第7話 魔将の装備と、初陣の呼び声
魔王との契約を終えて、重い扉の外に出た瞬間――
肩のどこかに乗っていたものが、少しだけ軽くなった気がした。
俺はもう、あの世界の「唯一の生存者」じゃない。
今は、この世界で「魔に連なるもの」として扱われる。
……まあ、肩書きが変わったところで、やることはひとつだが。
◇
「――正式な序列について、説明しておきたい」
案内された小さな作戦室で、ミラが真っすぐ俺を見た。
石造りの部屋の中央に丸い卓。
その周囲に、十人ほどの魔族たちが腰掛けている。
角の生えた魔人、翼を畳んだ魔族、獣じみた目をした戦士たち。
その視線のほとんどが、俺に集中していた。
「この魔王軍は、四天王が大きな柱となっていた。
……だが、今動けるのはグルドだけだ」
ミラの言葉に、卓を囲む面々の空気が少し沈む。
「そこで――父、魔王マギアの命により。
あなたを、その下につく特別指揮官――“魔将”として迎えたい」
ざわ、と小さなざわめきが走る。
「いきなり外から来た者を、四天王と同格には置けない。
だが、前線を預けるには“将”では足りない。
だからこその“魔将”だ」
用意してきた言葉なのだろう。
ミラは噛まずに言い切ったが、その指先は小さく震えている。
その震えが、変に好感を誘った。
ただの「お飾り」じゃなくて、必死に立ってるのが分かる。
「……肩書きは、どうでもいい」
俺はそう返した。
「命令系統の問題で必要なら、好きに呼べばいい。
ただ――俺の目的はひとつだ」
卓の上に置かれた地図じゃなく、ミラの紅い瞳を見る。
「“勇者様”を殺せる場所に、俺を置け」
短い沈黙のあと、誰かが息を呑む音がした。
グルドが、ふふ、と喉の奥で笑う。
「ミラ様。やはり、よろしいのでは?」
「……そうだな」
ミラは一度目を閉じて、開いたときには覚悟を宿していた。
「魔王軍魔将――ショウマ。
あなたを、この城と軍の正式な戦力として認める」
その宣言に、魔族たちの視線が変わる。
警戒と恐怖の色はまだ残っている。
だが、その奥に、ほんの少しだけ「期待」が混ざった。
誰かが立ち上がり、胸に拳を当てて頭を垂れた。
「魔王軍魔将ショウマ殿の加入を、歓迎する」
それに続いて、次々と拳が胸を打つ音が響く。
歓迎の儀式――らしい。
俺は、ちょっとだけ居心地の悪さを覚えながらも、黙ってそれを受けた。
(“悪役”として歓迎されるのは、初めてだな)
妙な感想が、頭の片隅をかすめる。
……まあ、悪役って言い方は、あの世界基準での話だが。
◇
「で――肩書きの次は、現実的な話だ」
儀式めいた空気が少し落ち着いたところで、俺は口を開いた。
「装備をくれ」
ミラが一瞬きょとんとして、すぐに頷く。
「あ、ああ……そうだな。
今の装いで戦場に出すわけにはいかない」
今の俺は、借り物のローブ一枚だ。
武器も、防具も、何もない。
「魔王軍の武具庫を使わせてやろう。
数は減ったが、まだいくつか“モノ”は残っておる」
グルドが立ち上がり、杖を軽く鳴らす。
「ミラ様もご一緒に。
魔将殿の装いを決めるのは、軍を預かる者の務めにございますぞ」
「……分かった。ショウマ、こっちだ」
ミラが踵を返し、石造りの廊下へと出る。
魔王軍の新しい肩書きとやらの話は、ひとまずそれで終わり。
あとは――戦える形を整えるだけだ。
◇
魔王城の武具庫は、城のやや下層にあった。
厚い鉄扉を開けると、ひんやりとした空気と、油と金属の匂いが流れ出てくる。
壁一面に並んだ剣や槍。
棚に積まれた鎧や盾。
奥のほうには、封印された魔具らしき箱も見えた。
だが、そのどれもが――どこか“減っている”。
「……思ったより、空だな」
俺が漏らすと、ミラが苦笑に似たものを浮かべた。
「前線で、いいものから失われていった。
今残っているのは、古いものか、癖が強すぎて扱い手を選ぶものばかりだ」
「贅沢は言えませんぞ、ミラ様」
