『声』が聞こえる
猫の鳴き声がした。
か細い、縋るようなその声の主を探して、思わず周囲を見回す。と言っても、足元ばかりしか見えていない視界に映るのは、幾つもの黒い影に寸断された灰色のアスファルトだけだが。
そんな気まぐれのせいで普段なら絶対にしないようなミスをしてしまった。
周囲を確認もせずに路地から出る。その際、横合いから歩いてきていた人とまともにぶつかった。どうやらかなりの早足だったらしく、思わず尻餅をつく。
長く伸びた前髪を挟んで、その誰かさんと目が合った。
《うわっ、ンだよいきなりぶつかるとか、バカじゃねぇの? てか、キモっ》
「大丈夫っすか? さーせん、ちょっとよそ見してて」
即座に目を逸らす。その間に手を伸ばしてくる誰かさんの手を借りず、自分で立ち上がる。
「……いや、オレもぼんやりしてたし」
「いえ、すいませんっした」
そう言って、誰かさんはそそくさと立ち去っていく。あの『内心』を押し隠してあれほどに紳士的な対応を取ったのは、褒められるべきだろう。たとえ、『声』があれほどまでに荒んでいたとしても。
さっきの言葉は、もちろん誰かさんが発したものじゃない。誰かさんはあくまで紳士的に、不注意を謝罪し、無様に転んだオレに手を差し出しただけだ。
あの侮辱は、オレが勝手に誰かさんの心の『声』を『聴き取った』だけなのだ。いや、盗み取ったと言うべきか。
オレの『コレ』は確か、小学校の頃からだ。他人の目を認識すると、否応無く、その相手の心の『声』が『聴こえて』しまう。相手が誰でも、何を思っていても。心の奥に押し込めた醜い本音も、隠し通すはずの嘘も。美辞に隠した侮蔑も、麗句に込めた嫉妬も。何もかも、一切合財関係なく。
それが嫌で、オレは前髪を伸ばし、猫背に俯いて歩く。
もう一度、猫が鳴いた。そうだった、オレはこいつに気を取られたんだった。
「……お前か」
漁火ヶ浜商店街東口のゲート。その支柱の影から顔を覗かせているのは、三毛猫。痩せているが、首には首輪。オレを見るなり、三度か細い声を上げる。
「……お前、どっかで……」
視界の端でチラついていた張り紙を見やる。それが答えだった。
それは、二週間ほど前から目にするようになった『迷い猫』の張り紙。
「……名前はセラ。三歳の三毛猫。メス。まんまお前じゃねぇか」
張り紙の写真も、痩せてはいるがそのままだ。疑う余地などない。
「……さて、どうするか」
わざとらしくそう呟いてみたのは、自分の心を決めるためだ。
普段なら、一言言い残してさっさとここを立ち去る。余計な手間はかけたくないし、何より他人と顔を合わせるのは避けたい。
だが、支柱の影からか細く縋るその姿は、遠い記憶を刺激した。
搾り出すような、ため息一つ。
「ちょっとじっとしてろ」
張り紙に記された数字の羅列を携帯に写し取りながら、ポケットからさっき外したネクタイを取り出した。