考が、『声』として頭に直接響く。周囲から一斉に話しかけられているような感覚。実際の音とは違い、混ざり合う事無く響くから、否が応にもその内容を聞き取ってしまう。一つ一つが重なり合って、オレのヒアリング能力の限界を超えて流れ込んで来る。頭痛がする。じわじわと、何かが蝕まれていくような錯覚を覚える。

 けれど、潮村の後ろ姿は見つけられた。この人混みの中で可能な最大限の速度で歩を進め、頭一つ小さいその背中に追い縋る。

 《あいつ化野じゃね》《うわー、あいつなんでいんだよ。キモっ》《ばけのがいるじゃん、何、アイツも遊びに来たわけ? ないわー》

漁火ヶ浜高校の生徒たちの塊があるのか、オレへの罵倒が『聴こえ』てくる。

 けど、この程度ならなんて事ない。これくらい、この能力が生まれてからずっと『聴か』されてきた。たかがこの程度で折れるほど、オレは真っ直ぐでもなければ弱くもない。

 はずなのに。

《うわ、ばけのだ。ホント、死ねばいいのに》

その一言だけは、ダメだった。

 心臓が収縮する。耳の奥で血液が唸りを上げる。指先が冷え、平衡感覚を失う。前後どころか上下すら、曖昧になっていく。

 死ねばいいのに。

 死んでしまえ。

 死んでよ。

 死ねば。

 死ねば、死ねば。

 アンタが死ねば。

 視界から、人が消える。アスファルトが消える。街路樹が消える。商店街のゲートが消える。店舗が消える。簡易ステージが消える。垂れ幕が消える。自転車が消える。木箱が消える。花壇が消える。雲が消える。海が消える。太陽が消える。

 潮村が、消える。


 ――――アンタなんかがいるから!! 私は!! アンタが!! アンタが死ねばあああっ!!

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