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『4』



 要求メール最後の一つは、一週間経ってもやって来なかった。

 そして、僕が女子を押し倒し、怪我をさせ、大切な宝物まで破壊した鬼畜男として噂されることもなかった。

 僕の鞄の中には、エアパッキンに包まれ、新品の時計のようにクリアケースに収まった赤いnanoが待機している。

 エースの先輩との件があったあの日、僕は家に帰り、母親に人生でたった一度の頼み事と頭を下げ、きっぱりと断られても頭を下げ、僕を無視し台所へと向かった母親の背中にまでも頭を下げ、なんとか、一年間小遣いから天引きをするといった条件で母親ローンを組むことが出来た。

 そして、そのまま家電量販店へと自転車で向かい、赤の第七世代nanoを購入した。

 

 翌日、すぐにドラゴンに渡そうと考えていたのだけれど、ドラゴンの机まで向かうには気持ちが重すぎた。

 クラスの誰ともまともに会話をしたことのない僕が、突然ドラゴンに話しかけたりなんかしたら、それこそ大事件となってしまう。

 危ない男子として、よりクラスから浮いてしまったこの僕が、あの、危険女子として有名なドラゴンの元に向かい、話しかけ、物を渡したりなんかしたら。

 想像するだけで、気持ちが沈み、足が鉄の塊と化してしまい、僕はそうすることが出来なかった。

 そこで、机の中に忍ばせておこうという案を実行しようとしているのだけれど、なかなかタイミングが掴めず、誰かに見つかってしまったらという不安が行動へと繋げさせずにいた。


 そんなもどかしい気持ちで日々を過ごしていたときの昼休み。

 これまでそうしていたように机に突っ伏し、寝ているふりをしていたところドラゴンに関する話を耳にした。

 声は左斜め前の坂井さんの席から聞こえてきた。

 聞き覚えのない声と話の内容からどうやら他のクラスから遊びに来ている女子もそこにいるようだった。

 一年の時ドラゴンと同じクラスだったようで、ドラゴンがそのニックネームを冠することになった教壇投げ倒し事件についての話を彼女は楽しげな口調で語り始めた。

 

 「入学したときから、あんな感じだったのよ。ほら、見た目はすごく可愛いじゃない。周りはお構いなしって性格だけどさ、それでもやっぱ男子は顔じゃん。嫉妬っていうか、妬みよね。すごく人気あったからね、彼女。で、あの事件。本当にびっくりしたけどね、あのとき。まさかね、教壇投げ倒すなんてね。担任なんてなに言ったらいいのかわかんなくて、呆然としちゃってたからね」


 「ふうん。で、結局なんでそんなことになっちゃったの?」


 坂井さんが尋ねた。


 「なんかね、隣に座ってた子がちょっと見えたって言ってたんだけど、iPodの液晶が割れてたんだって。彼女休み時間になるといつもイヤホンして音楽聴いてたのよね。時々机の上に置いてあったの私も見たことがあったの。赤いiPod。体育の授業の後だったから、もしかすると、他のクラスの子がやったのかもしれないけどね。それで、帰りのホームルームのときに、突然立ち上がって教壇に立つ担任をどけて、なにも言わないで教壇をどかん。クラス中を睨み付けて、鞄持って一人でさっさと帰ってちゃったのよ。大きな音立ててドア閉めてってね。あれには、本当にびっくりしたわ」


 「それって、なんか可哀想じゃない。だって、彼女被害者でしょ?」


 「そうだけど。でも、同じクラスで彼女を見てきた私からしてみれば、される方もされる方なのよ。自分はあんた達とは違うんですよって、そんな顔してクラスに馴染もうともしないでさ。そういう人がいるとさ、やっぱ迷惑じゃない? どうしてもみんなでなんかやんなきゃなんないときってあるじゃない? 体育とかもそうだけど。周りが気を遣うのよ。あの子をどうしようって。あっちにいれようか、そっちにいれようかみたいな。気使うのよね。それなのに本人ときたら、そんなときでも無関係な顔してるからね。で、そんな子が男子には人気があるってんだから、そりゃ妬まれても仕方ないわよ」


 「今も、まあそうね。そんな感じだけどね」


 「じゃあ、またもう一回くらいあるかもよ。ドカンが。あっ、今度はそれじゃ、すまないかもね」


 「やめてよね」


 そこでチャイムの音共に二人の女子の会話は終了した。

 

 

 ――――誰がこんなことしてんのよ。

 

 ドラゴンはあのときそう言った。

 けれど、本当はこう言いたかったのかもしれない。

 誰にこんなことさせられたんだ、と。

 誰かに命令されて僕がそうたのではないかと。

 寝たふりを止め、眠たそうなふりをしながら起き上がった僕の心はどうしようもなく複雑なものだった。




 その日の放課後、僕は家に帰らずに学校の周りを無駄にぶらぶらと歩き時間を潰した。

 僕がそうしたのは時間を持てあましているからでも、家に帰りたくないわけでもなく、それはもちろん、買ったnanoをドラゴンの机の中に忍ばせるためだった。

 住宅街を無駄にふらふらと歩きながら、僕はずっと壊れたnanoのことばかりを考えていた。

 液晶が割れ、割られたiPod。

 