グルドがローブの袖を揺らしながら、奥へと歩いていく。
「元より、武器は使い手次第。
よき主を得て、刃もまた変わるものです」
(使い手次第、ね)
だったら、なおさら――外れは引きたくない。
俺は、並ぶ武器の前に立ち、そっと手を伸ばした。
指先が、一本の剣の鞘に触れた瞬間――
視界の隅に、淡い線が走る。
因果の残り香。
その武器が辿ってきた「経路」。
血に濡れた戦場。
吼える魔獣。
その切っ先で何度も敵を斬り伏せた、無名の兵の姿。
最後は、光に焼かれる映像で途切れた。
(……前線で、持ち主ごと消し飛ばされたか)
胸の奥が、じくりと熱くなる。
おそらく、光の使徒と称する人間達の“広域殲滅”の余波だ。
俺は、その剣を鞘ごと引き抜いた。
黒鉄と暗銀を混ぜたような色の刃。
装飾は最小限。重さもバランスも悪くない。
「それを選ばれましたか」
いつの間にか隣に来ていたグルドが、目を細める。
「かつて、辺境を守る隊の隊長が使っておった剣ですじゃ。
主の死と共に戻ってきて以来、ここで眠っておりました」
「使い勝手は悪くなさそうだ」
剣を軽く振ってみる。
新しい身体の筋肉が、抵抗なく重さを受け止めた。
ダークエルフの腕は、人間の頃より明らかに強い。
それでも、この程度の重さなら長時間でも振り回せる。
「近くで殴り合う用は、とりあえずこれでいい」
今度は、武具庫の奥――弓が並ぶ棚に目を向ける。
こちらは、さらに数が少ない。
ひび割れた弓。
弦が失われたままのもの。
折れたまま放置されているもの。
その中で、一本だけ――やけに静かな気配の弓があった。
黒銀の木で作られた、細身の弓。
余計な装飾はなく、ただそこに「在る」だけといった風情。
手を伸ばし、触れる。
途端に、また因果の線が走った。
暗い森。
夜の戦場。
遠くから標的の喉を射抜く矢。
仲間が撤退する時間を稼ぐため、ひとりで矢を番え続ける影。
最後に見えたのは――
光に焼かれながらも、なお弓を引こうとする手の感触だった。
(ここまでやっても、焼かれたか)
奥歯のあたりが、自然と軋む。
「……弓も、もらう」
棚からそっと引き抜き、弦の張りを確かめる。
まだ、死んでいない。
使える。
「ダークエルフは、弓に長けていたと文献にありますな。
その身体なら、相性もよろしかろうて」
グルドが満足そうに頷く。
ミラが少し驚いたように目を見開いた。
「近接だけじゃなく、遠距離もやるのか?」
「距離を取れる手札は、多いほうがいい」
俺は、弓を手にしたまま言う。
「“勇者様”が、どれだけ楽しそうに俺の味方を焼いてるのか。
遠くからよく見ておきたいからな」
ミラが小さく息を呑んだ気配がした。
俺の口調は淡々としていたが、中身は全然淡々じゃない。
あいつらがどんな顔で、“正義”を振りかざしているのか。
目の前で、ゆっくり確認してから――へし折る。
そのためなら、弓でも剣でも結界でも、なんでも使う。
「防具はどうする?」
ミラが話題を変えるように問う。
「重い鎧は、今の物資状況では――」
「いらない」
俺はきっぱり遮った。
「重すぎると動きが鈍る。
結界と足で避ける前提で、最低限の装甲だけでいい」
棚を漁り、黒い革の胸当てと、動きやすそうな腕当て・脛当てを選ぶ。
それから、フード付きの黒いロングコートを一着。
袖を通すと、身体にぴたりと馴染んだ。
布の内側に、かすかな魔力の流れを感じる。
「簡易的な魔力遮断の加工がしてありますな。
索敵の魔術を、いくらか誤魔化せるはずですじゃ」
「ちょうどいい」
剣の鞘を腰に、矢筒を背に。
弓を握り、ローブ代わりのコートの裾を払う。
――ようやく、「戦える格好」になった。
(これで、ようやくスタートラインか)
そんなことを考えていた、その時だ。
武具庫の扉が、乱暴に開かれた。
「ミラ様! グルド様!」
血相を変えた魔族の偵察兵が飛び込んでくる。
息は荒く、額には汗。
