たゆたうもの
知ってるかい?
人間は神様無しじゃ生きられないんだよ。
無神論者だって、心の拠りどころは絶対にあるからね。
それこそがそいつにとっての神さ。
ほら、結局人間は神様の呪縛から逃れられやしないんだ。
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死にかけていた己れは、ふと、目を覚ました。
…………己れって誰だ? 俺、オレ…………僕?
じゃあ僕は誰?
ここは? 何? 何が起こって? 何が? 何だ?
渦巻くのは疑問にもならない疑問。いつになっても見えないのは存在すらしない回答。
「じゃあ、頼んだよ。000014580号」
目の前の誰かが何かを頼んでいる。
それは誰だ? 分からない。そもそも僕に頼んでいるのか?
「…………はい」
なんとなしに、意識的にでなく、返事をした。
すると、何もわからないまま、何を認識するでもなく、僕はどこかへと放り出された。
「全ては、――――――のために」
どこへ行くのだろう?
どこでもいいや、と、思う。
どうせ今の僕は何もわからない。
どこへ行こうと、どこにいるのかなんてわかりゃしない。
そうして、僕は――――地面に激突した。
そこでようやく、僕は、自分がもともと高いところにいたのだと、分かった。
そこでようやく、僕は、自分の身体が異常なほどに頑丈なのだと、分かった。
そこでようやく、僕は、自分が異常と認識できる常識があるのを、分かった。
僕は立ち上がった。
立ち上がって、辺りを見回してみた。
どうせ知らない場所だ。
僕が知ってる場所なんて、この世に無い。
なぜなら、僕は、いつの間にか記憶を失っていたのだ。
僕が落ちたのは、街の中、大通りだった。
けれど、その街は、およそ活気づいたものとは程遠い。
大通り沿いには何かの砲撃に巻き込まれたかのようなビルがあった。
路地の向こうには倒壊した家屋がいくつもあった。
道路のあちこちは爆発で焼け、陥没し、泥にまみれた水道水を涙の代わりにこぼしている。
ここから判断するに、割と最近、何者かによって破壊された街なのだろう。
「ん、生き残りがいたか」
用途不明の仮面をかぶった、謎の集団が、突然僕の前に現れた。
なぜだかは分からないけれど、僕の腹の底から不快感がこみあげてくる。
――――こいつらがたまらなく、憎い。 ……殺してやりたいほどに。
「いや、『エリート』じゃないのか? さっきフォマルティアが上空を通過した」
知っている。フォマルティア。
アーセラーナ・フォマルティア。空を泳ぐ魚だ。
それが、こいつらと、何か関係があるのか?
「さて、お前さんは、何号だ?」
何号? 名前じゃないのか?
分からない。
「なにそれ?」
口を開いた拍子に、思わず呟いてしまった。
しまった、と思った時にはもう遅い。
「なるほど、敵だな。俺たちの敵」
周辺にいる仮面をかぶったヤツらが一斉に僕の方へ銃口を向ける。
中にはいかにもゴツい感じの武装もある。それが何なのかは分からないけれど。
とにかく、当たったら痛そうだ。
僕の判断は一瞬だった。
あれから放たれるであろう弾に当たりたくない。
回避はほぼ不能、ならば、発射を未然に防ぎ、その後、回避可能な状況まで持っていくしかない。
重要なのは、この場にいる全員に衝撃を与えること。そして今使えるのは己の身体のみ。
気が付いたときは、僕の身体はすでに動いていた。
向かうは一際前に出てきている隊長格らしき者。
そして今、懐に潜り込んだ。こうなればもうこちらのものだ。
「せやぁあああ!!」
力いっぱい、ぶん殴った。
腹にぶち込まれた拳は、隊長を軽々と吹き飛ばし、その筋肉質な肉体に鮮やかな放物線を描かせる。
そして、彼らが原因でできたであろう、水たまりへ墜落する。
続いて、驚いている連中のうち、当たりをつけた1人の顔面に裏拳を叩き込む。
仮面は軽々と陥没し、内部の人間にも直接的なダメージが加わった。
その者は地面を転がりながら、武器を取り落とし、その後、痛みに悶える羽目になった。
僕がぶん殴ったのはデカい砲を抱えているヤツだった。
用途は不明だけど、毛色が違う兵器を持ってる敵も、指揮官と同等に優先して倒すべき相手だ。
同じ性能の兵器ばかりなら、連携は取りづらいし、何より戦術が大幅に制限されるからだ。
――――残りはあと何人だろう?
