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村の隠し畑で働かされていましたが、一か八かに賭けてみます

作者: ぴこきち
掲載日:2026/10/16

見つけてくださってありがとうございます

「よし、今日も盗んでいないな。仕事に戻れ」


 継ぎ接ぎだらけの肌着という格好のミラが無表情に頷いた。

 ミラの足下には、泥まみれになった靴の上に服が丸まっている。

 今日の大雨で、靴だけでなく、作業用の服もひどく汚れてしまった。


 短く切った髪の毛先からポタポタと滴が床に落ちた。


 腕を組んでいた村長はでっぷりとした腹を揺すり、自室へと戻って行く。


 ドアが閉まるのを確認し、ミラは震える手を足下へ手を伸ばした。

 


 ミラはドレイク王国辺境にある、小さな村の麦農家の子として生まれ育った。


 王国の西部に位置するウェスト領は、国境にある大きな森に棲む魔獣と山賊、密入国者に悩まされていた。かろうじて治安は維持されているが、定期的に山狩りを行ったり、領主自らが領を巡回して警戒を続けていた。


 昨年、流行病で立て続けに両親を亡くした。

 九歳で孤児となったミラは、子ども一人では畑仕事もできず、税を納めることができない。家と畑は取り上げられ、孤児院がないため身寄りのない子どもは、村長の家に引き取られる。村長宅では孤児となった者が何人かおり、成人する十三歳までは下働きをするかわりに衣食住を提供する仕組みだ。それ以降は村の外に働きに行くか、木こりや大工などの職人に弟子入りして暮らさなければならない。


 女の子よりも力仕事のできる男の子が働き手として歓迎されるため、村長の家では肩身が狭く、食事も抜かれることが多かった。

 

 仕事は水くみや掃除、厨房の手伝い、畑の草むしりや家畜の世話など多岐にわたり、息つく暇もなく働かされた。渡された服も替えはなく、すぐに継ぎ接ぎだらけになった。宛がわれた部屋は、女の子の孤児はミラだけだったので使っていない物置だった。壊れた戸棚や椅子などが山積みにされ、その隙間にボロボロの布を敷いて寝るようにしていた。


 ある日、森の薬草畑を一人で世話をするように言われた。

 元は村長の妻が世話をしていたそうだが、妻も昨年の流行病で亡くなっており、その一人娘・ユリアが世話をする事になっていた。

 しかし、魔獣が出たら怖いとユリアが大袈裟に騒ぎ、それならばミラにさせればいい、と村長も了承した。


 森には人を襲う魔獣の他に、隣国の犯罪者や山賊が潜んでいることもあり、人さらいや強盗が出ると噂になっていた。


 ミラなら魔獣に食い殺されても構わないと思っていることに腹が立ったが、ここを追い出されると行くところがない。


 獣が人間の味を覚えると、人間を食料として集落を襲うという。ミラは村長に懇願し、魔獣が嫌う匂いの木の葉を乾燥させた袋を自作して首から下げたり、畑の囲いに吊すようにした。


 任された畑は、高い柵で囲い、中が見えないようになっていおり、周りは獣除けに棘のついたイバラが幾重にも植えてある。

 

 一箇所ある出入り口には鍵がつけられていた。


 貴重な薬草なので誰にも言ってはいけないと村長に言われた。

 まず、村長の部屋と続きになっている部屋に行く。 

 そこは村長の妻が使っていた、森側についているドアから直接出入りができる部屋だ。ポケットのない作業用の服と靴に着替え、そこから鍵を借り、畑に向かう。

 畑仕事が終わると、裏口から入り、再びその部屋で着替え、草を持ち出していないか、服と靴を村長が検める。鍵を返し、育成状況を報告させられた。


 村長の娘・ユリアは同じ歳のミラを目の敵にしており、ミラに意地悪をしてくるのが常だった。


 村では珍しく、手入れの行き届いた長い髪が自慢で、綺麗に着飾って自分をちやほやしてくれる取り巻きの男子達に囲まれて遊び歩いていた。取り巻きは村長の家で働く使用人の子どもで、親達も手伝いよりもユリアの機嫌をとることを優先させていた。


 ミラは色々な感情を飲み込んで黙々と働いていた。


 その日は天気も良く、気まぐれで食事や仕事の邪魔をしてくるユリアが寝坊したため、朝食のパンを食べることができた。


 家畜に餌をやった後、村長から鍵を預かり、例の畑の様子を見に行く。畑に入る道はわざと周囲の草を刈らないようにしてあったので、草が腰の辺りまで茂っていた。


 先月で薬草の収穫が終わり、今は畑を休ませるところだ。

 畑には何も植えていないので、作業用の服は着なくて良いと言われた。 


 獣が入り込んでいないかの確認と、雑草が茂らないように草を抜くだけなので、早い時間に村長の家へ戻ることができそうだった。


 森の中は危険なのであまり奥まで入ることは出来ないが、この時期、マメモドキという生で食べられる小さな豆のような実がなる野草があるので、少し道を外れて採取していた。

 

 突然、森の中から男の叫ぶ声や何かがぶつかるような大きな音がした。


 馬のいななきがして、大きな馬が何処かへ勢いよく駆けて行くのがわかった。


 それから怒号が飛び、争っている気配がしたので、山賊が人を襲っているのかと咄嗟に咀嚼していた実を飲み込む。しゃがんでいたことが幸いし、茂みに身を隠すことができた。


 がさ、がさ、がさ、と草をかき分ける音がして、どさり、と人が倒れたのがわかった。


 恐ろしくて震えていると、森から話し声が聞こえた。


「いたか?」

「いや、だがあの傷ではもうじき死ぬ。くそ、イバラだらけじゃねえか。引き上げるぞ」


 聞いたことのない男の声だった。足音からして二人。村で噂されていた山賊だと思い、ミラは暫くそのまま動かなかった。


 こんな近くまで山賊が来ていることに驚く。

 すぐ近くには村長の麦畑があり、日中は常時、小作人が作業しているのだ。


 足音が遠ざかってから、ゆっくりと立ち上がる。きょろきょろと周りを見渡すと、草が不自然に空いているところがあった。


 警戒しながら近づくと、身なりのよい男が血だらけで倒れていた。


 男はミラに気づくと、切れ切れに助けを求めた。


 領主の館に勤めている家従と名乗った。

 巡回兵の拠点の一つである森の入り口にある砦へ行く際に襲われたらしい。


 ミラの村にも領主がやってくることがあり、村の人たちは領主を尊敬していた。


 領主の館は村では一番大きな建物で、領主が近辺を巡回するときや徴税官の滞在場所として整えられている館だ。頑丈な塀で囲まれ、門番が常駐している。


 役場として色々な書類を受け付けたり、一時的に犯罪者を収容したり、村で災害が起こった時などに集まる避難所としても機能している。

 

 さらに館のすぐ近くには診療所があり、医師と薬師・産婆も領主が雇っている。


 館の管理は領主から派遣されそた者が行っており、定期的に村の報告を行う村長以外は、村人が滅多に入ることは出来なかった。


 館で働く人達は、直接領主に雇われているので、村の掟が及ばない。騎士爵などの貴族や、裕福な商人の次男などが働いているそうだ。


 村の娘が兵士と結婚しようものなら、娘の親族が喜びで一晩踊るくらいの玉の輿と言われている。


 領主の館の関係者ならば、村長も無碍にしないはず。むしろ恩を売れると嬉々として先頭に立つ姿が目に浮かぶ。


 そして、領主の館へ知らせるに違いない。


 ミラは一瞬躊躇った。


 もし、自分がこれからすることが村長にバレたら、確実に殺されるだろう。


「ううっ……」


 うめき声を上げる家従に、ミラは決断した。

 迷っている時間はない。


 家従が血だらけの手を伸ばしてくるので、ミラはその手を取り、首から下げた魔獣避けの匂い袋を握らせる。


「私では、安全な場所までお連れできません。人を呼んできます」


 家従は聞いているのかわからない、うつろな目をしていた。

 