 ――――ずっと、ずっと大切にしてきた私の、た、か、ら、も、のっ! なのよ。


 あの言葉も実は本当だったのかもしれない。

 ずっと、ずっとは抜きにしても。

 

 

 一時間歩き続け、学校に戻ると、校舎の中は普段と違い、どこかよそよそしい雰囲気があった。

楽しげに帰宅する生徒達と熱を持って部活動に勤しむ運動部の間を、ひっそりと、ゆっくりと抜け、階段を二階分上がった。

 角を曲がれば教室という、目的地まで後数歩のところで僕は足を止めた。

 教室の扉の前、ちょうど僕の席の真横にある扉の前から声が聞こえてきたからだ。

 うっすらと聞き覚えのある声に、もう一つの声が応えていた。

 僕は足を踏み出すことも、引き返すことも出来ずに、壁に寄りかかりじっとしていた。

 

 「彼のこと、後輩達から聞いたんだ。やっぱり、付き合ったりはしてないって」


 「そうですか」


 「うん。それに彼、クラスの中じゃだいぶ浮いた存在だって聞いたよ。友達もいないし、いてもいなくても変わんないような、そんな感じだって。休み時間は寝てばかりだし、起きててもスマホを握りしめて一人で過ごしてるって。話じゃ、中学の頃なんかは、だいぶ虐められてたんだって?」


 優しくて、紳士的な口調だった。

 責めることも、疑うことも、押しつけがましいところもない。

 そんな穏やかな言い方だった。


 「後輩の中に同じ中学だったって奴がいてさ、男子だけじゃなく、女子からも嫌がらせに近い悪戯をされてたんだって言ってたよ。僕がしつこかったからかな? そんな男と付き合ってるなんて、あるわけないし」


 傷つくことなんて今さらない。

 全部事実だし、周りにそう思われているっていうのも知っていた。

 

 「それにさ、最近、彼なんかおかしいんだって? 授業中に変なことしたりして、一度は職員室に呼ばれたって、そう聞いたけど。彼にそうしろって言ったんだよね? 吉野さんの彼氏役として、そういうふりをしろって。しつこくしたことは謝るよ。でも、聞いて欲しいんだ。本当に僕は吉野さんのことを思ってるんだ。だから、何度断られても、僕は吉野さんが振り向いてくれるまで、気持ちが届くまで、努力を続けるつもりだから」


 確かに。

 ほとんど彼の言うとおりだ。

 ドラゴンからの命令でおかしなことをしただけで、彼氏のふりをしろなんて言われていないだけで。

 

 「もう、やめてください」


 ドラゴンの声のボリュームが上がった。


 「えっ?」


 「やめてって、言ってるの」


 「僕、なんか気に障るようなこと…………」


 「全部が全部私の気に障ってます。そうやって平然と他人のことを、何も知らない他人のことを、その他人がいないところで好き勝手言いたい放題言う人間って、さいってい! 知ってるんですか、彼のこと。誰がそう言ってたのかは知らないけど、その誰かも彼の何を知ってるって言うんですか?」


 「あっ、いや、僕は、そういうつもりで」


 「そういうつもりで言ってます。それなのに、そういうつもりはない、みたいな嘘をつくところも嫌いです。正直者のふりをして、正直者を笑う人間が、私の一番嫌いな人間です。だから、どんな気持ちがあるのかわりませんけど、その気持ちが私に届くことはありません。たとえ、私の記憶が全部消えてしまっても、それでも、私には届きません。絶対に、確実に、間違いなく」


