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『1』

 


 スマホという命の次に大切な宝物を机の中に置き去りにしてしまったというその心配心からだろう。

 僕にしては勢いがありすぎた。

 教室の扉を開け、飛び込むように片足を教室内に踏み込んだその瞬間、なにかを踏んだ感触があった。

 そろりと右足を上げると、そこには赤いiPod nanoが転がっていた。

 手に取ってみると、液晶のちょうど中央が見事に割れてしまっていた。

 教室には誰もいない。

 このままそっと床に転がしておけば、僕がやったなんてことは誰にも気づかれない。

 と、そんな悪い考えをしていたせいもあり、突然、後ろから聞こえた足音に僕は思わず手に持っていたnanoを放り投げてしまった。

 おそるおそる振り返ると、そこに、僕の後ろに立っていたのは、予想だにしない人物だった。

 眉間に皺を寄せ、鋭い目つきで僕を睨み付けていたのは、こともあろうかドラゴンだった。


 二年に上がり、クラスの中を見渡したとき、一番初めに僕の目を固定させたのが彼女だった。

 一年の時から彼女の話はよく耳にしていた。

 耳にしていたといっても、誰かから直接聞いたのではなく、誰かが誰かに話してるのを耳に挟んだということなのだけれど。

 帰りのホームルーム中の担任教師を教壇から追いやり、その担任教師に向かって教壇を投げつけたという話は有名だ。

 色白で整った端正な顔立ちを自ら台無しにするように、いつも眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情を浮かべているそんな彼女についたニックネームは、ドラゴン。

 空手では段を有し、テコンドーもそれなりの腕前。

 さらには護身術としてロシアの軍隊護身術システマまでかじっているという彼女は、中学時代喧嘩無敗の女番長、だったそうだ。

 そのドラゴンが同じクラスにいる。

 この一年間、関わりどころか言葉を交わすことさえないだろうけれど、その事実は、少なからず僕の心に驚きと衝撃を与えた。


 ドラゴンは、するりと僕を交わし教室へ入ると、椅子を机を足で蹴ってどかし、僕がさっき放り投げたnanoの元へと向い体を屈めた。

 正直、逃げ出したかった。

 今ならばまだ間に合うような気がした。

 けれど、僕は身動き一つ出来なかった。

 ゆっくりと振り返るドラゴンのその動作に僕は恐怖を感じていた。

 振り返りきってしまったら、大変なことが起こってしまうことは予想すら必要のないことだった。


 「これ」

 

 ドラゴンは掌を広げ、その上にあるnanoを見つめて言った。

 

 「あんたが、やったの?」


 そのあまりにも落ち着いた口調からは、冷たい殺意が感じられた。

 

 「あっ、っと、いや、あの…………」


 言葉が上手く口から出なかった。

 そして、そのことがより僕の気持ちに揺さぶりをかけた。


 「えっと、あっ」


 一歩、二歩、三歩。

 ドラゴンはまたドカドカと椅子や机を蹴り、僕との距離を縮め、そして右手を思い切り振りかぶった。

 殴られる。

 僕はぎゅっと強く目を閉じた。

 けれど、想像していた拳による打撃も想像以上の衝撃も訪れなかった。

 おそるおそるゆっくりと目を開くと、目の前に、鼻先すれすれにnanoの画面があった。

 トップ画面が映っているものの、割れてしまった中央部分を中心に黒く液晶漏れが起きていて、ほとんど文字を読むことが出来なかった。


 「あっと、えっ、あの……、っと」


 「はあ?」


 「いや、あの。ごめ、ん。なさい」


 「誰? 誰がこんなことしてんのよ」


 「あ、いや……」


 「あ、とか、いや、とか、あの、とか、そんなのはいいのっ! 誰がって聞いてんでしょ!」


 ダンっ、とドラゴンが床を踏んだ音に肩がびくりと跳ね上がった。

 

 「ごめ、ん。急いでて、机の中に忘れものして。それで、慌てて戻ってきて。えっと、それで…………」


 「それで、なにっ!」


 「踏んじゃって」


 「って?」


 「液晶、割っちゃって」


 「って!?」


 「ごめん」

 

 達人は眼力だけで人を倒すことが出来るというけれど、ドラゴンはその達人の領域にすでに片足を踏み入れているようだった。

 心臓の音が頭の真上から聞こえるほど、僕は動転し、混乱していた。

 このままあと三分、いや一分見つめられたら、卒倒してしまうに違いない。

 そうなってしまわないように、僕は視線をゆっくりと床へと移動させた。


 「私には投げたようにも見えたけど。踏んで壊して、投げた」


 「それは、その、あの…………、びっくりして。それで」


 「投げた」


 僕は小さく何度も頷いた。


 鋭利な視線を放っていた細められた目は、大きく見開き、そこから殺意がなみなみと溢れ出していた。

 

