完璧な不貞、完璧な自衛、完璧な脱走 ~なお、隠しキャラは現れない~
(何も、ヒロインだけが美味しい思いをする必要はないでしょう?)
ここは、前世で私が遊んでいた乙女ゲームと同じ世界。国も学園も登場人物も、その先に待っている結末まで覚えている。
もちろん、自分が何者なのかもすぐに分かった。
公爵令嬢。第一王子の婚約者。そして、最後には婚約を破棄され、修道院へ送られる悪役令嬢。
そんな結末は避けるに決まっている。
だからといって、ヒロインにも攻略対象にも近寄らず、息を潜めて暮らすだけなんて勿体ない。
第一王子は、私との婚約によって公爵家の後ろ盾を得たから皇太子になれた。私を切れば、自分の地位まで危うくなる。
つまり、皇太子は確保済み。
残る攻略対象は王弟殿下、宰相の息子、騎士団長の息子、大商会の跡取り。
彼らがいつ、どこで、何に悩み、どんな言葉を求めているのか、私はすべて知っていた。
ゲームでは、ヒロインが偶然その場に居合わせる。
でも、私にとっては偶然ではない。
決められた日に、決められた場所へ行き、ヒロインが言うはずだった言葉を先に伝えればいい。
王弟殿下の孤独には私が寄り添い、宰相の息子の努力は私が認めた。騎士団長の息子が窮地に陥る前に手を差し伸べ、大商会の跡取りが隠していた悩みも言い当てた。
全員、驚くほど素直に私を好きになった。
(当然よね。彼らが一番欲しい言葉を知っているんだもの)
これでゲームに登場した攻略対象は全員。
けれど、王宮へ出入りしているうちに、第二王子と第三王子も気になり始めた。
二人は攻略対象ではない。皇太子ルートの途中に登場するだけの脇役だった。
(でも、イケメンなのよね~。私の推しだし!)
第二王子には皇太子より思慮深いと伝え、第三王子には兄たちにない行動力があると褒めた。
それだけで二人まで私に夢中になった。
第一王子が駄目なら第二王子。第二王子が駄目なら第三王子。それでも王位が転がったなら王弟殿下がいる。
誰が王になっても、私は王妃。
完璧だった。
(別に、断罪されるような事をしなければ良いのよ。ヒロインを虐めず、彼らから愛されていれば、悪役令嬢だって幸せになれるでしょう?)
やがて学園へ、ゲームのヒロインが入学してきた。
顔も髪も、名前まで記憶通りだった。
彼女は攻略対象へ近づかなかった。私へ無理に挨拶することもなく、教室で静かに過ごしている。
何もしていない。
それなのに、姿を見ると落ち着かなかった。
ゲームの強制力が働き、攻略対象たちが突然彼女へ惹かれたらどうなるのだろう。
(念のためよ。少し立場を分からせておくだけ)
私は親しい令嬢たちへ、ヒロインが公爵令嬢に挨拶もしない無礼者だと話した。
虐めではない。
貴族社会の礼儀を教えてあげるだけだ。
◇
自分が乙女ゲームのヒロインだと気づいたとき、少しだけ期待した。
攻略対象は全員美形。王族、将来の宰相、騎士団長、大商会の跡取り。誰のルートへ進んでも、最後には華やかな幸福が待っている。
ただし、それまでには悪役令嬢から散々虐められる。
(それは真っ平ごめん)
恋愛はしてみたい。
でも、教科書を隠されたり、制服を汚されたり、階段から突き落とされかけたりするほどの恋はいらない。
攻略対象には近づかず、悪役令嬢も刺激しない。向こうから何もしてこなければ、私も何もしない。
そう決めて入学した学園では、すでに攻略対象全員が悪役令嬢の周りにいた。
本来は対象外だった第二王子と第三王子まで加わっている。
(おおう……)
ここまで揃っていると、割り込む気にはなれなかった。
悪役令嬢が全員引き受けてくれるなら、それでもいい。攻略対象に関わらなければ、危険なイベントも起こらないはずだ。
(でも、通常ルートが全部塞がっているなら、隠しキャラが出てくるんじゃない?)
