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8:30~9:00

 十月二十日日曜日。その日は通常通り、八時半に登校した。文化祭一日目である昨日はTCCがステージ運営を任されていたため、何と七時ちょうどに登校することになったが、昨日のステージ運営は無事つつがなく終了したので、今日は一日特別やることもなくのんびり過ごすことができる。俺は安堵感に包まれながらあくびをした。


 俺は適当にイスをピックアップすると、そこに腰かけた。なぜ自分の席に着かないのかというと、この教室は展示会場になっているため、自分の席という概念が取っ払われてしまっているのだ。俺以外の人間は、イスに座らず、適当に突っ立って世間話に興じている。机がなくなっただけでずいぶん広く感じるな、などと考えていると、


「成瀬さん、朝から眠そうですね」


 話しかけてきたのは言わずもがな、岩崎だった。


「最近気苦労が絶えなかったからな、今日ぐらい怠けたっていいだろう」


 こいつのことだ、やれ、やる気がないだの、やれ、高校生としての自覚が足りないだの、言われると思ったのだが、


「そうですね。今日ぐらいのんびりできるといいですね」


 これは意外だったね。ま、それほど俺の稼働が高いということだろう。自他ともに認めるといったところか。


「今日はやけに優しいじゃないか。何かいいことでもあったのか?」

「な、それはどういう意味ですか?まるで私が、いつもは優しくないみたいじゃないですか!」

「そうは言わないが、いつもだったら百パーセント小言が返ってきたはずだ」

「そ、そんなことありませんよ。私は必要なことしか言いません」


 それが小言だと言っているんだよ。しかしまあ小言を言わないでもらえるのはありがたい。気が滅入っているときに、細かいことに関していろいろ言われるのは正直気分を害する。決して短気ではない俺だが、気持ちに余裕がないときはさすがに多少気が立ってしまう。イライラすると周りに迷惑をかけてしまうからな。できるだけイライラせずに過ごしたい。何より心身ともに疲れてしまう。イライラすると、誰にとってもいいことがないのだ。


「成瀬さん」

「なんだ?」


 ほんの一秒前まで目を吊り上げていた岩崎だったが、すぐにハの字眉毛に変化させて、


「あの、私は今日もいろいろやることがありまして、忙しいのですが、何かありましたら、すぐに連絡してくださいね。忙しいながらもお手伝いできることはあると思うので」


 ま、俺とて本当に何もないとは考えていない。こういうイベントごとはたいてい何か起こる。昨日だって、小さいながら紛失物や迷子など、多数の事件があったらしい。その一部がTCCに流れてこないとも言い切れない。それに、岩崎がこんな状態であることが、すでに事件であるような気がするね。これがのちのち伏線にならなければいいのだが。


 何かあるような予感を若干抱えていた俺であったが、こんな状態の岩崎を前にこんなことは言えないので、とりあえずこう言っておく。


「そうそう事件なんて起きないだろうよ。余計なこと考えていないで、あんたは自分のやることに集中しろよ」

「余計なことなんて、そんな……。私はただ、最近は迷惑をかけ続けていたので、ちょっとした恩返しのつもりで……」


 迷惑をかけているのはいつものことだ。恩返しなんてことを考えるくらいなら、二度と迷惑をかけないように行動してもらいたいね。これは本音だが、さすがにこんなことは言えない。いくら、岩崎が相手だとしてもな。


「せっかくの文化祭だ。そんなことを考えていたら、もったいないだろう。精一杯楽しめ。これが俺からの注文だ」

「成瀬さん……」


 これから文化祭二日目、大げさに言うと最終日が始まろうとしているのに、なぜ暗くなっているんだろうか。しかも、悩む必要などないことに対して頭を悩ませているなんて、これほど阿呆らしいことはないだろう。俺に気を遣ってくれるようになったのは大した進歩だと思うが、そのせいで岩崎らしさをなくしてしまっては元も子もない。こういう祭り事を楽しむのが岩崎だ。俺みたいに、騒ぐことがあまり好きではないやつのことなど放っておいてもらいたいね。これが俺にとっての文化祭の楽しみ方なのだ。


「分かりました。私は思い切り文化祭を楽しみます。ですから、何かありましたら絶対に連絡くださいね」


 ですから、の意味が分からないな。ま、ここがお互いの妥協点ということだろう。


「分かったよ。何かあったら連絡する。必要があったらな」

「またそうやってはぐらかす。私は真剣に言っているんですよ!」


 俺だって真剣に言っているのだが。


 何やらケンカめいたやり取りをしているうちに、朝のホームルームの予鈴が鳴った。そこでようやく俺の隣の席の住人、真嶋が参上した。普段は早めに来ている真嶋がここまで遅れることは滅多にない。珍しいこともあるもんだな、と思っていたのだが、やってきた真嶋を見て納得がいった。真嶋は制服ではなかった。どういうことかというと、


