第78話 広告塔の鎧
白い回廊は、音が薄い。
足音さえ、祈りに馴染んで消える。
坂上マサトは、その薄い音の中を歩かされていた。
歩いている、ではない。歩かされている。
左右に立つ白い鎧の聖騎士たちは護衛の顔をしていて、護衛ではない。前に進むしかない形を、静かに作ってくる。
回廊の奥で、枢機局付の神官が待っていた。
笑顔は柔らかい。柔らかいほど、拒否が許されない。
「坂上殿。お待ちしておりました」
神官は丁寧に頭を下げた。
「昨夜より、地下の手順に“噛み合わなさ”が生じています。民の不安は、祈りの揺れとして顕れます」
噛み合わなさ。
マサトはそれを、昨夜から何度も耳にしていた。具体を教えられない言葉。だが、具体を教えられない時ほど上が焦っている。
「そこで」
神官は言葉を切り、薄い紙束を差し出した。
「全域統制を強めます。白を一点に集め、統制で押さえ込む。坂上殿には、その中心に立っていただきます」
「中心……」
マサトの喉が鳴る。
中心に立てば、目立つ。目立てば、狙われる。
狙われる、という感覚が胸の奥でじわりと増えた。
「ご安心ください」
神官は、当然のように言った。
「外殻の更新を行います。坂上殿の器に、より多くの光を集中させるために」
外殻。
器。
適合。
最近、やけに聞く単語が並ぶ。並ぶだけで、背中が冷える。
ふと、マサトの脳裏に高城ユウキの顔が浮かんだ。
勇者枠の二番手。最近、噂しか聞かない。
“任務上の都合で不在”。
その言い方が、妙に軽い。
「……高城は」
口を突いて出そうになった言葉を、マサトは飲み込んだ。
ここで口にするのは危険だ、と身体が覚えてしまっている。
神官は、マサトの微かな動揺を見逃さない。見逃さないまま、微笑んだ。
「今は坂上殿です。旗が前に立つ時ですから」
旗。
前に立つ。
それは、守られているという意味ではない。使われる、という意味だ。
神官は手を差し伸べる。
「こちらへ」
案内された先は、工房というより祭壇だった。
白い床。白い壁。天井から吊られた祈祷具。導体溝が床を走り、刻印が壁に整然と並ぶ。
祈りの声は聞こえない。代わりに、一定の低い駆動音が鳴っている。祈りが循環している音だ。
中央の台座に、布が掛けられている。
布は厚く、結び目は丁寧で、封蝋の印は揃っている。
その整いが、逆に怖い。
「儀礼です」
神官が柔らかく言った。
「坂上殿は立っているだけでよろしい。私たちが手順を整えます」
立っているだけ。
立っているだけで、手順が整う。
マサトは言われるまま台座の前に立った。
白い鎧の聖騎士が一歩下がり、神官の補助役たちが動き出す。
布がほどかれ、封蝋が割られ――いや、割られる音はしない。割るのではない。溶かして、滑らせる。痕を残さないやり方だ。
布の下から現れたのは、鎧だった。
重厚な鋼ではない。白い骨のような装甲。細い導体が走り、刻印が糸みたいに織り込まれている。
「広告塔の鎧」
神官が言った。
「民が安心する“形”です。白が一点に集まる“形”です」
形。
マサトは、形という言葉にひっかかった。
中身ではなく、形。
安心は形で作れる。そういう理屈。
「適合を始めます」
神官が手を掲げる。
空気が、白く締まった。
締まるのは壁ではない。呼吸だ。
呼吸の幅が狭まり、心拍が“合わせられる”。
駆動音が少しだけ強くなる。
導体溝の白い筋が、マサトの足元へ向かって集まる。
集まった白が、鎧の導体へ流れ込む。
次の瞬間、マサトの視界が白く澄んだ。
(……すごい)
身体が軽い。
肩の力が抜け、背筋が勝手に伸びる。
息が深くなる。いや、深く“させられる”。
気持ちいい。
眩しさではない。熱でもない。
澄み切った冷たい水を飲んだみたいに、頭の中が白くなる。
白くなった分だけ、余計なものが消える。