「これは魔獣避けです。しっかり握って、絶対に離さないでください」


 聞こえているかはわからない。

 緊張で手が震えるのを叱咤しながら、匂い袋の紐を右の手首に括って落ちないようにした。


「すぐに助けを呼んできます」

 

 ミラは全速力で走った。

 怪我の手当の仕方もわからなかったし、大人を一人で運べるとも思わなかった。


 しばらく走ると、村長の麦畑で作業する小作人達が見えた。


 一番近くの男に、駆け寄る。


 男はミラの手についた血をみて驚いていたが、領主の館の人が、襲われて血だらけで倒れていると伝えると、すぐに周りに声をかけ、村長の家へ知らせに行く者と、助けに行く者達と役割を決めた。


 ミラが男達を連れて倒れた場所を案内すると、家従の意識は無く、血だまりができている。

 幸い獣には見つからなかったようだ。


 村長の家に怪我人が運び込まれる。


 大急ぎで医者が呼ばれ、領主の館へ知らせる馬が走った。


 知らせを受けた村長が張り切って場を仕切り始めたとき、領主の館から兵士が三名やって来た。


 ミラは家従が村長の家に運び込まれた時点で、厨房の手伝いに行ったので、その様子を見ることはできなかった。


 ミラには家従の無事と、計画がうまくいくよう祈ることしかできなかった。


 鍵は村長が不在の時に決められたように、家の奥向きを取り仕切っている村長の弟へと返した。

 村長の親族は、娘のユリア、村長の弟の三人だ。


 村長の弟は無口で、いつも酒を飲んでいた。村長と同じようにでっぷりとした体格でよく似ている。通称「副村長」と呼ばれていた。

 弟の妻は、ユリアが生まれた後に嫁いで来た。しかし、数年前に亡くなった姑が、ひどい嫁いびりをしてすぐに追い出したと有名な話だった。


 祖母の代から意地悪なのか、とミラは妙なところで感心した。


 厨房の人たちの噂では、応急手当を受けた家従は、医師と護衛の兵士一人と共に領主の館へと運ばれていったそうだ。


 ミラに出来ることは、淡々と仕事をこなしていく事だけだった。


 かまど用の薪を補充するため、両手に薪を抱えて厨房に戻ってくると、村長が待ち構えていた。


 ミラは内心ぎょっとしたが、すぐに薪を降ろし、村長に「何かご用ですか」と尋ねると、村長がミラの襟首を掴んだ。


 殴られる、と恐怖に身を固くしていると、「いいか、畑の事は絶対に言うんじゃないぞ」と低い声で脅された。

 ミラは「わかりました」と小さく返事をすると、乱暴に手を離され、床に座り込んだ。


「ついてこい。怪我人を見つけた時の話を聞きたいそうだ」


 今日は殴られなかったな。


 ミラは厨房の人達に頭を下げると、村長の後へ続いた。


 村の人たちが会合に使う部屋へと連れていかれる。掃除以外で入るのは初めてだ。


 部屋の中央に大きなテーブルがあり、揃いの鎧をまとった兵士が二人座って、書類を拡げている。頭に被っていた兜は、机の両端に置いてあった。


 一人は厳つい顔のずんぐりとした男で、もう一人は背の高い若い男だった。


「副隊長様、こいつが家従様を見つけた者です。去年両親を無くし、ウチで下働きをしています。歳は九つです」


 聞いたことのない媚びた声で、村長がミラに前に出るよう顎をしゃくる。


 ミラはぺこりと頭を下げた。


「名前はミラで間違いないか」


 ずんぐりとした兵士が、低い声で問う。こちらが副隊長なのだろう。ミラは小さく「はい」と答えた。


 そこから、いつ、どこで何をしていて家従を見つけたのかを順を追って説明させられた。

 畑に行ったのではなく、家畜の餌のため草刈りをする下見に出ていた。と嘘をつかされた。事実、畑の近くはわざと草を生やしている。


「畑をするには森が近いので、山羊や鶏に食べさせるために草を生やしているんですよ」


 村長が愛想よく、ミラの代わりに説明する。

 背の高い方の兵士が、書類に聞き取ったことを書き付けていた。


 馬が駆け降りて行ったこと、家従の悲鳴が聞こえ、聞いたことのない声の男達が二人森へいたこと、怪我をしている家従を見つけ、麦畑へ走ったことを何度も聞かれた。


 男達の人相などはしゃがんでいたので見ていないと正直に答える。


 発言する都度、村長が「こいつは気が利かなくて」とか、「役に立たない」や「ちゃんと答えなさい」などミラを叱責する。ミラが話すより、村長がミラの働きぶりをけなす方が多かった。


 一通り聴取が終わると、背の高い兵士が初めて口を開いた。

 若い兵士は、よく見ると整った顔をしており、副隊長のような厳しい口調ではなく、柔和な話し方だった。


「この子で関わった者は最後だね。協力感謝する。ところで村長、こちらから一人、下働きを館で雇いたいのだが、都合をつけてもらいたい」


 村長が「え」と驚く。

 

「元々領主の館は人手不足でね。今回の事で家従の代わりの手配をしてもらうのに時間がかかる。それに今、館にはさる高貴な方が療養のため滞在されているんだ」


 副隊長が、「おい」と止めに入るが、背の高い兵士は「いいじゃないですか」と話を続けた。


「人手不足で、最近アンナさんにも働きに来てもらったのは知っているよね?」


 アンナさんが誰かわからなかったが、村長は「ああ、隊長様の奥様か」と合点がいったようだった。


 定期的に領主の館に用事のある村長は、館に勤める人たちの顔も知っているのだろう。


「他言無用だが、ここだけの話、かなり気難しい……その、身分が高いお方なので館でも持て余しているんだ」


 副隊長が困った顔をして若い兵士とミラを交互に見る。


 領主様のお知り合いとなると貴族なのは間違いなさそうだ。

 高貴な方のお世話なら、ミラには関係ない話だろう。

 

 がっかりしたミラは、気づかれないようにため息をついた。


「療養中の身分が高いお方ですか……」


 村長の頭のなかで算盤をはじいているのがわかる。


 早く話が終わって欲しくて顔を上げると、若い兵士がこちらを見ていた。


 そこで初めて、兵士の瞳が青いことに気づいた。


 吸い込まれそうな深い青。ミラのことを冷静に観察しているようだった。

 

「こちらのミラを世話係として寄越してもらえないだろうか」


 ミラが驚き固まっていると、兵士が笑ってとんでもないことを言った。


「これくらい小さい子だと無体はなさらないだろうから」


 副隊長が慌てているのがわかる。


「先程村長が言ったじゃないか。『役に立たない無駄飯ぐらい』って。この子が抜けても村長は支障がないんだろう?」


 言質をとられた村長は渋っていたが、兵士がミラを引き取るのに金銭をちらつかせると、口元を緩め了承した。


「ま、まあ、病人の方のお世話なら仕方ありませんな。失礼のないようにするんだぞ」


 なんとなく病気で痩せたおじいさんを想像してしまい、村長に殴られるよりは痛くないかな、と二の腕を抱く。


 十三歳になったら、村長の家を出されるはずだったのだ。少し早くなっただけ。

 