 「そんなに、怒らなくても」


 「怒ります」


 「…………あの、もしかして、二人は本当に?」


 ――――いったあい。


 階段の下から大きな声が聞こえた。


 ――――なにこけてんのよ。


 その声につられ、廊下の角からエースの先輩が顔を覗かせた。

 僕に気づいたエースの先輩は、目を丸くした。

 少しだけ開いた口からは、どんな言葉も発せられなかった。

 僕は反射的に小さく頭を下げていた。

 そして、先輩と縦に重なるようにドラゴンが手前から顔を出した。

 ドラゴンは一瞬だけ目をぱっと開いたけれど、すぐに細めた。


 「なに、してんのよ」


 「いや、んっと」


 「はあ?」


 ドラゴンの眉間にぎゅっと皺が寄った。


 「えっと…………」


 「なんなのよ」


 「あっ、いや、あの」


 僕は一度エースの先輩に視線を送り、それからドラゴンの目を正面からしっかりと見つめて言った。


 「ずっと、待ってても、来ないから、来て、……みたんだ。どれだけ、待たせるん、だよ。早く、帰ろう」


 何度か詰まりながらも、言い切ることが出来た。

 心臓の音があまりにもうるさくて、耳を塞ぎたい気分だった。


 「なによ…………」


 ドラゴンは床に言葉を落とすように言った。

 そして、顔を上げると、いつものように不満げな表情を浮かべた。


 「男が待つのは、当たり前でしょ」


 唇を尖らせたドラゴンは、これまで僕が見てきたドラゴンとは別人のように見えた。



 恋人同士というのはもちろん、仲の良い男女というにも微妙な距離を保って、僕らは階段を下り、上履きからローファーへと履き替え、校門を抜けた。

 エースの先輩の姿が見えなくなってからは、そのままお互いそれぞれに帰っても良かったのだけれど、このときはどうしてか、そうした方が良いような気がした。

 ドラゴンの長い髪の毛が背中を撫でる様を眺めながら、僕は彼女においていかれないように、彼女の一歩後ろをついて歩いた。

 ドラゴンも僕も一つも言葉を口にしなかった。

 吹奏楽部の音程が外れた音階練習の遠い音にも文句一つ言わなかった。

 僕らの間に言葉が落ちたのは自転車置き場に着いてからだった。

ドラゴンは自転車置き場の前で足を止めると、振り返らずに僕に言葉を投げかけた。


 「なによ、さっきのあれは」


 棘のある口調だった。


 「なんか、困ってた、みたいだから」


 「はあ? 人助けしたって言いたいの? 私にその恩を返せって言いたいの?」


ドラゴンは勢いよく振り返った。

 もちろん、その表情は険しかった。


 「そんなこと、言ってない」


 「どれだけ待たせるんだよって。なに、あれ? いつ私があんたを待たせたのよ。そんなこと頼んでもないでしょ」

 

 「だから、それは」


 「完璧に、誤解されちゃったわね」


 眉間に寄った皺を指でつまみ、短く切れのある溜息を吐いた。

 

 「迷惑は、かけないようにするよ」


 「ああっ!?」


 僕は思わず後ずさりをしてしまった。


 「迷惑はかけないって、もうかけてるでしょ! 迷惑かけてから、かけないからって。はあ? なにそれ? 意味わかんないんだけど。まったく、さっぱり、全然!」


 「いや、そういうことじゃなくて。あの、ほら、話しかけないように、する、とか」


 「あんたが私に話しかけたりしたことなんてないでしょ! なによ! これから、そうしようとしてたっていうの?」


 確かに。

 話しかけたりしたことなんて一度もない。

 僕たちは完全に他人として、まあ、他人なのだけれど、そうやってクラスの中で過ごしているのだから。

 それに、僕からドラゴンに話しかけるような話なんてない。

 あるとすれば、それは、たった一つだけ。

 僕は鞄を開き、中からエアパッキンで包まれたnanoを取り出した。


 「これ」


 「なに? 爆弾? 私をぶっ飛ばしちゃおうとでも考えたの」


 僕は首を振った。


 ドラゴンはふんと鼻を鳴らし、僕の手から強奪するように掴み取り、無造作にブチブチと音を鳴らしエアパッキンを解いた。

 

 「ふうん。そういうこと。よくわかったわ。もう面倒になって、どうでもよくなったから、これでさっさと終わらせちゃいたいって。そういうことね」


 ドラゴンはすっと目を細め、クリアケースに入ったnanoを訝しげに見つめて言った。


 「そうじゃなくて…………」


 「って、なによ。あんたさ、なにか言いたいんなら、ちゃんと最後まで言ってよね。なんで言葉を口にする度に途中で止まるのよ。その度に私がこうやって突っ込まなきゃなんないでしょ? イライラすんのよ、そういうの」


 「ごめん……、その………」


 「だ、か、ら! 今言ったばかりのことをなんで、返してくんのよ! 続きがあるならさっさと言って。ないんなら半端なこと口にしないで黙ってて」


 ドラゴンの貫くような視線になんとか耐えながら、僕は僕の中にある力というものを総動員し、続きの言葉を口にした。


 「大切なもの、だったんでしょ。最近、休み時間に音楽も、聴いてないみたい、だし。それに、安いものでもないし。壊したんだから、ちゃんと、こやって返さなきゃって思って」


 言葉の終わりと共に僕は俯き、ローファーの先へと視線を落とした。


 「わざとじゃないんでしょ? それなら、別にいいのよ。それなら、ね。買って返せなんて言うつもりもなかったし。でも、大切な物だったから。あれがないと困るのよ。結構。休み時間とかね。周りのうるさい声が耳についちゃうから。まあ、そういうことなら、これは頂いておくわ」


 その言葉に僕はほっとした。

 心の底から涌き上がった安堵に自然と上がった顔を上げると、ドラゴンの指先が、細い人差し指が飛び込んできた。

 まばたきすることも出来ずに、僕はただただその指先に両目の焦点を奪われた。


 「でも、約束は約束よ。まだ、あと一つ残ってるってのを忘れてないでしょうね。これはこれ。あれはあれよ」


 「……うん」

 

 僕は口を開かず、鼻で答えた。


 「そう」


 ドラゴンは目を閉じ、得心を得たようにゆっくりと頷いた。


 「忘れてなければいいのよ。それなら、よかったわ」


 そして、その場に立ち尽くす僕を残し、ドラゴンは自転車に足をかけ颯爽と去って行った。

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