ゲームに隠しルートがあった記憶はない。
それでも、知らない条件を満たしたときだけ現れる人物がいても不思議ではない。隣国の王子かもしれないし、正体を隠した魔塔主かもしれない。名前すら表示されなかった美貌のモブという可能性もある。
自分から探しに行くつもりはない。
面倒事には関わりたくないのだから、当然だ。
ただ、向こうから現れるなら大歓迎。
そんなことを考えているうちに、私が公爵令嬢へ挨拶もしない無礼者だという噂が流れ始めた。
高位貴族には、相手から許しを与えられるまで下位の者から声を掛けてはいけない。
だから挨拶しなかった。
それだけなのに、教室では少しずつ話し掛けられる回数が減り、机の中には嫌味の書かれた手紙が入るようになった。
(始まったか)
私は騒がなかった。
手紙は捨てず、受け取った日付だけを書いて箱へしまった。誰が何を言ったのかも覚えておく。
必要になったら使う。
必要にならなければ、何もしない。
(こういうときに、隠しキャラが気づいてくれるんじゃない?)
翌日も、その次の日も、誰も来なかった。
◇
二人の転生者がそれぞれゲームの展開を気にしている頃、皇太子の机には報告書が積まれていた。
婚約者と王弟、二人の弟、有力者の息子たちとの関係。
名前だけを変えた、よく似た愛の言葉。
次の王にふさわしいと、複数の王子へ送られた手紙。
皇太子は一通り目を通した。
(面倒くさい)
本人たちは恋愛のつもりらしい。
しかし、王位継承権を持つ男たちに加え、将来の政務、軍、財界を担う者まで公爵令嬢へ個人的な忠誠を誓っている。
外から見れば、恋愛では済まなかった。
(もっと面倒くさい)
婚約者を処分すれば、公爵家との婚約は終わる。後ろ盾を失った自分も、皇太子ではいられなくなるだろう。
しばらく考えた。
(……その方が楽なのでは?)
翌朝、証拠一式が国王の机に置かれた。
◇
公爵令嬢が呼び出されたのは、卒業式でも舞踏会でもなかった。
午後の授業が始まろうとしていたとき、王宮の役人が教室へ迎えに来た。
「公爵令嬢。王命により、直ちにご同行ください」
ヒロインも席からこちらを見ている。
けれど、攻略対象は誰も駆けつけない。皇太子も現れず、婚約破棄を宣言するための壇上すらなかった。
(どうして?)
案内された王宮の小部屋にも、国王と皇太子はいなかった。
長い机を挟んで座っていたのは、司法官と書記官だけ。机の上には、相手ごとに分けられた手紙が並んでいる。
「私は、ヒロインを虐めていません!」
公爵令嬢が訴えると、司法官は書類から顔を上げた。
「ヒロインとは、どなたですか」
「……え?」
「現在問題となっているのは、複数の王位継承権者へ将来の支援を約束し、政務、軍、財界の有力者を秘密裏に囲い込んだ件です」
「囲い込んだだなんて。皆、私を愛しているだけですわ」
「全員に、自分だけを愛していると伝えておられますが」
似たような場面では、似たような台詞が有効なのだから仕方がない。
「公の場で説明する機会は――」
「ございません」
王家も公爵家も、これほどの不祥事を学園で披露するつもりはなかった。
公爵令嬢は修道院へ無期限で収容されることになった。
第二王子と第三王子は王位継承権を失い、王弟は領地と役職を取り上げられた。宰相の息子と騎士団長の息子は廃嫡され、大商会の跡取りも後継者から外された。
誰も彼女を救いに来なかった。
全員、自分も騙されたのだと主張するのに忙しかった。
◇
「公爵家との婚約が解消されれば、お前も皇太子ではいられなくなるぞ」
国王は、息子が提出した書類を見ながら言った。
「承知しております」
皇太子は王籍を離れるための書類を差し出した。
「なぜ、そこまで準備が整っている」
(後釜を用意しなければ、辞めさせてもらえないからだ)
皇太子が選んだ第一候補は、自分の妹だった。
王位継承者として扱われたことはないが、政務能力は兄弟の誰にも劣らない。
第二候補は、辺境を治める伯母の息子。国王の姉を母に持ち、領地経営と軍務の両方で実績を残している。
国王は男である従兄弟を選び、王都へ呼び寄せた。
従兄弟は妻を伴って現れた。
「あなたが王になるのは止めません」
王位について相談された妻は、穏やかに答えた。
「分かってくれるか」
「こちらへ署名してから、お受けください」