 期待してはいけない。


 ミラはうつむいた。


「正式な書類は後日持ってこさせよう。じゃあ、ミラ、今から荷物を持っておいで」


「今からですか?」


 村長がぎょっとして叫ぶ。ミラもどうしていいかわからず、オロオロしてしまう。


「人手が足りないと言ったじゃないか。家従の事件で館は大変なんだ。これから山狩りの準備もあるし、人手はいくらあってもいい。なんなら他の……村長の娘さんに来てもらってもいいんだよ」


 兵士の言葉に、村長がぐっと詰まる。


 ユリアに気難しい病人の世話ができるとは思えなかった。しかも栄養状態のいいユリアは娘らしく発育も良い。やせっぽちのミラより貴人に無体を働かれる確率が高そうだ。跡取り娘を、病人の貴族のお手つきにするわけにはいかない。それにミラが万が一薬草畑のことをしゃべっても、今の畑には何も残していないので、証拠はない。


 ミラを娼館へ売るよりも多い金額が入るので、手放すことにした。


「じゃあ、ミラ、いっしょに荷物を取りに行こうか」


 兵士は書類をさっさと大きな鞄にしまうと、立ち上がった。


「荷物はダメです! 荷物は全て村で支給したモノです。何一つコイツの物はありません」


 慌てて叫ぶ村長に、じろり、と副隊長が睨む。


「じゃあ、ミラだけでいいや。おいで」


 村長があたふたと言い訳を始めたのを尻目に、ミラの肩を抱き、兵士が部屋を出た。すれ違う家人たちが、興味津々といった顔でこちらを見ている。

 ミラは落ち着かないまま、兵士の馬に乗せられた。



「日が暮れる前に戻れてよかったよ」


 生まれて初めて馬に乗せられたミラは、緊張で体を固くしていた。景色を楽しむ暇もなく、領主の館の門をくぐった。すぐに馬房の前で下ろされ、迎えに出た老人に馬の手綱を渡す。


 森で逃げた馬は、自力で領主の館に戻って来たそうだ。


「ミラ、まず本館に行こう。では副隊長、あとで」


 若い兵士がミラを連れ、屋敷の裏にあるドアから中へ入る。


 村長の家とは比べものにならない規模の大きさだった。

 一つの建物に、表は領主や貴族が使う部屋、裏側は使用人が使う部屋と別れている。こちらは使用人用だが、壁には美しい木目の板が張られ、隅々まできちんと磨き上げられていた。


「ショーン様、お帰りなさいませ。こちらから入ってこられては困ります」


 慌てた様子でお仕着せを着た四〇代くらいのふくよかな女性が迎え出る。

 きちんと髪をまとめ、背筋がピンと伸びていて、品がある。村の女とは何もかも違って見えた。


「やあ、アンナ。ただいま」


 この人がアンナ様か、とミラはぽかんと口を開けていた。


 ショーン様、と呼ばれた若者は、首をぐるりと回した。


「アンナ、この子はミラ。事情があって村長の家から連れてきた。お風呂に入れて食事を食べさせてあげて。スープか麦粥がいいな。その間に鎧を脱いでくる。あと副隊長と話しをしないといけないから書類が拡げられる部屋を一つ用意して欲しい」


「かしこまりました。ミラ、こちらへいらっしゃい」


 ショーンはミラにひらひらと手を振ると、ドアから出て行った。


 使用人用の大きな風呂に案内される。


 アンナは元々この屋敷でメイド長をしていたが、出産を機に辞め、育児に専念していた。夫は兵士をまとめる隊長をしている。子ども達も大きくなり、そろそろ働こうかと思っていたところ、声がかかったのだ。


 館は大変なことになっていた。領主様がもうじき巡回でこの館に来られるのだが、少し前、現メイド長が転んで足を骨折した。それと同時に領主様のお知り合いの貴族が、療養をしに館へやってきたのだ。


 屋敷の奥向きを仕切っていたメイド長が抜け、さらに今日家従が襲われた。


 完全に人不足になったのは、ミラでもわかる。

 ただ、何も知らないミラがこの立派な館で役に立てることがあるのか疑問だった。

 確実にこの上品な雰囲気にそぐわない自覚はある。

 

 アンナはお仕着せの袖をまくりながら、ミラの継ぎ接ぎだらけの服を脱がせ、ぎょっとした。


 ミラは申し訳なさそうに体を縮めた。

 あばらが浮き、手足も棒きれのように痩せ細り、至る所に無数の傷やあざがあったのだ。

 アンナがすぐに他のメイドを呼び、医師の手配をするよう頼んだ。


 ミラは丁寧に体を隅々まで洗われ、大きめだが清潔な肌着とワンピースを着せてもらう。

 そのあと、使用人用の食堂で、スープが用意されていたので、ありがたくいただいた。 

 あたたかい食べ物は久しぶりだった。


 幸せを感じていると、食堂のドアがノックされ、ショーンが顔を出す。


 ショーンは、美しい金の髪を後ろで括り、仕立ての良いシャツとズボンを来ていた。鎧をつけていたときは顔や髪を汚していたのだろう、肌はシミ一つ無く整った顔立ちが強調されていた。


 アンナや副隊長の態度からも、ショーンは身分の高い人なのだろうと思った。

 何か失礼な態度を取っていないかとミラは必死で思い出していた。


「先生は食べ損ねた昼食をとってもらってる。僕が診るよ」


 家従の様子を見に行ったショーンが、医師にミラの診察を依頼する所に居合わせたので、自分が診る、と言ったのだ。


「ショーン様にそんなことさせられません」


 アンナが慌てて断るが、ショーンが「まあまあ、僕は軍医もしていたんだ。ジョージに僕が診るって言ってきたよ」と言って手には黒い大きな鞄を持って部屋へ入ってくる。

 ミラはどう振る舞えばよいかわからなくて、取りあえず立ち上がると、ショーンに腕を捕まれた。


「えーっとまだ食べられそう? アンナ、温かいミルクがあれば出してあげて。明らかに栄養失調だよ」


 椅子に戻され、下瞼を下げられたり、舌を出せと言われたり。逆らってはいけないと思い、言われるがままにミラは従っていた。


「今朝、何を食べたの? え? パンを一つ? ほかは? 草?」


 今朝も黒いパンを一つ食べられただけよかった。豆もどきを何個か食べたことも話したがショーンにはわからなかったらしい。


 ひどいときは朝から何も食べられないので、井戸の水をがぶ飲みして空腹をごまかす。運がよければ、野菜の下ごしらえの時にニンジンや蕪の葉をこっそり口に入れた。家畜の世話をするときは、餌のくず野菜も隠れて食べたこともある。薬草はどんな薬か教えて貰えなかったので怖くて手を出さなかった。


 そこへ、四〇代くらいの男性が食堂へ入ってきた。


 前髪をきっちり上げ、黒いジャケットに揃いのズボン、つま先まで磨かれた革靴を履いている。隙の無い雰囲気だった。


「ミラ、こちらは家扶のジョージよ。この屋敷のことをまとめているの」


 アンナが紹介してくれるが、ミラはショーンに腕を取られ脈を測られているため立ち上がれず、頭を下げた。


 険しい顔をしているジョージに、ミラはびくりと体を堅くした。


 自分が痩せすぎているから役にたたないと思われているのかも。


 ショーンとジョージが何か難しい話をしているが、すぐにミラはアンナの持ってきた温かいミルクに目が釘付けになる。ゆらゆらと上がる湯気に唾を飲み込んだ。


「ミラ、家従のマイクを助けてくれて感謝します。相当深い傷で、あと少し手当が遅れれば、マイクは亡くなっていたでしょう」


 ジョージに礼を言われ、ミラは面食らう。まさか礼を言われるとは思わなかった。


「あ、はい」


 それだけ言うのがやっとだったが、アンナにミルクの入ったカップを手渡されると、意識がそちらへ飛んでしまった。 


「ミラ、これから君の体をもう少し診察させてもらう。僕は領主様の率いる軍で軍医をしていたこともあるんだ。腕は領主様のお墨付きだよ。診察のときはアンナにもいてもらうし、君に痛いことをしないと誓うよ」


