『声』が『聴こえ』ていたのなら
思いがけない問いに、思考が止まる。意図せずして、視線が泳いだ。
「返答は大まかに三つよ」
そうこうしている間に、答えが狭められていく。
「一つ」
玲華の人差し指が立つ。
「嫌い」
ずきりと、何かが走る。玲華の口から湊に対してその言葉が出た事が、妙に嫌だった。
「二つ」
人差し指の隣に中指が並ぶ。
「先輩として好き」
何となく、自分の気持ちに思いを馳せる。
「三つ」
さらに薬指。
「恋愛感情として、好き」
凍てついた視線が、桜花の答えを急かす。今しがた並べられた三つと自分の感情を擦り合わせ、桜花は、
「三つ目です。あたしは、先輩の事がそういう風に好き……なんだと思います」
自信はない。けれど、嘘をついたつもりもなかった。そもそもそんな事をすれば、即座に氷漬けだろう。この返答では、どちらにしろ氷の中かもしれないが。
その答えを発した直後、玲華の目が鋭くなる。本格的に死を覚悟した矢先、
「そう」
と。ため息混じりのその一言で、視線は幾分か緩んだ。
「予想はしてたけど、こうして面と向かって言われるとやっぱり少しショックね」
「……ごめんなさい」
肩身の狭い思いで、とりあえず謝っておく。きっと、今傍から見ている人は、桜花と玲華の身長差がさらに開いて見えるだろう。玲華が大きいのではなく、桜花が小さく見えるという点で。
「あなたのせいじゃないでしょ。仕方ないわ」
と桜花の謝罪をさらりと受け流した玲華は、苦笑いで肩を竦めた。
「けど、あいつ、多分そこらのラブコメ主人公より難攻不落よ。鈍感とか局所的な難聴とかじゃなく、あいつ自身の心構えの問題で」
舌打ちでもしそうな表情で、玲華はここにいない誰かへ思いを馳せる。自分に向けられているわけではないが、背筋が寒くなった。
「……で、でも、あの、ひ、氷海先輩もいますし……届かない想いって感じで……」
「あら、それなら問題ないわよ」
吐き捨てるように、答えが飛んでくる。
「何がですか?」
「私、あいつと別れたのよ」
そう言ってから、何かが気に入らなかったのか、眉根を寄せて言い直す。
「正確には、一方的にフられたのね。あいつと一緒にいると、私に被害が出るからって」
呆然とする桜花には頓着せず、玲華の独白は続く。
「あいつは、そういう人間よ。過去の出来事のせいで、自分は周囲に危害を及ぼすと思い込んでる。だから他人との関係を絶つし、自分に幸せになる権利は無いと思ってる。……変なところで頑固なのよ」
衝撃から立ち直り、思わず口を挟む。
「そんなことっ!」
「ええ、ないわ」
激情で詰まった言葉を、玲華は正確に引き継ぐ。
サッカー部の怪訝な視線も、今は知覚する余裕などなかった。
「そんな事、ありえないのよ。例え、あいつに投げられた刃がこちらに流れてきたとしても、その傷は私たちの痛み。その責は投げた人間に帰すべきもの。あいつが責任を感じるのは、お門違いというものよ。むしろ、私は……」
そこで、少し迷う素振りを見せた玲華は、桜花の顔を見て、息を吸った。
「私は、その痛みであいつの痛みが減るのなら、喜んで微塵切りにされるわ」
あまりにも、そう、あまりにも過激な言葉。だからこそ玲華は躊躇ったのだろう。それを湊が望まないのもわかっているから。
けれど、桜花とて。否。誰だって、大切な人が苦しんでいるのなら、そう思うのは当然なのだ。
「……けれど、あいつは。傷ついた人たちを、意図せず傷つけてしまった人たちを知っているから。傷つく痛みを知っているから。決して、大切な人にそれを味わわせようとしないの。それを何よりも厭うのよ。だからこそ、優しさを、見当違いの方向に発揮するわ」
『あいつは、危なっかしいほど優しいから』と呟いた玲華の顔は、こちらが恥ずかしくなるほど、慈愛に満ちていた。
確かに、湊は優しい。なんだかんだと言いつつ、結局桜花のわがままに付き合ってくれる。夏休みの宿題だって、結局最後まで付き合ってくれた。
けれど、その優しさは、肝心なときにズレている。
「人は、誰だって、いつだって、『痛み』が嫌いなわけじゃない。……あいつに、私の『声』が『聴こえ』ていたら、それが伝わったのかしらね」
だらりとぶら下げていた手に、力を入れる。掌に爪が食い込む『痛み』は、桜花の頭に上った血を、少しだけ抜いた。
『聴こえ』てしまうからこその、痛み。
『聴かれ』てしまうからこその、痛み。
『聴かれ』ないからこその、痛み。
人の本心がわかってしまうのは、痛い。相手に自分の本心を知られるのは、怖い。本心というものは、その人の心臓だから。
もちろん誰にだって明かせる人もいるだろう。けれど逆に誰にも明せない人だっている。そして大部分の人は、信じられる人にだけ、親しい人にだけ、と『上手に生きている』。
それは、伝えない限り自分の心は伝わらない。そういう前提があるから。だからこそ探偵は動機の推理に手間取るし、心理的なマジックは驚かれる。
けれど、それが伝わらないからこその痛みだって、あるのだ。
素直になれないとか、わかってくれないとか。そういう悩みだってあるのだ。
「……もどかしいですね」
かろうじて搾り出したのは、そんな言葉。
それに、玲華は力なく笑った。
「そうね。けど、私は諦めないわ。何としてでも、あいつに間違いを認めさせてみせる」
毅然と背筋を伸ばし、そう宣言する。
「……あたしだって、負けません」
クラクションと共に、バスが滑り込んできていた。