戦う意思のある者を全滅させないと、僕は死ぬしかない。
目を皿にして、残りの集団を見やる。
1、2、3、4。
残りは4人、だ。
そして、隊長が倒れた後の指揮継承はうまく進んでいないらしい。
誰もが、唖然としたままだ。
僕がもう1人の顔面をぶん殴った時点で、ようやく向こうにも動きが見えた。
「うわあああ!」
けれど、そこには指揮官がいない影響が如実に出ていた。
各々がばらばらに銃弾をばら撒く。
そんなものに当たってやるほど、僕は親切じゃない。
僕は、銃弾を躱す。
正直、自分の身体能力が異常なのは分かっていたが、ここまでできるとは思ってもいなかった。
敵の銃弾を、躱して、躱して、躱して、躱す。
弾が切れて、銃撃が止めば今度はこちらの反撃だ。
手近な1人に蹴りを入れる。
吹っ飛ぶ。
もう1人にはパンチ。
吹っ飛ぶ。
最後の1人にはチョップ。
悶えて地面をのたうちまわり始めた。
ああ、終わってしまえば、なんだか簡単だった。
僕は早足で、逃げるように、ここから離れた。
こんなワケの解らない人たちのいる場所からは一刻も早く立ち去りたかったからだ。
僕は歩きながら街を見る。
どこかしこも、破壊され、まともに機能しているようには思えない。
景色が変わらない、とは言わないが、生きている街と違うその風景は、僕に否応なく同じようなイメージを持たせる。
人も、さっきの1団と出会ってからこっち、まったく誰にも会っていない。
この町は――――死んでいた。
「なんで…………何で、誰もいないんだよ……」
疑問を虚空にぶつける。元より返事は期待していない。ただの愚痴だ。
そして返事が返ってきた。
「知りたい?」
その声は女性のものだった。
僕が振り向くと、予想通り、そこには女性が立っていた。
美しい女性だった。髪は金色で、背中にかかるくらいまで伸ばしている。瞳は青、サファイアを連想させるような、きれいな青だ。
「誰…………?」
正直、彼女が誰でもよかったけれど、何とはなしに、疑問をぶつける。
「私? 私は『ナクア』、あなたは?」
ナクアと名乗る女性は、名乗るだけの簡単な自己紹介の後、僕に名前を尋ねる。
でも、僕の名前は…………誰が知っているんだろう?
分からない。
この世界の、自分以外の誰かしか知らない。
いや、もしかしたら、誰も知らないのかも。
僕は――――。
「僕は…………誰だろう?」
目の前の彼女に問うてみた。
知っているはずはない。答えなど期待していない。
「知らないよ」
字面は素っ気ないけれど、どこか温かい雰囲気のする声で、彼女は返事をする。
「分からないの?」
まるで迷子になった幼児に話しかけるように、彼女は言葉を続けた。
そして、彼女の言う通り、分からなかった。
自分がどこの誰で、何をしていたのかも、何もかも。
今ある記憶は、高い所から落ちたこと、6人の敵意ある人たちと出会ったこと、そして今、この女の子と話している記憶だ。
社会常識なら残っているらしいが、あまりあてにはできない。そもそもそれが役立った記憶がないのだから。
「分からないから、そっちで適当に決めちゃって。名前」
我ながらなんていい加減なことをするんだろう、と思う。
失った名前を取り戻そうとしないばかりか、命名権を他人に丸投げしてしまうなんて。
でも、彼女に決めてもらうことに抵抗を感じてはいない。
――――むしろ、僕は彼女に決定してもらいたがっているのかもしれない。
自分が何であるのか分からない、ひどく曖昧な僕自身を、決定してもらいたがっているのかもしれない。
そして、彼女は少し驚いたような表情を見せた後、「仕方ないなあ」とでも言い出しそうな笑みを浮かべ、わずかばかり思案する。
「じゃあ…………『レイト』で、どう?」
そして今、彼女の言葉が僕に届く。
この瞬間から僕は『レイト』となった。