9-2 嫌われ作戦開始
夜。夕食後、エリサはもはや日課となっているアベルとの団らんに繰り出していた。
しかし、とくにすることがないので、いつものように本を持って、定位置のソファに座る。その様子をアベルが眺める。
最初のうちは見られていると恥ずかしいものだったが、毎日となれば慣れてしまっていた。
静かに本を読む。内容は、薬草図鑑。分厚いので、時間をつぶすにはうってつけだ。
しかし、三十分ほど経った頃、アベルが「ごほん」と咳払いした。
ついっと顔を上げる。
「……何か?」
冷めた態度で訊くと、アベルはギクッと肩を上げた。
「うぅん……いや、今日も君は美しいなと思って」
「はぐらかさないでください。何か私におっしゃりたいことでもあるんですか?」
少しきつい言い方だったかもしれない。
すぐにそう思ったが、こうでもしないとアベルはすぐに一人で勝手に悶え、甘い言葉をかけてくるので「まぁいっか」と割り切った。
一方、アベルは口を封じられたように何も発さず、ふいっと目をそらした。
そんなことをされると、気になってしまう。
「アベル様?」
「なんでもない」
「なんでもないことはないでしょう?」
エリサは本を閉じ、身を乗り出して訊いた。
「今度はなんですか? 私が外へ出て何かしているとか思ってます? 残念ですが、その予想はハズレですよ。私は約束通り、ちゃんと家にいるじゃないですか」
「それはそう。だから、いつもの君らしくないなと思った」
アベルはごにょごにょと口ごもった。
「私らしくない?」
「あぁ。でも……いや、やっぱりなんでもない。俺の気のせいだろう」
そう言うと、アベルは肩を落としてため息をついた。
対し、エリサは内心では安堵とイライラが渦巻いていた。
(なによ、バレたのかと思った。でも、この様子だとまだバレてなさそう。私の落ち度をいろいろと探ってるんでしょうけど、御愁傷様。私だって簡単に尻尾は見せないんだから)
つまらない態度をとって、あえてきつく問い詰めてみたのは、嫌な女を演じるためでもあったが、アベルの優柔不断な様子には素直に苛立っている。
エリサはソファに深く座り、膝を立てて再び本を開いた。
(行儀の悪い女アピールしてみるか)
すると、アベルはスッと立ち上がった。
(おや、行儀の悪い女はやっぱり嫌い? さぁ、どう出る? はしたない、みっともない、俺のエリサはそんなことしないとかなんとか言って怒ってみたらいかが?)
そんなことを考えていると、アベルは寝室へ向かい、ほどなくして帰ってきた。
手にはやわらかい毛布を持ち、エリサの膝にふぁさっとかけてくれる。
「寒くないか? 体が冷えるといけない」
「……あ、ありがとう、ございます」
(ん? あれ? なんで? もしかして、足をスカートの中に引っ込めたから、寒いと思ったの?)
思わぬ優しい振る舞いに、エリサは目をしばたたかせて動揺した。
膝を下ろし、膝掛けの上に本を置いて読む。しかし、頭には入ってこなかった。
(ダメだ、嫌われ作戦を決行しなきゃ! でもどうやったら……!)
この膝掛けを床に捨て置くという発想はない。
前世でもこんな優しい扱いを受けたことがなかったので、どうしていいのかわからなかった。
そんなエリサの様子を、アベルはジッと見つめていた。
「……そうだ、エリサ」
「はい! なんでしょう!」
エリサは慌てて返事した。
アベルはいつになく無表情で、感情がどうにも読み取れない。
「明日、俺は隣町に用事があるんだが、何か欲しいものはないか?」
「この前も買っていただいたのに、そう欲しいものはとくにないですよ」
(だって、また瓶が欲しいとか言えないし。何回も瓶ばかり頼んでたら、さすがに怪しまれちゃう)
「そうか……本とか、繕い物とか、そういうものが必要じゃないかと思ったんだが。ほら、家にいるだけでは暇だろう?」
「あら、暇なことはおわかりになられるんですね」
エリサは悪気なく言った。
アベルの眉がわずかに歪む。
「まぁな。でも、俺は君を外に出す気はない。とくに俺のいない時に、一人で外へ出てフラフラされては困る。ここは王都ではないし、君が暮らしてた場所とは違うからな」
「えぇ、そうですけど。だから、私、外に出てないって言ってますよね?」
「これからもそうしてくれという話だ」
アベルはわずかに機嫌を損ねたようで、顔をムッとさせた。
その言いように、エリサも顔をムッとさせる。
「フラフラって、私の何を知ってるんです? だいたい、ほかのご夫人だってここの暮らしよりは自由な時間があると思いますけれど? 私が簡単に他の誰かと恋仲になるとか、そんなことをお考えになられてるのかしら?」
思わず苛立たしげに言うと、アベルは目をそらした。
図星だったのだろうか。これにはエリサも呆れてため息を吐き出す。
「私がそんな尻軽な女に見えますか?」
「違う! そうじゃない!」
すぐさまアベルは立ち上がり、抗議した。
「それは、その……ほら、あれだ。君は公爵夫人だし、立場がある。そんな君が気軽に外に出ては、公爵家の威厳が」
「体裁ってやつですか。そんなの、しょうもないですよ」
「しょ、しょうもな……?」
「しょうもないです! いちいちそんなこと気にしてたら生活できません! まぁ、こんな話をしてもきっとお互いにぶつかるだけだし、不毛だわ」
ピシャリと話を切ると、アベルはもどかしそうにうつむいた。大人しく座り、何かを考えている。
(だいたいね、私がこんな放浪癖ができたのは、実家に居場所がなかったからよ……それをこの旦那様はわかっちゃいない)
これ以上の話し合いは無駄であり、あまり話すと今後の計画のボロも出しかねない。
エリサはさっと時計を見た。
アベルの部屋の片隅にある大きな振り子時計を見ると、もうすぐ二十三時になろうとしていた。
「寝ます。無益なケンカはしたくありませんし、今日はこれにて」
本を閉じ、立ち上がると膝掛けが落ちる。拾い上げ、アベルに突き出して返した。
「ありがとうございました。では、おやすみなさいませ」
長い髪をひるがえし、部屋をあとにする。
去り際、夫の顔は見なかった。
寝る支度を済ませ、イヴリンがベッドメイクしてくれた天蓋付きのベッドにダイブし、かけ布団に潜り込む。
「ん? あれ? そういえば、明日、アベル様はお出かけされるのよね?」
イライラのあまり、話を流していたが明日はアベル不在の情報が手に入ったことに気が付いた。
「じゃあ、明日は町に出られるわね。久しぶりに外に出られるわ〜」
(まぁ、アベル様に嘘をつくのは、ちょっと良心が痛むけど……これも自由な生活のためだからね)
うとうとと眠りにつく。
頭の中は明日のことと、アベルと話したことが渦巻いている。しかし、それもやがて真っ暗な深淵に引き込まれていき、深い眠りに落ちた。
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