第59話 爆弾の置き場
捕虜区画は、魔王城の中でも空気が悪い。
湿っているとか臭いとかじゃない。“息の置き場”が無い。
扉の前に立つ衛兵が、俺を見るなり背筋を伸ばした。
敬意じゃない。警戒だ。
「……暴れませんか」
小声で訊かれる。ここでは、その問いが現実だ。
「暴れたら止める。殺さずに」
俺が答えると、衛兵はわずかに肩を落とした。安心ではない。覚悟の形が変わっただけ。
中にいるのは、高城ユウキ。
“勇者”枠の二番手。光過剰で森を焼いた、火力の塊。
今は鎖と結界の中にいる。
ユウキは壁にもたれていた。
身体はやつれている。光の反動が、皮膚の内側に焦げ跡みたいな痛みを残しているのだろう。呼吸は浅く、肩が時々跳ねる。
それでも目は死んでいなかった。
鋭い。尖っている。
刃物みたいに“疑う”目だ。
――こいつは爆弾だ。
爆弾は、置き場を間違えると味方が吹き飛ぶ。
その置き場を決めるために、会議が開かれた。
魔王城の会議室。
ミラ=ザス・マギアが正面に座り、レア、ドルガ、グルド、エヴェリナが左右に並ぶ。
俺――影山ショウマは、机の端で線を見る癖のまま座った。
「捕虜、高城ユウキの処遇を決めます」
ミラの声は硬い。統治者の硬さだ。
ドルガが最初に口を開いた。
「危ねぇ。正直、殺しとくのが一番安全だ」
言い切るあたりが、前線の武人らしい。
「暴れたら城が燃える。俺の部下が死ぬ。民も巻き込む。……それが“やらない悪”に反するのは分かってるが、現実は現実だ」
レアは反射で噛みつかない。最近の彼女は、役割で抑えている。
「安全保障としての意見は理解します。ですが、軍規は……」
「軍規で腹は膨れねぇ」
ドルガが唸る。
グルドが咳払いを一つ。
「利用価値は高い。教会の運用、外殻の現場、勇者枠の内部事情。聞き出せる情報は多い」
老魔導師の声は淡々として、冷たい。
「交渉札にもなる。返すなら、返すで利がある」
「……返す、ですか」
ミラの目が細くなる。
返せば教会が得をする。返さなければ、教会内部の不信が育つ。どちらも“窓”になる。
エヴェリナが穏やかに言った。
「利用、という言葉は慎重に。彼は道具ではありません。ただ……危険な蜂です。巣の外に置くにも、巣の中に戻すにも、刺されます」
全員の視線が、俺に集まった。
線を引く役は、いつも最後だ。
「殺さない」
俺は言った。声は低く、短く。
ドルガが眉を上げる。
「……使うのか?」
「使い潰さない」
俺は続けた。
「教会みたいに、人を資材にするな。捕虜を札にして消費するな。――返すかどうかは保留だ」
グルドが微かに笑った。
「綺麗ごとではないな。線引きだ」
「線引きが無いと、俺たちは教会と同じになる」
俺の言葉に、ミラが頷いた。
「……軍規を守ります。殺さない。無意味に使わない。監視は強化する。情報は、取れる範囲で取る。……尋問はしない」
ドルガが渋い顔をする。
「爆弾を抱えることになるぞ」
「抱えない。置く」
俺が言う。
「置き方を間違えなければ、爆発はこっちの都合で起こせる」
それは脅しじゃない。戦略だ。
会議は、その結論で一旦終わった。
――そして俺は、爆弾の部屋へ戻った。
扉を開けると、ユウキが目だけで俺を刺した。
口元は笑っていない。笑えない。だが負けた顔もしたくない。
「……誰だよ」
声が掠れている。
「魔王軍の幹部? それとも――」
「影山ショウマ」
俺は名乗った。
その瞬間、ユウキの目が一瞬だけ揺れた。
知っている名前じゃない。だが“異物”として引っかかった反応。
「聞いたことねぇ」
ユウキは吐き捨てる。
「……殺すなら早く殺せ」
「殺さない」
俺は即答した。
「じゃあ、利用するのか」
ユウキの言い方は、どこか慣れている。
利用される前提で生きてきた声だ。
「使わない。使い潰さない」
俺は同じ言葉を繰り返した。
「お前は道具じゃない。爆弾でもない。……捕虜だ」
ユウキが鼻で笑う。
「優しさごっこか?」
「軍規だ」