差し出されたのは離縁状だった。
「私は王妃になりません。王都へ移り住み、社交と式典に追われ、世継ぎを求められた挙げ句、今回の不祥事の後始末までさせられるなど、絶対に嫌です」
従兄弟は国王へ向き直った。
「辞退いたします」
「決断が早すぎる!」
「悩むところがありませんので」
従兄弟は妹を次の王として支持し、辺境から協力することだけを約束した。
こうして皇太子の妹が後継者に決まった。
「兄上は、本当にお辞めになるのですか」
「後継者は決まった」
「私にすべて押しつけて?」
「引き継ぎ書は用意した」
「否定してください」
その後、皇太子は王籍を離れた。
王都から遠く離れた町で、毎日決まった時刻に仕事を終える男が一人増えたという。
◇
学園では、公爵令嬢と彼女を囲んでいた男たちが一斉に姿を消した。
公式には、家庭の事情による退学、または長期休学としか発表されなかった。
ヒロインは自室の箱を開けた。
嫌味の書かれた手紙と、誰が何を言ったのかを記した覚え書き。
一度も使わなかった。
(何だったんだろう、これ)
嫌がらせはなくなった。
教科書も制服も無事で、階段から突き落とされることもない。望んでいた平穏な学園生活が、何もしないうちに手に入った。
ただし、隠しキャラも現れなかった。
辺境から優秀な従兄弟が王都へ来たと聞いたときには、少し期待した。
ゲームにはほとんど登場しなかった、王家の血を引く謎の青年。
(来たかもしれない)
遠くから確認すると、確かに整った顔立ちをしていた。
しかし、そのすぐ後ろから妻が降りてきた。さらに子供が二人続いた。
(違った)
その後も、隣国の王子は留学してこなかった。魔塔主が身分を隠して教師になることもない。
卒業式も、何事もなく終わった。
(平和だった)
嫌な思いをせず、面倒事にも巻き込まれなかった。望んだ通りの結末だったはずだ。
(でも、ここまでゲームと同じだったら、隠しキャラの一人くらいいると思うじゃない)
誰にも言えない不満を抱えたまま、ヒロインは普通に卒業した。
◇
公爵令嬢を乗せた馬車は、王都から遠く離れた修道院へ到着した。
そこは、表沙汰にできない不祥事を起こした貴族女性が、最後に送り込まれる場所でもあった。
新入りが来ると、夕食後の食堂で恒例の質問が始まる。
年長の令嬢が、公爵令嬢へ尋ねた。
「それで、貴女は何をしたの?」
「皇太子の婚約者だったのだけれど」
「それで?」
「第二王子と第三王子と王弟殿下、それから宰相の息子、騎士団長の息子、大商会の跡取りを攻略したわ」
「攻略?」
「全員、私を愛していたの」
食堂が静かになった。
別の令嬢が、確認するように尋ねる。
「同時に?」
「ええ」
「皇太子まで含めれば、七人?」
「皇太子は婚約者だから、攻略した人数には入れていないわ」
最初に一人が吹き出し、次の瞬間には食堂中が笑いに包まれた。修道女まで口元を押さえて肩を震わせている。
「王家の男を何人巻き込んだのよ!」
「婚約者を含めれば四人ね」
「それで王妃になれたの?」
「皇太子の妹が女王になったわ」
また笑いが起きた。
「男を七人も囲って、別の女を王にしたの!?」
「結果的にはそうなるわね」
年長の令嬢が、目尻の涙を拭った。
「やるじゃない!!」
「褒められているのかしら」
「そこまで盛大に失敗した根性を褒めているのよ!」
公爵令嬢は、修道院へ到着した初日に伝説となった。
翌朝。
簡素な作業着を着せられた彼女は、南側の畑へ連れていかれた。
「今日から貴女には、ここの草取りをしてもらいます」
「花壇ではなくて?」
「畑です。見れば分かるでしょう」
見渡す限り、雑草が生えていた。
王妃になるはずだった手で草を掴みながら、公爵令嬢はゲームの記憶を探した。
当然、こんなエンディングは存在しない。
「手が止まっていますよ」
修道女に注意され、渋々一本目を引き抜く。
隣では、昨日の令嬢たちが早くも続きを待っていた。
「それで、王弟殿下とはどこまでいったの?」
「作業中の私語は禁止ではなくて?」
「監督役の修道女様も聞きたそうよ」
少し離れた場所で、修道女がこちらへ耳を傾けていた。
公爵令嬢は雑草をもう一本抜き、仕方がないという顔で口を開いた。
「王弟殿下との出会いは、王宮の庭園だったわ」
その日の草取りは、ほとんど進まなかった。