 右手を挙げて宣誓すると、ジョージとうなずき合う。あたたかいミルクを夢中で飲み干してしまったミラは頷くしかなかった。


 ミラはソファのある部屋に連れて行かれ、アンナに服と肌着を脱がされうつ伏せに寝るよう言われた。


「ひどいな。日常的に虐待されているね。幸い骨折した形跡はないけど、栄養状態が悪いから時間の問題だったかもね。打撲痕とこれは火傷だね」


 カリカリとペンを走らせる音が響く。ショーンの指示でアンナが次々と患部に定規を当てていく。


「アンナ、この定規を背中の一番上の傷に当てて。そう、右肩のとこ。色がかわっているだろう? 大きさを読み上げてもらえる? 次はその下、これは多分棒のようなものだろうね」

 

 くすぐったいな、と思いながらも、これも必要な事なのかもしれないと耐える。


 腕や足先、髪の毛の中まで確認されて、診察は終わった。


 次にミラが連れて行かれたのは、机と椅子だけの部屋だった。壁に額装された花の刺繍が飾られている。

 

 横長の机にショーンと鎧を脱いだ副隊長が並んで座っていた。アンナと入れ替わりにジョージが部屋へ入ってくる。


 そして向かいあうように椅子が置いてあり、ミラはそこへ座るよう指示される。そしてミラの左後ろにジョージが立った。


「さて、日が暮れる前にミラに聞いておきたいことがあるんだ」


 ショーンが机の上に、血だらけになったミラの匂い袋を置いた。手袋を嵌めた手で、袋を開き、乾燥した丸っこい木の葉を数枚取り出した。袋に血が染みこんでいたのか黒くなった葉を一枚づつ並べていくと、一枚だけ葉の裏側に同じ大きさのギザギザした草の葉をくっつけたものがあった。


 ミラが村長の目を盗んで畑から持ち出せた唯一のものだ。


「これ、どこで手に入れたの?」


 村長の家で医師が手当てをする際、脱がせた服と一緒に置いていたのを、ショーンが見つけ、護衛の兵士に必ず館へ持ち帰るよう命じた。


 中身を検め、乾燥した木の葉の用途を副隊長に聞いたところ、この辺りで魔獣避けにしている葉だと教えられた。男衆が家従を村長の家へ運ぶ時には既にあったと証言があったので、第一発見者のミラを連れ出したと説明された。


 ミラは安堵の息をついた。


 気づいてもらえた。


 歓喜なのか、これから起こることへの恐怖なのか、体が震えた。


「森の中の畑です」


 家従が倒れたのを見つけた時、好機だと思った。


 畑が見つかれば村長のしていることが白日の下にさらされる。気づかれなければ、そのまま証拠が捨てられてしまう。


 ミラの一世一代の賭けだった。


「これが何の葉か知ってる?」


 探るような目を向けられ、首を横に振った。


「何かは教えて貰えませんでした。ただ、貴族の人が使うもので、貴重だから大事に育てろ、と言われました」


 顔をあげ、ショーンの目を見る。 

 ここで嘘をついてはいけないことは理解していた。


 最初に畑の世話を命じられた時から、嫌な予感はしていた。そして、森の中に囲いをしてまで作る薬草を目の当たりにして、絶対にまともな薬草ではないと思ったのだ。


 領主様に見つかれば処刑されるかもしれない。


 村長は全てミラのせいにするだろう。


 そして翌年の畑を同じように身寄りのない子に作らせるのだ。


 毎日理不尽な暴力に曝され、朝から晩まで空腹に耐え、泥のように眠る。

 誰も自分を気に掛けてくれない、行くところがない自分が惨めで、辛かった。

 朝が来ても、季節が変わっても希望などない。

 密造に加担させられ、成人すれば人買いに売られる。

 ただ村長に利用されるだけだ。 


 畑用に服と靴まで着替えさせられる徹底ぶりだったが、村長は毎日同じように確認作業をするのが面倒になったのか、時々、杜撰な時があった。


 雨の日は服と靴がびしょ濡れになり、泥も跳ねているので、簡単な検査になることに気づいたミラは、大雨が降った時に小さな葉を足の中指と薬指の間に貼り付けるようにして隠した。

 案の定、その日は簡単な目視だけで終わった。ミラはパンを少し残し、部屋へ隠して持ち帰った。必死に咀嚼し、糊状になったパンを獣避けの葉の裏に塗布し、はみ出さないように細心の注意を払って薬草の葉を貼り付けた。しっかりくっついたことを確認し、元通り匂い袋へ入れた


 それからは、袋を首から下げて肌身離さず持ち歩いた。


 匂い袋は作った時、中を確認されていたので、村長も弟も再び見せろとは言わなかった。


 領主様なら、きっと村長を罰してくれるはず。


 伝えられる可能性が高いのは、村を巡回している兵士だ。定期的に村長の家にも兵士が変わったことがないか聞きに来る。


 どうにかして、隠し畑の存在を兵士に知らせることができないか。


 しかし、子どものミラでは兵士に会う機会がない。


 考えているうちに、収穫が終わり、証拠となる畑に薬草がなくなった。


「ミラがその畑の世話をしていたの?」


「はい。村長の家に行ってからですが。それまでは村長の奥さんがしていたそうです。オレンジ色の花が咲いて……それから、小さな黒っぽい実がなったのをすりつぶしました。何本かは種をとって村長に渡しました」


「花の特徴とか、形は覚えてる?」


 ミラが特徴を説明すると、ショーンが新しい紙を出し、ペンを走らせた。

 勢いよく描いていくので、好奇心からのぞき込んだ副隊長が顔をしかめる。


「あの、それは?」


 ジョージものぞき込み、一瞬で目を反らせた。

 ショーンは真剣な表情だ。


「花だけど? 花弁が丸くふっくらとしてオレンジ色で、真ん中に黄色いやくがあって……こんな感じ?」


 絵を指を差しながら説明してくれるが、ミラにはそれが数匹の芋虫が集まっているようにしか見えなかった。芋虫が花びらのようで、オレンジ色と注釈がついている。

 やくに至っては芋虫の腹から触覚が伸びているようだ。


 虫が平気なミラでさえ、こんな虫を見たら悲鳴を上げるかもしれない。


「うーん、花って難しいよね。現物が見たいな」


 現物、と聞いてミラの体がこわばった。畑で雑草や虫取りをしてしゃがんでいると、冷やかしに来たユリアが後ろから思い切り蹴ってきたのだ。よろめいて倒れ込み、ユリアが大笑いをしていた。茎が何本か折れたのを村長に見つかり、棒で殴られた。その上、食事も抜かれたのだ。あまりいい思い出がない。


 花の現物はありません、と言うと、紙とペンをショーンが差し出した。


「描いてみる?」

 