 「嘘だったら、殺すわよ」


 嘘ではないことを示すために、僕はまた小さく何度も頷いた。

 

 しばらくの間、殺意混じりの目に僕は殺され続けた。

 生き心地なんてもちろん、死さえも羨ましく思ってしまうほど辛く苦しい時間だった。

 

 「それで、どうするつもり?」


 「……弁償、するよ」


 「はあっ!?」


 「ちゃんと、買って返す、よ」


 壊してしまったのは僕の右足であることは間違いない。

 責任は僕にある。

 責任を取る必要が僕には、ある。

 僕はあまりにも急いでいた。勢いがありすぎた。僕らしくもなく。


 「なによ。お金が解決しようっていうの? 私はね、そういう人間がだいっきらいなの! なんでもお金で解決出来るって考えてる人間が!」


 また目の前にnanoの画面が飛び込んできた。

 今度はすれすれではなく、鼻先にこつりと当たった。


 「私の宝物なの! ずっと、ずっと大切にしてきた私の、た、か、ら、も、のっ! なのよ」


 ずっと、ずっと?

 この真っ赤な細長のnanoは…………。


 「あの、……これって。これは最新の」


 最新の世代モデル。

 第七世代iPod nano。

 発売されてからまだそれほど時間が経っていない。

 

 「はああっ!? なによっ! なんか文句でもあるの!? 壊しといて文句まで言おうっていうの!?」


 ドラゴンは荒々しくスカートのポケットにnanoをしまい込んだ。

 

 「いや、……そんなつもりはない、けど」


 「そう。そうよね。文句なんて言えるわけないわよね。その足で踏みつけて、その手で投げつけて、人の宝物を壊したんだから」


 「だから、それは――――」


 「言い逃れはしないで。見苦しいし、そうされればされるほど、イライラしちゃうから」


 ドラゴンは僕の言葉を遮って言った。


 「あの、言い逃れじゃなくて、本当に、急いでて」


 机の中にスマホを忘れてしまって。

 それで急いで引き返して。

 階段を二段飛ばしで上って。

 そして、そのままの勢いで教室の扉を開けたら、足下になぜか。

 と、僕は伝えたいそのままを言葉にしようとしたけれど、それは彼女が許さなかった。


 「それ以上、無駄な言葉を口にしたら、怒るわよ」


 黙っている以外に他はなさそうだった。


 「あんたが踏んで壊して、投げつけた。そういうことよね?」


 僕は頷いた。

 

 「そう。そうね。そうやってちゃんと認めてくれれば、その先の話もスムーズに進むでしょ。それで? あんたは、どうしてくれるの? 責任をどうやって取るつもり?」

 

 「……どう、すればいい?」


 「どうすればいい、か。そうね」


 ドラゴンは腕を組んで天井を睨み、ううん、と唸り声をあげながら、それじゃ、ちょっとね、とか、あんまりか、とか一人呟いていた。

 そして、突然、パンと手を叩き、僕に人差し指を突きつけた。


 「なんでも聞いてくれるって言ったわよね?」


 「なんでも、なんて、言ってないけど」


 「さっき、どうすればいい? って、そう言ったじゃない! なに、それ。また、適当なこと口にしたっていうの」


 「そうは言ったけど、……なんでも、なんて」


 「どうすればいいって私に聞いたってことは、なんでも聞くっていう意思表示でしょ? 謝罪をしたいってことじゃないの? 人の宝物を壊してしまった罪滅ぼしをしたいっていうんじゃないの?」


 彼女の言うことを飲み込まなければ、話は永遠に巻き戻されてしまう。

 

 「わかったよ……。僕に出来ることなら、聞くよ」


 「言ったわね?」


 「……うん」


 「うん、うん。そう。そうね。あんたのその誠意というか、謝罪の気持ちは、遠慮なく頂かせてもらうわ。私が受け取らなきゃ、あんただって、罪悪感を背負ったまま苦しみ続けることになるものね。そうよね、うん。私としては、まあ、大切な宝物を失って、死にたいくらいの気持ちなんだけど、仕方ないわよね」


 ドラゴンは大きく二度縦に頷き言った。


 「大丈夫。無茶なことは言わないから。ちゃんとね――――」


 そして、満面の笑みを浮かべ、言葉を続けた。


 


 あんたに出来ることにするから――――


 

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