俺は言った。
「やらない悪。無差別殺害はしない。捕虜を意味なく殺さない。民を巻き込まない」
ユウキは黙った。
黙ったまま、鎖の擦れる音だけが響く。
「……お前、魔族のくせに」
小さく吐き出す。
「そんな綺麗な言葉、吐くんだな」
「綺麗じゃない。面倒で、遠回りで、腹が立つだけだ」
俺は椅子に座らず、立ったまま言う。
「でも、それをやるって決めた。教会と同じにならないために」
ユウキの目がまた刺さる。
「教会、教会って……お前、教会に何されたんだよ」
俺は答えない。
答えれば、話が別の方向へ流れる。
今ここで欲しいのは、感情の共有じゃない。反応だ。
「教会の前線は割れ始めてる」
俺は事実を投げた。
「物流が詰まって、現場が揉めて、上が『言い訳を許すな』って札を投げてきた。……そして、お前の名前が出た」
ユウキの眉が動く。
ほんの僅かだが、それだけで十分だ。
「……俺の?」
「『高城殿がいれば』って現場が言った」
俺は淡々と続ける。
「その次に、『所在不明の者を当てにするな』『器は一人で足りる』って言葉が落ちた」
ユウキの口が歪んだ。
怒りではない。もっと冷たい、理解に近い歪み。
「……いない扱いかよ」
吐き捨てるみたいに言う。
「二番手なんて、そんなもんか」
俺は一拍置く。
そして、さらに事実を投げる。
「外殻が前線に来た。坂上マサトが器として立たされてる」
その名前で、ユウキの目が一段鋭くなる。
嫉妬か。焦りか。罪悪感か。
全部混ざって、刃になる。
「……マサトが?」
声が僅かに上ずる。
「……あいつ、戦ってんのか」
「戦ってるように見えるだけだ」
俺は言った。
「立ってる。立たされてる。立ってるだけで白が成立する」
ユウキは口を開きかけて、閉じた。
飲み込んだ言葉が、喉で擦れる音が聞こえた気がした。
「……セルベルトが、決めたんだろ」
ユウキがぽつりと言う。
「上の連中は、そういうの得意だ。正義だの奇跡だの言って……人を使う」
――出た。
セルベルト。
俺は顔に出さず、頷くだけにする。
「お前は、戻りたいか」
俺は訊かない。
代わりに、線引きを置く。
「決めるのは、お前じゃない」
俺は言った。
「教会の手から外すかどうか。……それを決めるのは、俺たちの戦局だ」
「……は?」
ユウキが顔を歪める。
「お前、何言って――」
「教会は人を資材にする。外殻も、聖骸核も、その延長だ」
俺は淡々と言った。
「お前も、いつか資材にされる。いない扱いにされた時点で、もう始まってる」
ユウキの目が、少しだけ揺れた。
恐怖じゃない。
理解だ。
「……俺は、勇者だぞ」
弱い声だった。
言い聞かせるみたいな声。
「勇者でも、二番手なら切られる」
俺は言う。
「現場は都合のいい旗が欲しい。上は都合のいい正義が欲しい。――お前は、都合が悪い」
ユウキは黙った。
鎖の音だけが、また響く。
俺は立ち上がる。
「殺さない。使い潰さない。……監視は続く。必要なら、話す」
それだけ言って扉へ向かう。
背中に、ユウキの声が刺さった。
「……俺、もう“いない扱い”なんだろ」
俺は振り向かない。
振り向けば、慰めになる。慰めは今はいらない。
「だからこそ」
扉の前で、俺は言った。
「決めるのは教会じゃない。――俺たちだ」
扉が閉まる。
外の空気が少しだけ軽い。
だが爆弾はそこに残ったままだ。
置き場所を間違えれば吹き飛ぶ。
置き場所を正しく選べば、敵の足元で爆ぜる。
ミラの前に戻ると、彼女は短く命じた。
「監視を強化します。尋問はしない。軍規は守る」
ドルガが渋い顔で頷く。
「……分かった。だが、俺は見張るぞ。部下を死なせたくねぇ」
「それでいい」
俺は言った。
「爆弾は、見張られてる方が安全だ」
線を見れば、前線の針の白はまだ立っている。
しかも太くなり始めている。
運用の次は、供給だ。
供給の次は――本丸だ。
俺たちは、爆弾の置き場を決めた。
次は、教会の置き場を壊す番だ。




