2人と2人
僕は不思議と、何か悪いことをしている現場を見られたような錯覚を覚えてしまう。
「ど、どうしてここに…………」
「今の、誰?」
彼女は無表情に、ただ、不機嫌そうな感情をこめて、僕に問いかける。
別に後ろめたいことは何もないはずなのに、なぜか気圧され、言葉が詰まる。
「あ……う、うん。リア、だよ。この間言ってたよね。僕を助けてくれた人」
「……そうなんだ」
「うん。そう」
それだけ。会話が続かない。
不自然な沈黙が僕らの間に流れる。
「…………ね、レイト。今、時間あるよね」
沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「あ、あるけど?」
「じゃ、いこ」
ナクアは素早く僕の手を取ると、リアが去った方向と反対向きに駆け出す。
「どこに行くのさ?」
「いーいところ、だよ」
――――もしかして、今までの全部見られてた?
だとすると、何で? 彼女が僕をつける理由は?
ストーカーじゃあるまいし…………。
「うん、ここかな?」
ナクアが足を止めたのは、駅前の喫茶店。
人はそれなりに入っているが、立地条件に比べればあまり人気はないようだ。
いわゆるハズレ店というやつなんじゃないのか? と疑念を抱きつつ、店に入る。
中はそれなりに綺麗な作りになっているようだが、どうもパッとしない。
素人の僕が言うのもなんだが、雰囲気がなっていないといった感じだ。
「2名様ですか」
「ええ」
「ではこちらへ……」
ウェイトレスの女の子に連れられて、窓際の席へ。
「ご注文は後ほどうかがいます」
「…………それで、ナクア」
ウェイトレスの子が去るのを見計らってから、話題を切り出す。
「なんでまた、こんなことを?」
「…………む」
ナクアの眉が吊り上るのが見て取れる。
「べつに? なんとなくだけど」
まずい、地雷だったか? メチャクチャ不機嫌そうだ。
「レイトは、私と一緒だと嫌?」
「い、いや! そんなことはないけど」
むしろうれしいと言うかなんというか……。
「さっきの女の子の時は普通について行ってたのに…………」
「へ?」
「何でもない」
不機嫌そうにメニューを取り出し、眺めるナクア。
…………空気が重い。
「あ、あのさ…………ナクア」
「なに?」
何とか、何とかしてこの流れを変えないと…………。
「ナクアって、これからどうするの?」
「レイトと一緒に、戦い続けること?」
いや、そうじゃない。
「ちがうよ。その後。ナクアの将来、人生設計」
「そういえば、考えたこともなかったかも…………」
やっぱりか。
「そんなに重要?」
ナクアは逆に僕へ問いを投げかける。
屈託のない目をしながら首を傾げられると、こっちが間違っているかのような錯覚に陥りそうになってしまう。
「うん、僕の中の常識だと重要。ほら、僕らくらいの歳の子って、学校行って、就職したりするでしょ?」
「学校……就職…………」
ナクアは、どこか遠い目をしながら、うわ言のように僕の言葉をおうむ返しにつぶやく。
遠い過去か、それとも未来か、何に思いをはせているのかは、僕にはわからない。
「そうだね。私も、そう思ってたんだよね…………でも」
「でも……?」
「私たちは学校に通えないよ。戸籍もないし、保護者もいないから」
そう、それが問題だ……。
しかも、僕に至っては自分が何者かも覚えていないという有様。
『普通の生活』はもはや絶望的だった。
「ね、レイトは今の生活、いや?」
「いやだなんて……」
とんでもない。と言おうとしたところを、爆音と振動が遮った。
「な、何だ!?」
店内がざわめき、辺りはたちまち混乱に包まれる。
このような風景には心当たりはなかったが、何らかの攻撃を受けたことだけは、本能としてわかってしまった。
情報素子を展開させれば、そこには案の定避難命令の内容が記されていた。
空気ぐらい読めよ。と内心毒づきながら、警報を無視して通常アプリケーションを立ち上げる。
周辺地図に、生体センサー、ナクアの情報素子の場所を表示させる。
「ナクア」
《呼び出しを確認。外装展開》
装甲服を展開しながら、ナクアに呼びかける。
