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14-2 重い責任

 エリサはショックのあまり、私室のソファで放心していた。


「奥様……」


 部屋にいたイヴリンがお茶を淹れてくれ、テーブルに置きながら声をかける。

 そこでようやく、エリサは我にかえる。


「あ、イヴリン。ごめんなさいね」


 なんの謝罪か、自分でもわからない。

 イヴリンも気まずそうに「いいえ」と返す。


「お茶を飲んでください。気持ちが落ち着くと思います」

「えぇ、そうね……」


 促されるまま、テーブルに置かれたカップに手を伸ばす。

 そのとき、アベルに掴まれた手首がズキっと痛み、エリサは「あっ」と声を漏らして、カップを取り損ねた。

 指が当たったカップが床に落ちる。


「奥様!」


 慌ててイヴリンがカップに飛びつく。


「奥様、火傷はございませんか?」

「えぇ、平気よ。ありがとう」


 そう答えるも、声には力が入らない。イヴリンはカップを回収し、すぐさま清潔な布巾でエリサのスカートを拭いた。幸い、お茶をひっかぶることはなく、わずかに飛沫が跳ねただけだった。


「新しいお茶を淹れますね」

「うん」


 エリサは痕がついた手首をにぎり、イヴリンの動きをただただぼうっと眺めていた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 新しくカップに注がれたお茶を飲もうと手を伸ばす。

 今度はしっかり握ることができ、ようやくお茶を飲めた。あたたかい液体が胃の中へ落ちていく感覚がし、じんわりとぬくもりが広がる。


「落ち着きましたか?」

「えぇ……いや、どうかしら。ちょっとあったまっただけかも」

「無理もございませんよ。旦那様の剣幕は恐ろしいものでしたし……」


 部屋にいたはずのイヴリンもその場にいたのか、先ほどの状況を把握しているようだった。


「奥様、その手首は……」

「あぁ、これね。アベル様が怒ったときに、強い力だったから……」


 正直、とても怖かった。でも、ああいう場面には何度か遭遇しているから、慣れているつもりだ。手首の痛みも、少しさすればやわらいでいく。

 それなのに、なぜかショックが拭えない。


「……ふふっ、ほらね。やっぱり私はそういう扱いをされる運命なのよ」

「え?」

「昔からそうなの。大事にされない。こっちが歩み寄って、言うことを聞いて、寄り添って……それでも伝わらない。大事にされないから、だから今度は、私もそんな献身を捨てて。愛されなくていいから、構わないでほしいって。そう思ってたから」


 出てくる言葉が胸に刺さる。

 そんな自棄なエリサに、イヴリンは言葉を失くしていた。


「なんでうまくいかないんでしょうね……ていうか、うまくやれるって思ってたのは、驕りだったんだわ。多分、あの旦那様は全部お見通し。それに、今日のことも今までも、全面的に私が悪い」

「奥様、旦那様は旦那様です。そりゃ怖いお人ではありますけど」


 イヴリンはもどかしげに言った。

 エリサはわずかに視線をあげ、イヴリンを見た。彼女は目を伏せており、いつにもまして言葉を探すように、ゆっくりと、それでいて必死な様子を見せる。


「でも、奥様のことを一番に思ってるはずだと、思います。確かに……乱暴は、いけないと思いますけど。あぁ、それよりもその手首を治しませんと」

「そっか、自分で治せるんだわ」


 エリサは呆気に取られ、ゆるゆると立ち上がった。

 貯蔵している小瓶を取り、ぐいっと飲み干す。

 手首のあざは薄れたが、痛みはまだ残っていた。


「……呪い、かしらね」

「呪い!?」

「えぇ。だって、さっきのアベル様の気迫、すごかったもの。本気で呪うつもりのような、そんな剣幕だったわ」


 冷たい瞳、怒りと殺気に満ちた恐ろしい魔力、それを思い出すと、背筋がぶるりと震える。

 エリサはため息をつき、ソファに戻った。

 イヴリンは居た堪れないとばかりに縮こまり、その場で立ち尽くす。


「あの、奥様……」

「なに?」

「もし……もし、旦那様ではなく、もっと奥様を大事に扱ってくれる方がいるとすれば、奥様はそちらを選ばれますか?」


 イヴリンの唐突な問いに、エリサはハッと顔を上げた。


「それって、どういうこと?」

「えっと」

「町で私の悪評が広まってるって話があるみたいだけど、本当にそうしてしまえばいいって言いたいの?」

「そうじゃありません! ただ、奥様があまりにも不憫で……旦那様も不器用な方ですけど、でも今回のようなことや、今までみたいにずっと縛り付けられて生活するのは、奥様のためにもなりませんし、旦那様のためにもならないと思うんです」


 イヴリンは早口で答えた。その必死さに、エリサは追及せず押し黙る。

 彼女の言葉には温度がある。思いやってくれているとわかるが、今のエリサには質問の答えを出すことができなかった。


「今は、とにかく何も考えたくないわ」

「そうですよね……失礼いたしました」


 イヴリンは自分の手をさすり、俯いたまま一礼した。


「申し訳ありません、奥様。失礼いたします」

「ううん。あなたは悪くないわ、イヴリン。おやすみなさい」


 イヴリンは静かに部屋を出て行った。


 一人になる。

 寒々しい沈黙の中、エリサはソファにしなだれかかり、空虚を見つめた。


(考えるのは明日にしよう。今日はもう、何もしたくない)


 しかし、すぐには眠れず、ただ目を閉じて思考を遮断するしかなかった。

 その中で、イヴリンの問いがポンと浮かんでは消える。


 ──もし、旦那様ではなく、もっと奥様を大事に扱ってくれる方がいるとすれば、奥様はそちらを選ばれますか?


 それは誰のことを言っているのだろう。

 だが、考えても思い当たる人はいない。


(私はもう、恋愛はしたくない。決めたの。誰にも依存しない、自由な生活を手にいれる。そのためには、たとえアベル様を傷つけても……)


 彼の怒りは、きっと失望からくるものだ。

 なんとなくそう思いつき、心がぶれる。非情になれない自分が恨めしかった。

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