不安が消える。迷いが消える。
消える――はずだった。
胸の奥のどこかで、違和感が鳴った。
自分の心拍が、自分のものじゃない。
呼吸が、自分のものじゃない。
祈りの駆動音に、合わせられている。
鎧が、マサトの腕に触れた。
冷たい。
冷たいのに、ぴたりと吸いつく。
吸いつくというより、嵌まる。器に嵌まる。
「……適合、良好」
補助役が小声で言った。
その声は、台座の下で動く帳面の音みたいに無機質だった。
神官が微笑む。
「坂上殿は素晴らしい器です。だからこそ、前に立てる」
前に立てる。
褒め言葉の形をした命令。
鎧は腕だけじゃない。胸に、首元に、薄い導体が回る。
胸の中央が熱い……いや、熱いのではない。中心が“決まる”。
白が一点に集まる中心が、ここだと告げられる。
マサトは、ふと台座の横の棚を見た。
白い布包みが並び、札がぶら下がっている。
文字は読めない距離なのに、いくつかの単語だけが目に刺さった。
『欠番』
『補充』
『適合』
視線を逸らす。
逸らしたのに、単語が頭に残る。
神官が、柔らかい声で言った。
「ご安心ください。これは坂上殿を守る鎧です。民を守る鎧です」
守る。
守ると言われるほど、囲われている気がした。
儀礼が終わると、鎧は完全装備ではなく“更新”として残った。
腕と胸の一部。薄い導体。刻印の糸。
それでも、身体の感覚は変わってしまった。
視界が澄む。
声が通る。
自分の声が、少しだけ“他人の声”みたいに響く。
神官が手を差し出す。
「試運転を行います。民の前に」
拒否する言葉が出ない。
出ないように、呼吸が整えられている。
整えられた呼吸は、従順になる。
聖堂広場。
白い石畳。人、人、人。
民衆は整然と並び、目を輝かせている。
その目の輝きが、祈りの量になる。
マサトは壇上へ上がらされた。
背後に神官。左右に聖騎士。
前方には民。
民の目が、マサトの胸の中心へ吸い込まれていく。
「坂上殿」
神官が囁く。
「言葉を」
渡された紙片に、短い文が書かれている。
神官の言葉だ。マサトの言葉ではない。
だが、口は動いた。
鎧が“声を通す”。
声を通すために、言葉を通す。
「……我らは、光のもとにあります」
マサトが言うと、民衆が息を呑む。
その息が祈りになる。
祈りが白になる。白が太くなる。
マサトの胸の中心が、少しだけ熱くなる。
熱いというより、満たされる。
満たされるほど、違和感も増える。
自分が前に立つほど、白が太くなる。
太くなった白は、どこへ行く。
導体溝の線が、広場の下へ落ちていくのが見える気がした。
地下へ。心臓へ。
白が一点に集まれば集まるほど、地下の拍動は太くなる。
太い拍動は、安心だと教えられる。
だが太い拍動は、異物に触れられた時の反応も太くなる。
マサトは、知らない怖さを嗅いだ。
地下に何かが触れた。
帳面が噛み合わない。
それを押さえるために、自分が前に出された。
壇上から降りると、護衛が増えていた。
増え方が露骨だ。
守られている、ではない。逃がさない。
神官が柔らかく告げる。
「次は、もっと前へ」
マサトの喉が鳴る。
「……もっと」
「不安があるからこそ」
神官は第七十七話で聞いたのと同じ言葉を、同じ温度で言った。
「旗は前に立つのです」
旗。
旗は、立たされる。
立たされた旗は、折れないように固定される。
マサトは回廊を歩きながら、胸の中心に触れた。
鎧の導体が、ひやりと指先に返事をした。
返事は自分のものじゃない。
返事は手順のものだ。
守るための鎧だと言われた。
民を守るためだと言われた。
けれど実際は――前に出すための鎧だ。
白い回廊の音は薄い。
薄い音の中で、マサトの心拍だけが、やけに大きく聞こえた。
鎧は、守るためではなく――前に出すためのものだった。




