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1-3 無能令嬢と呪い公爵

 アルヴィナ家で過ごしていた頃、庶民同然に町に降りて古本屋で本を読んだり、町の人達に話を聞いて異世界のことを学んだが、まだまだわからないことはある。

『エリサは頭の回転は早いし覚えもいいのに、世間知らずなところがあるよね』とはよく言われたものだ。


 前世ではバリバリ働き、薬剤にかかわる仕事をしていたというのもあって、よくあるライトノベルやゲームの知識はにわか程度しかない。


(はぁ、今でも鮮明に思い出せるわぁ……クズヒモ野郎に浮気されて、問い詰めたら逆ギレされて……その腹いせに飲んだくれて)


 現代日本で過ごした最後の日。一人で居酒屋へ行き、ビールと酎ハイとハイボール、さらに日本酒までチャンポンした結果、当然泥酔した。

 そこからのことは断片的だ。外の寒さ、近づくヘッドライト、重い衝撃。トラックかなにかに轢かれて死に、気づいたらこの異世界でアルヴィナ伯爵家の長女として生まれていたのだ。


(だいたい、私が何をしたっていうのよ。悪いのは歴代のクズ男で、私はまっとうな人生送ってたし。ちゃんと納税もしてたし、社会貢献もしてたはず。なのに、アルヴィナ家でもいい暮らしじゃなかったし。なんか知らないけど、私が無能だからって嫌われてたし!)


 父、アルヴィナ伯爵は厳格な魔法主義だ。母は名門魔法使いの家柄。ゆくゆくは爵位を継ぐ兄も魔法に長け、騎士団所属として立派に務めを果たしている。妹もそうで、王立魔法学院ではトップレベルの魔法使いと謳われ、将来は安泰だ。


 それに比べ、エリサは魔法適正が一切なかった。教育もろくに受けられず、貴族らしい暮らしはしていない。

 食事はおもに残飯で、成長してからは町に行ってアルバイトをしながら食い扶持を得ていた。


(まぁ、無能だから蔑まれても仕方ないかぁ……いやいや、それで娘を放置するのはどうかしてるけどね! 幸いだったのは、暴力がなかったことかな)


 前世の記憶があるにしても、この異世界で十八年もの間、こんな生活をしていたら感覚が麻痺していた。そして、この楽観的な性格がなければ、とっくに闇落ちしていただろう。


(とにかく、アベル様の逆鱗に触れないよう、大人しくしとこ……)


 そんなことを考えていると、後ろから「奥様」と少女の声がかかった。慌てて振り返る。


「あ、ごめんなさい。何かしら?」

「ご挨拶をさせていただきたく……」


 黒いドレスを着た若い女性が恐る恐るエリサを見つめ、恭しく一礼した。年の頃は同じか少し下か。マロンカラーの豊かな髪の毛に、灰がかった緑色の目が印象的な少女だ。


「本日より奥様の侍女となりました。イヴリン・ゲルマーと申します」

「まぁ。よろしくね、イヴリン」


 エリサは微笑みを向けた。イヴリンがホッと安堵する。緊張していたのだろう。ただでさえ冷たい公爵家の中で働くのだ。エリサは彼女のために明るく振る舞おうと努めた。

 しかし、気になることがある。


「えっと、公爵家の侍女なら、どこか格の高い家柄なのかしら?」


(私よりも格上だとやりにくいよね……貴族の上下関係ってなんだか面倒そうだし。なんだっけ、公爵が上で伯爵、子爵、男爵なんだっけ?)


 エリサの質問に、イヴリンはたちまち気まずそうに目を伏せた。


「あ、いえ……わたくしは男爵家の養女です。出自は庶民ですが、ゲルマー夫妻に引き取られまして。ゆえに右も左もわかっておりませんが、このたびなぜか旦那様に抜擢されまして」


(男爵家の養女……なるほど、アベル様は意外と配慮できるタイプなのね。私より身分が低くて、似たようなタイプをあてがってくれるなんて)


 アベルはアルヴィナ家にエリサとの婚姻を認めるよう迫ったそうだが、その理由はわからない。

 アルヴィナ家も首をかしげていたが、無能な娘が政略結婚の道具として使えるならいいと考え、エリサの承諾なしに嫁に出したのだ。

 まさかここまで準備が行き届いているとは思いもしなかったが、これはすべてエリサの勝手な解釈である。


「あ、あの、奥様、どうかクビにだけは……」


 イヴリンは妙に萎縮し、オドオドと言った。気に入らないと言われてクビになりたくないのだろう。

 エリサは慌てて彼女の手を取った。


「大丈夫よ! なんなら、私も伯爵家の娘だけど無能扱いでほぼ庶民なんだもん。公爵様の正妻になるなんて、玉の輿もいいところよね!」

「え、あ、はぁ……そうですか。てっきりお気に召されないのかと」

「おほほほ、まぁ仲良くしましょうね、イヴリン!」

「はい! ありがとうございます」


 イヴリンの垢抜けてない顔がパッと明るくなった。


(よし、第一印象はオーケー! これで無視される生活はおさらばよ!)


 そう思いながらドレスを抱えてホールの階段を上がる。さっそくドレスの裾を踏み、つまづきかけた。


「奥様! 大丈夫ですか!」

「あ、うん、平気よ……ちょっと緊張してたみたい」


 そうして挨拶も終え、着替えのため私室へ行く。


 実家のアルヴィナ家では閑散とした殺風景な部屋に押し込められ、物も衣服も極端に少なかったものだが、アンベール家の私室には豪華なベッドをはじめとした家具に調度品、都会で買ってきたと思しきドレスなどの箱がいくつも置いてあった。


「さすが、公爵様……いくら白い結婚と言えど、公爵家の嫁にふさわしい身なりでいろということね」


 エリサは呆気にとられつつも、ようやくソファに腰掛けて落ち着いた。

 イヴリンがせっせとエリサの着替えを行う。


「ねぇ、イヴリン」

「はい、奥様」

「あなたも最近ここへ来たみたいな言い方だったけど、アベル様の噂は知ってる?」

「えっ……」


 イヴリンは持っていた櫛を落としそうになった。


「えっと、少しだけですけど。なんでも『青炎の死神』という魔法使いで、この国最強ということは……あと、恐ろしい噂も少々」


「うん、私も実家でかなり脅されたけど、アンベール家に嫁いだ娘は発狂してしまうらしいわね。なんでも、爵位を継ぐ殿方は強い魔力、青い炎を使うことができる。初代のアンベール公爵の呪いだとかなんとかで、主も気性が荒くてその恐ろしさで気が狂うんだわ」


「奥様、そういう話は……」


 イヴリンはオドオドとたしなめた。しかし、この部屋はエリサとイヴリンの二人だけ。誰かが聞き耳を立てたとしても、アベルを恐れて目を伏せていた侍従たちが告げ口することはないだろう。

 エリサはそう考え、肩をすくめた。


(アベル様、どうも気性が荒そうだし、なんとか機嫌を損ねないようにしよう。くわばらくわばら)


 化粧台の鏡に映る自分は、豊かな銀髪と華奢で貧相な体つき、顔立ちは整っているが、どこか冴えない表情をしている。ただ胸元に光る大ぶりな青い鉱石だけが美しい。


 着替えが済み、真っ青な普段着のドレスを身にまとい、エリサはニッコリ笑って立ち上がった。


「さ、イヴリン、お茶にしましょ」

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