第82話 正義の盾
白の逃げ先が、一本に刺さっている。
ショウマが線を見た瞬間、それが分かった。
心臓から溢れた白が、地上へ立ち上がり、聖都の中心へ伸びる。伸びた先は、ただ一点。
坂上マサト。
広告塔の鎧。器。受け皿。
白はそこへ逃げた。逃げて、拍動を続けた。
ミラが地図を押さえ、短く言った。
「心臓を止めても、器へ逃げます」
指先が一点を叩く。
「次に必要なのは、器の“役割”を殺すこと」
レアが息を整え、頷いた。
グルドが指を組む。
エヴェリナは穏やかに目を伏せる。
誰も、躊躇の言葉を出さない。
ショウマが言う。
「止めたいのは人間じゃない。……役割だ」
ミラの視線が鋭くなる。
「軍規は維持します。騒乱は起こさない。民間を巻き込まない。意味のない殺傷はしない。……器も、殺しません」
殺さない。
それは縛りではなく、こちらの“悪”の形だ。
だから教会はそこへ、盾を置く。
――白い回廊。
マサトは、また歩かされていた。
護衛は増えている。増え方が露骨だ。
鎧の聖騎士は笑わない。笑わないほど怖い。
「坂上殿」
枢機局付きの神官が、柔らかい声で言った。
「昨夜、地下の拍動が揺れました。民の不安が増えています。だからこそ、旗が前に立つ必要があります」
旗。
前に立つ。
言葉は同じだ。温度も同じだ。
同じであることが、怖い。
「……また、広場ですか」
マサトが言うと、神官は当然のように頷いた。
「はい。安心を配るのは、坂上殿です。白は一点に集まります。集まれば、揺れは鎮まる」
揺れを鎮める。
その言葉の裏で、マサトは“揺れの原因”を知らされていない。
知らされないまま、中心に立たされる。
鎧の導体が、胸の中心でひやりと返事をした。
返事がある。
返事があるうちは、役割は続く。
聖堂広場は人で埋まっていた。
民は祈り、祈りは白になり、白は導線を通って一点へ集まる。
マサトが壇上へ上がると、空気が一段澄む。
澄むと同時に、冷たくなる。
神官が紙片を差し出した。
用意された言葉。用意された安心。
マサトが口を開く前に、胸の中心が満たされる感覚が来た――いつもなら。
(……来ない?)
白が薄い。
澄むのは澄む。だが満たされる快楽が、遅れている。
遅れているというより、届いていない。
マサトの喉が鳴る。
胸の中心が寒い。
寒いのに、周囲は“安心の演出”で温度を作ろうとしている。
「坂上殿」
神官が微笑んだ。
「どうぞ」
マサトは紙片を見て、言葉を出した。
「……我らは、光のもとにあります」
民が息を呑む。祈りが増える。白が太くなる。
太くなる――はずなのに。
胸の中心が、まだ満たされない。
導体が返事をしない。返事が鈍い。
神官の目が一瞬だけ細くなる。
すぐに笑顔に戻る。
笑顔で戻るほど、内側で手順が動き始めている。
「……確認を」
神官が小声で補助役に言った。
確認。
確認の確認。
帳面が厚くなる音が、マサトの耳に幻みたいに響いた。
――外縁の影。
ショウマは、広場から少し離れた場所で線を見ていた。
民の前に出れば騒乱になる。
騒乱は軍規を折る。
折らせるために、教会はマサトを前に立たせている。
(盾だ)
正義の盾。
殺さないと決めたこちらの刃を、受け止める盾。
だから、斬る場所を変える。人ではなく、役割を斬る。
ショウマは結界を滑らせた。
狙うのは肉体ではない。
鎧の導体に流れ込む白の“意味”だけ。
白は流れている。
だが、意味が届かない。
届いているのに、広告塔として機能しない。
線が、細く揺れた。
マサトへ刺さっていた太い流れが、一瞬だけ細る。
細った分だけ、白が行き場を失う。
エヴェリナの糸が、遠隔で“点”へ落ちた。
点は広場の下。導体溝の節。
節を薄く殺し、輪を育てさせない。
輪が育たなければ、白は一点に集まりきれない。
レアが動いた。
影走りは人を倒さない。
導線を詰まらせる。事故ゼロで、正規の渋滞を起こす。
護衛の交代位置。神官の移動導線。確認札の受け渡し。
その“正しい順序”の間に、ほんの一拍の遅れを差し込む。
一拍遅れれば、確認が増える。
確認が増えれば、足が止まる。
足が止まれば、旗は前に出せない。
広場の端で、聖騎士が立ち止まった。
止まった理由は敵ではない。
札だ。
「確認が必要だ」
「結果が戻っていない」
「確認の確認が――」
声は荒げられない。民の前だから。
荒げられない声は、余計に怖い。
マサトの背中に、護衛が増える。
護衛が増えるほど、前に出にくくなる。
前に出にくくなるほど、さらに手順が増える。
神官は微笑みながら、マサトの腕に触れた。
優しい手だ。
優しい手が、逃がさない。
「ご安心を」
神官が囁く。
「一時の揺れです。坂上殿は器です。器は揺れません」
揺れない。
揺れないように固定される、という意味だ。
マサトは胸の中心に触れた。
導体がひやりと返事をした。
返事が弱い。返事が薄い。
薄い返事が怖い。
(……守られてるんじゃない)
言葉にならない思いが、喉の奥で渦を巻く。
守られているのではない。
逃がされない。役割から。
広場の空気が、変わった。
民の祈りは増えている。
なのに、中心の白が安定しない。
白が一点に集まりきらない。
集まりきらない白は、別の場所へ流れようとして、導線の中で渋滞する。
渋滞した白は、聖都の“整い”を乱す。
乱れは不安になる。
不安は祈りを増やす。
祈りが増えれば、さらに渋滞する。
正しさが、正しさを食い始めていた。
ショウマの線に、心臓が揺れる様子が見えた。
器へ逃げていた白が、器で受けきれない。
受けきれない白が、心臓へ戻りきれず、拍動が乱れる。
(効いた)
殺していない。
壊していない。
ただ、役割を殺した。
広告塔としての“受け皿”を、ほんの一瞬、機能不全にした。
ミラが隣で、短く言った。
「次で、止めます」
ショウマは頷いた。
心臓を止める。
そして止めたままにする。
そのためには、器が光らない時間を作る必要がある。
作った。今夜、作った。
あとは、その時間の中で心臓を折る。
広場の壇上で、マサトは笑顔を作ろうとして、作れなかった。
胸の中心が満たされない。
満たされないのに、周囲は「安心」を求めて目を向ける。
目を向けられるほど、息が浅くなる。
旗は前に立つはずだった。
――だが、その旗は光らなかった。