 ミラは立ちあがり、ショーンの前まで行くと、花を思い出しながら、握ったペンを動かした。


 母親に名前を書くことは教わっていたが、ペンを持ったことは数えるほどしかない。


「こんな感じ……です」


 なんとなく特徴を思い出しながらざっくりと描いたのだが、ショーンが驚いていた。副隊長とジョージも食い入るように見ていた。


「ミラ、君は……絵がとても上手だね。葉っぱや茎も描いてもらえるかな」


 匂い袋に入れていた葉は持ち出すため小さかったが、花がついた頃の葉はもっと大きい。

 初めて描いた絵を褒められて、ミラは「ありがとうございます」とはにかんだ。

 こんな線もヨレヨレの拙い絵で褒めて貰えるとは思わなかった。


 それから畑の位置や広さ、収穫の時期、どのような実だったとか、すり潰した時の匂いなど詳しく聞かれた。 

 すり潰した実は、麻袋に入れて村長が持っていった。そのあと、あまり見たことのない商人が村長を訪ねてきたので、その男に渡したのだと思う。


 広い畑だったのに、すり潰すと握りこぶしより小さな袋一つ分になったのは悲しかった。

 たったこれだけのためにユリアに蹴られたり、下働きの仕事に加え、寝る時間が減ったのだ。


 暗い気持ちになったミラがうつむいているのに気づかず、花の絵を難しい顔でじっくりと見つめるショーンと副隊長。


「葉も花も実もすべて特徴が一致している。間違いないね」


「収穫が終わった後なのが痛いですね。畑があったという証拠がでてこないと」


 畑は更地に戻している。副隊長が難しい顔で唸った。


「根っことか葉っぱが残っていたらいいんだけどな。これだけじゃあ……」


 ショーンが腕を組んで考え込んでいると、ミラがおずおずと切り出した。


「あの、抜いた薬草は全て畑の横に穴を掘って埋めました。村長の奥さんもそうしていたと言われて……」


 ミラの言葉に、ショーンと副隊長が立ち上がった。


「ミラ、君は本当に素晴らしいよ。マイクだけじゃない、僕たちの救いの女神だね」


 大袈裟に褒められ、ミラはどうして良いかわからず、もじもじとうつむいた。

 ショーンはミラの絵を丁寧にたたみ、微笑んだ。


「この絵は記念に僕がもらうね。ジョージ、これから手紙を書いてすぐに出したいから伝書鳥を貸してくれないか。副隊長は隊員を集めて。畑を深く掘れるように道具を準備して欲しい。今夜決行しよう」



 その日の夜、村長の家を武装した兵士が取り囲んだ。


 突然の出来事に、慌てて飛び出してきた村長は兵士によって縄を打たれ、ひざまずかされた。家には兵士がなだれ込み、手当たり次第に捕らえていったそうだ。


 山狩りが行われたときに畑の存在がばれてはいけないと、村長と弟は、今夜暗くなってから畑の囲いを撤去する準備をしていた。

 その場で厳しい取り調べがはじまり、関わっていたと思われる人物だけが、館へ移送され、聴取が続く。

 畑の方を担当したショーンが、土にまみれた植物を掴み、村長を事情聴取していた兵士へ渡す。


「はいこれ、間違いなく夢幻草だよ。繊維質だから根っこも葉っぱも分解されずに残っていてよかったよ。燃やしたら成分が空気中に拡散して大変なことになるってわかってたから埋めたんだよね。茎や葉の大きさも揃っていたから、相当詳しい人から栽培の指南をうけていると思うよ」


 夢幻草は麻薬の一種で、微量でも恐怖心を無くしたり、万能感に浸れる効果がある。本来は死期が近い患者に痛み止めとして処方される薬だった。


 3年前、隣国と戦争があった際、敵兵が使用し、ドレイク王国の兵が固まっているところに、大量の油を撒き自身に火をつけ飛び込んでくるという自爆行為により、多大な被害を受けた。戦争が終結したあとも薬を使用した兵士は依存症に苦しんだという。すぐにどこの国でも危険視され、禁止薬物に指定されたそうだ。


「この苗はどこから持ち込まれ、誰に売ったのか、しっかり聞かせてもらおうか」


 兵士がすごみ、村長は縮こまる。


「それはミラという子どもが育てていたのです。勝手にしていたことです」


 村長が叫んだ。


「それは無理があるね。ミラは去年両親を亡くして引き取ったんだろう? あんな小さい子だけでこんな森の畑で栽培した挙げ句、売人と取引出来るわけがない。それに草が埋まっていた近くに同じように埋めていた跡があってね。掘ってみたら、もっと古い根っこや枯れた茎がたくさん出てきたんだ。今年だけじゃなく継続的に栽培して収穫していたとみて間違いないだろうね」


 村長の家の近くの森で去年までは誰が育てたんだろうね。

 ショーンが穏やかな口調で逃げ道を塞いでいく。

 怒りの籠もった言葉に、村長は震えた。



「あの薬草はお母さんが嫁入りに持って来たものと聞きました。お母さんは隣国の貴族のオトシダネで、薬草ができたら高く買い取ってもらえるって……」


 尋問のため連れてこられた中に、ユリアもいた。

 ユリアは他の者たちと同じく状況がよくわかっていないようだったが、尋問が始まると震えながらも話し始めた。


「アタシが小さいときからずっとお母さんが作っていました。だけど病気で死んじゃって。今年の畑はすべてミラに世話をさせていました。いつ収穫したかもわかりません。私は何も知りません」


 尋問の内容から、薬草が原因と気づいたユリアはミラに丸投げしたことを告げた。

 しばらくミラを罵倒する言葉が続き、うんざりした兵士が質問を変えた。


「何に使われる薬草って……貴族の人が大けがをしたときの痛み止めだとしか。お母さんは死にそうな怪我をしたときだけ使うと言っていました。きつい薬だから絶対に使わないようにって。薬も作ったものは全部商人に売ってたから、残ってないはずです」


 毎年、隣国から商人が買取にやってきたらしい。かなりの高額で買ってくれるので、商人が帰ったあとは新しい服や菓子を買ってもらっていたそうだ。

 商人の人相や特徴を聞き取り、ユリアは牢に戻された。


「ちゃんと聞かれたことには答えたじゃない。こんなところに入れるなんてひどい!」


 牢で泣きわめき、見張りの兵士から「うるさい」と怒鳴られていた。



 ショーンに全てを話した後、ミラは使用人部屋を与えられた。


 使用人部屋は細長く、小さな明かり取り用の窓の下に簡単な机があり、手前にベッドがあるだけだった。ベッドと反対側の壁に少しだけ衣服がかけられるようになっている。この館では使用人も小さいながらも個人の部屋が宛がわれていた。


 ミラは、自分も牢に入らなくていいのかと何度もアンナに尋ねた。


「ミラ、今日はもう寝なさい。大丈夫よ。ショーン様がいいようにしてくださるわ」


 アンナの優しい言葉に、ミラは体から力が抜けていくのを感じた。


 目が覚めると、ベッドの上だった。

 ちゃんとしたベッドで眠ったのは両親と住んでいた時以来だった。小さな窓から入る明かりで朝なのだと知る。


 慌てて飛び起きると、昨日アンナに用意された寝間着を見て、夢ではないと安堵する。寝間着をあちこち摘まんでみる。


 継ぎのない、綺麗な服だった。


「目が覚めた? おはよう」


 ドアが開き、アンナが入ってきた。


「すみません、寝坊してしまって。すぐに支度します」


 ミラが反射的に謝る。


 アンナはミラを制止すると、ミラ用のお仕着せを渡し、「これから色々説明するから慌てなくていいのよ」と優しく諭した。

 

 館にある一番小さなお仕着せだが、ミラが着るとぶかぶかだった。


 ミラの処遇については、領主が来てから決めることになったそうだ。


 家従も手当が早かったので、一命をとりとめ、今朝意識が戻ったと聞き、ミラは胸をなで下ろした。


 村長達は捕まり、館の牢に入れられ、事情聴取を受けている。


 最近、隣国で出回っている夢幻草の密造品が問題になっており、ウエスト領で作っているのでは、という情報が領主の元に寄せられ、密かに捜査していた。薬に詳しいものを派遣するということで、ショーンがやってきた。


 ショーンは王都で病気になり、空気の良いこの地でしばらく療養するという名目で滞在している。実際に休養中だったところを軍医時代の指揮官だった領主様に頼まれ、断れなかったそうだ。

 

 館は、もうじき領主様が巡回に来られる準備もあり、人手が足りない。ショーンがお世話係はミラでよいと言ったのでそのまま雇うことにしたと説明された。


 気難しく持て余しているって自分のこと?