明らかに、ただ事ではない。
「落ち着け。報告を」
ミラの声が、わずかに硬くなる。
「はっ――隠密遊撃部隊『影走り』が、北方の峡谷で光の使徒と称する人間達の部隊と交戦中!」
「『影走り』……レアの隊か」
ミラの顔色が、見る間に強張った。
聞き覚えのない単語だが、彼女の反応を見るに、軽い話ではないらしい。
「敵には、“勇者”と思しき存在が少なくとも一人。
殿を務めていたレア=ノクス殿が、部隊の撤退時間を稼いでおられますが――
このままでは、包囲が閉じます!」
偵察兵の声が震えている。
「現在、峡谷入口に残存戦力を集めていますが……
前回の敗戦と損耗で、充分な救援戦力は――」
そこまで聞いて、俺は口を挟んだ。
「距離は?」
偵察兵が、ようやく俺の存在に気づいたように、はっと顔を向ける。
「し、ショウマ魔将殿……! ここから北に半日。
転移陣を使えば、もっと早く――」
「転移陣は、まだ安定しておらん」
グルドが首を振る。
「短距離の跳躍ならともかく、前線近くへの転移は座標が乱れやすいのですじゃ。
迂闊に使えば、魔将殿ごとどこかへ吹き飛びかねませぬ」
「……半日か」
普通の行軍なら、だろう。
俺は、自分の足と身体能力を頭の中でざっと見積もる。
ダークエルフの筋力と持久力。
結界で足場を補助すれば、速度はもっと上げられる。
「ミラ」
名を呼ぶと、ミラがびくりと肩を揺らした。
「俺を、その峡谷に送れ」
「いいのか?」
ミラの紅い瞳が、揺れる。
「これは、まだ正式な作戦には――」
「ちょうどいい」
俺は、腰の剣の柄に軽く手を添えた。
「初陣ってやつには、ふさわしい相手だろ。
隠密部隊の撤退支援と、勇者様のお顔拝見――二つまとめてできる」
ミラは、ぐっと唇を噛む。
「だが、危険だ。
相手は、おそらく“奴ら”と同じ系統の力を持つ者だぞ」
「だから行くんだろ」
あの白い光。
焼き尽くされた戦場の映像。
俺の知らない場所で、俺の知らない誰かが、また同じように焼かれている。
(あっちで俺を“不要”って言って笑ってた連中と、
同じ顔で笑ってるなら――なおさらだ)
「条件は、いくつかある」
俺は淡々と言葉を継いだ。
「細かいのは後から伝えるが――
ひとつ。勇者に関する情報は、隠さず全部回せ」
偵察兵が緊張した面持ちで頷く。
「ふたつ。俺に“首輪”をつけるような真似は、しないこと。
魔術的な縛りや、遠隔で動きを止める類のものだ」
ミラが一瞬、目を逸らした。
おそらく、その手の対策も検討していたのだろう。
それはそれで、正しい判断だ。
俺は誰も信用していない。
向こうの世界でも、こっちの世界でも。
だからこそ――最初に釘を刺しておく。
「それが飲めるなら、俺は動く。
……どうする?」
短い沈黙。
やがて、ミラはまっすぐ俺を見据えた。
「分かった。
父――魔王マギアとの契約に反しない範囲で、
あなたの行動を縛る“首輪”は用意しない」
グルドが、穏やかに頷く。
「情報も、可能な限りすべて魔将殿に渡しましょう。
元より、勇者への憎悪と執着において、貴殿に勝る者はおらぬ」
「よかろう」
俺は、一度だけ頷いた。
「じゃあ――行こうか」
弓の弦を軽く弾く。
低く響く音が、武具庫の空気を震わせた。
偵察兵が姿勢を正す。
「案内いたします、ショウマ魔将殿!」
「ミラ様、前線との伝令路を開かねば」
「分かっている。
グルド、転移陣の“安全なギリギリ”を割り出してくれ。
そこまでこちらの兵を走らせる」
「承知」
慌ただしく動き始める魔族たちの中で、
俺はひとり、静かに息を吐いた。
(さて――)
この世界で、最初に“救う”ことになる味方は、
どんな顔をしているのか。
そして――
そこにいる“勇者様”は、どんな顔で「正義」を振りかざしているのか。
ロングコートのフードを軽くかぶり、
俺は武具庫を後にした。
魔王軍魔将ショウマとしての、最初の戦場へ向かうために。




