第60話 配線図
前線の空気が、変わった。
白が濃くなったとか、祈りが増えたとか。そういう単純な話じゃない。
手順が増えた。道具が増えた。人が増えた。――そして「言い訳できない形」に整えられていった。
祈祷交代は二系統。導体は副線が伸び、点群には予備杭。
こちらが止めるたびに、向こうは「止められる前提」で上塗りしてくる。
つまり、もう前線だけをいじっても終わらない。
「……狩りが、丁寧になってます」
レアの報告は短い。影走りの長が“丁寧”と言う時は、だいたい嫌な丁寧さだ。
「白が追う。刺す。縛る。その順序が整ってる。現場が慣れてきた」
俺は因果線を見た。
器(点)から伸びる白が、前線で終わっていない。いったん立ち上がって、――戻っていく。
戻り先がある。供給の中心がある。
そしてその中心は、こちらがまだ手を付けていない場所にいる。
「じゃあ、折り方を変える」
俺が言うと、ミラが迷いなく頷いた。
「今回の狙いは“器”ではありませんね」
「器も針も、現象だ。運用を束ねてるものを抜く」
俺は机の上に札を置いた。第58話で現場を封じ込めた監察の流れ、その後に増えた指示。現場を縛る文章が増えている。
「紙だ」
俺は言った。
「運用手順。護衛再編。点群復旧の手順。……追跡の指定方法。全部、紙に落ちる」
グルドが目を細める。
「中枢は、現場を紙で動かす。紙を抜けば、現場は自分の足を撃つ」
「レア。監察役の随行荷を狙え」
「承知しました」
レアは一瞬も渋らない。今日は刺しにいく相手が明確だからだ。
「深追いはしない」
ミラが釘を刺す。
「札を取ったら引く。損をしない」
「いつも通りだ」
俺は頷いた。
壊さない。殺さない。回路を止めて、意味を殺す。――そのための札を奪う。
夜。
監察役の随行荷は、前線の奥、祈祷交代点の少し後ろを通っていた。白い布で包まれた箱。護衛が厚い。丁重すぎる護衛だ。中身が“武器”ではなく“秩序”だから。
影走りは滑らない。
前回からの切り替えだ。影に沈むと刺される。なら影の端を歩く。視線を誘導し、相手の“狩り”を空振らせる。
囮が先に動いた。
わざと見つかる。わざと逃げる。白が追う。針が伸びる。縛る準備が整う。
その間に、レア本隊が随行荷の車列へ滑り込む。
「……今」
レアの合図。
絶縁繭が落ちた。
護衛の足首、膝、肘。関節が固まり、声が詰まる。呼吸は残す。意識も残す。暴れる力だけ奪う。
「敵襲――!」
叫びかけた声が、喉の奥で潰れる。
糸が声帯を縛るわけじゃない。だが体が固まれば、叫びは出ない。
白が反応した。
丘の上――広告塔の針が、こちらを“見る”。
追う白が伸びる。狙いは、車列ではない。影走りの脚だ。獲物を止めてから獲物を囲う。
だが今日は、狩りの相手が悪い。
レアは“逃げない”動きで逃げた。
刺される前に、刺されない角度へずれる。
護衛に刃を振るわない。繭で止める。札箱だけ抜く。
白い布の箱が、レアの腕に収まった。
重い。紙の重さじゃない。現場を動かす命令の重さだ。
「撤」
レアの声が低い。
追う白が、遅れて追いすがる。
刺す場所を探している。逃げ道を学習しようとしている。
俺は少し離れた地点で結界を滑らせた。
針が刺さる方向を限定する。刺すならここだ、と地面に指定を置く。
白は指定地点へ刺さり、壁になって止まる。止まった針は追えない。
影走りが抜ける。
札箱が抜ける。
護衛は拘束されたまま息をしている。作業員にも刃は向けていない。
損をしない撤退。
“悪”の勝ち方だ。
戻った魔王城。
札箱が開かれると、紙の束がきっちり詰まっていた。整然として、気持ち悪いほど綺麗だ。
グルドが一枚ずつめくる。
「外殻護衛再編……祈祷交代の短縮……導体二重化……点群予備の配分……」
読んでいるうちに、老魔導師の眉がわずかに動いた。
「追跡指定の手順もあるな。標的を“祈り”で固定する……逃走経路を学習して、次は先回りする」
レアが唇を噛む。
敵の学習は、こちらの負担になる。
だが本命は、そこじゃない。
俺は紙の端に走る符丁を拾った。
現場の指示のはずなのに、妙に“上位”の言葉が混じっている。
『接続点は上位供給回路に帰属』
『中枢ノードへの帰還を優先』
『恒久炉(仮符号)』
グルドが低く唸る。
「……これは前線の話ではない」
指先が、次の紙を叩いた。
「外殻は局所戦力ではない。――配線だ」
俺は因果線を見る。
器(点)から伸びる線が、前線で終わっていない。いったん立ち上がり、細い枝を作りながら、太い流れに合流している。
合流点は一つじゃない。だが方向は同じだ。
聖都。
しかも地表ではない。地下へ潜っていく流れだ。
「……戻ってる」
俺の声が低くなる。
「前線で立った白が、全部“戻って”る。戻り先が同じだ。供給の中心がある」
ミラが紙を見つめたまま言った。
「前線を止めても、供給が生きている限り戻る……」
目が上がる。硬い。だが決断の硬さだ。
「なら供給を止めます」
ミラは言い切った。
「聖都へ」
レアが頷く。
エヴェリナが静かに笑う。
ドルガが鼻を鳴らす。
グルドが紙束をまとめ直す。
俺は線を見て、最後に一言だけ落とした。
「針を折るんじゃない」
紙の端を指で弾く。
「――針を生やす土を殺す」
次の心臓は、前線じゃない。
本丸は、地下だ。