 首を傾げるミラに、アンナは案内がてら、仕事の内容を説明し始めた。


 基本的には、別館という小さな一軒家に住んでいるショーンのお世話だった。


 朝は起こすところから始まり、全てショーンの生活に沿ってお世話をするようだ。

 ショーンが夕食をすませ、風呂へ入る支度をして、別館を出る。そして必ずアンナへ一日の仕事のことを報告する。

 困っていることや悩んでいることがあれば必ず相談しなさいと強く言われた。


 それから昨日の診察の結果で、ミラは栄養失調ということなので、暫く他の使用人とは食事内容が違うらしい。食事が毎食出るだけでも嬉しいので、ミラはこのお仕事を頑張ろうと決めた。


 朝食後、アンナと一緒にショーンの住む別宅へ入った。


 途中で大きな犬を連れた兵士が歩いていた。館の護衛で定期的に巡回しているそうだ。館には二十頭くらいの犬がいるという。山狩りにも使われる優秀な犬達で、決して不用意に近づいてはいけない、と教えられた。


 蓋のついたワゴンにショーンの朝食を載せてミラがアンナの後をついていく。


 赤い屋根に白いレンガ造りの小さな一軒家だった。以前ミラが両親と住んでいた家よりは大きいが、必要最低限のものだけがあるような家だった。正面の扉とは別に、使用人が出入りする扉を使うように言われ、鍵を渡された。小さなキッチンと一人用のお風呂があり、ベッドルームと食事を取る部屋、あとはアトリエにしている日当たりの良い部屋と、どれもこぢんまりとした一人で住むための家のようだった。


 食事の間のテーブルに、すぐに食事がとれるようにと整え方を教わった。


「ここは前の領主夫人が住んでいらしたの。刺繍が趣味の方で、アトリエに大きな刺繍をされた作品が沢山飾られていたのですよ。本館では別館とか『赤屋根の家』と呼ばれています。護衛も近くにおりますので、何かあればこの笛を吹いてください」


 首からかけられるように紐のついた木の笛を渡された。


「不審者がいたとか、ショーン様が倒れて動けない時などの緊急時に必ず笛を吹きなさい。あなたが叫んだり走るよりも確実に笛の音が犬の耳に入りますから」


 いたずらで吹いてはいけませんよ、大変なことになりますからね、と言い聞かせられた。親指ほどの大きさで木製の笛だ。アンナの首にも同じ物が掛けられているのを見て、ミラは首に掛けた笛を握りしめた。


「それから、本来なら礼儀作法を勉強してもらってから働いてもらうのですが、ショーン様が特別に礼儀作法も教えてくださるそうです。絶対に失礼がないようにしてくださいね」


 ずい、っと顔を近づけられ、ミラはうわずった声で「はい」と返事をした。

 爵位はわからないが、ショーンは本当に高貴な方なのだろう。粗相をしてしまうとミラの命だけでは済まないかもしれない。


 ショーンはまだ起きていないようで、寝室のドアをアンナがノックし、返事がないのを確認すると、「失礼します」と言ってドアを開けた。ベッドにはこんもりと毛布が盛り上がっていた。アンナは「おはようございます。ショーン様」といいながら遠慮なく毛布を剥いだ。

 ショーンは芋虫のように横に丸まって寝息を立てていた。


「朝ですよ、ショーン様。領主様から必ず朝起こして人間らしい生活を遅らせるように命じられています。ミラもいますよ。起きてください」


 遠慮なく肩を掴んでがしがし揺さぶる。

 ショーンは、うん、とか言いながら目を開けた。


「おはよ……」


 まだ目が覚めていないのか再び目を閉じようとする。


「今日は目玉焼きとベーコンですよ。起きないと朝食抜きにします」


 高貴なお方なのに食事抜きは大丈夫なのか、とミラがハラハラしてしまう。

 むくり、とショーンが起き上がる。美しい艶のある金髪の毛先があちこちに向いてしまっている。

 アンナは絞ったタオルをショーンに渡し、ベッドの脇に転がった履き物を揃える。


「ありがとう」


 ショーンが礼を言い、顔を拭いたタオルをアンナに返すと、アンナが部屋を出るようにミラを促した。


 着替えを手伝わないのか疑問に思ってアンナを見ると、首を横に振った。

 ひどい傷跡があるので、女性に見せられないと断られているそうだ。

 

「ショーン様は、必ずお風呂と着替えはお一人でなさいます。気をつけてくださいね」


 

 最初の三日はアンナと一緒にショーンのお世話をした。アンナも館の人たちも皆親切で、ミラは後で何か呼び出されて怒られるのではないかとビクビクしていたが、そんなことはなく、毎日食事が食べられ、清潔な環境で暴力に曝される心配のない日常にすぐに慣れていった。


 体はまだ細いが、体の青あざが薄くなり、うつむき加減だった顔が徐々に明るくなってきた。


 ショーンは、礼儀作法やお茶の入れ方を優しく丁寧に教えてくれた。


 段々とミラが仕事に慣れてくると、ショーンのお世話も先回りができ、仕事に詰まることがなくなって余裕が出来てきた。


 ミラは優しいショーンに報いようと、赤屋根の家を掃除して、お湯を沸かすしかなかった台所を釜が使えるようにしたり、アトリエに散らばった本や画材を整頓したりと少しずつショーンの生活環境を良くしていった。


 衝撃だったのは、ショーンが軍医を辞めて、画家をしていると言ったことだった。


 アトリエに画材がたくさんあり、趣味で描いているのかと思っていたら、「個展を開こうと思っているんだ」と嬉しそうにキャンバスに筆を走らせていた。


 ミラはその描かれた絵が、どうみても青っぽいどんぐりが四つ固まっているようにしか思えなかったが、ショーンは蝶だと言い張った。


 芸術は難しいんだな、とミラは青いどんぐりを見つめた。


 アンナが教えてくれたが、ショーンは医科大学を史上最年少の飛び級で卒業したあと、夢だった芸術学院画家養成科へ通ったそうだ。その後、隣国と戦争が始まり、軍医として招集がかかって、特例で芸術学院を卒業させられたという。


「失礼します、ショーン様。お茶をお持ちしました」


 背筋をすっと伸ばし、優雅にゆっくりと歩く。手順通りに蒸らしたお茶を、温めてあるカップへ注ぐ。ティーカップとソーサを丁寧にショーンの前に置いた。

 一挙手一投足をショーンが観察し、目を細めた。


「素晴らしいよ、ミラ。短期間でここまで出来るなんて」

 

 ショーンは褒め上手だ。育ちが良いせいかゆっくりとした優しい口調で褒められると、段々自分が「良い人間」になっていく気がした。ショーンが気持ちよく過ごすために、しっかり働こうと思えるようになった。村長の家では感じなかったことだ。