私服の上から装備しているので、気持ち悪いが、そんなことを悠長に気にしている場合ではない。
「今の生活に不満がないと言えば、嘘になる」
「え……?」
「学校に行けないし、友達を作る機会もほとんどない。その上、命がけだ」
「レイト…………」
すでに喫茶店にいるほぼ全員が、退避機で避難している。
じきに連中もやってくるだろう。
「けど、やめたいとか、逃げたいとか、思ったこと無いんだよね」
仮面の一団が店の中を覗き込む。
獲物を見つけた、とか思っているのだろう。
「君の願いをかなえたい」
ナクアをお姫様だっこの形で抱える。
自分1人でもできることを、今度こそ証明してみせる。
「君の期待に応えたい」
小銃、電磁波砲と……見たこともないような武器も様々だ。
彼らは、それらを一斉に喫茶店へと放つ。
それらをかいくぐり、真正面の仮面を踏みつけ、跳躍。
デガゥクア市駅の看板に蹴りを入れ、反対側に、さらに高く跳躍する。
「だから僕は、君を守るよ。強くなって、どんな強敵でも倒せるように、なるよ」
喫茶店の屋根に降り立ち、振り返る。
さっき情報素子を展開したときに見たものを確かめるために。
「さて、聞いての通りだ化け物」
果たして、そこには巨大な六つ腕の人型があった。
顔は3つ。東洋の軍神でも模したつもりか。
「――――ナクアには指一本触れさせない!」
僕は眼前の阿修羅もどきに啖呵を切った。
▼
避難命令が発令されたことは、すでに街の誰もが知っている。
だからこそ、こういう公共の場では退避機が取り合いになってしまう。
そしてその退避機争奪戦に敗れた者は、別の場所へと退避機を探しに行くほかない。
そうでなければ、この最新鋭の科学に守られた街から出る方法は無い。
「どーしたものかな」
日が傾き始め、影が少しずつ伸び始める様を不快そうに眺めながら、リアがつぶやく。
既に退避機入手争奪戦は終わっている。これだけ時間が経ってしまえば、駅の退避機はすでに停止しているだろう。と判断する。
見上げれば、ちょうど街の境界線に設置されたバリアが全体を覆おうとしていた。
固体とも液体ともつかない薄い皮膜が少しずつせり上がりドームを形成してゆく。
繭を作るかのように完成に近づくそれは外敵から身を守るための殻ではない。外敵を閉じ込め、滅殺するためのものだ。
まるで処刑開始前のガス室だな。とリアは思う。
あれを物理的に突破するには、特殊な塗料の塗られた乗り物――機動装甲など、軍用のものが大半だ――に搭乗するか……あるいは、バリアに晒されても問題ないほど強靭な肉体を手に入れるかしかないだろう。
前者は困難を極めるだろうし、後者は試したくない。
そう考えた彼女は、やはり退避機を手に入れるしかない。
猶予時間も残り少ないので、リアは退避機が余っていそうな場所へと足を向ける。
「この辺だと、学校かな?」
店の商品を盗み出す火事場泥棒の連中を横目に見て確信する。もうここに留まっている方があれに関わってしまいかねないという点で危険だ、と。
リアは駆け出した。途中、情報素子の生体センサーを起動する。
学校のある場所にはまだ生体反応がちらほら残っているものの、ほとんど残っていないようだった。うまくいけばおこぼれにあずかれるかもしれない。
「…………辿り着ければ、かな」
正面から現れた仮面の一団に、リアは咄嗟に路地の影に身を隠す。
数をすぐには確認できなかったが、2人以上であるからには、真向勝負で勝てる保証はない。
それを向こうもわかっているのだろう。
生体センサーには一団のうち数人が隊列を組んでこちらへと向かってきていた。
体格差、武装差による個々の戦闘能力にも圧倒的な差があるというのに、その上向こうは数がそろっている。勝利のビジョンはまったくと言っていいほど思い浮かばない。
出会い頭に銃弾をあるだけ叩き込めば、2人くらいなら何とかなるかもしれないが、それで終わりだ。次の瞬間にはリアの体は銃弾のシャワーによって挽肉にされているだろう。
せめて装備があればまだ何とかなったかもしれない。連中以上とは言わないが小銃くらいは欲しかった。
