栗田秋絵の場合
友人と共に来た時計屋で彼女と僕は出会った。
彼女はたくさんある時計の中から、僕を手に取り、大切に壊さないように持った。
彼女は僕を買うか迷っているようだった。
友人に勧められ僕を買うことにした彼女。
これから一緒に過ごす僕の主。
彼女と僕は同じ時を刻む。
彼女は生の時間を。
僕は彼女の時間を。
僕は彼女に選ばれて心底うれしかった。
それと同時に悲しかった。
兄弟たちと離れるのが辛かった。
でも、彼女と出会えたのだから我慢しよう。
僕は選ばれただけでも幸福なのだから。
僕は彼女の幸福の証になりたい。
彼女を幸福にしたい。
でも、僕には無理かもしれない。
彼女は人間としての生を生き、僕は懐中時計として壊れるまで延々時を刻む。
相容れることなど無い。
それでも、僕は彼女のそばで時を刻みたい。
それが僕に許された唯一の願い。
彼女の笑顔のそばで時を刻めれば本望だ。
彼女のためにも正しき時間を刻み続けよう。
彼女が困らないように。
彼女が喜ぶように。
でも、一つ心配なことがある。
僕の事を忘れたりしないだろうか。
友人らのことを忘れたりしないだろうか。今までの暖かき記憶を忘れたりしないだろうか。
僕はこれからの時を刻む。
なら過去の時はどうするのだろう。
ちゃんと過去の事も覚えているのだろうか。
過去があってこそ、今の彼女がある。
それを忘れないでほしい。
悲しい記憶も、嬉しい記憶も、悔しい記憶も、怒った記憶も、笑った記憶も。
全てが彼女の今を支え、形成している。
どうか忘れないでいて。
どうか僕の知らない時間を覚えていて。
これからも大切だけど、これまでも大切だから。
【時間】を大事にして。
僕が君の時間を刻むから、君はどうか今の大切な【時間】を精いっぱい楽しんで、覚えていて。
きっと、君とっても愛しい【時間】になると思うから。
それが僕の支えになる。
僕の心の糧になる。
だから・・・
『楽しい時間を一緒に!』
僕は君のそばで刻み続けるよ。
君のこれからの物語を。