 文字や計算、絵も少しずつ教えてもらい、仕事の内容を工夫して改善していく。乾いた砂がどんどんと水を吸うように色々なことを吸収していった。


 特に絵については、ショーンが熱心で、スケッチブックや画材を惜しみなく練習用に与えてくれた。


 練習でショーンやアンナの顔を描いたら喜ばれた。


 ショーンから、村長の家に出入りしていた人を、覚えている限り描くように依頼されたので、思い出せる人だけ描いて渡した。その似顔絵は副隊長に渡され、砦に貼り出されて毎日巡回の兵が見ているらしい。


「ありがとうございます」


 控えめに答えるが、うれしさが隠しきれず、微笑んでしまう。

 ショーンはにっこりと笑い、ゆっくりとお茶を飲み始めた。


 一日の仕事が終わると、アンナに報告に行く。

 本館は日ごとに慌ただしくなっていくようで、アンナも何かと気に掛けてくれるが、顔が疲れている。


 マイクの事件を重く見た領主が予定を変え、山狩りを大々的に行うことを決めた。領軍の兵士を大量に連れてくるため、受け入れ準備が大変なのだ。


「本当にミラが来てくれて助かったわ。ショーン様もあなたが来てからきちんとした生活を送って下さるようになったもの。前はお昼まで寝たり、遅くまでお酒を飲んだりされて心配していたのよ。ところで、字は大分覚えられた? 明日から練習も兼ねて報告書に書いてみましょうか」


 母親のような口調だった。実際、アンナには成人した息子が三人いるという。

 アンナが紙と補充用のインクを渡してくれる。


「文字は書き損じたら二重線を引いて。削ったり黒塗りはしないようにして書くのよ」


 日付、報告者、など書くことが決まっているらしい。これまではアンナが書いてくれていたようだ。見本を眺めて頭にたたき込む。

 まだアンナのように美しい字は書けないが、練習して早く書けるように頑張ろう。


 次の日、早朝から本館が慌ただしくなった。領主様が予定より早く到着したという。

 領軍は全員が館には入れないので、殆どは砦の近くの森で待機してもらっているそうだ。

 アンナはいつも通りショーンの所へ行けばいいと言ってくれたので、手早く自分の朝食をとった。なるべく本館に近づかないようにしようと思いながら、ショーンの朝食の入ったワゴンを押し、赤屋根の家へと向かった。


 キッチンの勝手口に近づき、異変に気づく。

 頑丈な木の扉が開いていた。夕べ鍵を掛けたはず。

 ミラは咄嗟に首に掛かった笛をすぐに吹けるように握りしめた。

 ドアをゆっくり開け、中の様子を伺う。

 

「誰だ!」


 女性の鋭い声で誰何され、咄嗟に笛を吹いた。しかし音が出ない。慌てて何度か吹いてみたが、笛からは、ふすーーーという息の音だけが出た。


 ガチャガチャと固いものがこすれる音がして、段々足音が近づき、銀色の鎧を着て剣を構えた女が現れる。


 血の気が引いたミラは、どうしよう、とパニックになった。


 ショーン様が襲われて殺されたら……そう考えるだけで腹の底が冷たくなった気がした。

 何か武器を持っていればよかった。

 色々なことが頭を巡るが、体が上手く動かない。


 勝手に歯の根がガチガチを音を立て始める。視界が涙でぼんやりとにじんだ。


 女はミラを見ると剣を下ろした。


「子どもじゃないか」


 女は三十くらいで、燃えるような赤い髪に、鋭く光る青い目でミラを睨みつける。身分が高いのだろう、鍛え抜かれた体躯に、洗練されたデザインの鎧を着ていた。

 屋敷にいる兵士しか見たことがなかったが、その人たちよりも確実に強いことがわかるたたずまいだ。ミラなど一瞬で殺されるだろう。


「ミラ、大丈夫だよ。この人はここの領主・オリビア様だ」


 オリビアの後ろから、ひょこっと顔を出すのは寝間着で頭がボサボサのままのショーンだった。

 驚いて顔を上げたミラの後ろから、犬のけたたましく吠える声と、護衛の兵士がガチャガチャと鎧の音をたてながら赤屋根の家へ集まってくるのがわかった。


 ミラは、ここで死ぬのかと覚悟した。


 違法薬物を作った罪ではなく、無礼討ちだ。


 知らなかったとはいえ、領主様を不審者として皆に知らせてしまった。



「申し訳ありません!」


 アンナとミラが平伏して謝罪する。


 オリビアは館に到着してすぐ、馬から降りると護衛を撒き、本館ではなく赤屋根の家へ向かい、持っていた合鍵でショーンの寝室へ突撃した。


 まだ眠っていたショーンはたたき起こされ、オリビアに詰められているところへミラが来たのだ。


 ミラに持たされた笛は犬笛で、すぐに犬達が騒ぎ始めた。領主が到着したばかりだったので、護衛達は慌てて犬のあとへ続いた。


 領主の連れてきた兵士達も剣や槍を手に、集まり始める。


 騒ぎになったため、オリビアは本館の自分の執務室へと移動し、ショーンへは身支度を調えてくるよう伝えた。


 ミラが蒼白になって震えているのを見かねたジョージが、アンナへ連絡しショーンの朝食の世話を頼んだのだ。アンナは、ショーンの世話が終わるとすぐにミラを伴いオリビアへと面会を依頼した。オリビアは執務室ですぐに会うと言ってくれ、謝罪も快く受け入れた。


「気にするな。まだ入って一月に満たないのに、すぐに笛が吹けるとはたいしたものだ。アンナの教育がいいのだろう。ミラ、次に同じ状況なら、速やかに家から離れて安全な場所で笛を吹きなさい。あの場所では賊に見つかって殺されてしまうだろう」