思いを巡らせている間にも、生体反応はリアに向けて近づいてきている。
動かなければ死ぬ。動きを間違えれば死ぬ。時間が来たら死ぬ。そして残された時間はあまりにも少なかった。
「…………く」
そうしてリアが選んだのは時間稼ぎだった。
情報素子の地図を頼りに、路地の奥へと身を躍らせる。
リアが動くと同時、敵の方の速度も上昇した。稼げる時間は数秒にも満たないだろう。
とにかく、なるべく遠く。数秒の時間稼ぎを重ね、何とか振り切ろう。
この時、リアの神経は背後の生体反応にしか執着していなかった。
だから、気づかなかった。
自分が誘導されようとしていることに……。
「――――ッ!?」
銃声と、跳弾の音。リアの足が止まる。
気が付けば、自分の足元には、弾痕と思しき穴が穿たれている。
リアは顔を上げ弾丸が飛んできたと思しき場所を確認する。――――何者かが立っていた。
その手には長大な銃器。かなり遠いため詳細は確認できないが、スナイパーライフルの類を保持しているのだろう。
「たかがか弱い女の子相手に、やりすぎじゃない――――のッ!」
スウェーしつつ、スカートの中にしつらえてあるホルスターに収めていた拳銃を抜く。
大枚をはたいたおかげと言うべきか、小型軽量、装弾数20を実現している新鋭の高性能拳銃。ただし予備弾倉は持ってきていないので、射撃には細心の注意が必要だ。
たった今までいた場所を弾丸が通り過ぎるのを確認してから、リアは前進する。狙いをつけさせないよう、ジグザグに動くことも忘れない。
双方の距離はおよそ200m、その間に脇道の類はなく、遮蔽物もほぼ無いと言っていい。
威嚇のため、1度だけ発砲。距離とリアの射撃の腕からして、そう当たるものではないだろう。それくらい彼女もわかっている。接近する間、向こうの頭を引込めさせることが目的だ。
しかし、男が動じた様子はない。それどころか呑気さすら漂わせながら、仮面越しにスコープを覗き込んでいる。当たらないと確信していたのか。あるいは、何物も恐れていないだけなのか…………。
うすら寒いものを覚えたリアは思わずステップを乱してしまう。
まるで機械のように落とされた引鉄。それに誘発され、弾丸が射出される。
弾丸はリアのすぐそばを掠めるように通り過ぎ、彼女の背後のゴミ箱に命中した。恐ろしく正確な射撃だった。彼女が歩調を乱さなければ、間違いなく命中していただろう。
――――だめだ。かてない。ころされる。しぬ。
このとき初めて、リアは『ほんとうの意味』で『明確な死』を意識した。次は当ててくるに違いない、と。その瞬間が自分の最期になるだろう、と。死のイメージが彼女の中で組みあがる。
彼女の足がすくむ。
――――死ねない、死にたくない。でも死ぬ。私は死ぬ。ここで死ぬ。
これより悪い状況を彼女は知らなかった。ここから先は彼女にとって完全な暗闇だ。手探りで進むしかない、絶望の暗闇だ。
引鉄が落とされるのが見えた。否、この距離でそんなものが見えるはずがなかった。
だから、リアはこれが自分の創りだした心象風景だと判断する。ただ、心象風景だろうと、弾丸が射出されるのを黙って見過ごすわけにはいかなかった。
彼女は身をかがめ、射線から身を躱す。
その直後、本物の、実体を持った弾丸が彼女の頭上を通り過ぎ、背後より迫っていた仮面男の1人――ちょうど角から顔を出したところだった――に命中した。
狙ったわけではなく、まったくの偶然だろうが、リアにとっては追跡者が減ったことによる利が出た。
「……今の、何?」
しかし、今の時点でリアの意識は、敵が減ったことではなく、自分で起こした、本人が一番理解できていない事象に向けられていた。
今までこんな体験はしたことがないし、自分の能力である実感もまるで無い。――――他人に押し売りされた便利機能。という表現が正しいと思えるくらいに。
再び引鉄が絞られる。
リアは咄嗟に首を傾けて射線から逃れる。
弾丸はさっきまでリアの頭があった場所、彼女の耳のすぐそばを通り過ぎてゆく。
羽音のような効果音を耳に残し、リアは今の何かを分析しようとした。
――――動きが見える?