「真嶋さん、おはようございます。朝練ですか?」

「おはよう、岩崎さん。うん、去年のクラスのパフォーマンスなんだけど」


 今日発表のパフォーマンスの練習をしていた、ということだ。真嶋はジャージを着ていた。ジャージで本番に臨むわけではないと思うのだが、ま、動きやすい格好ということなのだろう。人望の厚い真嶋のことだ。おそらく有志のパフォーマンスにも引っ張りだこだったに違いない。人気者は大変だな、と完全に他人事のように考えていると、


「ところで、成瀬」


 急に話しかけられて、少し驚いた。その、ところで、の使い方があっているかどうか不明だが、おそらく真嶋の中ではつながっているのだろう。


「なんだ?」

「聞きたいことがあるんだけど、」


 朝教室に着くなり話しかけられて、その一言目がそれか。何か緊張するな。真嶋の表情も真剣そのものだ。聞きたいこととはいったいなんだろうか。


「昨日、誰かと長い間一緒にいた?」

「は?」


 何なんだ、その質問は。いったい何の意味があるんだ?


 俺はすぐに反応することができなかったのだが、先に岩崎が反応した。


「私も気になりますね。すごく」


 言うと、岩崎はちらっと真嶋のほうを見た。目があった真嶋は、何かを察知したようにうなずく。いったい何のやり取りだろうか。


 それはまあ置いといて、質問に答えてやるか。と、その前に一つ確認したいことがある。


「俺が昨日何をしていたか、あんたたちは知っていたはずだが」

「あ」

「あ」


 同時に思い出したように声を上げる。そして、しまった、といったような表情になった。おそらくケンカを売るつもりではなかったようだが、俺としては若干イラっと来たので言わせてもらう。


「俺は昨日一日中グラウンドの特設ステージ脇のテントにいたよ。誰と一緒にいたか、というとそれぞれ委員会や有志で忙しく動き回っていて、暇ができたときたまーにやってくるあんたたちTCCのメンバーと一緒にいたな。とてもじゃないが、長い間、とは言えなかったがな」


 どう考えても一人でいる時間のほうが多かった。別に誰のせいでもないし、一人でも大した労働ではなかったので、特別文句はないのだが、自由を奪われたことに対して若干の不満があった。ま、ちゃんと分かってはいる。


 文化祭は人気者、もしくはアクティブなやつほど予定が埋まりやすい。TCCの面々はなぜか人気者かつアクティブなやつが多く、俺以外の人間は断片的にしか暇な時間がなかったので、致し方がない。岩崎の提案なのに、岩崎が中心にならないことに多少の疑問を感じはするが、これも事故だと思って諦めている。何せ、もう終わったことだしな。しかし、二人はまだ申し訳なく思っているらしく、


「本当に申し訳ありませんでした!もう少し時間が取れると思っていたのですが、考えなしに予定を入れてしまって……」

「あたしもほとんど手伝えなくて、ごめん」


 仕事がない奴に、仕事が回ってくるのはもはや必然である。二人が謝ることじゃない。加えて、今回は文化祭だ。いろいろ動き回ったほうが楽しいに決まっているし、予定を入れられるなら入れたほうがいい。これはしょうがないのだ。謝る必要などない。


 とはいえ、しょうがなくても謝る必要があるときもある。これは挨拶みたいなもんだ。俺とて謝罪を拒絶するほど、ひねくれているつもりはない。さっさと話を戻すとしよう。


「それで、さっきの質問はいったいなんだ?何の意味があったんだ?」


 話の内容よりも、真嶋の真剣な表情が気になった。何か深刻な問題だったのではないか。俺はそう思い、真嶋に尋ねたのだが、


「あ、あれ?別に何でもないよ!ね、岩崎さん?」


 真嶋は答えを濁し、岩崎に同意を求める。


「え?そ、そうです。別に大したことじゃありません。ちょっと気になっただけです」


 岩崎も同様に、答えを濁して無理矢理終わらせようとしている。どう考えても『何でもない』ことでも『大したことじゃない』ことでもないような気がするな。これは嫌な予感と言えるのだろうか。先ほどの質問に何か意味があることくらい、誰だって見抜くことができるだろう。しかし、この二人はどうせ答えてくれないだろう。隠し事をされるのはあまり嬉しいことではないが、ここは大人しく引き下がるか。


「何を企んでいるか知らないが、俺を陥れるような真似だけはしてくれるなよ」


 半分冗談で言った一言だったのだが、


「陥れる、ですか」


 つぶやいた岩崎の表情と口調は若干真実味を帯びていた。


「まさか、本当に罠でも張っているのか?」

「わ、罠なんて張ってないですよ!誤解です。ただ、広義の意味ではそう言えないこともないような……」


 慌てて否定した岩崎だったが、内容は否定しきれていない。むしろ肯定していると言ってもいい。やれやれ、うかつに冗談も言えないな。


「ま、俺が誰かと長い間一緒にいるとは思えないから、関係ないと言えばないが」


 ここで担任が教室に入ってきたため、会話は終了した。形だけのホームルームが終わると、文化祭二日目が始まる。


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