14-3 重い責任
アベルの激怒から翌日、エリサはイヴリンにも黙ったまま屋敷を抜け出した。
公爵夫人としての振る舞いというものを完全に自覚していなかったとはいえ、一旦始めた仕事を投げ出すわけにいかない。
フリーダに事情を説明し、しばらく店を空けることを告げようと町へ入る。人目を避けるように、大きめのスカーフで頭を覆い、まっすぐフリーダのもとへ向かった。
「こんにちは、フリーダ」
「あぁ、誰かと思えばエリーじゃないか。なんだい、今日はイヴリンと一緒じゃないの?」
フリーダはいつものように粉を袋に詰め、リックに荷車まで運ばせていた。
彼女の疑問はもっともで、エリサは苦笑いを浮かべて言った。
「ちょっとね」
「どうしたの、喧嘩でもしたかい?」
「ううん。イヴリンは悪くないの。今日は忙しいみたいだから」
二人で行動したら目立つからというのは大前提だが、イヴリンは確かに今日は忙しそうだった。
屋敷内で探したものの、姿を見かけなかったのだ。
フリーダはやれやれと言わんばかりに首を振った。
「ははーん、喧嘩したのは旦那かね。このところ、クラレンスが毎日会いに来てたもんねぇ。クラレンスのせいで、あのルーウェンも来づらそうにしてたし、旦那にバレるのも時間の問題だろうね」
これにエリサは曖昧に「えへへ」と笑う。
「まぁ、店を空けるのはいいけどさ。アンタの薬を待ってる人はたくさんいるし、この町にとどまらない。しかも都に流すための薬だって必要だろ?」
「それについては問題ないわ。作り置きがあるの」
そうして、鍋いっぱいの作り置き薬を見せる。フリーダは大笑いした。
「抜け目ないねぇ」
「えぇ。でも、この売り上げの半分をあなたにあげるわ。これまでの家賃分よ」
「はぁ? なに言ってんのさ。アンタは旦那と別れるために稼ぎたかったんだろう? だったら、この薬の稼ぎもアンタのだよ」
フリーダはあっけらかんとしていた。その明るさに救われる。
エリサは柔らかく微笑み「ありがとう」と言った。しかし、アベルとの離縁作戦はしばらく控えようと考えている。
アベルのあの怒りと失望、さらに自分が公爵夫人として無自覚だったことを思えば反省せざるを得ない。とても仕事する気分ではなかった。
(それに、彼がここを突き止めるのも時間の問題だし……そうなったら、フリーダたちが危ないわ)
「どうしても受け取ってもらえないかしら? このお金でどこかしばらく休暇でも行って楽しんできてもらうのも」
「バカ言ってんじゃないよ。アタシは仕事を休んで遊びに行くなんて必要ないんだ。仕事してちょっと休憩して、アンタと話しているほうが十分楽しいよ」
「フリーダ……」
フリーダの言葉に、エリサは困惑気味に笑った。
この世界の庶民に対して、一般的ではない提案だったと反省する。そして彼女のあたたかい言葉がまた沁みた。
「だいたいねぇ、貴族じゃないんだから、遊ぶのも何したらいいかわからないよ。年に一度の祭りとかならまだしもね」
「そうよね、ごめんなさい」
ただ、彼女たち親子がここを離れない選択はエリサにとって不穏を意味した。
どうにもいつもの調子が出ず、しょんぼりとしてしまう。
するとフリーダはエリサを慰めるためか、話を変えた。
「貴族と言えば、そういや聞いたかい? 公爵様のご夫人の話」
「えっ?」
心臓がドキッと跳ねた。それに気づかないフリーダは呆れたように笑いながら続けた。
「アンベール公爵様のご夫人、確か、エリサ様だっけ? なんでも、よその男といい仲だそうじゃないか。まったく、いいご身分だよねぇ」
「そ、そうなの?」
思わずしどろもどろに訊く。フリーダは「そうよぉ」と悪気なく笑った。
「アンベール様ってかなりの秘密主義だろ。ご結婚なさってたんだねぇって、そこから驚きだよ。そういうのは大々的に触れ回るもんじゃないかね? まぁ、アンベール様の呪いが怖いから、誰も触れたくないんだろうけど」
まさかこんなところでアベルの話まで聞くとは思わず、エリサは押し黙った。フリーダの話は続く。
「だから、そのご夫人と恋仲になる男ってのも、なんだか胡散臭いよねぇ。もしかしたらその夫人、もともと恋人がいたんじゃないかね? アンベール様に嫁ぐご令嬢はみんなおかしくなっちまうって話だし」
「……うん」
もうなんと返事したらいいかわからなかった。
それからフリーダと会話するのが億劫になり、エリサは最低限の支度を済ませ、薬を置いて出ていった。
クラレンスに見つからないよう注意して屋敷への道を戻ったが、町の人たちが何かを囁いているのを見て、急激に疎外感を覚える。
誰もがみんな、エリサの悪評を広めている。そんなふうに思え、エリサは耳を塞いだ。
(私、そんなつもりじゃなかったのに……)
気のせいだろうが、町人みんなが自分の噂をしているのではないかと思える。
逃げるように路地裏へ避難し、時空穴へ隠れると急いで部屋に閉じこもった。
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