しかし、いくらどこに来るかが見えていたところで、動きが追いつくはずがない。
この時、リアはこの小さな戦場を完全に理解していた。弾丸がどこを通るのかはもちろん、どこに行けば安全か、そのためにはどう動けばいいかまで。そして、それは瞬時に体にまで伝わっていた。実際その実感なきシミュレーション通りに事が運んだことが彼女にとっては何よりの証拠だ。
一歩踏み出す。彼女の武器はいまだ射程距離外の拳銃に、意味不明、不確定要素満載の能力だ。強大な死の恐怖は拭い去れるはずもないが、中和剤にはなったようだ。その証拠に、自分の体は満足といかなくとも動けない程ではなくなっていた。
2歩目、3歩目…………次の銃撃が来たのはちょうど6歩目を踏み出したところだった。
リアはそこで体をねじる。銃弾は彼女の胸元を通り過ぎて行った。
「わかるっていうのはいいことだけど……スリルがハンパないね…………」
確実に距離を詰めつつも、不安はむしろ増えつつあった。
次も避けられる保証はない。
いつ後ろに控えている敵が顔を出して、リアの背中に銃撃を浴びせかけるかわからない。
「考えるな。考えるな――――リアりんは後先考えない人間なんですから……」
足の動きを、歩きから走りに変える。最初にやっていたジグザグ走行だ。
狙撃手も動きに合わせて銃撃してくるが、命中弾は出ない。
「――――はあぁ……っ!」
もう充分拳銃の射程距離内。もしリアがこの時点で足を止めていたとしても、難なく命中させられただろう。
しかし、彼女は止まらない。止まれないと言った方が正しいかもしれない。
――――止まれば死ぬ、止まれば死ぬ。倒さなきゃ、倒さなきゃ……。
ついにリアは、互いの目と目を覗き込めるくらいの距離にまで接近する。
この距離なら、外す方が難しいだろう。
リアはようやく銃を構える。しかし、敵の方は既に構えている。
この一瞬の差で、敵は最後の一発を撃ち込んできた。
顔面に向けての一発。リアはそう解釈した。首を傾けることで回避を試みる。
果たして、ほぼ、リアの読み通りに事は運んだ。弾丸はリアの顔があった場所を通過した。しかし、唯一の誤算と言うべきか、弾丸は置き土産にリアの髪を留めていたリボンを掠め、引きちぎっていった。
――――かまわない。これで私の勝ち!
リアが引鉄を絞る。
軽い反動と同時に、仮面の男の腹に穴が開いた。
「が……ぁぁ…………ぅー…………」
仮面越しのくぐもった苦悶の声がリアにも届く。
もう反撃する気力は残っていないらしかった。大型の電磁狙撃銃を取り落とし、うずくまってしまう。
その直下に広がる赤い池の正体を知りたくはなかった。
「…………はぁ…………はぁ。次は、後ろの……」
ボロボロになったリボンを拾い、埃を軽く払ってからポケットの中に突っ込むと、情報素子で後ろの敵の様子を確認する。
どういうワケか、反応はリアから興味を失ったかのように、あらぬ方向へと向かっていた。
「……助かった…………?」
理由はわからなかったが、敵がいなくなったことに、リアは安堵する。
戦闘が終わったことを確認したリアは、拳銃をホルスターに収めようとするが、緊張のせいで手が震え、なかなかうまくいかない。
ようやく拳銃を収めたころには、事態を客観的に見れる程度に冷静さも回復していた。
――――退避機を……早く……。
遠回りになったとはいえ、鬼ごっこをしている間に学校の近くにまで来ていた。
リアは慎重に、生体反応を避けるようにして、学校にまで向かう。
電磁狙撃銃を持っていくかどうか悩んだが、結局自分に扱えないだろうということで、電源ケーブルだけ切断しておいた。
路地を抜け、ようやく学校まで辿り着く。
「よお、久しぶり」
そこに待ち構えていたのは、救世主でもなければ、安息でもなく。
「スレーヴァ……」
過去からの、刺客だった。
「……ったく、お前が遅いから、いらねえ殺しするハメになったぞ?」
背後の瓦礫の山と化した校舎と、ディスプレイの生体センサーに目をやる。
ほとんどの生体反応が校舎のあった場所と重なっている。
…………つまり生き埋めだ。今になっても反応が消えず残っているということは、退避機も使えないのだろう。要はただ死を待つだけの状態。
「さて、と。要件はひとつだ…………」
わかっている。いつかは来るとわかっていた。
「お前が持ってる『鍵』――――渡してもらおうか」