第56話 広告塔
聖教会の前線は、昨日より整っていた。
整っているほど、嫌な予感がする。
白い幕が揺れる。祈りの声が、同じ高さで揃って流れていく。
その中心に――誰かが立たされていた。
坂上マサト。
遠目でも分かる。白が、そこだけ濃い。
面じゃない。縁じゃない。一本の針みたいに、空へ向かって立っている。
「……来たな」
俺は息を吐いた。影山ショウマ。
読まれる手の次は、これだ。前線の“広告塔”。
――教会側は言うだろう。英雄が立った、と。
だがあれは英雄の出撃じゃない。
回路の実証だ。
影走りの先行が戻ってきた。
レアが短く手を上げ、沈黙のまま合図を出す。生きている。だが、息が浅い。
「……白が、追ってきます」
影走りの一人が、声を絞った。
膝が震え、指先が痺れている。刺されたわけじゃない。刺されかけた。
レアが目線だけで状況を整理し、俺へ落とす。
「聖印粉が薄くても反応する。点群が、こちらの“足”を狙う。退路を塞ぐんじゃない。……獲物を縛る」
狩りだ。
面制圧は縄張り。だが針は――追う。
俺は因果線を見る。
マサトの周りに、台座がある。祈祷役。導体。短杭点群。護衛。
それらが一つの“手順”で動いている。今日の白は、昨日の白じゃない。
「確認する。無理はするな」
俺が言うと、レアが頷いた。
影走りは、滑らない。今日はそれが正解だ。
――前線の外縁。
夜の残り香が薄い場所で、影走りは影の端を歩く。沈まない。刺されない距離を取って進む。
だが、白は待っていた。
足元の影が、ふっと“輪郭”を持った。
粉は撒かれていない。それなのに、撒かれたみたいに浮く。
「……っ」
空気が張り詰める。
白い線が走った。針。細いのに、触れたら終わると分かる鋭さ。
影走りが方向を変える。
白も変える。
逃げ道ではなく、逃げ足に刺す。
短杭の点群が同時に反応した。
点が点のまま繋がり、影の抜け道だけを潰す。
面じゃない。囲いじゃない。追跡だ。
「――来る!」
影走りの脚が、半歩遅れた。
遅れた瞬間に、針が刺さる。
刺さる場所は地面だ。だが地面が白く立ち上がり、足首が抜けなくなる。拘束。殺すためじゃない。捕まえるため。
それを見て、俺は歯を噛んだ。
教会は、学習した。
殺さずに勝つ、というこちらの方針すら利用して、“殺さずに狩る”へ寄せてきた。
レアが絶縁繭を投げた。
白と影の間に、糸の膜が落ちる。
一瞬、針が鈍る。
「抜けろ!」
レアの声が鋭い。
影走りが、絡みつく白の縁から足を引き抜く。
ギリギリ。爪先が焼けるように痛むが、致命傷にはならない。
――追撃が来る。
丘の上。
白い列の中心に立つ広告塔が、まっすぐこちらを向いていた。
坂上マサトは剣を振っていない。
呪文も唱えていない。
ただ、立っているだけだ。
立っているだけで、白が成立してしまう。
祈祷役が周囲で言葉を束ねる。導体が脈打つ。短杭が点を結び、針が生まれる。
護衛の聖騎士が、その針の“指”として動く。
「坂上殿が前へ出れば、白は折れぬ」
どこかの司祭の声が風に混じった。
祈りの言葉は美しい。だが現実は冷たい。
マサトの肩が僅かに揺れた。
眩しいんじゃない。重い。息が詰まる。
それを耐えているのか、耐えさせられているのか――遠目には区別がつかない。
影走りが距離を取る。
だが針の白は距離で切れない。
白が、獲物を指定して伸びる。
「……逃げられない」
影走りの声が震えた。
逃げられる。
ただし、刺さる場所を決めないと、逃げる途中で縛られる。
俺は結界を滑らせた。
刺さる方向を限定する。
針が伸びるなら、伸びていい。だが刺さる地点は、俺が決める。
空気の中に見えない線が走る。
結界操作。
白の針は、こちらの退路を狙って伸び――決められた地面へ刺さった。
地面が白く立ち上がり、壁になる。
壁は怖い。
だが壁があるなら、壁の外へ出ればいい。
「今だ。右!」
レアが叫ぶ。
影走りが、刺さらない方へ跳ぶ。
滑らず、走る。
走って、抜ける。
針の白がもう一本伸びる。
だが台座が追いつかない。祈祷役の声が一瞬だけ乱れ、導体の脈が揺れる。短杭点群の反応が遅れる。
俺は線を見る。
追っているのは器じゃない。
器の周りの“台座”だ。回路が獲物を指定している。
「……そういうことか」
俺はもう一枚結界を重ねた。
針が“刺さる”ことは許す。
だが“追う”ことは許さない。
白が地面に刺さる。
刺さった白は動けない。
動けない針は、ただの光だ。
それが分かるように、丘の上の白が揺れた。
マサトが僅かに膝を折りかけ――すぐに護衛の手が支える。
丁重な支え。逃げさせない支え。
俺は舌打ちした。
英雄じゃない。
器材だ。
撤退。
ミラの札が届く前に、俺は判断した。
ここで粘れば、次は“逃げ道を学習される”。
レアが影走りを回収する。
ドルガ隊が後衛に回り、追撃を“遅らせる”だけで止めない。破壊しない。殺さない。
その代わり、教会に「獲物を逃した」不満を残す。
戻った拠点で、レアが息を吐いた。
「……追う白。面制圧じゃない。狩りです」
声が硬い。だが怒りが混じっていた。
俺は頷き、奪った小札を広げた。
外殻護衛の再編。導体の二重化。祈祷交代の短縮。点群の予備。
そして、最後に小さく書かれた一文。
『逃走経路を学習せよ』
俺は笑えなかった。
向こうも、俺たちと同じことをしている。
殺さずに、勝つために。
「……台座を割る」
俺は言った。
「器じゃない。器を成立させるセットを外す。増える前に」
丘の上の広告塔が、遠くでまだ白く立っている。
あれは戦場の景色じゃない。
宣伝だ。
――“英雄が、前へ出た”という宣伝。
だが俺には分かっている。
あれは、回路の看板だ。