 鎧を脱ぎ、執務机の前に置かれたソファーにどっかりと腰を下ろしたオリビアの言葉に、アンナがほっと息をつく。

 無礼を許されたことがわかり、ミラはぽろぽろと安堵の涙をこぼした。


「ほら、これで涙を拭きなさい。珍しく女の子を側に置いたと思ったのに、期待して損したよ」


 オリビアが白いハンカチをミラに差し出す。ミラは慌ててアンナを見ると、アンナが「受け取りなさい」と合図したので、礼を言いながら両手で受け取り、涙を拭う。


「何の期待ですか。そもそも勝手に人の寝室に侵入しといて何を言っているんです」


 着替えて身なりを整えたショーンが部屋へ入ってくる。

 ミラの肩を抱いてオリビアの向かいのソファーへ誘導すると自分の隣へ座らせた。


 オリビアがアンナに下がるように合図する。


 怯えるミラはアンナに「置いていかないで」と目で訴えたが、アンナは「頑張って」と目で答え、部屋を出て行った。ミラの目から更に涙が溢れてくる。


「お楽しみ中なら邪魔をしてやろうと思ったのだが、つまらん」


「ちゃんと手紙に書いたでしょう」


「ジョージからの報告書では『ショーン様が女の子を世話係に雇った』とあった。それを見て急いで来たんだ。いい話だと思うじゃないか。女児だとは聞いていない」


 からかうような口調に、ショーンが天を仰いだ。


「わかっててしているでしょう。手紙にはいい話と悪い話の両方を書きましたよ」


 オリビアが首を傾げた。


「悪い話しか書いていなかったが?」


「まあ、いい話は後でもいいでしょう。ミラ、オリビア様に薬草畑の話をしてくれるね?」


 どうやらミラはこの部屋から出るのは当分先らしい。

 無理矢理涙を引っ込めた。


「マメモドキか。戦争時に森で食料が尽きたときに食べたな。味はイマイチだが、生でも腹を下さいないから安心して食べていた」


 オリビアが懐かしそうに目を細めた。


 ミラも腹を下す心配がない、のところでうんうん、と頷く。


 正式名称がコトリマメというマメ科の植物だとショーンが教えてくれた。栄養価が乏しく、薬にもならないそうだ。


 ショーンが「気になるのはそこですか」と呆れている。


「それにしても隣国から嫁いできた者か。隣国は取り締まりが厳しいからな。森の近くで作らせて買取とはよく考えたものだ」


 ショーンの質問に答える形で、薬草畑のことを説明した。オリビアが報告書を色々めくりながら眉間に皺を寄せる。


「村長の妻はどんな人物だった?」


「よくわかりません。あまり表に出ることがない人で、村の祭りのときも裏方に回ることが多くて。おしゃべりにも加わらなかったと思います」


 ミラが持っている情報はこれが全てだ。


「嫁いでから十年は経っている。種子を取っていたことからも、さらに薬物畑がある可能性も考えておいた方がいいだろう」


「この村以外にも、まだ畑があるかもしれませんね。一度空から森の周辺を念入りに調べたほうがいいでしょう。他領も調査するなら口の堅い冒険者を雇って探させる事も考えましょう」


 ショーンの提案にオリビアが長丁場になりそうだ、とため息をつく。


 まだ家従を襲った者は捕まっていない。巡回は増やしたが、領主の到着を待っていた。明日から大規模な山狩りをするため、隊長があちこち駆けずり回っている。


「違法薬物の製造で村長とその弟は処刑する。娘はミラに畑を丸投げしていた上、知らなかったみたいだからな。鞭打ちの刑にする予定だ。それでいいか」


 ミラが驚いて顔を上げると、オリビアがニヤリと笑った。


「ひどい目に遭っていたんだろう? 娘が率先していびっていたと村長の家の使用人が証言している。もっと強い罰にしてもいいんだぞ」


 鞭打ちならば十分な罰だと思う。ミラは首を横に振った。

 他にも長く勤めている小作人は、気づいていたらしい。何を作っていたかまではわからなかったそうだが、隠し畑の存在は知っていたと供述したそうだ。その者達も鞭打ちされる。


 ミラは密造を手伝わされていたが、情報提供をしたことと、家従を助けたことで、村からの追放処分で済んだ。領主の館は村ではないという扱いなので、ここで働くことは問題なかった。


「もう二度と顔を会わせなければそれでいいです。館で働かせていただいてから、ユリアのことも忘れていましたから」


 毎日、新しいことを覚えるだけで精一杯だ。それに上手くできるとショーンやアンナが褒めてくれる。楽しい職場だった。少し前まで村長の家にいたことが、随分昔のように思えた。


「そうか。ならばショーン様はユリアの処分はどうされますか?」


 ミラは驚いてショーンを見た。ショーンがユリアの刑を決める立場とはどういうことか理解が出来なかった。


「あの娘は『ミラは気難しい病人のおむつを替える仕事をしている』と兵士に言ったそうだ。病人の世話がおむつが必要と変換されたらしい。『病人の糞尿にまみれている姿を見られないのが残念だ』と。兵士は当家にはそのような病人の方はおられないと言ったが、信じなかったと」


 ショーンは肩を竦めた。


「療養中なのは確かだけどね。そこまでの病人だと噂を撒かれるのは困ったね」


 領主が時々敬語を使うので、ショーンの身分の方が高いのだろう。

 

 ショーンが爵位について教えてくれたことを思い出す。


 辺境伯は公爵と同等で、それと同じかそれ以上……。


 ユリアは、その方をおむつの必要な病人と根も葉もないことを言ってしまったのだ。


「兵士には口止めしている。娘の処分については私に任せてくれるか?」


 ショーンとオリビアが見つめ合う。視線だけで会話が出来ていたようだが、ミラにはわからなかった。


「領主様にお任せします。さて、オリビア様。いい方のニュースを報告したいのですが、よろしいでしょうか?」


 幾分明るい口調になったショーンに、オリビアが口元を緩めた。


「こちらのミラは、絵の才能があります」


 砦に似顔絵も貼られていることを伝えると、オリビアも頷く。


「おお、送ってくれた夢幻草の絵は素晴らしかったな。特徴を捉え、かつ美しい絵だった。隣に描かれた太ったミミズはよくわからなかったが」


 ショーンがなんとも言えない顔をした。ショーンの絵はミラも芋虫だと思ったので、オリビアと同じ感想だ。


「王都の芸術学院の画家養成科へ推薦しましょう。名前くらいしか書けなかった子が、あれだけ素晴らしい絵を描けるのです。理論と技術を学び、経験を積めば、もっと素晴らしい絵が描ける。才能があることは画家である僕が保障します」


 胸を張るショーンに、オリビアが冷めた目で言い放つ。


「絵画の理論は満点で、実技は赤点だったそうじゃないか。ショーン様の身分と戦争のどさくさに紛れなければ卒業できなかったと聞いている。ショーン様に推薦されたら受かるものも受からないだろう。推薦人と保証人は私がなろう」


「ひどいな。僕の絵は新しすぎて時代が追いつかないだけなんだ。それだけは主張しておくよ」


 ミラは展開について行けず、ショーンとオリビアの顔を交互に見る。


「とりあえず、山狩りが終わったら、ミラを連れて王都に帰るつもりだよ。僕はウエスト領の薬物の出所を探す事しか頼まれていないからね。今から受験対策の家庭教師を雇って勉強すれば、来年の入学には間に合うと思う」


 ショーンの計画に、ミラは必死に考えた。

 受験対策って何?

 

「ならばウチのタウンハウスに滞在しなさい。娘のエマがいる。ショーン様は独り身だから誤解されてはいけないだろう」


 ミラの推薦人と滞在先はお任せします、とショーンが了承する。

 保証人はショーンが譲らなかった。「芸術家の支援をするのが、僕の義務」だと言い切る。


 あっというまに自分の進路が決まったようだ。

 おろおろとしていると、オリビアが嘆願する。


「ミラ。初めて描いた絵があれだけ素晴らしいんだ。頼むから虫みたいな絵じゃない、本当の美しい絵を描いてくれ。ミラが画家になったら花の絵を注文しよう。気分がぱあっと明るくなる絵を描いて欲しい」


 花の絵を虫と言われ、ショーンが口を尖らせた。

 そして、ミラと視線を合わせると、ふわりと微笑む。


「ミラ、このままここでメイドを目指してもいい。だけど君には絵の才能がある。誰にでもあるものではない。これは君が掴んだチャンスだ。マイクの腕に匂い袋をくくりつけた勇気が、次の道を拓いたんだよ。一緒に王都へ行こう」


 そうだ、あのとき、自分は死を覚悟していた。


 密造が領主にバレたら処刑される。村長に密告がばれても殺されただろう。


 あの小さな葉を持ち出すのが精一杯だった。


 絶望しかない毎日が繰り返される。


 それを救ってくれたのはショーンや領主の館の人たちだ。


 そして自分に絵の才能があると言ってくれる。

 

 ミラが顔を上げた。


 成り行きを見守っていたオリビアは、ミラの表情に気づき、フッと微笑む。


 ミラは、差し出されたショーンの手を、ぎゅっと握った。


 作中のマメモドキはピーピー豆に近い味かな、と思って書いていました。マメモドキは生で食べられますが、ピーピー豆は生で食べないほうがいいそうです。…今頃知っても…

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